日本語まがい
- 2017/01/29
- 21:23
三省堂の広報小冊子『ぶっくれっと』の1992年7月号に寄稿した文章の第五篇です。二話からなっています。第一話に〈夕食会に欠席の「理由」〉、第二話には〈日本語まがい〉と、原文には無い小見出しを付けました。
第一話 : 夕食会に欠席の「理由」
フランスに一時滞在する日本人の中にも、理解しがたい行動様式を示す人がときどきある。ストラスブールで、ある時、日本人が集まってある人の家で食事を一緒にしようということになった。前日になって
「来られなくなりました」
と言って来た姉妹があった。
理由は ?
「フランス人に招(よ)ばれたんです(*)。また今度招(よ)んでください」
(*)「フランス人から招待を受けたら日本人との約束は反故(ほご)にして構わない」とこの姉妹は考えていたのです。
これがどんなに無礼なことか(*)、この姉妹には分からなかったものと見える。
(*) 当然のことですが、蔑(ないがし)ろにされた日本人一同は、この姉妹には洟(はな)も引っ掛けなくなりました。二人は、この他にも、礼儀知らずの行動を多数の日本人相手にこれでもかとばかり繰り返したのです。「頼みごとをしておいて約束をすっぽかしただけでなく、後で顔が合った時に謝罪しない」など、など、など・・・。
第二話 : 日本語まがい
フランスのある町で日本人の子供に日本語教育をするための日本語学級に元々日本語の話せないフランス人の子供が何人も入っていて、授業中、全員がフランス語を喋るのだった。日仏親善に尽くしているフランス人夫婦の子供たちだという。何のための日本語学級かと私は思ったが、子供を出席させている親の問題と割り切って、不干渉の原則を守った。意見を訊かれたら、その時は言うべきことをはっきり言おう。
ある日、その日本語学級に出ているフランス人の子供が食卓で塩を取ってくれたので、日本語で
「あ、どうも」
と言ったら、
「ドーイタシマシテ」(*)
と一所懸命に言う。
(*) ブログ記事〈「どういたしまして」〉と〈「どういたしまして」(2)〉をご覧ください。
この言い廻しは、こういう場面で、日本人同士の会話で聞くことは無い。作り物の日本語である。
また、普通の日本人なら「失礼します」「お先に」「じゃ、また」などと言う場面で
〈「サヨナラ」(*)と言え〉
と教えているらしいのである。
(*)「日本人なら誰でも何の準備も無しに日本語教師が勤まる」と思い込んでいる愚かな日本人が多数います。そんな人が偶々(たまたま)日本語教師の職に就(つ)くと、耳を覆いたくなる酷(ひど)いものを「教え」始めます。
こんな日本語まがいのものを教わっているのでは、なまじっか上達しないほうがマシかもしれないと、私は人知れず溜息を吐(つ)いた。
第一話 : 夕食会に欠席の「理由」
フランスに一時滞在する日本人の中にも、理解しがたい行動様式を示す人がときどきある。ストラスブールで、ある時、日本人が集まってある人の家で食事を一緒にしようということになった。前日になって
「来られなくなりました」
と言って来た姉妹があった。
理由は ?
「フランス人に招(よ)ばれたんです(*)。また今度招(よ)んでください」
(*)「フランス人から招待を受けたら日本人との約束は反故(ほご)にして構わない」とこの姉妹は考えていたのです。
これがどんなに無礼なことか(*)、この姉妹には分からなかったものと見える。
(*) 当然のことですが、蔑(ないがし)ろにされた日本人一同は、この姉妹には洟(はな)も引っ掛けなくなりました。二人は、この他にも、礼儀知らずの行動を多数の日本人相手にこれでもかとばかり繰り返したのです。「頼みごとをしておいて約束をすっぽかしただけでなく、後で顔が合った時に謝罪しない」など、など、など・・・。
第二話 : 日本語まがい
フランスのある町で日本人の子供に日本語教育をするための日本語学級に元々日本語の話せないフランス人の子供が何人も入っていて、授業中、全員がフランス語を喋るのだった。日仏親善に尽くしているフランス人夫婦の子供たちだという。何のための日本語学級かと私は思ったが、子供を出席させている親の問題と割り切って、不干渉の原則を守った。意見を訊かれたら、その時は言うべきことをはっきり言おう。
ある日、その日本語学級に出ているフランス人の子供が食卓で塩を取ってくれたので、日本語で
「あ、どうも」
と言ったら、
「ドーイタシマシテ」(*)
と一所懸命に言う。
(*) ブログ記事〈「どういたしまして」〉と〈「どういたしまして」(2)〉をご覧ください。
この言い廻しは、こういう場面で、日本人同士の会話で聞くことは無い。作り物の日本語である。
また、普通の日本人なら「失礼します」「お先に」「じゃ、また」などと言う場面で
〈「サヨナラ」(*)と言え〉
と教えているらしいのである。
(*)「日本人なら誰でも何の準備も無しに日本語教師が勤まる」と思い込んでいる愚かな日本人が多数います。そんな人が偶々(たまたま)日本語教師の職に就(つ)くと、耳を覆いたくなる酷(ひど)いものを「教え」始めます。
こんな日本語まがいのものを教わっているのでは、なまじっか上達しないほうがマシかもしれないと、私は人知れず溜息を吐(つ)いた。