鶴岡八幡宮の宮司(9)
- 2015/12/28
- 21:35
(記事の末尾に鎌倉観光協会の公式ポータル・サイトに関する追記があります)「鶴岡八幡宮の宮司」シリーズの最終篇です。あれから何十年も経ちました。鎌倉観光協会の公式ポータル・サイトには、鶴岡八幡宮の宮司一行がストラスブールで神楽を披露した時にフランス人の参列者が「金縛り」にあったと書いてあります。*****公園の中に祭場をしつらえて奉納をしたところ、1000人くらいの参加者がそれこそ金縛りで立ち上がれなくなって...
鶴岡八幡宮の宮司(8)
- 2015/12/27
- 18:41
追記 2015年12月28日日本に住んでいる新聞記者の友人からの知らせで、鶴岡八幡宮の宮司がストラスブールを再訪した正確な期日が判明し、行方不明だと思っていた新聞記事も見つかりました。「某大新聞」と書いたのは、間違い無く「朝日新聞」でした。記事の本文に、新聞名と正確な日付や宮司の発言の詳細など、数箇所、修正を施しました。なお、同じ頃、同様の記事を読売新聞と毎日新聞も掲載しているそうです。但し「新聞によって...
鶴岡八幡宮の宮司(7)
- 2015/12/26
- 20:42
1999年8月30日。日本滞在中に鎌倉の鶴岡八幡宮に赴いて、権禰宜(ごんねぎ)の瀧森好(たきもり・このむ)氏との約束の会食です。その場で会った初対面の(*)男が「石田○○です」と自己紹介した後、F爺にこう言いました。「最初にお聞きしたいんですが、Fさんのこの催しでの立場は何ですか。はっきりさせてください」(*) 名前だけはLN夫人から聞いていました。フランス語の出来る人だそうです。敬語を使ってはいますが、自分の立場の説明...
鶴岡八幡宮の宮司(6)
- 2015/12/25
- 21:12
「封筒一通」1999年8月12日。皆既日蝕をイギリス南西端、フランス北部からトルコ、インドなどの広い範囲で観測した翌日でした。LN夫人から夕食への招待がありました。トルコから帰仏した直後ですが、トルコとフランスの時差は一時間ですから、日本からの帰仏と違って時差症候群に悩まされることはありません。飛行機で移動した当日でも頭は正常に機能します。LN夫人からは、「日本滞在中に鎌倉で宮司と再会するのなら封筒に入れた...
コンサート1999-6-8・鶴岡八幡宮の宮司(5)
- 2015/12/24
- 20:39
1999年6月8日のF爺合唱団のコンサートは、期せずして「LN夫人事件」と絡(から)み合うことになりました。絡み合ってもすぐに解(ほど)けたので、鎌倉の鶴岡八幡宮の宮司は、このことを知らないはずです。LN夫人は、宮司のストラスブール再訪の時にF爺を利用しようという明確な意思があってこのコンサートを聴きに来たのです。コンサートは、LN夫人が自発的に、自分が勤めている某ラジオ放送局のストラスブール支局に掛け合って、無料...
鶴岡八幡宮の宮司(4)
- 2015/12/23
- 21:53
1999年5月31日午前9時30分。LN夫人、鎌倉の鶴岡八幡宮の宮司(ぐうじ)並びに権禰宜(ごんねぎ)と約束の場所で落ち合います。そこからストラスブール大聖堂に徒歩で赴(おもむ)き、大司教と会見するのです。大聖堂の入り口で待っていた迎えの人にLN夫人が到着を告げます。「中へどうぞ。大司教は、すぐに参ります。ここでお待ちください」待つ間に、大聖堂の内側を見た宮司と権禰宜が嬉しそうに、こういう意味の言葉を交わしました。《...
鶴岡八幡宮の宮司(3)
- 2015/12/22
- 20:24
1999年5月30日。ストラスブールで当時は高級料理店だった「Au Crocodileオ・クロコディル」で鶴岡八幡宮の宮司一行(いっこう)との会食の日です。LN夫人は、夫君と一緒でした。鶴岡八幡宮からは宮司の吉田茂穂(よしだ・しげほ)氏と権禰宜(ごんねぎ)の瀧森好(たきもり・このむ)氏。それにF爺の五人で食卓を囲みます。宮司と権禰宜は、翌日、LN夫人の案内で、ストラスブール大聖堂で大司教と会見することになっているのです。F爺が同...