「故郷」と「冬景色」の歌詞は三拍子のための習作
- 2017/03/24
- 21:31
文部省唱歌の「故郷(ふるさと)」と「冬景色」には、不思議な共通点があります。
伝統の七五調などとは異なる拍数
「故郷」の歌詞はこう始まります。
〽兎 追ひし かの山
小鮒 釣りし かの川
・・・・・
「冬景色」は、こうです。
〽さ霧 消ゆる 湊江の
船に 白し 朝の霜
・・・・・・
「故郷」は、「六四調」のようにも見えますが、正しくは「三三四調」です。
一番も、二番も、三番も、全ての行が「3拍+3拍+4拍」の繰り返しなのです。
「冬景色」は、一見して「六五調」または「三三五調」のようですが、三行目に「変化」があります。
最初の二行は、「3拍+3拍+5拍」の繰り返しです。
三行目だけが「2拍+5拍+5拍」となり、
四行目で再び「3拍+3拍+5拍」に戻ります。
二番の歌詞の各行の拍数も、一番と全く同じです。
七五調でもなく、七七七五の都々逸(どどいつ)調でもなく、自由律でもありません。どうしてこんな、明治時代としては不自然な、あるいは奇抜な、拍数の歌詞を作ったのでしょうか。
三拍子
「故郷(ふるさと)」と「冬景色」には、リズムにも共通点があります。どちらも三拍子です。
「故郷」は、歌詞としては「三三四調」ですが、五線譜を見ると各小節の拍数は「3+3+3+1」となっています。
〈「一小節が三拍で出来ている」三拍子のリズムに合わせるために無理に作ったものだ〉
と考えると説明が付きます。
四小節目ごとに、息継ぎの前に、長い音符一つに仮名が一つ当ててあるのです。
「冬景色」は、一番、二番、共に小節ごとの拍数が
「3+3+4+1」
「3+3+4+1」
「2+5+4+1」
「3+3+4+1」
となっています。
一行目と二行目と四行目では、三小節目で八分音符を使って一つの小節に仮名を四つ当てています。四小節目では、息継ぎの前に、二分音符に仮名が一つ当ててあります。
三行目では、変化を付けるための工夫を凝(こ)らしています。第一小節には、二分音符と四分音符の二つだけを置いて、仮名も二つだけ。第二小節は、八分音符4個と四分音符1個を使って仮名が五つ入るようにしてあります。
一番と二番の拍数が細部に亙って完全に並行しています。偶然にしては出来過ぎています。
〈各行の拍数を決めた上で作詞したのだ〉
と考えるのが妥当です。
推論
「故郷」と「冬景色」は、日本の伝統音楽には無い三拍子を生徒に教え込むために作った曲です。「三拍子に慣れさせるために」と言い換えることも出来ます。
〈日本の伝統音楽には無い長調や短調に慣れさせるためにヨナ抜き音階(*)で曲を作らせた〉
のと同じ趣向の政策です。当時のお役人は、西洋音楽の導入に必死だったのです。
(*)「ヨナ抜き音階」: 「七音音階の低い方から数えて4番目と7番目の音を抜いた五音音階」で、長調と短調と二種類あります。長調は、「ドレミファソラシ(ド)」から4番目と7番目の音を抜いた「ドレミソラ(ド)」、短調は「ラシドレミファソ(ラ)」から4番目と7番目の音を抜いた「ラシドミファ(ラ)」です。こうすると、前者は「陽旋法の一種」、後者は「陰旋法の一種」に近くなります。
但し、伴奏には、4番目の音も7番目の音も入れていました。「生徒たちの耳を七音音階に慣れさせる」のが目的だったのです。
重要な余談
明治時代になってから、日本の学校の音楽教育で西洋音楽の中でも元々五音音階で出来ているスコットランド民謡の旋律を早期に取り入れたのは、偶然ではありません。旋律を改変したり無関係な歌詞を付けたりして換骨奪胎されている「故郷の空」(= 夕空晴れて秋風吹き)や「蛍の光」の元歌は、スコットランド民謡です。
(このことは、F爺が日本に住んでいた時代に音楽教育の専門家の間で常識になっていました。どなたが最初にご指摘なさったのかは存じません)
伝統の七五調などとは異なる拍数
「故郷」の歌詞はこう始まります。
〽兎 追ひし かの山
小鮒 釣りし かの川
・・・・・
「冬景色」は、こうです。
〽さ霧 消ゆる 湊江の
船に 白し 朝の霜
・・・・・・
「故郷」は、「六四調」のようにも見えますが、正しくは「三三四調」です。
一番も、二番も、三番も、全ての行が「3拍+3拍+4拍」の繰り返しなのです。
「冬景色」は、一見して「六五調」または「三三五調」のようですが、三行目に「変化」があります。
最初の二行は、「3拍+3拍+5拍」の繰り返しです。
三行目だけが「2拍+5拍+5拍」となり、
四行目で再び「3拍+3拍+5拍」に戻ります。
二番の歌詞の各行の拍数も、一番と全く同じです。
七五調でもなく、七七七五の都々逸(どどいつ)調でもなく、自由律でもありません。どうしてこんな、明治時代としては不自然な、あるいは奇抜な、拍数の歌詞を作ったのでしょうか。
三拍子
「故郷(ふるさと)」と「冬景色」には、リズムにも共通点があります。どちらも三拍子です。
「故郷」は、歌詞としては「三三四調」ですが、五線譜を見ると各小節の拍数は「3+3+3+1」となっています。
〈「一小節が三拍で出来ている」三拍子のリズムに合わせるために無理に作ったものだ〉
と考えると説明が付きます。
四小節目ごとに、息継ぎの前に、長い音符一つに仮名が一つ当ててあるのです。
「冬景色」は、一番、二番、共に小節ごとの拍数が
「3+3+4+1」
「3+3+4+1」
「2+5+4+1」
「3+3+4+1」
となっています。
一行目と二行目と四行目では、三小節目で八分音符を使って一つの小節に仮名を四つ当てています。四小節目では、息継ぎの前に、二分音符に仮名が一つ当ててあります。
三行目では、変化を付けるための工夫を凝(こ)らしています。第一小節には、二分音符と四分音符の二つだけを置いて、仮名も二つだけ。第二小節は、八分音符4個と四分音符1個を使って仮名が五つ入るようにしてあります。
一番と二番の拍数が細部に亙って完全に並行しています。偶然にしては出来過ぎています。
〈各行の拍数を決めた上で作詞したのだ〉
と考えるのが妥当です。
推論
「故郷」と「冬景色」は、日本の伝統音楽には無い三拍子を生徒に教え込むために作った曲です。「三拍子に慣れさせるために」と言い換えることも出来ます。
〈日本の伝統音楽には無い長調や短調に慣れさせるためにヨナ抜き音階(*)で曲を作らせた〉
のと同じ趣向の政策です。当時のお役人は、西洋音楽の導入に必死だったのです。
(*)「ヨナ抜き音階」: 「七音音階の低い方から数えて4番目と7番目の音を抜いた五音音階」で、長調と短調と二種類あります。長調は、「ドレミファソラシ(ド)」から4番目と7番目の音を抜いた「ドレミソラ(ド)」、短調は「ラシドレミファソ(ラ)」から4番目と7番目の音を抜いた「ラシドミファ(ラ)」です。こうすると、前者は「陽旋法の一種」、後者は「陰旋法の一種」に近くなります。
但し、伴奏には、4番目の音も7番目の音も入れていました。「生徒たちの耳を七音音階に慣れさせる」のが目的だったのです。
重要な余談
明治時代になってから、日本の学校の音楽教育で西洋音楽の中でも元々五音音階で出来ているスコットランド民謡の旋律を早期に取り入れたのは、偶然ではありません。旋律を改変したり無関係な歌詞を付けたりして換骨奪胎されている「故郷の空」(= 夕空晴れて秋風吹き)や「蛍の光」の元歌は、スコットランド民謡です。
(このことは、F爺が日本に住んでいた時代に音楽教育の専門家の間で常識になっていました。どなたが最初にご指摘なさったのかは存じません)