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憧れ≠コンプレックス
欧米人の「極東人が黒髪を脱色して茶色や黄色にするのは、西洋コンプレックスの顕(あらわ)れだ」という分析は、正しいと思います。極東の文化を高く評価して憧れる欧米人はいるでしょうが、茶髪や金髪の欧米人が極東人になりきるつもりで黒髪に染めるなど、見たことも聞いたこともありません。そういう事をして極東人を気取るような欧米人がいたら、かなり奇異に映るはずです。そう考えると、極東人が髪の毛を茶髪や金髪を染める行為は、欧米人から見ると非常に奇妙なことなのでしょう。憧れとコンプレックスは、やはり違いますね。
Re: 憧れ≠コンプレックス
チョルスさん
>極東の文化を高く評価して憧れる欧米人はいるでしょうが、茶髪や金髪の欧米人が極東人になりきるつもりで黒髪に染めるなど、見たことも聞いたこともありません。
極東の文化に憧れる欧米人はたくさんいます。振袖を着たり、羽織袴に身を包んだりすることもあります。しかし、髪の色や肌の色は地のままです。いちいち訊いてみようとも思いませんが、濃い褐色の瞳に見える「カラー・コンタクト・レンズ」を嵌めたりはしないはずです。まして「蒙古襞に見せかける瞼の整形手術」なんて聞いたこともありません。
>極東人が髪の毛を茶髪や金髪を染める行為は、欧米人から見ると非常に奇妙なことなのでしょう。
極めて奇妙なことです。
>憧れとコンプレックスは、やはり違いますね。
違います。どうして混同する人がいるのか、不思議です。
>極東の文化を高く評価して憧れる欧米人はいるでしょうが、茶髪や金髪の欧米人が極東人になりきるつもりで黒髪に染めるなど、見たことも聞いたこともありません。
極東の文化に憧れる欧米人はたくさんいます。振袖を着たり、羽織袴に身を包んだりすることもあります。しかし、髪の色や肌の色は地のままです。いちいち訊いてみようとも思いませんが、濃い褐色の瞳に見える「カラー・コンタクト・レンズ」を嵌めたりはしないはずです。まして「蒙古襞に見せかける瞼の整形手術」なんて聞いたこともありません。
>極東人が髪の毛を茶髪や金髪を染める行為は、欧米人から見ると非常に奇妙なことなのでしょう。
極めて奇妙なことです。
>憧れとコンプレックスは、やはり違いますね。
違います。どうして混同する人がいるのか、不思議です。
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街娼とプロ・レスラー
F爺様
ご指摘のように、進駐軍の兵士を相手にする女性が、髪の毛を染めて、スカーフ(?だと思います)を頭に巻いて、壁に寄りかかって客を待つ姿は、
戦後間もない時期を代表する構図のひとつに思います。
1970年代ぐらいでしょうか、日本人プロ・レスラーの中に、髪の毛を金色に染めていた選手がいたことも、映像で見たことがあります。
それまでの時代は、髪の毛の色を茶色や金色、あるいは赤く染める人は、
自ら、特殊な理由があってやっています、と言っているようなものだったのだな、と思います。
現在ですが、以前にコメントした通り、特に20~30代の女性においては、髪の毛を染めていない人のほうが少ないぐらいです。
私の職場での規律は調べていませんが、同業の、別な職場では、「髪の毛の色は~号(明るさの尺度、とのことです)までなら染めても良い」
という規律があったことに驚いたことがあります。「少しぐらいならやっても良い」という考え方を規則にする人間がいるのか、と思いました。
今現在、髪の毛を染めている人の中には、昔は、染髪することが何を意味したのか、という背景も全く知らず、
したがって、劣等感を抱く、という段階に到達できていない人が、少なからずいると思います。
「今は韓流(はんりゅう、と読むそうです)スターがブームです」とマスコミに言われて、
わざわざ韓国まで旅行した人間がたくさんいました。
西洋に対する劣等感を意識して髪の毛を染める人もいるが、
劣等感を自覚できていないまま、髪の毛を染める人のほうが多い、
しかし、それらをすべて一纏めにして、
極東人が「茶髪」にするのはコンプレックスの顕れであり、愚かだ、
と見做されるのは、残念ですが、正しいと思います。
ご指摘のように、進駐軍の兵士を相手にする女性が、髪の毛を染めて、スカーフ(?だと思います)を頭に巻いて、壁に寄りかかって客を待つ姿は、
戦後間もない時期を代表する構図のひとつに思います。
1970年代ぐらいでしょうか、日本人プロ・レスラーの中に、髪の毛を金色に染めていた選手がいたことも、映像で見たことがあります。
それまでの時代は、髪の毛の色を茶色や金色、あるいは赤く染める人は、
自ら、特殊な理由があってやっています、と言っているようなものだったのだな、と思います。
現在ですが、以前にコメントした通り、特に20~30代の女性においては、髪の毛を染めていない人のほうが少ないぐらいです。
私の職場での規律は調べていませんが、同業の、別な職場では、「髪の毛の色は~号(明るさの尺度、とのことです)までなら染めても良い」
という規律があったことに驚いたことがあります。「少しぐらいならやっても良い」という考え方を規則にする人間がいるのか、と思いました。
今現在、髪の毛を染めている人の中には、昔は、染髪することが何を意味したのか、という背景も全く知らず、
したがって、劣等感を抱く、という段階に到達できていない人が、少なからずいると思います。
「今は韓流(はんりゅう、と読むそうです)スターがブームです」とマスコミに言われて、
わざわざ韓国まで旅行した人間がたくさんいました。
西洋に対する劣等感を意識して髪の毛を染める人もいるが、
劣等感を自覚できていないまま、髪の毛を染める人のほうが多い、
しかし、それらをすべて一纏めにして、
極東人が「茶髪」にするのはコンプレックスの顕れであり、愚かだ、
と見做されるのは、残念ですが、正しいと思います。
憧れ?
小島さんへ
「極東人が黒髪を脱色して茶色や黄色にするのは、西洋コンプレックスの顕(あらわ)れだ」に賛同します。何時までも、茶髪が流行るとも思えません。そのうち、別な色が流行るかもしれません。お金もかかるし、髪を脱色したりするのは、髪の毛にも悪そうな事をあえてやる理由がよく解りませんでしたが、「西洋コンプレックス」なら良く理解出来ます。
追記:
“当時は、新聞もラジオも、率直に「敗戦」と言えなくて「終戦」という姑息な誤魔化し方をしていました”
今も「終戦」という言葉の方が「敗戦」よりも普通に使われています。「敗戦」という言葉はあまり使われていません。
「極東人が黒髪を脱色して茶色や黄色にするのは、西洋コンプレックスの顕(あらわ)れだ」に賛同します。何時までも、茶髪が流行るとも思えません。そのうち、別な色が流行るかもしれません。お金もかかるし、髪を脱色したりするのは、髪の毛にも悪そうな事をあえてやる理由がよく解りませんでしたが、「西洋コンプレックス」なら良く理解出来ます。
追記:
“当時は、新聞もラジオも、率直に「敗戦」と言えなくて「終戦」という姑息な誤魔化し方をしていました”
今も「終戦」という言葉の方が「敗戦」よりも普通に使われています。「敗戦」という言葉はあまり使われていません。
Re: すこし違う気がします
日本時間で2017年5月4日の午前11時30分にコメントを投稿なさった方に申し上げます。
名前欄にお書きになった文字列は、以前このブログに厭がらせコメントを投稿した人物の使用したものと僅か一字違いです。申し訳ございませんが、ハンドル・ネームとして別の文字列を選んで投稿し直してください。
その際に、次のことに留意してください。
[1] 初投稿の挨拶は、省略してください。理由は、ブログ記事「禁止条項の追加http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1312.html」をご覧ください。合せて「コメント投稿規定http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1331.html」もお読みいただければ幸いです。
[2] タイトル欄には「すこし違う気がします」とあるのに、コメントの本文には「決して(・・・)ではない」と書いてあります。矛盾しています。どちらか一方の主張に統一してください。
名前欄にお書きになった文字列は、以前このブログに厭がらせコメントを投稿した人物の使用したものと僅か一字違いです。申し訳ございませんが、ハンドル・ネームとして別の文字列を選んで投稿し直してください。
その際に、次のことに留意してください。
[1] 初投稿の挨拶は、省略してください。理由は、ブログ記事「禁止条項の追加http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1312.html」をご覧ください。合せて「コメント投稿規定http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1331.html」もお読みいただければ幸いです。
[2] タイトル欄には「すこし違う気がします」とあるのに、コメントの本文には「決して(・・・)ではない」と書いてあります。矛盾しています。どちらか一方の主張に統一してください。
Re: 街娼とプロ・レスラー
「106」さん
>今現在、髪の毛を染めている人の中には、昔は、染髪することが何を意味したのか、という背景も全く知らず、したがって、劣等感を抱く、という段階に到達できていない人が、少なからずいると思います。
若い人から届いた「劣等感ではない」という主張の数々を見ても、どうやらおっしゃる通りのようだと推測できます。
>西洋に対する劣等感を意識して髪の毛を染める人もいるが、
劣等感を自覚できていないまま、髪の毛を染める人のほうが多い、
しかし、それらをすべて一纏めにして、
極東人が「茶髪」にするのはコンプレックスの顕れであり、愚かだ、
と見做されるのは、残念ですが、正しいと思います。
F爺も、同じ結論です。
>今現在、髪の毛を染めている人の中には、昔は、染髪することが何を意味したのか、という背景も全く知らず、したがって、劣等感を抱く、という段階に到達できていない人が、少なからずいると思います。
若い人から届いた「劣等感ではない」という主張の数々を見ても、どうやらおっしゃる通りのようだと推測できます。
>西洋に対する劣等感を意識して髪の毛を染める人もいるが、
劣等感を自覚できていないまま、髪の毛を染める人のほうが多い、
しかし、それらをすべて一纏めにして、
極東人が「茶髪」にするのはコンプレックスの顕れであり、愚かだ、
と見做されるのは、残念ですが、正しいと思います。
F爺も、同じ結論です。
Re: 憧れ?
火狐さん
>何時までも、茶髪が流行るとも思えません。そのうち、別な色が流行るかもしれません。
フランスには、「punk」というものが一部に流行った頃、髪の一房を緑、青、紫、桃色などに染める人がいました。一時的なものですぐに廃れたと憶えています。奇抜なので人目を惹きますが、そんなことで人目を惹いても何にもならないと気付いたのでしょう。
>今も「終戦」という言葉の方が「敗戦」よりも普通に使われています。「敗戦」という言葉はあまり使われていません。
そうなのですか・・・。未だに敗戦に起因する劣等感が癒えていないということですね。「物事をありのままに正面から見つめる勇気が無いのだ」と評価される言動です。
>何時までも、茶髪が流行るとも思えません。そのうち、別な色が流行るかもしれません。
フランスには、「punk」というものが一部に流行った頃、髪の一房を緑、青、紫、桃色などに染める人がいました。一時的なものですぐに廃れたと憶えています。奇抜なので人目を惹きますが、そんなことで人目を惹いても何にもならないと気付いたのでしょう。
>今も「終戦」という言葉の方が「敗戦」よりも普通に使われています。「敗戦」という言葉はあまり使われていません。
そうなのですか・・・。未だに敗戦に起因する劣等感が癒えていないということですね。「物事をありのままに正面から見つめる勇気が無いのだ」と評価される言動です。
赤い髪、黒い髪
「赤い髪」という表現、久しぶりに目にしました(当時は「耳にした」のですが)。私の髪の色に関して、1970年代の初め頃は「髪の赤い子」だとか、ときには出自を問いただすようなことも言われました。それが70年代後半になると、褒められたり羨ましがられたりするようになったので複雑な、不思議な気持ちでした。
前回の記事へのコメントでは、個人の意識や意図と、集団の現象として外部はどう見るか、ということを混乱していました。後者の場合は、「西洋コンプレックスの顕れ」という分析は正確だと思います。
ところで、チョルスさんが『茶髪や金髪の欧米人が極東人になりきるつもりで黒髪に染めるなど、見たことも聞いたこともありません。そういう事をして極東人を気取るような欧米人がいたら、かなり奇異に映るはず』とコメントでお書きになっていますが、このようなことを個人が「おしゃれ」としてではなく、マス・メディアがしたため問題となったことが最近ありました。
ファッション雑誌「ヴォーグVogue」が2017年3月号で、いわゆる「白人」モデルを日本人芸者のように着飾り日本で撮影した写真を掲載し、その後モデル自身も自分のフェイスブックに同様の写真を掲載したことから、ネット上で「文化の盗用」だとして非難の声があがりました。単にファッションだ、と主張する意見もあります。
https://www.yahoo.com/style/people-arent-happy-about-this-karlie-kloss-geisha-themed-shoot-033430458.html
この出来事は日本ではあまり報道・問題視されなかったようです。
https://www.yahoo.com/style/people-arent-happy-about-this-karlie-kloss-geisha-themed-shoot-033430458.html
前回の記事へのコメントでは、個人の意識や意図と、集団の現象として外部はどう見るか、ということを混乱していました。後者の場合は、「西洋コンプレックスの顕れ」という分析は正確だと思います。
ところで、チョルスさんが『茶髪や金髪の欧米人が極東人になりきるつもりで黒髪に染めるなど、見たことも聞いたこともありません。そういう事をして極東人を気取るような欧米人がいたら、かなり奇異に映るはず』とコメントでお書きになっていますが、このようなことを個人が「おしゃれ」としてではなく、マス・メディアがしたため問題となったことが最近ありました。
ファッション雑誌「ヴォーグVogue」が2017年3月号で、いわゆる「白人」モデルを日本人芸者のように着飾り日本で撮影した写真を掲載し、その後モデル自身も自分のフェイスブックに同様の写真を掲載したことから、ネット上で「文化の盗用」だとして非難の声があがりました。単にファッションだ、と主張する意見もあります。
https://www.yahoo.com/style/people-arent-happy-about-this-karlie-kloss-geisha-themed-shoot-033430458.html
この出来事は日本ではあまり報道・問題視されなかったようです。
https://www.yahoo.com/style/people-arent-happy-about-this-karlie-kloss-geisha-themed-shoot-033430458.html
Re: 赤い髪、黒い髪
AQさん
>前回の記事へのコメントでは、個人の意識や意図と、集団の現象として外部はどう見るか、ということを混乱していました。後者の場合は、「西洋コンプレックスの顕れ」という分析は正確だと思います。
同じ混同をした人が他にも多数いらっしゃるようです。コメント欄やこの記事を読んで気付いてくださると良いのですが。
>ファッション雑誌「ヴォーグVogue」が2017年3月号で、いわゆる「白人」モデルを日本人芸者のように着飾り日本で撮影した写真を掲載し、その後モデル自身も自分のフェイスブックに同様の写真を掲載したことから、ネット上で「文化の盗用」だとして非難の声があがりました。
このことは、日本語で「huffingtonpost」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/02/16/vogue_n_14788604.html
などがニュースにしていました。
このモデルが「kimono-style robesキモノ風の衣装」を着ても、全然「日本人らしく」は見えませんね。当人が「公に謝罪した」と聞きましたからF爺としては無視しておしまいにしました。
>前回の記事へのコメントでは、個人の意識や意図と、集団の現象として外部はどう見るか、ということを混乱していました。後者の場合は、「西洋コンプレックスの顕れ」という分析は正確だと思います。
同じ混同をした人が他にも多数いらっしゃるようです。コメント欄やこの記事を読んで気付いてくださると良いのですが。
>ファッション雑誌「ヴォーグVogue」が2017年3月号で、いわゆる「白人」モデルを日本人芸者のように着飾り日本で撮影した写真を掲載し、その後モデル自身も自分のフェイスブックに同様の写真を掲載したことから、ネット上で「文化の盗用」だとして非難の声があがりました。
このことは、日本語で「huffingtonpost」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/02/16/vogue_n_14788604.html
などがニュースにしていました。
このモデルが「kimono-style robesキモノ風の衣装」を着ても、全然「日本人らしく」は見えませんね。当人が「公に謝罪した」と聞きましたからF爺としては無視しておしまいにしました。
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Re: コンプレックスについて
「hsn」さん
カタカナ語の「コンプレックス」は、精神分析の術語です。その中でも特に「謂れの無い劣等感」=「自分が劣等だと思ってしまうコンプレックス」のことを略して単に「コンプレックス」と言います。
「西洋コンプレックス」は、「非西洋人が西洋人に対して抱く抑圧した感情」です。「謂れの無い劣等感」「謂れの無い優越感」「理由の無い攻撃性」などを含みます。但し「西洋人の猿真似」などの侮蔑語と組み合わせて用いる場合は、「優越感」は含まないのが普通です。
戦争中、戦闘員は、相互に敵を蔑視するものです。そうでなければ戦えません。戦争終結後、敗戦国の人間は、戦勝国の人間に蔑視されるものです。そのことを「卑劣な差別意識」と形容するのは、妥当なことではありません。
娼婦を買う男は、娼婦を軽蔑しています。「軽蔑する」ことと「買春の相手として好むかどうか」とは別のことです。娼婦のほうも、街娼の場合、一目で娼婦だと判る服装や化粧をしなければ仕事になりません。
もっと冷静にさまざまな角度から考えた上で投稿し直してください。
今回のコメントは、コンプレックスに満ちた表現の連続であるため、申し訳ありませんが、
非表示のままとします。
次の一節にだけ、反論しておきます。
>(・・・)この例では、西洋人の猿真似をする為ではなく、黒髪ばかりの日本において、単純に目立ちたいからというのがその根本的な動機です。
重大な疑問があります。「単純に目立」つ方法が他に何一つ無かったのでしょうか。結果的に「西洋人の猿真似」になってしまっているのですよ。
カタカナ語の「コンプレックス」は、精神分析の術語です。その中でも特に「謂れの無い劣等感」=「自分が劣等だと思ってしまうコンプレックス」のことを略して単に「コンプレックス」と言います。
「西洋コンプレックス」は、「非西洋人が西洋人に対して抱く抑圧した感情」です。「謂れの無い劣等感」「謂れの無い優越感」「理由の無い攻撃性」などを含みます。但し「西洋人の猿真似」などの侮蔑語と組み合わせて用いる場合は、「優越感」は含まないのが普通です。
戦争中、戦闘員は、相互に敵を蔑視するものです。そうでなければ戦えません。戦争終結後、敗戦国の人間は、戦勝国の人間に蔑視されるものです。そのことを「卑劣な差別意識」と形容するのは、妥当なことではありません。
娼婦を買う男は、娼婦を軽蔑しています。「軽蔑する」ことと「買春の相手として好むかどうか」とは別のことです。娼婦のほうも、街娼の場合、一目で娼婦だと判る服装や化粧をしなければ仕事になりません。
もっと冷静にさまざまな角度から考えた上で投稿し直してください。
今回のコメントは、コンプレックスに満ちた表現の連続であるため、申し訳ありませんが、
非表示のままとします。
次の一節にだけ、反論しておきます。
>(・・・)この例では、西洋人の猿真似をする為ではなく、黒髪ばかりの日本において、単純に目立ちたいからというのがその根本的な動機です。
重大な疑問があります。「単純に目立」つ方法が他に何一つ無かったのでしょうか。結果的に「西洋人の猿真似」になってしまっているのですよ。
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Re: 欧米人コンプレックスの現れでは無いとおもいます。
西村由紀子さん
ご投稿のコメントの一部だけ引用します。
>「あこがれ」ではあると思いますが、金色がいいとか茶色がいいとかではなく、黒髪に飽きたから茶色にしよう、とかほかの人と違う髪型にしたいから、とかの延長で、そうだ!外国はいろいろな髪色があるではないか!よしっ!という感じで、決してコンプレックスでは無いとおもいます。
「黒髪に飽きた」という発想自体が、紛れも無い西洋コンプレックスです。
欧米人の髪の色に「あこがれ」ているのであれば、なおのこと、折り紙付きの欧米コンプレックスです。本人が自覚しているかどうかは、問題になりません。
>ただ、いろいろな髪色が存在する、欧米を参考にしているだけなのではないでしょうか。
違います。参考にする必然性が無いのに「欧米を参考にする」思考様式・行動様式は、欧米コンプレックスそのものです。
AQさんからのコメントを引用します。
*****
前回の記事へのコメントでは、個人の意識や意図と、集団の現象として外部はどう見るか、ということを混乱していました。後者の場合は、「西洋コンプレックスの顕れ」という分析は正確だと思います。
*****
また
〈2017年の浦島F爺は、「戦後の昭和時代」の日本しか知らないわけではない〉
こともお考えください。
今回のコメントも、非表示のままとします。
ご投稿のコメントの一部だけ引用します。
>「あこがれ」ではあると思いますが、金色がいいとか茶色がいいとかではなく、黒髪に飽きたから茶色にしよう、とかほかの人と違う髪型にしたいから、とかの延長で、そうだ!外国はいろいろな髪色があるではないか!よしっ!という感じで、決してコンプレックスでは無いとおもいます。
「黒髪に飽きた」という発想自体が、紛れも無い西洋コンプレックスです。
欧米人の髪の色に「あこがれ」ているのであれば、なおのこと、折り紙付きの欧米コンプレックスです。本人が自覚しているかどうかは、問題になりません。
>ただ、いろいろな髪色が存在する、欧米を参考にしているだけなのではないでしょうか。
違います。参考にする必然性が無いのに「欧米を参考にする」思考様式・行動様式は、欧米コンプレックスそのものです。
AQさんからのコメントを引用します。
*****
前回の記事へのコメントでは、個人の意識や意図と、集団の現象として外部はどう見るか、ということを混乱していました。後者の場合は、「西洋コンプレックスの顕れ」という分析は正確だと思います。
*****
また
〈2017年の浦島F爺は、「戦後の昭和時代」の日本しか知らないわけではない〉
こともお考えください。
今回のコメントも、非表示のままとします。
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Re: 「Re: 欧米人コンプレックスの現れ・・・・・・・」
西村由紀子さん
問題のご理解、ありがとうございます。
別の記事にも公開コメントを期待しております。
問題のご理解、ありがとうございます。
別の記事にも公開コメントを期待しております。
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Re: □□□□(伏せ字をしました)
hsnさん
お久しぶりです。数えてみたら、二年と十ヶ月ぶりのご投稿ですね。忘れられてしまったのかと思っていましたが、判断は早まっていました。
今回のご投稿は、コメント全体を表示するわけにいかない文字列を含んでいます。以下に具体的に指摘致しますので、一つ一つ、ご一考いただければ幸いです。
[1]「ようやく自分なりに言いたいことが纏まりましたので、発言させていただきたいと思います」
後半の茶色の文字にした部分を削除していただけるでしょうか。理由については、当ブログの記事〈「させていただきます」〉http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-533.htmlをご覧ください。
ここは、「ようやく自分なりに言いたいことが纏まりました」だけに留めておけば、角(かど)の立たない言い方になります。逆に言うと、「させていただきます」は、使い方によっては、厭味に聞こえるため、角が立つのです。
[2]「F爺さまのご意見には反対の立場をとらせていただきました」
後半の茶色の文字にした部分を是非とも削除してください。理由は、「発言させていただきたいと思います」の場合と同じです。
単純に「F爺さまのご意見には反対です」と書けば、厭味とは聞こえなくなります。
[3]「天パ」
何のことか分りません。誤打鍵か脱字があるのでしょうか。
[4]「日本人が髪を染める事を、コンプレックスの現れだと断定する事は、その意味ではその通りで反論のしようもない正論ですね」
[4-1] 茶色の文字にした部分の意味が解かりません。何をおっしゃりたいのでしょうか。
[4-2]「反論のしようもない正論です」とお書きになった後で、反論を始めていらっしゃいます。それは、無理です。論理の破綻です。
反論なさるのでしたら、例えば
〈その見方だけが正しいのではない。□□という事例もある〉
といった主張をしてください。
[5]「欧米の□□頭が△△だ」
「□□」は偏見の表明かつ侮蔑語で、「△△」は差別用語です。別の言い方を探してください。
[6]「変な色が好きな人間が存在すると仮定します」
「変な色」は、この文脈では侮蔑語です。後に続く行のご主張と矛盾します。
「と仮定します」と書くと、その後のご主張全体が「単なる仮定」になってしまいます。それでは説得力がありません。
色彩名を明示して「〇〇色の好きな人間がいる場合に」とすれば、
〈そんな人もいるかもしれない〉
と思わせますから、その先を聞いてもらえます。
[7]「そういうタイプBの存在をなきものと考えて、新たなコンプレックスを発生させ、それを広めかねない考え方を支持出来ない」
「なきものと考えて」と極め付ける言い方では、友好的な議論は成立しません。
「タイプBに言及がありませんが、その存在の可能性は考えていないのですか」
という疑問文にすれば、喧嘩腰ではなくなりますから、議論が成立し得ます。
[8] 最後の段落のご主張は、もしも今回届いたコメントの書き方を一字一句変えないとおっしゃるのであれば、全面的に撥ね付けます。理由は、
「質問もしないで喧嘩を吹っ掛けている」
としか読み取れないからです。
[9] 最後の段落の最後の二行は、何のために鉤括弧に括ってあるのか理解できません。
[纏め] 侮蔑語や差別語の使用を避け、「厭味」「喧嘩腰」と受け取られる惧れの無い書き方に変えてください。
お久しぶりです。数えてみたら、二年と十ヶ月ぶりのご投稿ですね。忘れられてしまったのかと思っていましたが、判断は早まっていました。
今回のご投稿は、コメント全体を表示するわけにいかない文字列を含んでいます。以下に具体的に指摘致しますので、一つ一つ、ご一考いただければ幸いです。
[1]「ようやく自分なりに言いたいことが纏まりましたので、発言させていただきたいと思います」
後半の茶色の文字にした部分を削除していただけるでしょうか。理由については、当ブログの記事〈「させていただきます」〉http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-533.htmlをご覧ください。
ここは、「ようやく自分なりに言いたいことが纏まりました」だけに留めておけば、角(かど)の立たない言い方になります。逆に言うと、「させていただきます」は、使い方によっては、厭味に聞こえるため、角が立つのです。
[2]「F爺さまのご意見には反対の立場をとらせていただきました」
後半の茶色の文字にした部分を是非とも削除してください。理由は、「発言させていただきたいと思います」の場合と同じです。
単純に「F爺さまのご意見には反対です」と書けば、厭味とは聞こえなくなります。
[3]「天パ」
何のことか分りません。誤打鍵か脱字があるのでしょうか。
[4]「日本人が髪を染める事を、コンプレックスの現れだと断定する事は、その意味ではその通りで反論のしようもない正論ですね」
[4-1] 茶色の文字にした部分の意味が解かりません。何をおっしゃりたいのでしょうか。
[4-2]「反論のしようもない正論です」とお書きになった後で、反論を始めていらっしゃいます。それは、無理です。論理の破綻です。
反論なさるのでしたら、例えば
〈その見方だけが正しいのではない。□□という事例もある〉
といった主張をしてください。
[5]「欧米の□□頭が△△だ」
「□□」は偏見の表明かつ侮蔑語で、「△△」は差別用語です。別の言い方を探してください。
[6]「変な色が好きな人間が存在すると仮定します」
「変な色」は、この文脈では侮蔑語です。後に続く行のご主張と矛盾します。
「と仮定します」と書くと、その後のご主張全体が「単なる仮定」になってしまいます。それでは説得力がありません。
色彩名を明示して「〇〇色の好きな人間がいる場合に」とすれば、
〈そんな人もいるかもしれない〉
と思わせますから、その先を聞いてもらえます。
[7]「そういうタイプBの存在をなきものと考えて、新たなコンプレックスを発生させ、それを広めかねない考え方を支持出来ない」
「なきものと考えて」と極め付ける言い方では、友好的な議論は成立しません。
「タイプBに言及がありませんが、その存在の可能性は考えていないのですか」
という疑問文にすれば、喧嘩腰ではなくなりますから、議論が成立し得ます。
[8] 最後の段落のご主張は、もしも今回届いたコメントの書き方を一字一句変えないとおっしゃるのであれば、全面的に撥ね付けます。理由は、
「質問もしないで喧嘩を吹っ掛けている」
としか読み取れないからです。
[9] 最後の段落の最後の二行は、何のために鉤括弧に括ってあるのか理解できません。
[纏め] 侮蔑語や差別語の使用を避け、「厭味」「喧嘩腰」と受け取られる惧れの無い書き方に変えてください。
何色だろうと、他人に髪の色を蔑まれるのはあまり気分の良いことではありません
私の頭の回転速度のせいでとても時間はかかりましたが、ようやく自分なりの言いたいことが纏まりました。
しかし書き方に配慮や慎みがなく、さらにいえば推敲も熟考も足りませんでした、すみません。ご指摘を受けて訂正した文を以下に書きます。
まず、いわれなき差別や偏見を、される方の本人が受け入れてしまうことこそが、コンプレックスの基本構造です。
「欧米人の髪色が優生だ」という差別的な意見を、差別される側の極東人が受け入れてしまい、 その欧米人に媚びて真似をして髪を染めるという行為。このタイプAとします。
これはコンプレックスの基本構造の通りです。
なので「日本人が髪を染める事はコンプレックスの現れだ」とのご指摘はほとんどの場合にそうなのですが、当てはまらない場合だって存在します。
世の中にはそんな意識が全くなく、カラフルな色が好きな人間が存在します。
そして自分の意思で選択できる事は試してみようとするのが人間の一面です。
髪色を変える手段があり、それならば好きな色にしたいと思って実行した。別に髪色でなくたって構いませんが、今回髪色を好きな色に変えたかった人です。
そういう人間はタイプAの構造からは外れていますのでタイプBとします。
そこでタイプBの人間の考えを否定する根拠はあるでしょうか。
「壁の色を塗るのと何が違うんでしょうか」
「生来のものが最適という話ならばコンクリートの打ちっぱなしが一番になってしまう」
「つまりそんなのは趣味の問題」
と、タイプBの人間は考えます。
そんなタイプBについての言及ですが、その存在の可能性について、前回のご回答の最後で「結果的に西洋人の猿真似になっているのですよ」
とあります。
タイプBの彼が「それはコンプレックスの現れだ」「結果的に西洋人の猿真似」などと言われたとすれば、戸惑いしかありません。いわれなき偏見を受けたとすら思います。
「壁の例でいえば日本古来の壁土じゃなくてペンキで塗るのは結果的に西洋コンプレックスの現れって事ですか?」
と思います。
その主張に対して、いわれなき偏見を受けたと思わずに、その主張を受け入れてしまい、彼が好きだったはずのカラフルな色を恥ずかしいと感じてしまうとしたら、それこそ壁ではなくコンプレックスの上塗りになってしまいます。
そういった理由で今回のF爺さまのご意見に反対です。
あ、先に確認するべきでしたが「髪を染めるのは西洋コンプレックスの現れだ」というのはF爺さまのご主張で間違いありませんか?
タイトルの『欧米人は極東人の「茶髪」を蔑(さげす)む』という書き方では、それは欧米人の主張だとも受け取れます。あえてこういったタイトルにするということは当然、F爺様のご意見がそうなのだと思って書いています。
私はいわれなき差別や偏見を押しつけられる事を、喧嘩を売られていると感じます。
『欧米人は極東人の「茶髪」を蔑(さげす)む』
というタイトルには、そういう意図は含まれないでしょうか?
茶髪は日本人本来のアイデンティティではない、というだけの意図しか含まれない主張なら、そう書けばいいからです。
これを聞いて、「他人を蔑むだけの根拠がどこにあるのか」と欧米人に対して逆上してしまう事は、普通の反応ではありませんか?
しかしムキになって反論すればするほど、掌の上で遊ばされている気にもなります。
それこそがコンプレックスの現れだ、となるからです。
コンプレックスを持っているという指摘もまた、それを言われたら否定するほど泥沼化して「それ見た事かそんなに拘っちゃって」となる典型的な言葉です。
だからって諦めてそれ受け入れ、媚びるような事は、この件に関しては、絶対的な力関係の下で無理づくで強制でもされないかぎり、出来ればあまりしたくないなあと考えます。
蛇足でまた別の角度から考えたものを追記しますと、日本人なのに茶髪にする人を「西洋人コンプレックスの現れだ、本来の黒髪を忘れて!」と蔑む人は、日本人なのに英語を喋る人を「西洋人コンプレックスの現れだ、本来の日本語を忘れて!」と蔑むのでしょうか。
筆が滑っていくつも失礼な事を書いてしまいごめんなさい。考えが足りなくてそれに気付いていない部分も多いかも知れません。
とても悔しくて、忘れることなどできず、何かのたびにこの問題を考えていました。
冷静にさまざまな角度から考えた上で投稿出来たつもりになっていましたが、つもりだけで全然ダメだったようで恥ずかしいです。2年10ヶ月考えてまだ足りないとなると自分の馬鹿さに絶望しそうです。
しかし書き方に配慮や慎みがなく、さらにいえば推敲も熟考も足りませんでした、すみません。ご指摘を受けて訂正した文を以下に書きます。
まず、いわれなき差別や偏見を、される方の本人が受け入れてしまうことこそが、コンプレックスの基本構造です。
「欧米人の髪色が優生だ」という差別的な意見を、差別される側の極東人が受け入れてしまい、 その欧米人に媚びて真似をして髪を染めるという行為。このタイプAとします。
これはコンプレックスの基本構造の通りです。
なので「日本人が髪を染める事はコンプレックスの現れだ」とのご指摘はほとんどの場合にそうなのですが、当てはまらない場合だって存在します。
世の中にはそんな意識が全くなく、カラフルな色が好きな人間が存在します。
そして自分の意思で選択できる事は試してみようとするのが人間の一面です。
髪色を変える手段があり、それならば好きな色にしたいと思って実行した。別に髪色でなくたって構いませんが、今回髪色を好きな色に変えたかった人です。
そういう人間はタイプAの構造からは外れていますのでタイプBとします。
そこでタイプBの人間の考えを否定する根拠はあるでしょうか。
「壁の色を塗るのと何が違うんでしょうか」
「生来のものが最適という話ならばコンクリートの打ちっぱなしが一番になってしまう」
「つまりそんなのは趣味の問題」
と、タイプBの人間は考えます。
そんなタイプBについての言及ですが、その存在の可能性について、前回のご回答の最後で「結果的に西洋人の猿真似になっているのですよ」
とあります。
タイプBの彼が「それはコンプレックスの現れだ」「結果的に西洋人の猿真似」などと言われたとすれば、戸惑いしかありません。いわれなき偏見を受けたとすら思います。
「壁の例でいえば日本古来の壁土じゃなくてペンキで塗るのは結果的に西洋コンプレックスの現れって事ですか?」
と思います。
その主張に対して、いわれなき偏見を受けたと思わずに、その主張を受け入れてしまい、彼が好きだったはずのカラフルな色を恥ずかしいと感じてしまうとしたら、それこそ壁ではなくコンプレックスの上塗りになってしまいます。
そういった理由で今回のF爺さまのご意見に反対です。
あ、先に確認するべきでしたが「髪を染めるのは西洋コンプレックスの現れだ」というのはF爺さまのご主張で間違いありませんか?
タイトルの『欧米人は極東人の「茶髪」を蔑(さげす)む』という書き方では、それは欧米人の主張だとも受け取れます。あえてこういったタイトルにするということは当然、F爺様のご意見がそうなのだと思って書いています。
私はいわれなき差別や偏見を押しつけられる事を、喧嘩を売られていると感じます。
『欧米人は極東人の「茶髪」を蔑(さげす)む』
というタイトルには、そういう意図は含まれないでしょうか?
茶髪は日本人本来のアイデンティティではない、というだけの意図しか含まれない主張なら、そう書けばいいからです。
これを聞いて、「他人を蔑むだけの根拠がどこにあるのか」と欧米人に対して逆上してしまう事は、普通の反応ではありませんか?
しかしムキになって反論すればするほど、掌の上で遊ばされている気にもなります。
それこそがコンプレックスの現れだ、となるからです。
コンプレックスを持っているという指摘もまた、それを言われたら否定するほど泥沼化して「それ見た事かそんなに拘っちゃって」となる典型的な言葉です。
だからって諦めてそれ受け入れ、媚びるような事は、この件に関しては、絶対的な力関係の下で無理づくで強制でもされないかぎり、出来ればあまりしたくないなあと考えます。
蛇足でまた別の角度から考えたものを追記しますと、日本人なのに茶髪にする人を「西洋人コンプレックスの現れだ、本来の黒髪を忘れて!」と蔑む人は、日本人なのに英語を喋る人を「西洋人コンプレックスの現れだ、本来の日本語を忘れて!」と蔑むのでしょうか。
筆が滑っていくつも失礼な事を書いてしまいごめんなさい。考えが足りなくてそれに気付いていない部分も多いかも知れません。
とても悔しくて、忘れることなどできず、何かのたびにこの問題を考えていました。
冷静にさまざまな角度から考えた上で投稿出来たつもりになっていましたが、つもりだけで全然ダメだったようで恥ずかしいです。2年10ヶ月考えてまだ足りないとなると自分の馬鹿さに絶望しそうです。
Re: 何色だろうと、他人に髪の色を蔑まれるのはあまり気分の良いことではありません
hsnさん
コメントを書き直した上での迅速な再投稿、ありがとうございます。今度は、表示できます。
長文であるため全ての問題点を短い返信コメントで取り上げることは出来ませんから、F爺にとって重要と思える三点だけを、取り敢えず、話題にします。
>タイトルの『欧米人は極東人の「茶髪」を蔑(さげす)む』という書き方では、それは欧米人の主張だとも受け取れます。あえてこういったタイトルにするということは当然、F爺様のご意見がそうなのだと思って書いています。
タイトルの〈欧米人は極東人の「茶髪」を蔑(さげす)む〉は、
【欧米人に蔑視されていることを(まだ知らないかもしれない)当ブログの日本人読者に伝えるために】
採用しました。F爺自身が茶髪をどう考えるかは、タイトルでは表明しておりません。記事の数箇所で表明しています。
>いわれなき差別や偏見を、される方の本人が受け入れてしまうことこそが、コンプレックスの基本構造です。
「相手のコンプレックスを上手(うま)く利用して支配の手立てとして使おう」
と画策している人(または集団)と支配されてしまっている人(または集団)の力関係を図式に表わす場合には、的確な分析です。
ただ、「コンプレックスの構造」という表現は舌足らずです。
「コンプレックスを利用した支配構造」
とでも言い換えることを提案します。そうしないと、誤解されてしまいます。コンプレックス自体の定義とは無関係なことですから。
>日本人なのに茶髪にする人を「西洋人コンプレックスの現れだ、本来の黒髪を忘れて!」と蔑む人は、日本人なのに英語を喋る人を「西洋人コンプレックスの現れだ、本来の日本語を忘れて!」と蔑むのでしょうか。
設問にいくつもの不手際があります。このままの形では、まともな応答は出来ません。
F爺なら、設問の一部を修正していただけることを前提に、暫定的にこう答えます。
〈特定の日本人がまともな英語、朝鮮語、広東語、スペイン語、タイ語、ロシア語、イタリア語、ペルシャ語などを喋る〉
だけでは、外国コンプレックスがあるか否かの判断は出来ません。しかし、
「日本語を蔑ろにして英語まがいのカタカナ語を弄する輩」
は、英語コンプレックスの塊です。
「手に入れる」「入手する」「獲得する」「当たり籤(くじ)を引く」などの表現が昔からあるのに敢えて「ゲットする」などと言うのがその例です。
非常に不十分な「暫定的な返信」ですが、先ずはこの三点だけでも考慮していただけるでしょうか。二年十ヶ月の間に誤解が積り積もって固まってしまっているように見えるのです。でも、少しずつでも解き解(ほぐ)すことは可能なはずです。
コメントを書き直した上での迅速な再投稿、ありがとうございます。今度は、表示できます。
長文であるため全ての問題点を短い返信コメントで取り上げることは出来ませんから、F爺にとって重要と思える三点だけを、取り敢えず、話題にします。
>タイトルの『欧米人は極東人の「茶髪」を蔑(さげす)む』という書き方では、それは欧米人の主張だとも受け取れます。あえてこういったタイトルにするということは当然、F爺様のご意見がそうなのだと思って書いています。
タイトルの〈欧米人は極東人の「茶髪」を蔑(さげす)む〉は、
【欧米人に蔑視されていることを(まだ知らないかもしれない)当ブログの日本人読者に伝えるために】
採用しました。F爺自身が茶髪をどう考えるかは、タイトルでは表明しておりません。記事の数箇所で表明しています。
>いわれなき差別や偏見を、される方の本人が受け入れてしまうことこそが、コンプレックスの基本構造です。
「相手のコンプレックスを上手(うま)く利用して支配の手立てとして使おう」
と画策している人(または集団)と支配されてしまっている人(または集団)の力関係を図式に表わす場合には、的確な分析です。
ただ、「コンプレックスの構造」という表現は舌足らずです。
「コンプレックスを利用した支配構造」
とでも言い換えることを提案します。そうしないと、誤解されてしまいます。コンプレックス自体の定義とは無関係なことですから。
>日本人なのに茶髪にする人を「西洋人コンプレックスの現れだ、本来の黒髪を忘れて!」と蔑む人は、日本人なのに英語を喋る人を「西洋人コンプレックスの現れだ、本来の日本語を忘れて!」と蔑むのでしょうか。
設問にいくつもの不手際があります。このままの形では、まともな応答は出来ません。
F爺なら、設問の一部を修正していただけることを前提に、暫定的にこう答えます。
〈特定の日本人がまともな英語、朝鮮語、広東語、スペイン語、タイ語、ロシア語、イタリア語、ペルシャ語などを喋る〉
だけでは、外国コンプレックスがあるか否かの判断は出来ません。しかし、
「日本語を蔑ろにして英語まがいのカタカナ語を弄する輩」
は、英語コンプレックスの塊です。
「手に入れる」「入手する」「獲得する」「当たり籤(くじ)を引く」などの表現が昔からあるのに敢えて「ゲットする」などと言うのがその例です。
非常に不十分な「暫定的な返信」ですが、先ずはこの三点だけでも考慮していただけるでしょうか。二年十ヶ月の間に誤解が積り積もって固まってしまっているように見えるのです。でも、少しずつでも解き解(ほぐ)すことは可能なはずです。
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Re: 趣味の違いでない証明は不可能です
hsnさん
新たなコメントを戴きましたが・・・先ず、前便で書かなかった四つ目の重要な点を指摘します。
>「[髪を脱色したり染めたりするのと]壁の色を塗るのと何が違うんでしょうか」
「生来のものが最適という話ならばコンクリートの打ちっぱなしが一番になってしまう」
比較にならないことを比較するのはおやめください。
「脱色したり染めたりしていない地のままの黒い髪の美しさ」や
「化粧していない素顔の肌の輝き」
と比較できるのは、
【赤や青や黄色のペンキやエナメルや塗料などを塗っていない白鳥の白い羽、鶯の「鶯色の」羽、梅や桃や桜の花の地の色】
【金粉や銀粉を塗りたくっていない雛罌粟(ひなげし)の赤や勿忘草(わすれなぐさ)の空色、野菊の薄紫色】
などです。
未完成の人工建造物の「コンクリートの打ちっぱなし」などではありません。
今回のコメントによると
〈hsnさんが「コンプレックスの構造」とおっしゃるのは「コンプレックスを利用した支配構造」のことだろう〉
という解釈が間違っているとのことですが、ご説明らしきものを目で追ってみても、全く何も理解できません。
その後の長い長い文字列も、何をおっしゃりたいのか解(わか)りません。根深く複雑な誤解のあることだけは認識していますが、それを解(と)き解(ほぐ)す目途が立ちません。諦めます。
今回のご投稿は、意味不明のため、非表示とします。
コメントのタイトルは・・・これも意味が全然解りませんが・・・敢えて伏せ字としないことにします。
新たなコメントを戴きましたが・・・先ず、前便で書かなかった四つ目の重要な点を指摘します。
>「[髪を脱色したり染めたりするのと]壁の色を塗るのと何が違うんでしょうか」
「生来のものが最適という話ならばコンクリートの打ちっぱなしが一番になってしまう」
比較にならないことを比較するのはおやめください。
「脱色したり染めたりしていない地のままの黒い髪の美しさ」や
「化粧していない素顔の肌の輝き」
と比較できるのは、
【赤や青や黄色のペンキやエナメルや塗料などを塗っていない白鳥の白い羽、鶯の「鶯色の」羽、梅や桃や桜の花の地の色】
【金粉や銀粉を塗りたくっていない雛罌粟(ひなげし)の赤や勿忘草(わすれなぐさ)の空色、野菊の薄紫色】
などです。
未完成の人工建造物の「コンクリートの打ちっぱなし」などではありません。
今回のコメントによると
〈hsnさんが「コンプレックスの構造」とおっしゃるのは「コンプレックスを利用した支配構造」のことだろう〉
という解釈が間違っているとのことですが、ご説明らしきものを目で追ってみても、全く何も理解できません。
その後の長い長い文字列も、何をおっしゃりたいのか解(わか)りません。根深く複雑な誤解のあることだけは認識していますが、それを解(と)き解(ほぐ)す目途が立ちません。諦めます。
今回のご投稿は、意味不明のため、非表示とします。
コメントのタイトルは・・・これも意味が全然解りませんが・・・敢えて伏せ字としないことにします。
Re: 修正のための追伸 Re: 趣味の違いでない証明は不可能です
hsnさん 読者の皆様
上の返信コメントに一箇所、抜け字がありました。次のように修正します。
×【赤や青や黄色のペンキやエナメルや塗料などを塗っていない白鳥の白い羽、鶯の「鶯色の」羽、梅や桃や桜の花の地の色】
〇【赤や青や黄色のペンキやエナメルや水性塗料などを塗っていない白鳥の白い羽、鶯の「鶯色の」羽、梅や桃や桜の花の地の色】
見苦しくなりましたが、ご海容ください。
上の返信コメントに一箇所、抜け字がありました。次のように修正します。
×【
〇【赤や青や黄色のペンキやエナメルや水性塗料などを塗っていない白鳥の白い羽、鶯の「鶯色の」羽、梅や桃や桜の花の地の色】
見苦しくなりましたが、ご海容ください。
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Re: □□□□(伏せ字をしました)
hsnさん
相次いで更に三通ものコメントをお寄せくださっていますが、率直に申し上げて、言いがかりとしか聞こえません。当然、非表示処分とします。
F爺が何をどう説明しても、hsnさんには何も理解できないのですね。そして、hsnさんのお書きになる説明のおつもりらしいことは、論理が見当たらず、それ以前に日本語として常に破綻しているため、F爺には殆ど何も理解できません。
これ以上の交信は、無意味です。当ブログへのコメント投稿は、おやめください。
さようなら。
相次いで更に三通ものコメントをお寄せくださっていますが、率直に申し上げて、言いがかりとしか聞こえません。当然、非表示処分とします。
F爺が何をどう説明しても、hsnさんには何も理解できないのですね。そして、hsnさんのお書きになる説明のおつもりらしいことは、論理が見当たらず、それ以前に日本語として常に破綻しているため、F爺には殆ど何も理解できません。
これ以上の交信は、無意味です。当ブログへのコメント投稿は、おやめください。
さようなら。
読者の皆様への説明 Re: Re: □□□□(伏せ字をしました)
読者の皆様
この記事に3月8日から10日にかけて六通もの長文のコメントを投稿したhsnさんは、決して「鳥の屁」群のような邪悪なゴキブリではないと思います。自分の髪を脱色したり自然でない色に染めたりするのが好きで堪らない人のようで、
〈その行動様式が欧米人の目には西洋コンプレックスと見える〉
とF爺がブログに書いているのが気に入らないらしいのです。
人さまざまですから、そんな感受性の人もいることでしょう。
それだけのことなら問題にはなりませんが、直近の三通のコメントでは、F爺の言動を「魔女狩り」呼ばわりし、「恥ずかしい事」呼ばわりしています。これは、あまりにも見当外れであり、かつ無礼です。容赦するわけに行きません。これ以上の交信は、断わることにしました。
「魔女狩り」という言葉をどんな比喩的な意味のつもりで使ったのかもF爺には分りません。言葉の使い方が特殊なため、何が言いたいのかも不明なことが多いのです。
〈「公共のツール」で発言するな〉
という意味らしいことも書いています。言論弾圧の試みに聞こえます。ところが、F爺には、何らかの「公共のツール」を使ってどこかで何かを発言した覚えは無いのです。きっと、この言葉も、F爺の想像も付かない特殊な意味で使っているのでしょう。
意思の疎通が成り立っていないし今後成り立つ見込みも無いと見極めて、この投稿者との議論には終止符を打つと決めました。
この記事に3月8日から10日にかけて六通もの長文のコメントを投稿したhsnさんは、決して「鳥の屁」群のような邪悪なゴキブリではないと思います。自分の髪を脱色したり自然でない色に染めたりするのが好きで堪らない人のようで、
〈その行動様式が欧米人の目には西洋コンプレックスと見える〉
とF爺がブログに書いているのが気に入らないらしいのです。
人さまざまですから、そんな感受性の人もいることでしょう。
それだけのことなら問題にはなりませんが、直近の三通のコメントでは、F爺の言動を「
「魔女狩り」という言葉をどんな比喩的な意味のつもりで使ったのかもF爺には分りません。言葉の使い方が特殊なため、何が言いたいのかも不明なことが多いのです。
〈「
という意味らしいことも書いています。言論弾圧の試みに聞こえます。ところが、F爺には、何らかの「公共のツール」を使ってどこかで何かを発言した覚えは無いのです。きっと、この言葉も、F爺の想像も付かない特殊な意味で使っているのでしょう。
意思の疎通が成り立っていないし今後成り立つ見込みも無いと見極めて、この投稿者との議論には終止符を打つと決めました。
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Re: ではこの投稿で最後にします
hsnさん
論理の破綻した文言、
匿名の陰に隠れている分際で他人のブログに
〈反対だ。反対だ。俺には何故なのかの証明は出来ないが、お前は間違っている。とにかく俺は否定する。反対だ。反対だ。お前は、あれをするな。これもするな。ああしろ。こうしろ。お前の義務だ〉
とほざくところまで思い上がった傲岸不遜な物言い・・・
などにF爺が耳を貸すことはございません。
もう一度、言います。さようなら。
論理の破綻した文言、
匿名の陰に隠れている分際で他人のブログに
〈
とほざくところまで思い上がった傲岸不遜な物言い・・・
などにF爺が耳を貸すことはございません。
もう一度、言います。さようなら。
Re: 追申 Re: ではこの投稿で最後にします
読者の皆様
「hsn」というハンドル・ネームを使う投稿者から「鼬(いたち)の最後っ屁」のつもりらしい憎まれ口コメントが届きました。当然、非表示処分にしてあります。
一つ前の返信コメントに書いたことを修正し、さらに追記をします。
修正
×この記事に3月8日から10日にかけて六通もの長文のコメントを投稿したhsnさんは、決して「鳥の屁」群のような邪悪なゴキブリではないと思います。
〇この記事に3月8日から10日にかけて七通もの長文のコメントを投稿した「hsn」という悪罵コメント投稿者は、「鳥の屁」群によく似た邪悪なゴキブリでした。
追記
「ゴキブリhsn」は、コメントで
〈ああしろ。こうしろ。日本人としてのお前の義務だ。あれをするな。これをするな。恥ずかしいことだ〉
と繰り返して、自分は匿名の陰に隠れたままで、F爺を意のままに操ろうと画策しています。
〈道義的な負い目を植え付けて、いたぶろうとしている〉
のです。
脅しによる言論弾圧とは別の意味で、酷いことです。
ところが・・・「義務」だ「恥ずかしいこと」だと極め付けるだけで、そう考える根拠の合理的な説明はありません。そのために自分の主張に説得力が全く無いことの認識は無いのです。
コメントのタイトルとして
「ではこの投稿で最後にします」
と書いています。この言葉だけでも守ってくれると良いのですが。
「hsn」というハンドル・ネームを使う投稿者から「鼬(いたち)の最後っ屁」のつもりらしい憎まれ口コメントが届きました。当然、非表示処分にしてあります。
一つ前の返信コメントに書いたことを修正し、さらに追記をします。
修正
×
〇この記事に3月8日から10日にかけて七通もの長文のコメントを投稿した「hsn」という悪罵コメント投稿者は、「鳥の屁」群によく似た邪悪なゴキブリでした。
追記
「ゴキブリhsn」は、コメントで
〈
と繰り返して、自分は匿名の陰に隠れたままで、F爺を意のままに操ろうと画策しています。
〈道義的な負い目を植え付けて、いたぶろうとしている〉
のです。
脅しによる言論弾圧とは別の意味で、酷いことです。
ところが・・・「
コメントのタイトルとして
「ではこの投稿で最後にします」
と書いています。この言葉だけでも守ってくれると良いのですが。
Re: 二つ目の追申 Re: ではこの投稿で最後にします
読者の皆様
二つ目の追申です。書き忘れた重要なことが二点ありました。
[1]「ゴキブリhsn」は、非表示にした最後のコメントをこう始めています。
「どう思いますかという問いかけでしたので、それに回答します。
不愉快だと感じます」
F爺の返信コメントのどこにも「どう思いますか」という問いかけはありません。「ゴキブリhsn」は、存在しない文字列を捏造しています。
「標本E」や自称「公認先達」の「K子」と共通の極めて邪悪な特徴です。「不愉快だ」と書く口実をでっち上げたのです。
[2] F爺は、「ゴキブリhsn」の送り付けた長文のコメント七通のうち読むに堪えないため非表示としたものは、当然、超・斜めにしか目を通していません。冒頭から厭味たっぷり、悪意見え見え、議題のすり替えと質問の形を取った悪罵の連続なので、まともに読む気にはならなかったのです。
〈F爺は、簡単な質問に答えなかった。答えられないのだ〉
云々と悪口を書くかもしれませんから、今から
【読むに値しなかったのだ】
と宣言しておきます。
二つ目の追申です。書き忘れた重要なことが二点ありました。
[1]「ゴキブリhsn」は、非表示にした最後のコメントをこう始めています。
「
不愉快だと感じます
F爺の返信コメントのどこにも「
「標本E」や自称「公認先達」の「K子」と共通の極めて邪悪な特徴です。「
[2] F爺は、「ゴキブリhsn」の送り付けた長文のコメント七通のうち読むに堪えないため非表示としたものは、当然、超・斜めにしか目を通していません。冒頭から厭味たっぷり、悪意見え見え、議題のすり替えと質問の形を取った悪罵の連続なので、まともに読む気にはならなかったのです。
〈F爺は、簡単な質問に答えなかった。答えられないのだ〉
云々と悪口を書くかもしれませんから、今から
【読むに値しなかったのだ】
と宣言しておきます。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
読者の皆様にお知らせ
読者の皆様
「ゴキブリhsn」が、性懲りも無く、日本時間で2020年3月11日8時56分に、またまたコメントを送り付けてよこしました。今度は非公開設定です。
相手にするのがあまりにも馬鹿馬鹿しいので、もう開封しないし返信もしないと決めました。
執拗な嫌がらせ投稿があったことを皆様にもお知らせするために、今から24時間ぐらいは放置し、その後、適当な時間に、削除します。着信記録は、F爺自身は内容を見ないで済む方法で、「ゴキブリ文書冷凍庫」に保管します。
今後さらに投稿があった場合は、瞬時に削除しておしまいにします。
それにしても、
【ブログ運営者に対して侮蔑語や厭味な表現を使ったコメントは、論理が破綻していて日本語の誤用で溢れていればなおのこと、投稿しても決して相手にしてはもらえない】
という単純なことの理解できない馬鹿がネット空間にこれほど多いとは思っていませんでした。「ゴキブリhsn」が別のゴキブリのもう一つの仮面ではないと仮定しての話ですが。
「ゴキブリhsn」が、性懲りも無く、日本時間で2020年3月11日8時56分に、またまたコメントを送り付けてよこしました。今度は非公開設定です。
相手にするのがあまりにも馬鹿馬鹿しいので、もう開封しないし返信もしないと決めました。
執拗な嫌がらせ投稿があったことを皆様にもお知らせするために、今から24時間ぐらいは放置し、その後、適当な時間に、削除します。着信記録は、F爺自身は内容を見ないで済む方法で、「ゴキブリ文書冷凍庫」に保管します。
今後さらに投稿があった場合は、瞬時に削除しておしまいにします。
それにしても、
【ブログ運営者に対して侮蔑語や厭味な表現を使ったコメントは、論理が破綻していて日本語の誤用で溢れていればなおのこと、投稿しても決して相手にしてはもらえない】
という単純なことの理解できない馬鹿がネット空間にこれほど多いとは思っていませんでした。「ゴキブリhsn」が別のゴキブリのもう一つの仮面ではないと仮定しての話ですが。
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