デタラメ説(5)
- 2016/05/27
- 20:04
追記 2016年6月13日
「デタラメ説(8)」もご覧ください。
追記 2016年6月5日
「デタラメ説(6)」を掲載しました。「P氏」の運営しているブログの名前とURL、使っているハンドル・ネーム二種類を発表しました。
(記事の末尾にも追記があります)
長い前置き
「デタラメ説」シリーズの第五篇です。未読の方は、第一篇、第二篇、第三篇、第四篇を先にお読みください。
前篇の末尾をもう一度、書きます。
QC氏がP氏に宛てた非公開コメントの内容は、P氏の返信を見れば、一目瞭然でした。
一つ、〈P氏は、小島剛一と名乗る投稿者の抗議に対して即座に「大変失礼いたしました」「申し訳ありません」と返信したからには、争いを好まない性質だと見える〉という意味のことを書いた。
二つ、〈P氏のアマゾン・レビューから「デタラメ」発言を削除してくれ〉と要求した。
三つ、〈QC氏自身の投稿したコメントの削除〉を依頼した。
四つ、〈QB氏は、トルコの体制派の人物だ〉と言明した。
五つ、〈小島剛一と名乗る投稿者が確かに『トルコのもう一つの顔』の著者本人だという確証があるのか〉との質問もした。
六つ、〈小島剛一と名乗る投稿者のコメントも削除してくれ〉と要求した。
また、これも重要なことです。
《P氏は、小島剛一の投稿したコメントに著作権を認めている》
本文
上のことから、次の結論が導き出せます。
P氏は当初アマゾン・レビューを一部書き換えたが、それはQC氏からの要請に対応したのであって、F爺の抗議に応えたのではなかった。
QC氏にしてみれば、
〈「デタラメ」発言の引用を、自分が意図しなかった目的で用いられてしまったので慌ててP氏にアマゾン・レビューの書き直しと自分が投稿した公開コメントの削除を求めた〉
のです。
QC氏のコメントに『トルコのもう一つの顔』の内容やその著者を貶めようという意思は読み取れません。
しかし、
〈小島剛一と名乗る投稿者のコメントも削除してくれ〉との要求は、越権行為です。
P氏は、匿名で(= 無責任に)発言したQC氏の要請を即座に受け容れる一方で、実名で(= 自分が何者であるかを明らかにして)発言した被害者のF爺の抗議に対しては二週間もああだこうだと粘って抵抗を試みたのです。
この不公平な扱いは理不尽だ、というのがF爺の率直な感想です。
挙句の果て、P氏は、自分のブログから当該の記事そのものとF爺のコメントを、「コメントの著作権があるはずの」F爺に無断で、削除しました。
QC氏にとっては、「身から出た錆(さび)」になる惧(おそ)れがあったけれどもP氏のブログには形跡が何も残らず、都合の好(よ)いことになりました。
F爺は、この件の唯一の被害者です。そして、落ち度など何も無いのに、誹謗中傷された上にコメントの著作権を侵害され、徹底的に蔑ろにされたのです。
P氏の運営しているブログの名前とリンク、それにP氏が今でも使っているハンドル・ネーム二種類をいつ公表しようか、迷っています。
追記 フランス時間で2016年5月28日21時55分= 日本時間で2016年5月29日午前4時55分
F爺がこのブログに「デタラメ説」シリーズの記事を五篇掲載した、とメールでP氏に知らせました。どんな反応を示すか、興味津々です。もしも何日待っても音沙汰が無ければ、それも有意義な「反応」のうちです。
「デタラメ説(8)」もご覧ください。
追記 2016年6月5日
「デタラメ説(6)」を掲載しました。「P氏」の運営しているブログの名前とURL、使っているハンドル・ネーム二種類を発表しました。
(記事の末尾にも追記があります)
長い前置き
「デタラメ説」シリーズの第五篇です。未読の方は、第一篇、第二篇、第三篇、第四篇を先にお読みください。
前篇の末尾をもう一度、書きます。
QC氏がP氏に宛てた非公開コメントの内容は、P氏の返信を見れば、一目瞭然でした。
一つ、〈P氏は、小島剛一と名乗る投稿者の抗議に対して即座に「大変失礼いたしました」「申し訳ありません」と返信したからには、争いを好まない性質だと見える〉という意味のことを書いた。
二つ、〈P氏のアマゾン・レビューから「デタラメ」発言を削除してくれ〉と要求した。
三つ、〈QC氏自身の投稿したコメントの削除〉を依頼した。
四つ、〈QB氏は、トルコの体制派の人物だ〉と言明した。
五つ、〈小島剛一と名乗る投稿者が確かに『トルコのもう一つの顔』の著者本人だという確証があるのか〉との質問もした。
六つ、〈小島剛一と名乗る投稿者のコメントも削除してくれ〉と要求した。
また、これも重要なことです。
《P氏は、小島剛一の投稿したコメントに著作権を認めている》
本文
上のことから、次の結論が導き出せます。
P氏は当初アマゾン・レビューを一部書き換えたが、それはQC氏からの要請に対応したのであって、F爺の抗議に応えたのではなかった。
QC氏にしてみれば、
〈「デタラメ」発言の引用を、自分が意図しなかった目的で用いられてしまったので慌ててP氏にアマゾン・レビューの書き直しと自分が投稿した公開コメントの削除を求めた〉
のです。
QC氏のコメントに『トルコのもう一つの顔』の内容やその著者を貶めようという意思は読み取れません。
しかし、
〈小島剛一と名乗る投稿者のコメントも削除してくれ〉との要求は、越権行為です。
P氏は、匿名で(= 無責任に)発言したQC氏の要請を即座に受け容れる一方で、実名で(= 自分が何者であるかを明らかにして)発言した被害者のF爺の抗議に対しては二週間もああだこうだと粘って抵抗を試みたのです。
この不公平な扱いは理不尽だ、というのがF爺の率直な感想です。
挙句の果て、P氏は、自分のブログから当該の記事そのものとF爺のコメントを、「コメントの著作権があるはずの」F爺に無断で、削除しました。
QC氏にとっては、「身から出た錆(さび)」になる惧(おそ)れがあったけれどもP氏のブログには形跡が何も残らず、都合の好(よ)いことになりました。
F爺は、この件の唯一の被害者です。そして、落ち度など何も無いのに、誹謗中傷された上にコメントの著作権を侵害され、徹底的に蔑ろにされたのです。
P氏の運営しているブログの名前とリンク、それにP氏が今でも使っているハンドル・ネーム二種類をいつ公表しようか、迷っています。
追記 フランス時間で2016年5月28日21時55分= 日本時間で2016年5月29日午前4時55分
F爺がこのブログに「デタラメ説」シリーズの記事を五篇掲載した、とメールでP氏に知らせました。どんな反応を示すか、興味津々です。もしも何日待っても音沙汰が無ければ、それも有意義な「反応」のうちです。