トルコが暗黒時代に突入
- 2017/04/17
- 18:19
トルコ共和国の独裁大統領エルドアンの画策した昨日(= 2017年4月16日)の「さらなる権力掌握のための国民投票」は、賛成票51,37%という暫定的な「公表結果」になりました。
「公表結果」という呼び方をするのは、公正な国民投票だったと考える理由が無いからです。
10万人を大幅に超える数の(*)報道人、教員、公務員、判事などが「体制反対者」と見做されただけで、抗弁の機会も無く、解雇されています。
(*) 情報源によって数字にかなりの食い違いがあります。「10万人以上」は、一番低い見積もりです。「13万人以上」としているものも多数あります。
2016年7月15~16日の「クーデターもどき」の直後に証拠も無く逮捕投獄された人も4万3千人以上です。この人たちは、勿論、投票できませんでした。
国民投票に反対する意見は封じられていましたし日夜権力体制からの脅しが続いていましたから、「否」と投票した有権者が「公表48%強」もいたというのが・・・せめてもの慰めです。
イスタンブール、アンカラ、イズミルの三大都市で「否」が多数を占めたことも「慰め」のうちです。
「合法的に」司法・行政・立法の三権を手中に収めたエルドアンは、2029年まで、名実ともに独裁者です。これを本人は「民主主義」と呼ぶのですから、七十数年前にドイツを支配した或る人物を彷彿とさせます。
トルコ共和国の暗黒時代が始まりました。今までだって「漆黒の闇に近い黄昏(たそがれ)の時代」だったのですが、もっともっと酷くなるのです。
そして・・・2029年に独裁権を握ることになる次の人物がエルドアンよりもマシだという保証はありません。権力の一極集中が民主主義の、言論の自由の、行動の自由の、信教の自由の・・・全ての自由と尊厳の対極にあるものだということの理解できない国民がトルコ共和国で半数を占めていたというのは、悲劇です。
もう一つ、「何の保証も無い」ことがあります。独裁大統領が「任期を全うする」可能性です。エルドアンが2029年を待たずに病死するか、事故死するか、暗殺されるか、暗殺の恐怖に耐え切れずに自殺するか・・・などの可能性は非常に高いとF爺は観測しています。
昨晩から自作の合唱曲「財田川よ 心あらば」と「かちかち山の歌」がF爺の頭の中で代わる代わる鳴り響いています。
〽罪科(つみとが)無き若輩(をのこ)なりき
獄(ひとや)の壁を見つめて三十四年・・・
〽せめて昔話に事寄せて 事寄せて
・・・
叶わぬこととは知りながら
〈かちかち山の兎が ああ
本当に いてくれたら・・・〉
どちらの曲も、書き上げた時にはトルコのことは考えていませんでした。少なくとも意識の表面では。
でも、今になってみると、
《心の奥底で、トルコで出会った多くの人の身の上話が渦巻いていたのだろう》
と思います。
「公表結果」という呼び方をするのは、公正な国民投票だったと考える理由が無いからです。
10万人を大幅に超える数の(*)報道人、教員、公務員、判事などが「体制反対者」と見做されただけで、抗弁の機会も無く、解雇されています。
(*) 情報源によって数字にかなりの食い違いがあります。「10万人以上」は、一番低い見積もりです。「13万人以上」としているものも多数あります。
2016年7月15~16日の「クーデターもどき」の直後に証拠も無く逮捕投獄された人も4万3千人以上です。この人たちは、勿論、投票できませんでした。
国民投票に反対する意見は封じられていましたし日夜権力体制からの脅しが続いていましたから、「否」と投票した有権者が「公表48%強」もいたというのが・・・せめてもの慰めです。
イスタンブール、アンカラ、イズミルの三大都市で「否」が多数を占めたことも「慰め」のうちです。
「合法的に」司法・行政・立法の三権を手中に収めたエルドアンは、2029年まで、名実ともに独裁者です。これを本人は「民主主義」と呼ぶのですから、七十数年前にドイツを支配した或る人物を彷彿とさせます。
トルコ共和国の暗黒時代が始まりました。今までだって「漆黒の闇に近い黄昏(たそがれ)の時代」だったのですが、もっともっと酷くなるのです。
そして・・・2029年に独裁権を握ることになる次の人物がエルドアンよりもマシだという保証はありません。権力の一極集中が民主主義の、言論の自由の、行動の自由の、信教の自由の・・・全ての自由と尊厳の対極にあるものだということの理解できない国民がトルコ共和国で半数を占めていたというのは、悲劇です。
もう一つ、「何の保証も無い」ことがあります。独裁大統領が「任期を全うする」可能性です。エルドアンが2029年を待たずに病死するか、事故死するか、暗殺されるか、暗殺の恐怖に耐え切れずに自殺するか・・・などの可能性は非常に高いとF爺は観測しています。
昨晩から自作の合唱曲「財田川よ 心あらば」と「かちかち山の歌」がF爺の頭の中で代わる代わる鳴り響いています。
〽罪科(つみとが)無き若輩(をのこ)なりき
獄(ひとや)の壁を見つめて三十四年・・・
〽せめて昔話に事寄せて 事寄せて
・・・
叶わぬこととは知りながら
〈かちかち山の兎が ああ
本当に いてくれたら・・・〉
どちらの曲も、書き上げた時にはトルコのことは考えていませんでした。少なくとも意識の表面では。
でも、今になってみると、
《心の奥底で、トルコで出会った多くの人の身の上話が渦巻いていたのだろう》
と思います。