蓮の開花と・・・天罰
- 2017/04/23
- 16:56
蓮の花は、開くときに音を・・・立てない
〈蓮の花が開くときには「ぽん」とか「ぽっ」とか音がする〉
という根も葉も無い噂があります。
F坊やが小学校低学年生の時、音楽の教科書に、こんな歌が載っていました。題名も作詞者名も作曲者名も憶えていません。「文部省唱歌」だったのか、そうではなかったのかも全然分かりません。
(ご存じの方がいらっしゃったら、教えてください)
〽蓮の花見は夜明け頃
ぽっぽっぽっぽっ 音がする・・・
子供は、ある年齢までは、本に書いてあることをなかなか疑いません。特に教科書に載っていることに疑念を抱くのは難しいことです。
F坊やも、ある時期まで、
《蓮の花が開(ひら)く音、一度は聞いてみたいな。でも、夜明け前に起き出すなんて、僕には無理だ》
と思っていました。
それが・・・真っ赤な嘘だったと知った時から、この歌は絶対に歌わなくなりました。「教科書に騙されていた」と分かったので、それ以来、教科書を盲信することも無くなりました。
それなのに・・・時々、あれから何十年経っても・・・ふとした弾みに、この歌の欠片(かけら)が脳裡に浮かんで来ます。刷り込まれてしまっているため、どれほど馬鹿馬鹿しいと思っても、記憶から消えないのです。恨めしいことです。
天罰
F坊やは、嘘を教え込む教科書をこの世から消し去ってしまいたいと思いました。そんな教科書を作った人でなしどもに天罰が下(くだ)れば良いと思いました。まだ、漠然と、「天罰」というものが本当に下ることがあるのかもしれないと思っていた頃のことです。
F爺に信心はありませんが、「天罰」という言葉を思い出したところを見ると、「万策尽きて雨乞いをする農民」や「自分の無力を思い知って天罰を希求する人」の心が分かる年齢になったようです。
「天罰覿面(てきめん)」で悪人が相応の報(むく)いを受けて「めでたし、めでたし」となる話は、「天罰というものが本当にあればいいなあ」と希求した人たちが作ったのでしょうか。
それとも・・・
〈民衆には「天罰」というものがあると信じ込ませておいたほうが、俺たちは好き勝手なことが出来て得だ〉
と冷酷な計算をした腹黒い権力者が作ったのでしょうか。
〈蓮の花が開くときには「ぽん」とか「ぽっ」とか音がする〉
という根も葉も無い噂があります。
F坊やが小学校低学年生の時、音楽の教科書に、こんな歌が載っていました。題名も作詞者名も作曲者名も憶えていません。「文部省唱歌」だったのか、そうではなかったのかも全然分かりません。
(ご存じの方がいらっしゃったら、教えてください)
〽蓮の花見は夜明け頃
ぽっぽっぽっぽっ 音がする・・・
子供は、ある年齢までは、本に書いてあることをなかなか疑いません。特に教科書に載っていることに疑念を抱くのは難しいことです。
F坊やも、ある時期まで、
《蓮の花が開(ひら)く音、一度は聞いてみたいな。でも、夜明け前に起き出すなんて、僕には無理だ》
と思っていました。
それが・・・真っ赤な嘘だったと知った時から、この歌は絶対に歌わなくなりました。「教科書に騙されていた」と分かったので、それ以来、教科書を盲信することも無くなりました。
それなのに・・・時々、あれから何十年経っても・・・ふとした弾みに、この歌の欠片(かけら)が脳裡に浮かんで来ます。刷り込まれてしまっているため、どれほど馬鹿馬鹿しいと思っても、記憶から消えないのです。恨めしいことです。
天罰
F坊やは、嘘を教え込む教科書をこの世から消し去ってしまいたいと思いました。そんな教科書を作った人でなしどもに天罰が下(くだ)れば良いと思いました。まだ、漠然と、「天罰」というものが本当に下ることがあるのかもしれないと思っていた頃のことです。
F爺に信心はありませんが、「天罰」という言葉を思い出したところを見ると、「万策尽きて雨乞いをする農民」や「自分の無力を思い知って天罰を希求する人」の心が分かる年齢になったようです。
「天罰覿面(てきめん)」で悪人が相応の報(むく)いを受けて「めでたし、めでたし」となる話は、「天罰というものが本当にあればいいなあ」と希求した人たちが作ったのでしょうか。
それとも・・・
〈民衆には「天罰」というものがあると信じ込ませておいたほうが、俺たちは好き勝手なことが出来て得だ〉
と冷酷な計算をした腹黒い権力者が作ったのでしょうか。