コメント
No title
剛一さん
件のコメントと新しい記事の両方を読みました。
結論から言うと、今の日本では、こういう人は全然珍しくありません。
一方で、剛一さんの返信コメントと記事の内容は全て理にかなっています。
僕のように結願したことのない人間でさえ、「泊まれるはずと思っていた宿が廃業していたり、食事が出来ると当てにしていた飲食店が閉店していたり、営業はしている様子なのに「飲み物だけ。食事は不可能」と宣言されたりすることは、一人歩きの遍路にとって死活問題」です。剛一さんの返信からコメント内容を類推することしかできませんが、この人はほんとうに一日でも通して遍路道を歩いたことがあるのでしょうか。午後の歩きで道を1キロ間違えるだけでも、肉体的・精神的疲労は凄まじく大きくなります。そんなことは、僕でもわかります。
対面したことさえない人間のブログ記事に対して匿名で「[こうすれば]視野が広がる」なんて言い方をする輩は極め付きの無礼者以外の何物でもありません。真っ当な人なら、せめて自分の訪れた別格霊場での体験や魅力を伝えるにとどめるものです。
でも……多いですね、こういう上から目線のやつは、ほんとに。僕は一時期、接客業をしてたことがあるので、こういう輩に時折遭遇しました。単に年齢を重ねているだけで年下の人間、接客業に従事する人間を奴隷のごとくあしらったり、些細な事で怒鳴り散らす哀れな糞人間を何人も見てきました。また、そういう輩の傍若無人な振る舞いを認めて助長させる日本の接客業の責任者にも大きな問題があります。毅然とした対応をすれば良いだけの話だと思うのですが、個々の従業員がそうしても、責任者からは「融通の効かないやつだ」と煙たがられる傾向があります。
クズをのさばらせるだけの結果を招くだけなのに、特に問題視されていません。それどころか、「日本のおもてなし」とか「日本のサービス」とか言って、海外に売り出す動きまでててる始末です。
件のコメントと新しい記事の両方を読みました。
結論から言うと、今の日本では、こういう人は全然珍しくありません。
一方で、剛一さんの返信コメントと記事の内容は全て理にかなっています。
僕のように結願したことのない人間でさえ、「泊まれるはずと思っていた宿が廃業していたり、食事が出来ると当てにしていた飲食店が閉店していたり、営業はしている様子なのに「飲み物だけ。食事は不可能」と宣言されたりすることは、一人歩きの遍路にとって死活問題」です。剛一さんの返信からコメント内容を類推することしかできませんが、この人はほんとうに一日でも通して遍路道を歩いたことがあるのでしょうか。午後の歩きで道を1キロ間違えるだけでも、肉体的・精神的疲労は凄まじく大きくなります。そんなことは、僕でもわかります。
対面したことさえない人間のブログ記事に対して匿名で「[こうすれば]視野が広がる」なんて言い方をする輩は極め付きの無礼者以外の何物でもありません。真っ当な人なら、せめて自分の訪れた別格霊場での体験や魅力を伝えるにとどめるものです。
でも……多いですね、こういう上から目線のやつは、ほんとに。僕は一時期、接客業をしてたことがあるので、こういう輩に時折遭遇しました。単に年齢を重ねているだけで年下の人間、接客業に従事する人間を奴隷のごとくあしらったり、些細な事で怒鳴り散らす哀れな糞人間を何人も見てきました。また、そういう輩の傍若無人な振る舞いを認めて助長させる日本の接客業の責任者にも大きな問題があります。毅然とした対応をすれば良いだけの話だと思うのですが、個々の従業員がそうしても、責任者からは「融通の効かないやつだ」と煙たがられる傾向があります。
クズをのさばらせるだけの結果を招くだけなのに、特に問題視されていません。それどころか、「日本のおもてなし」とか「日本のサービス」とか言って、海外に売り出す動きまでててる始末です。
Re: No title
R君
>今の日本では、こういう人は全然珍しくありません。
そうなのですか・・・。『F爺・小島剛一のブログ』に限って言うと、この種の(= 匿名の分際で極限まで思い上がった)コメントは、稀です。
>この人はほんとうに一日でも通して遍路道を歩いたことがあるのでしょうか。
「基本歩き」という誤魔化し表現を弄していますから、恐らく、無いのでしょう。「四国霊場会の先達」なるものを少しウェブ検索してみましたが、バスに乗る札所巡りツアーに数回参加しただけの人が「先達」の資格を取得している例が簡単に見つかりました。「公認先達」は、接客業であって、行(ぎょう)とは無関係です。
>対面したことさえない人間のブログ記事に対して匿名で「[こうすれば]視野が広がる」なんて言い方をする輩は極め付きの無礼者以外の何物でもありません。
自分の非礼さの自覚は無いのでしょうね。勿論、馬鹿さ加減の自覚も。
>真っ当な人なら、せめて自分の訪れた別格霊場での体験や魅力を伝えるにとどめるものです。
そうですよね。そうしたほうが「そっちにも行ってみようか」という気にさせるものです。この自称「公認先達*遍路」は、そんな単純なことも知らないのでしょう。
>今の日本では、こういう人は全然珍しくありません。
そうなのですか・・・。『F爺・小島剛一のブログ』に限って言うと、この種の(= 匿名の分際で極限まで思い上がった)コメントは、稀です。
>この人はほんとうに一日でも通して遍路道を歩いたことがあるのでしょうか。
「基本歩き」という誤魔化し表現を弄していますから、恐らく、無いのでしょう。「四国霊場会の先達」なるものを少しウェブ検索してみましたが、バスに乗る札所巡りツアーに数回参加しただけの人が「先達」の資格を取得している例が簡単に見つかりました。「公認先達」は、接客業であって、行(ぎょう)とは無関係です。
>対面したことさえない人間のブログ記事に対して匿名で「[こうすれば]視野が広がる」なんて言い方をする輩は極め付きの無礼者以外の何物でもありません。
自分の非礼さの自覚は無いのでしょうね。勿論、馬鹿さ加減の自覚も。
>真っ当な人なら、せめて自分の訪れた別格霊場での体験や魅力を伝えるにとどめるものです。
そうですよね。そうしたほうが「そっちにも行ってみようか」という気にさせるものです。この自称「公認先達*遍路」は、そんな単純なことも知らないのでしょう。
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
Re: 歩き遍路はしてないと言ってません
「無礼者と言われたK子」様とやら
>コメントを私以外で返されている方にも言います
凄まじいまでの自己中心主義の表明、しかと承りました。匿名の分際で、よくもそこまで書きますね。
>誰が歩き経験をしてない公認先達と発言しましたか?。教えてください
そちら様がご自分について「歩き経験をしてない公認先達と発言し」たなどと、誰も言っていませんよ。存在しないことを「教え」ることは出来ません。
>何を根拠に歩きもしてない無礼者と語られるかわかりません、説明してください
「歩いたかどうか」[1]と「無礼であるかどうか」[2]とは、別のことです。
[1] 繰り返しになりますが、匿名の初投稿者の書くことを無条件で信用することは出来ません。上から目線の傲慢な書き方の場合は、特にそうです。こちらには、そちら様が本当に「歩いた」かどうか、本当に「女である」かどうか、本当に「公認先達」であるかどうか、知る術は無いのです。
しかも、「遍路」という言葉を何度も誤用していますから、その度に疑惑は強くなるのです。
[2]「無礼」の数々については、記事で十分に説明しました。それでも何も理解できないのだったら、そちら様は、単に無礼であるだけでなく、馬鹿です。
>その辺のお気楽なご朱印様たちと同じにしないでください。
「その辺のお気楽なご朱印様」という侮蔑表現は、初めて見ました。謂わゆる「スタンプラリー札所巡り」のことですね。機会があったら引用させていただくかもしれません。予め御礼を申し上げておきます。
>女一人で歩いて危険な目に合わされながらも遍路を続けています。(・・・)納経所で白衣の提出仕方が悪いと丸めて顔に投げつけ返される、納経所の見せかけ坊主に山道であとをつけられる、遍路道で車に入れと手を引っ張られて逃げる、まだまだ歩き遍路でいろいろ経験してます。そんな経験はありますか?。
そちら様は、「男なら一人で歩いても危ない目に遭うことは無い」とでも思っていらっしゃるのですか。男を襲う女も、男を襲う男も、数を頼んで一人歩きの男を襲う集団も、遍路道に限らず、どこにでも出没しますよ。
>あと内子の話ですが、そりゃ小田町にはいろいろあるでしょう。私が言いたかったのは、内子の道の駅からひわた経由の話です。それを記載がなく想像で歩いてないなんて判断しないでください。
「歩いていない」と疑われる書き方をしたことは自覚なさっているのですね。
前回のコメントには「ちなみに内子~久万までの何もない区間」とお書きになっていましたよ。この記述から「内子の道の駅からひわた経由の話」を読み取るのは不可能です。ご自分の書き方の不備に対する反省は全く無いのですね。理解してもらうべく必要なことを記載していないのは、そちら様ですよ。
>予備食の記載もなく、歩いて体力使うからしっかりした食事がされたい、お店で宿で地の物をとありました。
非常食料の記載は、遍路日記のいくつもの記事にあります。多数の記事のうちの一篇や二篇を読んだだけで早とちりして「記載もなく」と非難するのは、おやめください。
なお、「お店で宿で地の物を」という記載は、F爺はしておりません。妄想は、おやめください。
>時に食事もできないのも歩き遍路での修行ではないのですね。
憎まれ口のおつもりのようですが、見当外れです。こちらは、そんな悪意の解釈を可能にするようなことは書いておりません。
ご自分がお書きになった「むさぼるも修行」という意味不明の文言の説明をする気は無いのですね。
>私をコメントや書き方で重箱つつきして叱責されるのは構いませんが、それだけのお力があるのなら、お寺で納札箱に腕を入れ金銀錦札を貪っている人を叱責下さい。
匿名の分際で赤の他人にああしろ、こうしろと命令するのは、いい加減におやめなさい。そちら様は、極め付きの無礼者です。
なお、「お寺で納札箱に腕を入れ金銀錦札を貪っている人」については、表現は違いますが、ブログ記事「遍路の持ち物http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-7.html」ですでに言及しています。繰り返しますが、多数の記事のうちの一、二篇を読んだだけで
「お前は、このことを書いていない。あのことを書いていない」
と見当違いのことを非難するのは、愚かなことです。
言わずもがなとは思いますが、再投稿拒否の設定を致しました。今後はこのブログにご投稿を試みても無駄でございますので、ご承知おきください。
>コメントを私以外で返されている方にも言います
凄まじいまでの自己中心主義の表明、しかと承りました。匿名の分際で、よくもそこまで書きますね。
>誰が歩き経験をしてない公認先達と発言しましたか?。教えてください
そちら様がご自分について「歩き経験をしてない公認先達と発言し」たなどと、誰も言っていませんよ。存在しないことを「教え」ることは出来ません。
>何を根拠に歩きもしてない無礼者と語られるかわかりません、説明してください
「歩いたかどうか」[1]と「無礼であるかどうか」[2]とは、別のことです。
[1] 繰り返しになりますが、匿名の初投稿者の書くことを無条件で信用することは出来ません。上から目線の傲慢な書き方の場合は、特にそうです。こちらには、そちら様が本当に「歩いた」かどうか、本当に「女である」かどうか、本当に「公認先達」であるかどうか、知る術は無いのです。
しかも、「遍路」という言葉を何度も誤用していますから、その度に疑惑は強くなるのです。
[2]「無礼」の数々については、記事で十分に説明しました。それでも何も理解できないのだったら、そちら様は、単に無礼であるだけでなく、馬鹿です。
>その辺のお気楽なご朱印様たちと同じにしないでください。
「その辺のお気楽なご朱印様」という侮蔑表現は、初めて見ました。謂わゆる「スタンプラリー札所巡り」のことですね。機会があったら引用させていただくかもしれません。予め御礼を申し上げておきます。
>女一人で歩いて危険な目に合わされながらも遍路を続けています。(・・・)納経所で白衣の提出仕方が悪いと丸めて顔に投げつけ返される、納経所の見せかけ坊主に山道であとをつけられる、遍路道で車に入れと手を引っ張られて逃げる、まだまだ歩き遍路でいろいろ経験してます。そんな経験はありますか?。
そちら様は、「男なら一人で歩いても危ない目に遭うことは無い」とでも思っていらっしゃるのですか。男を襲う女も、男を襲う男も、数を頼んで一人歩きの男を襲う集団も、遍路道に限らず、どこにでも出没しますよ。
>あと内子の話ですが、そりゃ小田町にはいろいろあるでしょう。私が言いたかったのは、内子の道の駅からひわた経由の話です。それを記載がなく想像で歩いてないなんて判断しないでください。
「歩いていない」と疑われる書き方をしたことは自覚なさっているのですね。
前回のコメントには「ちなみに内子~久万までの何もない区間」とお書きになっていましたよ。この記述から「内子の道の駅からひわた経由の話」を読み取るのは不可能です。ご自分の書き方の不備に対する反省は全く無いのですね。理解してもらうべく必要なことを記載していないのは、そちら様ですよ。
>予備食の記載もなく、歩いて体力使うからしっかりした食事がされたい、お店で宿で地の物をとありました。
非常食料の記載は、遍路日記のいくつもの記事にあります。多数の記事のうちの一篇や二篇を読んだだけで早とちりして「記載もなく」と非難するのは、おやめください。
なお、「お店で宿で地の物を」という記載は、F爺はしておりません。妄想は、おやめください。
>時に食事もできないのも歩き遍路での修行ではないのですね。
憎まれ口のおつもりのようですが、見当外れです。こちらは、そんな悪意の解釈を可能にするようなことは書いておりません。
ご自分がお書きになった「むさぼるも修行」という意味不明の文言の説明をする気は無いのですね。
>私をコメントや書き方で重箱つつきして叱責されるのは構いませんが、それだけのお力があるのなら、お寺で納札箱に腕を入れ金銀錦札を貪っている人を叱責下さい。
匿名の分際で赤の他人にああしろ、こうしろと命令するのは、いい加減におやめなさい。そちら様は、極め付きの無礼者です。
なお、「お寺で納札箱に腕を入れ金銀錦札を貪っている人」については、表現は違いますが、ブログ記事「遍路の持ち物http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-7.html」ですでに言及しています。繰り返しますが、多数の記事のうちの一、二篇を読んだだけで
「お前は、このことを書いていない。あのことを書いていない」
と見当違いのことを非難するのは、愚かなことです。
言わずもがなとは思いますが、再投稿拒否の設定を致しました。今後はこのブログにご投稿を試みても無駄でございますので、ご承知おきください。