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芭蕉の「かれ」
松尾芭蕉の「おくのほそ道」に、三箇所、「今しがた言及した人物」を指すように見える「かれ」が出て来ます。
「バージニア大学」と「ピッツバーグ大学」の共同事業だという「日本語テキストイニシアチブ」というウェブ・サイトに掲載してある電子文書より引用します。
http://jti.lib.virginia.edu/japanese/basho/MatOkun.html(原本は、『日本古典文学体系 46 芭蕉文集』岩波書店)
(引用開始)
「尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども、志いやしからず」
「あるじとする物は久米之助とていまだ小童也。かれが父誹諧を好み」
「爰に等栽と云古き隠士有。いづれの年にか江戸に来りて予を尋。遥十とせ餘り也。いかに老さらぼひて有にや、将死けるにやと人に尋侍れば、いまだ存命してそこ/\と教ゆ。市中ひそかに引入て、あやしの小家に夕顔へちまのはえかゝりて、鶏頭はゝ木ゝに戸ぼそをかくす。さては此うちにこそと門を扣ば、侘しげなる女の出て、いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは此あたり何がしと云ものゝ方に行ぬ。もし用あらば尋給へといふ。かれが妻なるべしとしらる」
(引用終わり。太字は引用者)
これらの「かれ」は、確かに「今しがた言及した人物」を指す用法だと言えるでしょうか。その場合、〈芭蕉は、ヨーロッパ諸語の翻訳とは無関係に、「かれ」を「今しがた言及した人物」を指す言葉として用いていた〉と言えるのでしょうか。
「バージニア大学」と「ピッツバーグ大学」の共同事業だという「日本語テキストイニシアチブ」というウェブ・サイトに掲載してある電子文書より引用します。
http://jti.lib.virginia.edu/japanese/basho/MatOkun.html(原本は、『日本古典文学体系 46 芭蕉文集』岩波書店)
(引用開始)
「尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども、志いやしからず」
「あるじとする物は久米之助とていまだ小童也。かれが父誹諧を好み」
「爰に等栽と云古き隠士有。いづれの年にか江戸に来りて予を尋。遥十とせ餘り也。いかに老さらぼひて有にや、将死けるにやと人に尋侍れば、いまだ存命してそこ/\と教ゆ。市中ひそかに引入て、あやしの小家に夕顔へちまのはえかゝりて、鶏頭はゝ木ゝに戸ぼそをかくす。さては此うちにこそと門を扣ば、侘しげなる女の出て、いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは此あたり何がしと云ものゝ方に行ぬ。もし用あらば尋給へといふ。かれが妻なるべしとしらる」
(引用終わり。太字は引用者)
これらの「かれ」は、確かに「今しがた言及した人物」を指す用法だと言えるでしょうか。その場合、〈芭蕉は、ヨーロッパ諸語の翻訳とは無関係に、「かれ」を「今しがた言及した人物」を指す言葉として用いていた〉と言えるのでしょうか。
Re: 芭蕉の「かれ」
「みやゆふ」さん
古語の「かれ」という言葉は、現代語の「あれ、あのこと、あの人」に相当します。萬葉集にも用例がいくつもあります。
芭蕉は、その用法を踏襲しただけだと思います。引用してある例では、いずれも偶々(たまたま)男を指していますが、「かれ」は、
「性別・年齢を問わず、今しがた言及した人物を指している」
と解釈するのが妥当です。
寄生語彙の「彼」は、大人の男のみを指しますから、古語の「かれ」とは意味に大きなずれがあります。
古語の「かれ」という言葉は、現代語の「あれ、あのこと、あの人」に相当します。萬葉集にも用例がいくつもあります。
芭蕉は、その用法を踏襲しただけだと思います。引用してある例では、いずれも偶々(たまたま)男を指していますが、「かれ」は、
「性別・年齢を問わず、今しがた言及した人物を指している」
と解釈するのが妥当です。
寄生語彙の「彼」は、大人の男のみを指しますから、古語の「かれ」とは意味に大きなずれがあります。
Re: Re: 芭蕉の「かれ」
「みやゆふ」さん
追伸です。上の返信に不備がありました。次のように補います。
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引用してある例では、いずれも偶々(たまたま)男を指していますが、「かれ」は、
「性別・年齢を問わず、話者からも対話者からも遠い所にいる今しがた言及した人物を指している」
と解釈するのが妥当です。
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現代語の「彼」は、指示詞ではありませんから、「話者からも対話者からも遠い所にいる」とは限りません。
追伸です。上の返信に不備がありました。次のように補います。
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引用してある例では、いずれも偶々(たまたま)男を指していますが、「かれ」は、
「性別・年齢を問わず、話者からも対話者からも遠い所にいる今しがた言及した人物を指している」
と解釈するのが妥当です。
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現代語の「彼」は、指示詞ではありませんから、「話者からも対話者からも遠い所にいる」とは限りません。
No title
古語の「かれ」は、現代語の「あの人」にも相当するのですね。〈現代語の「あれ」に相当する古語「かれ」〉という記述を読んで、〈古語の「かれ」には、現代語の「あれ」という意味しかない〉のだと思い込んでいました。ご質問する前に、古語辞典を改めて確認するべきでした。失礼いたしました。
しかし、古語辞典を参照するだけでは、「性別・年齢を問わず、話者からも対話者からも遠い所にいる今しがた言及した人物を指している」という正確な理解には至らなかったと思います。ご教示、誠にありがとうございます。
現代語の「彼」が明治期の逐語訳で生まれた寄生語彙だと改めて確認出来たので、今後も、自信を持って、「今しがた言及した人物」を指す「彼」「彼女」は使わない方針を貫こうと思います。
しかし、古語辞典を参照するだけでは、「性別・年齢を問わず、話者からも対話者からも遠い所にいる今しがた言及した人物を指している」という正確な理解には至らなかったと思います。ご教示、誠にありがとうございます。
現代語の「彼」が明治期の逐語訳で生まれた寄生語彙だと改めて確認出来たので、今後も、自信を持って、「今しがた言及した人物」を指す「彼」「彼女」は使わない方針を貫こうと思います。
Re: No title
「みやゆふ」さん
>〈古語の「かれ」には、現代語の「あれ」という意味しかない〉のだと思い込んでいました。
ええっと・・・現代語の「あれ」にも「性別・年齢を問わず、話者からも対話者からも遠い所にいる人物」を指す用法がありますよ。例えば、遠くにいる子供を指して
「あれは、うちの子です」
という言い方があります。この場合、「あの子は」と言う必要は無いのです。
>現代語の「彼」が明治期の逐語訳で生まれた寄生語彙だと改めて確認出来たので、今後も、自信を持って、「今しがた言及した人物」を指す「彼」「彼女」は使わない方針を貫こうと思います。
是非そうしてください。別の意味の「彼」「彼女」なら別に構いませんが(笑)。
>〈古語の「かれ」には、現代語の「あれ」という意味しかない〉のだと思い込んでいました。
ええっと・・・現代語の「あれ」にも「性別・年齢を問わず、話者からも対話者からも遠い所にいる人物」を指す用法がありますよ。例えば、遠くにいる子供を指して
「あれは、うちの子です」
という言い方があります。この場合、「あの子は」と言う必要は無いのです。
>現代語の「彼」が明治期の逐語訳で生まれた寄生語彙だと改めて確認出来たので、今後も、自信を持って、「今しがた言及した人物」を指す「彼」「彼女」は使わない方針を貫こうと思います。
是非そうしてください。別の意味の「彼」「彼女」なら別に構いませんが(笑)。