カーネギー・ホール
- 2013/12/20
- 00:20
合唱コンサート旅行 第七話1972年の第三回・国際大学合唱フェスティバルに参加した各国の合唱団の最後の滞在地ニュー・ヨークに着いてみると、合唱祭への参加規約を守らない合唱団がいくつもあったことが分かりました。イギリス代表の合唱団は、予告していた曲目とは何の関係も無いものを歌いました。「ギャグ」だと開き直っていました。ブラジル代表の合唱団は、「特定の企業の宣伝・広告になるような曲を歌ってはいけない」こと...
ホワイト・ハウスにて
- 2013/12/19
- 00:06
合唱コンサート旅行 第六話さて、いよいよ今朝は、インターナショナル大学合唱祭に参加している全合唱団がホワイト・ハウスに招(よ)ばれています。大政治家になるつもりも無く、米国に移民して官僚になろうという意思も無い若者たちは、かの「白亜館」を間近に見る一生一度の機会だと知っていますから、みんなワクワクしています。マドリガル合唱団の一行(いっこう)を乗せたバスが、「ペンシルベニア通り1600番地」の前で一時停車...
黄金の蛇口
- 2013/12/18
- 00:09
合唱コンサート旅行 第五話首都ワシントンでの滞在中、われらがマドリガル合唱団のホーム・ステイ先は、隣接したマリーランド州の高級住宅地でした。どの家も室数(へやかず)の多い一戸建てで、手入れの行き届いた広い庭がありました。到着の日は、ホスト・ファミリーのところで各自が夕食を済ませた後、全員がA家に集まってカクテル・パーティに招(よ)ばれることに決まっていました。A家まで車で送ってくれたF爺のホスト・ファミ...
ゲイ・カップルの家でホーム・ステイ
- 2013/12/17
- 01:03
合唱コンサート旅行 第四話フィラデルフィア近郊のHという町には、午後の半ばに到着しました。F爺は、もう一人の団員J君と二人で、Bと名乗った中年男の家でお世話になることになりました。集合場所の大学からその人の家まで車で5分もかからなかったような記憶があります。Bさんは、その大学の経済学の先生だそうです。入り口には、「B... and R...’s farm」(BとRの農場)と書いてありました。「B...」も「R...」も男の名前でした...
スペイン語を話す市長夫人
- 2013/12/16
- 01:08
合唱コンサート旅行 第三話マサチューセッツ州のある町でのホスト・ファミリーは、大変裕福なご家庭のようでした。集合場所へのお迎えは奥様だけでしたが、経験の浅い若き日のF爺がそれまで間近に見たことの無い車種の巨大な自家用車に乗って来ていました。もう一人の団員H君と二人一緒にお世話になることになったのですが、H君が目ざとく車種を認定しました。「見た ? キャデラックって書いてあるよ !」「へえーっ。キャデラック...
フレンチ・トーストって何 ?
- 2013/12/15
- 00:56
合唱コンサート旅行 第二話米国での演奏旅行中は、どこでも、合唱団の一行(いっこう)を乗せたバスがその日の宿泊地に着くと、出迎えのホスト・ファミリーが公会堂のようなところに集まっていてくれるようになっていました。受け入れ先の室数(へやかず)などの状況によって、一人ずつか二人ずつ、団員が各戸に割り振られていくのです。二人一組の場合にいつも同じ人と一緒になることは無いように、団長が順不同の団員リストを何種類...
米国での合唱コンサート旅行
- 2013/12/14
- 00:49
F爺が初めて米国に渡ったのは、1972年のことです。今も存続しているかどうかは存じませんが、米国のある民間団体が「International University Choral Festival (インターナショナル大学合唱フェスティバル)」というものを1966年から三年ごとに催していました。世界の20ヶ国ほどから有志の大学合唱団を一団ずつ招聘して三週間ほど米国の各地と首都のワシントンで演奏旅行をさせ、最後はニュー・ヨーク市で一堂に集めて合同練習の後...