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特殊な日本人
QL氏が、日本において日本人を相手に、日本の伝統文化を貶める発言をするのは、自分は日本の伝統文化に親しむ一般庶民とは違って、特別に偉い存在だと主張する意図があるのではないでしょうか。だとすれば、「ごく特殊な人」というのは、実は普通の日本人であって、QL氏のような「偉い」人よりも数が多いような気がします。
このように、多くの「ごく特殊な人」によりかかって、自分が趣味の良い特別に偉い人間としてチヤホヤしてもらおうとするところからすると、QL氏は、普通の日本人(「ごく特殊な人」)に囲まれていないと、生きていくのが難しい人だと思います。
このような人と連帯感を持つのは難しいですが、日本と日本の人々にベッタリと依存しているのですから、日本人と考えてあげたらよいと思います。ただし、ごく特殊な日本人ですが(笑)。
このように、多くの「ごく特殊な人」によりかかって、自分が趣味の良い特別に偉い人間としてチヤホヤしてもらおうとするところからすると、QL氏は、普通の日本人(「ごく特殊な人」)に囲まれていないと、生きていくのが難しい人だと思います。
このような人と連帯感を持つのは難しいですが、日本と日本の人々にベッタリと依存しているのですから、日本人と考えてあげたらよいと思います。ただし、ごく特殊な日本人ですが(笑)。
アンケートなど
たとえごく一部の人しか弾いたことが無いとしても、存在自体はしているのですから、QL氏の論理は破綻していますね。どうやって成立させているのか理解に苦します。
加えるなら、前提知識が無い状態で、いきなり「日本民謡を知っているか」と訊かれても、「日本民謡」が何を指すのかが分からず、答えられないと思います。
学生が答えないのは、「あの歌は日本民謡なんだろうか」と考えあぐねているせいでもあるかもしれません。
そう考えると、「日本民謡を知っているか」という質問は、「日本民謡は存在しない」という妄想を補強するためだけに使っているにすぎないのではと思います。
普通の教官なら、「こういう歌が日本民謡ですよ」と繋げるのだろうと思いますが、何をどうやったら存在を認めない価値観を抱くのか分かりかねます。
アンケートについてですが、日本人のうちには数えないと思います。
知らない、または忘れているだけであれば、さして問題にはしないと思いますが、貶めているとなると「本当に日本人なのだろうか」と正気や価値観を疑います。
ところで、「QL氏本人も『日本民謡』について定義せずに訊いているのではないか」という考えが浮かんだのですが、
QL氏は音楽関連の分野を専門にしている人なのでしょうか。
そうであっても、そうでなくても「日本人だとは思えない」という判断には変わりませんけども一応訊いておきたく存じます。
加えるなら、前提知識が無い状態で、いきなり「日本民謡を知っているか」と訊かれても、「日本民謡」が何を指すのかが分からず、答えられないと思います。
学生が答えないのは、「あの歌は日本民謡なんだろうか」と考えあぐねているせいでもあるかもしれません。
そう考えると、「日本民謡を知っているか」という質問は、「日本民謡は存在しない」という妄想を補強するためだけに使っているにすぎないのではと思います。
普通の教官なら、「こういう歌が日本民謡ですよ」と繋げるのだろうと思いますが、何をどうやったら存在を認めない価値観を抱くのか分かりかねます。
アンケートについてですが、日本人のうちには数えないと思います。
知らない、または忘れているだけであれば、さして問題にはしないと思いますが、貶めているとなると「本当に日本人なのだろうか」と正気や価値観を疑います。
ところで、「QL氏本人も『日本民謡』について定義せずに訊いているのではないか」という考えが浮かんだのですが、
QL氏は音楽関連の分野を専門にしている人なのでしょうか。
そうであっても、そうでなくても「日本人だとは思えない」という判断には変わりませんけども一応訊いておきたく存じます。
Re: 特殊な日本人
triportさん
アンケートへのコメント第一号、ありがとうございます。
なるほど、
〈特別に「偉ーい」日本人だと考えて差し上げる〉
わけですか。
F爺が子供の頃は「上等舶来」の物ばかり身に着けて得意になっている「偉い」大人に時々遭遇したものです。あれの類(たぐい)だと思えば良いということなのでしょうか。
他の方々がどんなご意見を寄せてくださるか、楽しみです。
アンケートへのコメント第一号、ありがとうございます。
なるほど、
〈特別に「偉ーい」日本人だと考えて差し上げる〉
わけですか。
F爺が子供の頃は「上等舶来」の物ばかり身に着けて得意になっている「偉い」大人に時々遭遇したものです。あれの類(たぐい)だと思えば良いということなのでしょうか。
他の方々がどんなご意見を寄せてくださるか、楽しみです。
Re: アンケートなど
U川さん
> QL氏は音楽関連の分野を専門にしている人なのでしょうか。
いや、違います。F爺が理解した範囲では、某大学の社会言語学の教官のはずです。チェロは、趣味で弾いているようです。
>前提知識が無い状態で、いきなり「日本民謡を知っているか」と訊かれても、「日本民謡」が何を指すのかが分からず、答えられないと思います。
学生が答えないのは、「あの歌は日本民謡なんだろうか」と考えあぐねているせいでもあるかもしれません。
ああ、なるほど。その可能性には考え及びませんでした。F爺は普段から「雅楽の曲」「○○地方の古来の民謡」「作曲家○○氏の新作民謡」「民謡風の旋律を使った歌謡曲」「陽旋法の演歌で伴奏は西洋音楽風」「わらべ歌」「謂わゆる古謡」など分析し分類しながら聴いていますが、これは誰でもする聴き方ではありませんね。
藪から棒に教官に「日本民謡を知っているか」と訊かれたら、学生には〈何を訊かれたのか瞬時には分からない〉のが普通かもしれません。
>「QL氏本人も『日本民謡』について定義せずに訊いているのではないか」という考えが浮かんだのですが、
その可能性もありますね。日本音楽の価値どころか存在さえも認めたがらないのですから、陰旋法や陽旋法などの術語の意味が解っていないということもあり得ます。
> QL氏は音楽関連の分野を専門にしている人なのでしょうか。
いや、違います。F爺が理解した範囲では、某大学の社会言語学の教官のはずです。チェロは、趣味で弾いているようです。
>前提知識が無い状態で、いきなり「日本民謡を知っているか」と訊かれても、「日本民謡」が何を指すのかが分からず、答えられないと思います。
学生が答えないのは、「あの歌は日本民謡なんだろうか」と考えあぐねているせいでもあるかもしれません。
ああ、なるほど。その可能性には考え及びませんでした。F爺は普段から「雅楽の曲」「○○地方の古来の民謡」「作曲家○○氏の新作民謡」「民謡風の旋律を使った歌謡曲」「陽旋法の演歌で伴奏は西洋音楽風」「わらべ歌」「謂わゆる古謡」など分析し分類しながら聴いていますが、これは誰でもする聴き方ではありませんね。
藪から棒に教官に「日本民謡を知っているか」と訊かれたら、学生には〈何を訊かれたのか瞬時には分からない〉のが普通かもしれません。
>「QL氏本人も『日本民謡』について定義せずに訊いているのではないか」という考えが浮かんだのですが、
その可能性もありますね。日本音楽の価値どころか存在さえも認めたがらないのですから、陰旋法や陽旋法などの術語の意味が解っていないということもあり得ます。
「亜日本人」か「準日本人」
QL氏の母言語は日本語で、日本の文化コードを身に付けているでしょうから、日本人のうちに数えられると思います。
ただ、日本の文化コードを身に付けていながら、日本の伝統文化を貶めるわけですから、日本人ではない、とも言えます。
そういうわけで、第三のカテゴリーが必要になるかなと思います。triportは「特殊な日本人」と仰っていますが、日本人のなりきれずに大人になった日本人という意味で、「亜日本人」もしくは「準日本人」と呼ぶのが良いかなと思います。
ただ、日本の文化コードを身に付けていながら、日本の伝統文化を貶めるわけですから、日本人ではない、とも言えます。
そういうわけで、第三のカテゴリーが必要になるかなと思います。triportは「特殊な日本人」と仰っていますが、日本人のなりきれずに大人になった日本人という意味で、「亜日本人」もしくは「準日本人」と呼ぶのが良いかなと思います。
Re: 「亜日本人」か「準日本人」
チョルスさん
「日本人[に]なりきれずに大人になった日本人」を「亜日本人」または「準日本人」と呼ぼうというのは名案ですが、QL氏の場合は、「日本文化の一部が欠けている」だけではなく、「日本文化の一部を成す独自の価値のある物の存在を認めない」点で完全に病的です。日本文化の総体をあるがままに観察する意思が無いのです。
どう分類したら良いものか、他の方々のご意見も聞いてみたいと思います。
「日本人[に]なりきれずに大人になった日本人」を「亜日本人」または「準日本人」と呼ぼうというのは名案ですが、QL氏の場合は、「日本文化の一部が欠けている」だけではなく、「日本文化の一部を成す独自の価値のある物の存在を認めない」点で完全に病的です。日本文化の総体をあるがままに観察する意思が無いのです。
どう分類したら良いものか、他の方々のご意見も聞いてみたいと思います。
鳥取県の浜田駅?
小島さんへ
鳥取県には浜田駅はありません.浜田は島根県です.
島根県浜田駅で貝殻節を流しているとは思えません。貝殻節は鳥取の歌です。
浜村駅の間違いでは無いでしょうか?
鳥取県には浜田駅はありません.浜田は島根県です.
島根県浜田駅で貝殻節を流しているとは思えません。貝殻節は鳥取の歌です。
浜村駅の間違いでは無いでしょうか?
Re: 鳥取県の浜田駅?
火狐さん
おっしゃる通りです。誤記のご指摘、ありがとうございます。早速、本文にご覧のように修正を施しました。
「貝殻節」は、別名「浜村音頭」とも言います。歌詞にも
〽浜村沖から貝殻が招く
とあります。「貝殻」は、ここでは「帆立貝」のことです。
また
〽あの娘(こ)ァ浜村 お湯育ち
ともあります。
その浜村の海でひと泳ぎしたくてわざわざJR浜村駅で下車した折に「貝殻節」を駅で流していたのです。一体どうして島根県の「浜田」と間違えて書いてしまったのか、自分でも分かりません !!
おっしゃる通りです。誤記のご指摘、ありがとうございます。早速、本文にご覧のように修正を施しました。
「貝殻節」は、別名「浜村音頭」とも言います。歌詞にも
〽浜村沖から貝殻が招く
とあります。「貝殻」は、ここでは「帆立貝」のことです。
また
〽あの娘(こ)ァ浜村 お湯育ち
ともあります。
その浜村の海でひと泳ぎしたくてわざわざJR浜村駅で下車した折に「貝殻節」を駅で流していたのです。一体どうして島根県の「浜田」と間違えて書いてしまったのか、自分でも分かりません !!
回答いたします
F爺様
本文を読んで、このQL氏と、F爺様との会話自体があまりかみ合っていないな、
と思いましたが、先に書かれたコメントを読んで納得できました。
まず、回答ですが、このQL氏は成熟した日本人になりきっていないまま年を重ねてしまった人だ、と思いますので、
一人前の日本人になりきれなかった人、チョルスさんのお言葉を借りれば、「準日本人」だと思います。
なお、「亜日本人」ですと、日本を貶めようとしている悪意が強い人間、という印象を受けますが、
このQL氏の場合、子供っぽさのほうが先立つように感じますので、「準日本人」がより近いのかな、と思います。
F爺様が、知らないものを知らない、と言う人間のことを馬鹿にしたり、疎外したりするような方ではない、と信じておりますので正直に申し上げますが、
実は私も今回の記事を読むまで、陰旋法や陽旋法といった言葉を知りませんで、今回、なかなか考えがまとまらなかった原因もそこにあると思いました。
ですので、「大学教授」という権威を持った人間が、陰旋法や陽旋法を知らなくても違和感を覚えませんでしたし、そのことだけでQL氏は日本人ではない、と決めつけてしまうと、自分も日本人ではなくなってしまうな、と思ってしまいました。
実際、「現在の日本では、陰旋法は全く使われなくなりました」と言われたら、そうなんですか、と信じてしまっていたと思います。
その後、本文とコメントをきちんと読んで、ようやくQL氏の考え方のおかしさに気付けた次第です。
もし、QL氏のような考えの人間に会ったら、私の場合は、「私の地元では、『会津磐梯山』の節ぐらいは誰でも知っていますが、それは『日本音楽』ではないのですか」と聞いてやれば良いのですね。
本文を読んで、このQL氏と、F爺様との会話自体があまりかみ合っていないな、
と思いましたが、先に書かれたコメントを読んで納得できました。
まず、回答ですが、このQL氏は成熟した日本人になりきっていないまま年を重ねてしまった人だ、と思いますので、
一人前の日本人になりきれなかった人、チョルスさんのお言葉を借りれば、「準日本人」だと思います。
なお、「亜日本人」ですと、日本を貶めようとしている悪意が強い人間、という印象を受けますが、
このQL氏の場合、子供っぽさのほうが先立つように感じますので、「準日本人」がより近いのかな、と思います。
F爺様が、知らないものを知らない、と言う人間のことを馬鹿にしたり、疎外したりするような方ではない、と信じておりますので正直に申し上げますが、
実は私も今回の記事を読むまで、陰旋法や陽旋法といった言葉を知りませんで、今回、なかなか考えがまとまらなかった原因もそこにあると思いました。
ですので、「大学教授」という権威を持った人間が、陰旋法や陽旋法を知らなくても違和感を覚えませんでしたし、そのことだけでQL氏は日本人ではない、と決めつけてしまうと、自分も日本人ではなくなってしまうな、と思ってしまいました。
実際、「現在の日本では、陰旋法は全く使われなくなりました」と言われたら、そうなんですか、と信じてしまっていたと思います。
その後、本文とコメントをきちんと読んで、ようやくQL氏の考え方のおかしさに気付けた次第です。
もし、QL氏のような考えの人間に会ったら、私の場合は、「私の地元では、『会津磐梯山』の節ぐらいは誰でも知っていますが、それは『日本音楽』ではないのですか」と聞いてやれば良いのですね。
Re: 回答いたします
「106」さん
>もし、QL氏のような考えの人間に会ったら、私の場合は、「私の地元では、『会津磐梯山』の節ぐらいは誰でも知っていますが、それは『日本音楽』ではないのですか」と聞いてやれば良いのですね。
相手が「単に無知なだけで論理は弁えている」人ならそれで良いはずですが・・・QL氏は、自分からN大学の学生数十人に「日本民謡を知っているか」と訊いて廻ったのですから、「日本民謡」という概念はあるのです。民謡の知識そのものが無いのではありません。その上で「知らない」という答えを引き出し、「存在しないのだ」という結論を確認して悦に入(い)っているのです。
QL氏は、もしも「106」さんに「『会津磐梯山』は、日本音楽ではないのですか」と訊かれたら、
「特殊な地域のことだから数に入らない。[日本を代表する]N大学の学生は、皆、そんなものは知らないと言っている」
と主張すると思います。
氏にとっては、「知らない」と答える人だけが「代表的な日本人」で、「民謡を知っている」と答える人は、皆「ごく特殊な人」なのです。証明よりも、調査よりも、結論が先にあるのです。
F爺は
「世界のどの地域の伝統音楽も、それぞれに美しく、それぞれに価値がある」
と思いますが、
QL氏は
〈価値があるのは俺の好きな西洋音楽だけだ。どうでもいい日本伝統音楽など無くなってしまえばいい〉
という考え方です。
「このQL氏は成熟した日本人になりきっていないまま年を重ねてしまった人だ」という評価は甘過ぎると思うのですが、いかがでしょうか。
F爺は、
「存在するんですか」
というQL氏の言葉に、謂われの無い侮蔑と「日本音楽を撲滅しようという邪悪な意思」を感じたのです。
QL氏は、こう反論するでしょう。
〈撲滅する意思など無い。存在しないものを撲滅する必要は無い〉
>もし、QL氏のような考えの人間に会ったら、私の場合は、「私の地元では、『会津磐梯山』の節ぐらいは誰でも知っていますが、それは『日本音楽』ではないのですか」と聞いてやれば良いのですね。
相手が「単に無知なだけで論理は弁えている」人ならそれで良いはずですが・・・QL氏は、自分からN大学の学生数十人に「日本民謡を知っているか」と訊いて廻ったのですから、「日本民謡」という概念はあるのです。民謡の知識そのものが無いのではありません。その上で「知らない」という答えを引き出し、「存在しないのだ」という結論を確認して悦に入(い)っているのです。
QL氏は、もしも「106」さんに「『会津磐梯山』は、日本音楽ではないのですか」と訊かれたら、
「特殊な地域のことだから数に入らない。[日本を代表する]N大学の学生は、皆、そんなものは知らないと言っている」
と主張すると思います。
氏にとっては、「知らない」と答える人だけが「代表的な日本人」で、「民謡を知っている」と答える人は、皆「ごく特殊な人」なのです。証明よりも、調査よりも、結論が先にあるのです。
F爺は
「世界のどの地域の伝統音楽も、それぞれに美しく、それぞれに価値がある」
と思いますが、
QL氏は
〈価値があるのは俺の好きな西洋音楽だけだ。どうでもいい日本伝統音楽など無くなってしまえばいい〉
という考え方です。
「このQL氏は成熟した日本人になりきっていないまま年を重ねてしまった人だ」という評価は甘過ぎると思うのですが、いかがでしょうか。
F爺は、
「存在するんですか」
というQL氏の言葉に、謂われの無い侮蔑と「日本音楽を撲滅しようという邪悪な意思」を感じたのです。
QL氏は、こう反論するでしょう。
〈撲滅する意思など無い。存在しないものを撲滅する必要は無い〉
陰旋法も陽旋法も知りませんでした。
私も陰旋法も陽旋法も知りませんでした。私どもの時代には、学校で教えていなかったと思います。
「陰旋法とかの日本音楽って、今でも存在するんですか」の意味ですが、多分、QL氏は「陰旋法、陽旋法で曲を作っている人がいるんですか?」と言う意味で言ったのではないかと思います。何とか「法」ですから、作曲法の一つだと勘違いしたのでは無いでしょうか?
「民謡」を知らないについてですが、「『日本民謡を知っているか』と訊いてみた」とQL氏は言っていますが、これは聞き方が悪いと思います。多くの普通の日本人は「日本民謡」とは言いません。単に「民謡」と言いますので、『日本民謡を知っているか』と質問された学生さんは何か特殊な民謡と勘違いしたのでは無いでしょうか?。
私は大学時代、挙げられている民謡の発祥地のごく近くに住んでいたので、身近に民謡がありました。歌う機会も、多々、ありました。しかし、卒業後、民謡を歌った経験はありません。NHKの、のど自慢で歌われることがあるのですね。知りませんでした。TVは災害時以外は見ないので民謡を聴くこともありません。『黒田節』『花笠踊り』『貝殻節』「ソーラン節」「秋田おばこ」「遠島甚句」「相馬盆踊り歌」「木曽節」などを、なにかの機会に耳にして「良いな」と思う事はあります。
もし、本当にQL氏が「日本民謡は完全に消滅してくれればせいせいする」と言ったなら、これは日本人とは思えないですね。そこまでは思っていないような気がします。
歌舞伎、能狂言、尺八、流鏑馬は、少なくとも身近には感じられないですね。歌舞伎以外は見た事がありません。歌舞伎も当方に知識が少ないせいか、あまり面白いとは感じませんでした。歌舞伎の観劇は高価ですので、もう一度見に行こうとは思いませんでした。うーん、私も日本人では無くなりつつ有るのかも知れません。
「陰旋法とかの日本音楽って、今でも存在するんですか」の意味ですが、多分、QL氏は「陰旋法、陽旋法で曲を作っている人がいるんですか?」と言う意味で言ったのではないかと思います。何とか「法」ですから、作曲法の一つだと勘違いしたのでは無いでしょうか?
「民謡」を知らないについてですが、「『日本民謡を知っているか』と訊いてみた」とQL氏は言っていますが、これは聞き方が悪いと思います。多くの普通の日本人は「日本民謡」とは言いません。単に「民謡」と言いますので、『日本民謡を知っているか』と質問された学生さんは何か特殊な民謡と勘違いしたのでは無いでしょうか?。
私は大学時代、挙げられている民謡の発祥地のごく近くに住んでいたので、身近に民謡がありました。歌う機会も、多々、ありました。しかし、卒業後、民謡を歌った経験はありません。NHKの、のど自慢で歌われることがあるのですね。知りませんでした。TVは災害時以外は見ないので民謡を聴くこともありません。『黒田節』『花笠踊り』『貝殻節』「ソーラン節」「秋田おばこ」「遠島甚句」「相馬盆踊り歌」「木曽節」などを、なにかの機会に耳にして「良いな」と思う事はあります。
もし、本当にQL氏が「日本民謡は完全に消滅してくれればせいせいする」と言ったなら、これは日本人とは思えないですね。そこまでは思っていないような気がします。
歌舞伎、能狂言、尺八、流鏑馬は、少なくとも身近には感じられないですね。歌舞伎以外は見た事がありません。歌舞伎も当方に知識が少ないせいか、あまり面白いとは感じませんでした。歌舞伎の観劇は高価ですので、もう一度見に行こうとは思いませんでした。うーん、私も日本人では無くなりつつ有るのかも知れません。
Re: 陰旋法も陽旋法も知りませんでした。
火狐さん
>「陰旋法とかの日本音楽って、今でも存在するんですか」の意味ですが、多分、QL氏は「陰旋法、陽旋法で曲を作っている人がいるんですか?」と言う意味で言ったのではないかと思います。何とか「法」ですから、作曲法の一つだと勘違いしたのでは無いでしょうか?
違います。
QL氏は、明確に
〈日本民謡を歌う人はいなくなって久しい。尺八を吹く人も三味線を弾く人もいなくなった。いまだに演奏する特殊な人がごく僅かいるとしても、すでに消滅したも同然だ〉
という意味のことを言いました。
和声法、対位法などの作曲「法(ほう)」とドリア旋法、フリギア旋法、陰旋法などの「旋法(せんぽう)」とは全く別の概念です。もしもQL氏が「旋法」という術語を知らなかったのであれば、質問さえもしないで「存在しない」と言ったことになります。それだったら、別の意味で、傲慢の極みです。
>「民謡」を知らないについてですが、「『日本民謡を知っているか』と訊いてみた」とQL氏は言っていますが、これは聞き方が悪いと思います。多くの普通の日本人は「日本民謡」とは言いません。単に「民謡」と言いますので、『日本民謡を知っているか』と質問された学生さんは何か特殊な民謡と勘違いしたのでは無いでしょうか?。
これについては何とも言えません。QL氏は「日本民謡を知っているかと訊いてみた」とF爺に言いましたが、実際の質問は「民謡、知ってますか」だった可能性があります。
>もし、本当にQL氏が「日本民謡は完全に消滅してくれればせいせいする」と言ったなら、これは日本人とは思えないですね。そこまでは思っていないような気がします。
QL氏は、そこまで思っています。「民謡、わらべ歌、子守歌などの日本音楽は、消滅した。もはや存在しない。元々、一顧だに値しない」と信じ込んでいます。
>歌舞伎の観劇は高価ですので、もう一度見に行こうとは思いませんでした。うーん、私も日本人では無くなりつつ有るのかも知れません。
そんなことはありません。「歌舞伎の観劇などをあまり面白いと思わない」ことと「『歌舞伎なんか存在しない』と事実無根のことを主張する」こととは、次元が違います。
QL氏は、『F爺・小島剛一のブログ』を読んでいます。反論をF爺にコメントやメールで知らせることはせず、別の手段でネット空間に匿名で悪口を流しています。もしもこの件に関してF爺が何かを誤解しているのなら、何らかの反応があるはずです。
>「陰旋法とかの日本音楽って、今でも存在するんですか」の意味ですが、多分、QL氏は「陰旋法、陽旋法で曲を作っている人がいるんですか?」と言う意味で言ったのではないかと思います。何とか「法」ですから、作曲法の一つだと勘違いしたのでは無いでしょうか?
違います。
QL氏は、明確に
〈日本民謡を歌う人はいなくなって久しい。尺八を吹く人も三味線を弾く人もいなくなった。いまだに演奏する特殊な人がごく僅かいるとしても、すでに消滅したも同然だ〉
という意味のことを言いました。
和声法、対位法などの作曲「法(ほう)」とドリア旋法、フリギア旋法、陰旋法などの「旋法(せんぽう)」とは全く別の概念です。もしもQL氏が「旋法」という術語を知らなかったのであれば、質問さえもしないで「存在しない」と言ったことになります。それだったら、別の意味で、傲慢の極みです。
>「民謡」を知らないについてですが、「『日本民謡を知っているか』と訊いてみた」とQL氏は言っていますが、これは聞き方が悪いと思います。多くの普通の日本人は「日本民謡」とは言いません。単に「民謡」と言いますので、『日本民謡を知っているか』と質問された学生さんは何か特殊な民謡と勘違いしたのでは無いでしょうか?。
これについては何とも言えません。QL氏は「日本民謡を知っているかと訊いてみた」とF爺に言いましたが、実際の質問は「民謡、知ってますか」だった可能性があります。
>もし、本当にQL氏が「日本民謡は完全に消滅してくれればせいせいする」と言ったなら、これは日本人とは思えないですね。そこまでは思っていないような気がします。
QL氏は、そこまで思っています。「民謡、わらべ歌、子守歌などの日本音楽は、消滅した。もはや存在しない。元々、一顧だに値しない」と信じ込んでいます。
>歌舞伎の観劇は高価ですので、もう一度見に行こうとは思いませんでした。うーん、私も日本人では無くなりつつ有るのかも知れません。
そんなことはありません。「歌舞伎の観劇などをあまり面白いと思わない」ことと「『歌舞伎なんか存在しない』と事実無根のことを主張する」こととは、次元が違います。
QL氏は、『F爺・小島剛一のブログ』を読んでいます。反論をF爺にコメントやメールで知らせることはせず、別の手段でネット空間に匿名で悪口を流しています。もしもこの件に関してF爺が何かを誤解しているのなら、何らかの反応があるはずです。
これはダメですね。
小島さんへ
〈日本民謡を歌う人はいなくなって久しい。尺八を吹く人も三味線を弾く人もいなくなった。いまだに演奏する特殊な人がごく僅かいるとしても、すでに消滅したも同然だ〉
これはダメですね。三味線なんて、今、ものすごくおしゃれな楽器になっています。
http://www.gizmodo.jp/2016/05/post_664574.html
〈日本民謡を歌う人はいなくなって久しい。尺八を吹く人も三味線を弾く人もいなくなった。いまだに演奏する特殊な人がごく僅かいるとしても、すでに消滅したも同然だ〉
これはダメですね。三味線なんて、今、ものすごくおしゃれな楽器になっています。
http://www.gizmodo.jp/2016/05/post_664574.html
No title
F爺様
ご返信いただきありがとうございます。
QL氏の本心がどうなっているのか、そこに関心が集まるのですが、
F爺様のご推察の通り、〈価値があるのは俺の好きな西洋音楽だけだ。どうでもいい日本伝統音楽など無くなってしまえばいい〉、という価値観でしたら、
少なくとも私と同じ日本人とは考えたくありませんし、私が判断した、最初の評価は甘いと思います。
もし、QL氏が自身の権威を背に、自分の思い付きは、たとえ自分の専門分野以外のことであっても、すべて正しいのだ、という勘違いをしているのならば、「子供のままの人」程度なのかな、と思います。
ただし、どうあれ、QL氏のもとに集まってきた学生に対する質問は、正当なやり方とは思えませんので、まともな社会人として扱うべきではない相手である、ということは確かだと思います。
「偉い人」は世にたくさんいますが、QL氏はその中でも「特殊な例」であって欲しいものです。
ご返信いただきありがとうございます。
QL氏の本心がどうなっているのか、そこに関心が集まるのですが、
F爺様のご推察の通り、〈価値があるのは俺の好きな西洋音楽だけだ。どうでもいい日本伝統音楽など無くなってしまえばいい〉、という価値観でしたら、
少なくとも私と同じ日本人とは考えたくありませんし、私が判断した、最初の評価は甘いと思います。
もし、QL氏が自身の権威を背に、自分の思い付きは、たとえ自分の専門分野以外のことであっても、すべて正しいのだ、という勘違いをしているのならば、「子供のままの人」程度なのかな、と思います。
ただし、どうあれ、QL氏のもとに集まってきた学生に対する質問は、正当なやり方とは思えませんので、まともな社会人として扱うべきではない相手である、ということは確かだと思います。
「偉い人」は世にたくさんいますが、QL氏はその中でも「特殊な例」であって欲しいものです。
Re: これはダメですね。
火狐さん
はい、全然駄目です。QL氏は、日本の民謡や伝統の楽器などに対して偏見しか持ち合わせていないのです。F爺との対話では話題にしませんでしたが、きっと「和太鼓も篠笛も琴も存在しない」と思い込んでいることでしょう。気の毒な人です。
はい、全然駄目です。QL氏は、日本の民謡や伝統の楽器などに対して偏見しか持ち合わせていないのです。F爺との対話では話題にしませんでしたが、きっと「和太鼓も篠笛も琴も存在しない」と思い込んでいることでしょう。気の毒な人です。
Re: No title
「106」さん
QL氏は、F爺よりもずっと若い人で、この記事で言及した対話の後で「准教授」というものになっています。F爺を相手に
「日本音楽って、今でも存在するんですか」
と言った時の態度は、まさに、「音楽の世界状況に関しては自分が権威だ」と自認している人のものでした。
氏は「漢字の使い方」に関しても特殊な持論のある人です。日本語を崩壊させる方向のやり方なので、由々しいことですから、そのうちに記事にしようと思っています。ただ、氏はその方式の追随者であって発案者ではありませんから、その記事の中で氏に言及するかどうかは、今は分かりません。
QL氏は、F爺よりもずっと若い人で、この記事で言及した対話の後で「准教授」というものになっています。F爺を相手に
「日本音楽って、今でも存在するんですか」
と言った時の態度は、まさに、「音楽の世界状況に関しては自分が権威だ」と自認している人のものでした。
氏は「漢字の使い方」に関しても特殊な持論のある人です。日本語を崩壊させる方向のやり方なので、由々しいことですから、そのうちに記事にしようと思っています。ただ、氏はその方式の追随者であって発案者ではありませんから、その記事の中で氏に言及するかどうかは、今は分かりません。
移動ド唱法
F爺様
追加でご説明していただき、ありがとうございます。
小学校、中学校での音楽の記憶を辿っても、やはり陰旋法や陽旋法といった用語は出てまいりません。
かろうじて、小学校の音楽の教師が、「日本音楽は味噌汁(ミソシラ。ルはラにこじつける)」と言っていたことだけは覚えておりますが、
それこそ、「さくら さくら」はララシ ララシ ラシドシ ラシラファ…で、「ド」を使っているじゃないか、と、当時は思いました。
しかし、その後に何か追加説明をしていたかもしれないので、その教師が完全に出鱈目を言っていたのかはわからずじまいです。
ただ、その程度の僅かな知識しかないまま、今に至ってしまいました。
更に、「移動ド唱法」も初耳でしたが、ハ長調はドレミファソラシド、ト長調はソラシドレミファ# ソ、ニ長調はレミファ#ソラシド#レ、イ長調はラシド#レミファ#ソ#ラ、となるところを、
例えばニ長調では主音のレ、をド、と見なせば、ドレミファソラシド、と聞こえてくる、と、これは習ったような気もします。
言葉としては知りませんでしたが、考え方は一応教わっていたのかな、と思います。
QL准教授ですが、私自身が上記の通りの知識しか持っていないために、同情の色眼鏡で見てしまったことが否めません。
ですが、「『音楽の世界状況に関しては自分が権威だ』と自認」、していたり、「日本語を崩壊させる、特殊な『漢字の使い方』」を広めていたり、「ネット空間に匿名で悪口を流して」いるような人物には同情したり擁護したりしてはいけないな、と認識いたしました。
砕けた書き方をしますと、「准教授のくせにネットで悪口なんか書いてると、自分の価値が下がるよ」と言いたいところです。
追加でご説明していただき、ありがとうございます。
小学校、中学校での音楽の記憶を辿っても、やはり陰旋法や陽旋法といった用語は出てまいりません。
かろうじて、小学校の音楽の教師が、「日本音楽は味噌汁(ミソシラ。ルはラにこじつける)」と言っていたことだけは覚えておりますが、
それこそ、「さくら さくら」はララシ ララシ ラシドシ ラシラファ…で、「ド」を使っているじゃないか、と、当時は思いました。
しかし、その後に何か追加説明をしていたかもしれないので、その教師が完全に出鱈目を言っていたのかはわからずじまいです。
ただ、その程度の僅かな知識しかないまま、今に至ってしまいました。
更に、「移動ド唱法」も初耳でしたが、ハ長調はドレミファソラシド、ト長調はソラシドレミファ# ソ、ニ長調はレミファ#ソラシド#レ、イ長調はラシド#レミファ#ソ#ラ、となるところを、
例えばニ長調では主音のレ、をド、と見なせば、ドレミファソラシド、と聞こえてくる、と、これは習ったような気もします。
言葉としては知りませんでしたが、考え方は一応教わっていたのかな、と思います。
QL准教授ですが、私自身が上記の通りの知識しか持っていないために、同情の色眼鏡で見てしまったことが否めません。
ですが、「『音楽の世界状況に関しては自分が権威だ』と自認」、していたり、「日本語を崩壊させる、特殊な『漢字の使い方』」を広めていたり、「ネット空間に匿名で悪口を流して」いるような人物には同情したり擁護したりしてはいけないな、と認識いたしました。
砕けた書き方をしますと、「准教授のくせにネットで悪口なんか書いてると、自分の価値が下がるよ」と言いたいところです。
Re: 移動ド唱法
「106」さん
>小学校の音楽の教師が、「日本音楽は味噌汁(ミソシラ。ルはラにこじつける)」と言っていた
その教師が間違ったことを言っていなかったと仮定すると、大量の追加説明が当然あったはずです。「固定ド唱法」で陽旋法だけの不十分な説明になっています。
F爺が日本に住んでいた頃は、どこの小中学校でも移動ド唱法で教えるものだったのです。このブログの音楽関連の記事にコメントをくださった方々が皆様「固定ド唱法」をお習いになったように見えるので驚いています。
音楽を専門にしていない人にも分かりやすい説明を模索して「移動ド唱法と固定ド唱法」「陰旋法と陽旋法」と題して記事を二つ立てようと思います。数日お待ちください。
>小学校の音楽の教師が、「日本音楽は味噌汁(ミソシラ。ルはラにこじつける)」と言っていた
その教師が間違ったことを言っていなかったと仮定すると、大量の追加説明が当然あったはずです。「固定ド唱法」で陽旋法だけの不十分な説明になっています。
F爺が日本に住んでいた頃は、どこの小中学校でも移動ド唱法で教えるものだったのです。このブログの音楽関連の記事にコメントをくださった方々が皆様「固定ド唱法」をお習いになったように見えるので驚いています。
音楽を専門にしていない人にも分かりやすい説明を模索して「移動ド唱法と固定ド唱法」「陰旋法と陽旋法」と題して記事を二つ立てようと思います。数日お待ちください。
「特殊な人」呼ばわり
「のど自慢」や「尺八」という言葉を理解しているところを見ると、日本人である可能性が高いのかな、と思います。
「こんな奴、日本人じゃない」という気持ちにはならないのですが、怒りと軽蔑の感情は湧いて来ます。民謡の歌い手や尺八の演奏家を「特殊な人」だとは、よくそんなひどいことが言えるものですね。さらには、「特殊な人のやっていることは、存在しないも同じ」という主張は、もはや迫害ではないでしょうか。
もしQL氏が、日本の伝統文化全般を忌避し、憎悪し、それが理由で海外に生活の拠点を移し、日本語を一切使わずに暮らしているのなら、立派な「非日本人」だと見做してあげてもいいのかもしれません。しかし今のところは、単なる「愚かな日本人」だと思います。
「こんな奴、日本人じゃない」という気持ちにはならないのですが、怒りと軽蔑の感情は湧いて来ます。民謡の歌い手や尺八の演奏家を「特殊な人」だとは、よくそんなひどいことが言えるものですね。さらには、「特殊な人のやっていることは、存在しないも同じ」という主張は、もはや迫害ではないでしょうか。
もしQL氏が、日本の伝統文化全般を忌避し、憎悪し、それが理由で海外に生活の拠点を移し、日本語を一切使わずに暮らしているのなら、立派な「非日本人」だと見做してあげてもいいのかもしれません。しかし今のところは、単なる「愚かな日本人」だと思います。
Re: 「特殊な人」呼ばわり
宮内さん
>「のど自慢」や「尺八」という言葉を理解しているところを見ると、日本人である可能性が高い
日本人の教養が具わっていないわけではないようだ、とは言えますね。
>民謡の歌い手や尺八の演奏家を「特殊な人」だとは、よくそんなひどいことが言えるものですね。さらには、「特殊な人のやっていることは、存在しないも同じ」という主張は、もはや迫害
「自分の気に入らないものは存在しないと見做す」のは、病的に尊大な異常人格の徴候です。もしも民謡の歌い手などを撲滅するために何らかの行動を起こしているとなれば「迫害」ですね。
かつて「クルド人やクルド語なんて存在しない」と言い張っていたどこかの国の政府のことを思い出します。
>今のところは、単なる「愚かな日本人」だと思います。
「愚か」だという評価には賛成ですが、「単なる」愚かさではないと思うのです。ある有名人の漢字の使い方についての記事の掲載予定を繰り上げたほうが良さそうだと思い始めました。そして、その際にQL氏にも言及するのが正解かと。
QL氏に関する補足情報を公開した上で、もう一度ご意見をお伺いしたいと思います。
>「のど自慢」や「尺八」という言葉を理解しているところを見ると、日本人である可能性が高い
日本人の教養が具わっていないわけではないようだ、とは言えますね。
>民謡の歌い手や尺八の演奏家を「特殊な人」だとは、よくそんなひどいことが言えるものですね。さらには、「特殊な人のやっていることは、存在しないも同じ」という主張は、もはや迫害
「自分の気に入らないものは存在しないと見做す」のは、病的に尊大な異常人格の徴候です。もしも民謡の歌い手などを撲滅するために何らかの行動を起こしているとなれば「迫害」ですね。
かつて「クルド人やクルド語なんて存在しない」と言い張っていたどこかの国の政府のことを思い出します。
>今のところは、単なる「愚かな日本人」だと思います。
「愚か」だという評価には賛成ですが、「単なる」愚かさではないと思うのです。ある有名人の漢字の使い方についての記事の掲載予定を繰り上げたほうが良さそうだと思い始めました。そして、その際にQL氏にも言及するのが正解かと。
QL氏に関する補足情報を公開した上で、もう一度ご意見をお伺いしたいと思います。
どう形容すればいいのやら…
小島剛一様
ブログ記事「乞われても日本の歌を歌おうとしない日本人」で、「QL氏と遭遇して以来、大概の事には驚かなくなりました」と小島様は仰いましたが、確かに、QL氏と話した後では、大概の事では驚けなくなりそうです。
この記事を一通り読み終えた感想ですが、「QL氏の言動及び思考について逐一突っ込みを入れていたら、膨大なコメント内容になってしまう」、「小島様は、QL氏を『馬鹿で気違い』『病人』と形容しているが、それだけでは、日本音楽に対するQL氏の異常な言動を形容し切れているとは思えない」と感じました。テレビやラジオに加えてYou Tube等の動画投稿サイトがある時代に、よくここまで無根拠で支離滅裂なことを言えると思います。
これも、”Post Truth:真実軽視”の一例ですね。しかも、「真実軽視の言動をする理由が、常人には全く推測できない」という点で、「己にとって不都合な真実や事実を軽視する」事例とは、一線を画しています。
アンケートの回答ですが、当然、「日本人のうちに数えないし、数えられない。」と回答します。真っ当な日本人なら、QL氏の一連の言動に驚き呆れるでしょうし、「同じ日本人だとは思えない」と言うでしょう。
今度友人に会ったら、QL氏の異常な言動を話したうえで、「QL氏のような人物は、真っ当な日本人だと思うか?」と訊いてみようと思います。
ブログ記事「乞われても日本の歌を歌おうとしない日本人」で、「QL氏と遭遇して以来、大概の事には驚かなくなりました」と小島様は仰いましたが、確かに、QL氏と話した後では、大概の事では驚けなくなりそうです。
この記事を一通り読み終えた感想ですが、「QL氏の言動及び思考について逐一突っ込みを入れていたら、膨大なコメント内容になってしまう」、「小島様は、QL氏を『馬鹿で気違い』『病人』と形容しているが、それだけでは、日本音楽に対するQL氏の異常な言動を形容し切れているとは思えない」と感じました。テレビやラジオに加えてYou Tube等の動画投稿サイトがある時代に、よくここまで無根拠で支離滅裂なことを言えると思います。
これも、”Post Truth:真実軽視”の一例ですね。しかも、「真実軽視の言動をする理由が、常人には全く推測できない」という点で、「己にとって不都合な真実や事実を軽視する」事例とは、一線を画しています。
アンケートの回答ですが、当然、「日本人のうちに数えないし、数えられない。」と回答します。真っ当な日本人なら、QL氏の一連の言動に驚き呆れるでしょうし、「同じ日本人だとは思えない」と言うでしょう。
今度友人に会ったら、QL氏の異常な言動を話したうえで、「QL氏のような人物は、真っ当な日本人だと思うか?」と訊いてみようと思います。
Re: どう形容すればいいのやら…
S.Solaさん
>これも、”Post Truth:真実軽視”の一例ですね。しかも、「真実軽視の言動をする理由が、常人には全く推測できない」という点で、「己にとって不都合な真実や事実を軽視する」事例とは、一線を画しています。
その通りですね。ご本人にとって何の得にもならないのですから、不可解としか言いようがありません。音楽以外のことに関しても「真実軽視」のことしか言わないし書かないのだろうと思わせます。
>この記事を一通り読み終えた感想ですが、「QL氏の言動及び思考について逐一突っ込みを入れていたら、膨大なコメント内容になってしまう」、「小島様は、QL氏を『馬鹿で気違い』『病人』と形容しているが、それだけでは、日本音楽に対するQL氏の異常な言動を形容し切れているとは思えない」と感じました。テレビやラジオに加えてYou Tube等の動画投稿サイトがある時代に、よくここまで無根拠で支離滅裂なことを言えると思います。
「QL氏の言動及び思考について逐一突っ込みを入れて」みませんか。長さにもよりますが、全文または大部分を引用して記事を立ててみたら面白いのではないかという気がします。
>これも、”Post Truth:真実軽視”の一例ですね。しかも、「真実軽視の言動をする理由が、常人には全く推測できない」という点で、「己にとって不都合な真実や事実を軽視する」事例とは、一線を画しています。
その通りですね。ご本人にとって何の得にもならないのですから、不可解としか言いようがありません。音楽以外のことに関しても「真実軽視」のことしか言わないし書かないのだろうと思わせます。
>この記事を一通り読み終えた感想ですが、「QL氏の言動及び思考について逐一突っ込みを入れていたら、膨大なコメント内容になってしまう」、「小島様は、QL氏を『馬鹿で気違い』『病人』と形容しているが、それだけでは、日本音楽に対するQL氏の異常な言動を形容し切れているとは思えない」と感じました。テレビやラジオに加えてYou Tube等の動画投稿サイトがある時代に、よくここまで無根拠で支離滅裂なことを言えると思います。
「QL氏の言動及び思考について逐一突っ込みを入れて」みませんか。長さにもよりますが、全文または大部分を引用して記事を立ててみたら面白いのではないかという気がします。