コメント
No title
小島さん
アルザス地方は「言語の境界」と「国境」が異なっている分かりやすい例ですね。日本の「方言」も、国内での「言語的境界」に数えられるでしょうが、ゲルマン語派とロマンス諸語の違いはそれ以上に大きく感じられます。アルザス地方は政治的にはフランスでも、別言語を話すというのはとても興味深かったです。
ただそうはいっても、現在では共通語(フランス語)を使う機会が多いと思います。日本各地の「方言」話者が減少しているように、アルザス地方のアルザス語が「方言」の地位に貶められ、遂には忘れ去られてしまうのではないかと心配です。それを救う手立ては、ないと思いますが。
アルザス地方は「言語の境界」と「国境」が異なっている分かりやすい例ですね。日本の「方言」も、国内での「言語的境界」に数えられるでしょうが、ゲルマン語派とロマンス諸語の違いはそれ以上に大きく感じられます。アルザス地方は政治的にはフランスでも、別言語を話すというのはとても興味深かったです。
ただそうはいっても、現在では共通語(フランス語)を使う機会が多いと思います。日本各地の「方言」話者が減少しているように、アルザス地方のアルザス語が「方言」の地位に貶められ、遂には忘れ去られてしまうのではないかと心配です。それを救う手立ては、ないと思いますが。
Re: No title
T君
フランスには、フランス国家が成立する以前から定住し、別言語を話す民族がたくさんいます。それに近年の移民の言語が重なって、最近は中小都市でも多言語併存社会が現出しています。近日中に「フランスの少数民族言語」という記事も書く予定です。
モナコのような矮小国家でさえ、古くから住み着いている少数民族がいます。
少数言語を救う手立てがあるかどうか、何とも分かりませんが、「無い」と言って諦めてしまうのが最悪の方法であることだけは確かです。
フランスには、フランス国家が成立する以前から定住し、別言語を話す民族がたくさんいます。それに近年の移民の言語が重なって、最近は中小都市でも多言語併存社会が現出しています。近日中に「フランスの少数民族言語」という記事も書く予定です。
モナコのような矮小国家でさえ、古くから住み着いている少数民族がいます。
少数言語を救う手立てがあるかどうか、何とも分かりませんが、「無い」と言って諦めてしまうのが最悪の方法であることだけは確かです。
No title
小島さん
確かに「諦めた」表現だったと思います。「ある民族に固有の言語は、共同体への帰属意識を補強する手段として大切な一方で、何もしなければすぐに多数派に飲み込まれてしまうため、保存しようとする何らかの『努力』が必要なのだ」という理解で良いのでしょうか。若いのに変な諦観に染まっていては駄目ですね!
確かに「諦めた」表現だったと思います。「ある民族に固有の言語は、共同体への帰属意識を補強する手段として大切な一方で、何もしなければすぐに多数派に飲み込まれてしまうため、保存しようとする何らかの『努力』が必要なのだ」という理解で良いのでしょうか。若いのに変な諦観に染まっていては駄目ですね!
Re: No title
T君
アルザス語の悲劇は、アレマン諸語がドイツ諸語と近縁のゲルマン語派であるため「ドイツ語の方言」と見做され、貶められたことです。そしてそれが汎ドイツ主義者だけでなく、アレマン諸語とドイツ諸語の違いを知らなかった(あるいは知ろうとしなかった)フランス中央の為政者にも信じ込まれてしまったことです。
民族に固有の言語を失っても民族意識が消えるとは限りません。スコットランド・ゲール語やアイルランド語は消滅寸前の危機的な状態ですが、民族意識は些(いささ)かも弱化していません。
「何もしなければすぐに多数派に呑み込まれてしまう」とも言えません。問題は、単純な図式には収まらないのです。
しかし、言語が、言語の多様性が、かけがえのないものであることは確かです。言語が一つ消えると、その言語が担っていた神話・民話・民謡・諺(ことわざ)などの体系も消えてしまいます。翻訳は、所詮、翻訳でしかありません。あと一、二世代のうちに消滅してしまう可能性の高い危機的な状況の言語が5000以上もある時代に生まれ合わせた者は、せめて自分の母言語だけでも大切にするのが、これから生まれて来る人たちに対する義務だとF爺は思います。
アルザス語の悲劇は、アレマン諸語がドイツ諸語と近縁のゲルマン語派であるため「ドイツ語の方言」と見做され、貶められたことです。そしてそれが汎ドイツ主義者だけでなく、アレマン諸語とドイツ諸語の違いを知らなかった(あるいは知ろうとしなかった)フランス中央の為政者にも信じ込まれてしまったことです。
民族に固有の言語を失っても民族意識が消えるとは限りません。スコットランド・ゲール語やアイルランド語は消滅寸前の危機的な状態ですが、民族意識は些(いささ)かも弱化していません。
「何もしなければすぐに多数派に呑み込まれてしまう」とも言えません。問題は、単純な図式には収まらないのです。
しかし、言語が、言語の多様性が、かけがえのないものであることは確かです。言語が一つ消えると、その言語が担っていた神話・民話・民謡・諺(ことわざ)などの体系も消えてしまいます。翻訳は、所詮、翻訳でしかありません。あと一、二世代のうちに消滅してしまう可能性の高い危機的な状況の言語が5000以上もある時代に生まれ合わせた者は、せめて自分の母言語だけでも大切にするのが、これから生まれて来る人たちに対する義務だとF爺は思います。
「普仏戦争」から「プロイセン = フランス戦争」に
普仏(ふふつ)戦争ですが、私が大学受験で世界史を勉強していた頃(2002年~2003年)も「普仏戦争」で覚えました。教材にそう書いてあったので。しかし、先日書店で世界史の教科書を立ち読みしたところ、「普仏戦争」ではなく「プロイセン = フランス戦争」となっていました。立ち読みしたのは、以下の山川出版社の教科書です。
https://www.yamakawa.co.jp/product/70034
私も山川出版社の世界史の教科書を使用しましたが、2003年から2017年の間に変化したようです。今の高校生や大学生は「普仏戦争」という言葉を知らないかもしれません。
https://www.yamakawa.co.jp/product/70034
私も山川出版社の世界史の教科書を使用しましたが、2003年から2017年の間に変化したようです。今の高校生や大学生は「普仏戦争」という言葉を知らないかもしれません。
Re: 「普仏戦争」から「プロイセン = フランス戦争」に
チョルスさん
貴重なお知らせ、ありがとうございます。
「普仏戦争」と言われても何のことか理解できない世代が育っているのですね。覚えておきます。「普」=「プロシャ」=「プロシア」=「プロイセン」という等式は、今の学校では教えているのでしょうか。
「○○を昔は□□と呼んでいた」ことを折に触れて教えないと、世代間の意思の疎通が不可能になり、古い時代の書籍を読むことの出来ない人が際限なく増えてしまいます。心配なことです。
貴重なお知らせ、ありがとうございます。
「普仏戦争」と言われても何のことか理解できない世代が育っているのですね。覚えておきます。「普」=「プロシャ」=「プロシア」=「プロイセン」という等式は、今の学校では教えているのでしょうか。
「○○を昔は□□と呼んでいた」ことを折に触れて教えないと、世代間の意思の疎通が不可能になり、古い時代の書籍を読むことの出来ない人が際限なく増えてしまいます。心配なことです。