(記事の末尾に追記があります)三省堂の広報小冊子『ぶっくれっと』の1992年7月号に寄稿した文章の第四篇です。2015年6月13日付けのブログ記事〈
「魚」と「室」〉でちらっと言及した事件です。
五万円札!?大して実害の無いことばかりなら笑って済ませればいいのだが、何年経っても「笑う」気になれない事件も時々起こる。
昔々、一万円札や五千円札の図柄が聖徳太子の肖像画だった頃、ストラスブールで出会った人が
「先月、五万円札が出たんですよ」
と言う。
全然知らなかったと告げると、連れの日本人が
「ええっ、五万円札が出たこと、知らない人がいるの ? ケケケ」
と嘲笑(あざわら)う。
日本の公衆電話料金を私が知らないと聞いて同様の笑い声を上げたうえで現行料金は教えてくれなかった人
(*)にも遭ったことがあるから、別に気にはしない。
(*) 今のF爺なら、「人」ではなく、「人でなし」か「人非人」と書きます。図柄は、と訊いたら、やはり聖徳太子の肖像画だということであった。
その後しばらく、会う人ごとに
「五万円札が出たんだそうですよ」
と触れて廻った。
日本に住んでいる知人にも
〈五万円札が出たと聞いた。日本はますます遠くなる一方だ〉
という意味のことを何人かに書き送った。
この情報が間違っているという指摘は誰の返事にも書いてなかったので、そのうちに、正しい情報だったのだと思い込んでしまった。
それから一年も経った頃、日本から来たばかりの人と知り合った。
「五万円札をお持ちだったら見せていただけませんか。まだ見たことが無いんです」
「五万円札!? そんなもの、存在しませんよ!」
余程のことが無ければ庶民は国際電話などしない時代だった
(*)。真実かどうか確かめる術(すべ)の無い者に嘘を言ってからかった人
(**)も酷(ひど)いが、明らかにデマと分かることを手紙に書いてよこした海外在住の日本人に
「担がれたんだよ」
と一言教えてやるだけの親切さを持ち合わせていた人もいなかったのだ
(***)。
(*) この時代の国際電話料金は、今になって振り返ってみると、法外なものでした。
(**) 少し上にも書きましたが、「人」ではなく、「人でなし」か「人非人」が妥当な表現です。身を守る術の無い初対面の相手をいたぶることで快感を得ていたのですから、この連中に人間性は完全に欠如していたのです。
(***) F爺がこの連中をどれほど恨んだかは、ご想像にお任せします。当事者は「人に恨まれるようなことをした覚えは無い」と言い張ることでしょう。「騙される馬鹿のほうが悪い」とさえ言うかもしれません。私は、それからしばらくの間、重症の「日本人不信症」に陥った
(*)。私に悪気は無かったとは言え、まる一年もの間、デマを広めて歩く鼻持ちならない人間に成り下がっていたのだから。
(*) インターネット時代になってからは、こんな無残な騙され方はしなくなりました。追記 2017年1月26日
F爺が日本に住んでいた時代には、インフレが「普通」のことでした。小学生の時にそれまで存在しなかった「50円硬貨」に次いで「100円硬貨」が出現したのを憶えています。当時の「百円玉」は、銀貨でした。「500円硬貨」は、まだありませんでした。紙幣も、「5000円札」「10000円札」が次々に出現しました。こういう時代に日本を出て来ましたから、「五万円札が出た」と聞いても、すぐに疑ってかかるという考えは浮かばなかったのです。