四国八十八箇所の「0番札所 / 零番札所」群!
- 2022/05/25
- 19:51
(「引用」の項に追記があります)(「引用」の項の末尾にもう一つ追記があります)今日の二本目の記事です。前置き当ブログには、〈「四国八十八箇所ゼロ番札所」って何? どこ?〉と題した記事があります。【四国八十八箇所に「0番札所」(あるいは「零番札所」「ゼロ番札所」)などというものはあり得ない】と力説したのでしたが、「MJBぢぢい」さんのブログの記事〈撫養街道・その1〉に「零番札所」という文字列があるのに気付きました...
京都の東寺が「納経」という語を誤用
- 2018/09/27
- 19:29
2018年7月27日に京都在住の友人「洛北孫子亭」さんと一緒に訪れた東寺では、納経所の前にあった立看板の記載に重大な日本語の間違いも(*)ありました。(*)「間違いも」というのは、立看板の記載にもっと驚くべきことが書いてあったからです。-一つ前の記事〈京都に四国の飛び地!?〉をご覧ください。納経所の立看板には、こう書いてあったのです。「納経はここでお授けいたします」洛北孫子亭さんのブログの2018年7月27日付けの記事...
京都に四国の飛び地!?
- 2018/09/27
- 18:20
この記事は、ブログ記事〈「四国八十八箇所ゼロ番札所」って何? どこ?〉の続篇です。2018年7月27日に京都在住の友人「洛北孫子亭」さんと一緒に東寺を訪れたのですが・・・境内の一角には、またもや我が目を一瞬疑ってしまう表示がありました。納経所の前に、一年前の記憶とは記載内容が幾分異なると見える立看板があって、「四国八十八ヶ所巡礼東寺札所」と書いてあったのです。洛北孫子亭さんのブログの2018年7月27日付けの記事...
「四国八十八箇所ゼロ番札所」って何? どこ?
- 2018/07/14
- 18:26
(記事の末尾に追記があります)(記事の中程に新たな追記があります)2017年の夏の遍路道で、何人もの歩きお遍路さんから〈京都の東寺が「四国八十八箇所ゼロ番札所」と自称しているという噂〉を聞きました。「自分の目で確かめた」とおっしゃる方に遭遇するまでは、半信半疑でした。そして・・・ある日、遍路を終えたF爺自身が京都にやって来ました。京都駅で落ち合った「洛北孫子亭」さん(*)と東寺に赴(おもむ)きます。(*) 洛北孫子...
遍路の笠と杖と足半草履
- 2017/10/08
- 19:36
(「笠」の項の末尾近くと〈「金剛杖」という記載は少ない〉という項に追記があります)ブログ記事〈金剛杖は、お大師様の「化身」?「分身」?「御影」?〉に左京さんから「杖の意味づけ(追加調査)」と題したコメントが届き、素晴らしい資料群を教えていただきました。明治・大正時代のお遍路さんの装束は、笠から履物まで、現今の物とは様相も意味付けも異なっていたようです。全文を引用します。但し、[1] 左京さんご自身から追伸で...
金剛杖はお大師様の「化身」?「分身」?「御影」?
- 2017/10/04
- 18:14
前置きブログ読者の池上孝二さんが当ブログの記事〈「先達教」〉にお寄せ下さったコメントで提示なさった三つ目の疑問を記事にします。本文池上さんの疑問の箇所を引用します。赤字の鉤括弧は、読みやすくするためにF爺が勝手に施したものです。*****[3]「杖はお大師さんだから大切に扱わなけ[れ]ばならない」などと言い出したのはいつ頃からでしょうか?総じて「先達やベテランお遍路の言う、お遍路の作法」はいったいいつ頃から...
明治時代の遍路指南書
- 2017/10/02
- 18:25
左京さんブログ記事「お遍路は、同行三人、四人、五人・・・」にお寄せ下さったコメントへの返信に代えてこの記事を立てます。お知らせくださった明治12年と明治45年に発行の二冊の遍路案内本それぞれの著者の新居田政五郎(12年)と三好広太(45年)の経歴や執筆時の肩書きなどはご存じですか。何らかの意味で当時の遍路に作法を公に指南する立場にいた人たちだったのか、それとも自分の考えを勝手に述べただけなのか、また何部ぐらい...