「黛まどか」: 似非方言と骨壺と「はちみつレモン」
- 2018/04/26
- 19:17
この記事は、2017年12月8日付けのブログ記事〈「黛まどか」の遍路描写には謎が多い(4) 似非方言と骨壺〉の続篇です。
前篇では、「黛まどか」の描写する「延光寺の近くの民宿の女将」の話す言葉と行動様式があまりにも不自然であることを指摘しました。
「はちみつレモン」って何?
前篇を書いたとき、F爺は、
《女将が客室に侵入して押し付けた「はちみつレモン」というのは冷たい飲み物の名前だろう》
と思いました。理由は三つあります。
[1] 何年か前にそういう名前の飲料を自動販売機で見かけた記憶があります。
[2] 栄養ドリンクの類(たぐい)を遍路客にお接待で進呈する旅館(*)がありますから、瓶入りか紙パック入りの市販の飲み物を提供する民宿があってもおかしくありません。
(*) 愛媛県津島町岩松の「三好旅館」で2013年に泊まった時、朝の出発前に栄養ドリンクのお接待がありました。F爺は、その類の飲み物は決して口に入れません。〈カフェインが入っているため飲むわけに行かない〉と「決して嘘ではない」事情を言って勘弁してもらいました。ブログ記事には記載してありません。
[3]「蜂蜜」と漢字で書かず、わざわざ「はちみつレモン」と平仮名書きにしたのは商品名だからだろうと推察しました。
ところが「みやゆふ」さんからコメントが届き、
〈「はちみつレモン」という商品名の飲み物もあるが、個体の「レモンの蜂蜜漬け」のことも「蜂蜜レモン」と呼ぶ。女将が持って来た物は、後者でもあり得る〉
という意味のことが書いてありました。
決め手になる情報が無いため、「黛まどか」が「はちみつレモン」と呼ぶものの正体は不明のままでした。
新情報
2018年4月になって、遍路仲間のAさんからメールが届きました。それによると、「黛まどか」の不真面目な題(*)の近著『奇跡の四国遍路』の80ページ9行目に次のような記載があるそうです。一部をF爺が勝手に太字にしました。
(*)「奇跡」は、科学精神の持ち主にとっては存在し得ません。特定の「奇跡」が信仰の土台になっている同じ宗教を奉ずる者同士、または同じ迷信にかぶれている者同士でなければ用いる意味の無い言葉です。宗教書と銘打っていない一般向けの書籍の題名として、極めて不謹慎です。
*****
三十九番延光寺ではこれまで何度か会ったお遍路さんたち数人と一緒になった。「また会えましたね!」「脚は大丈夫?」。再会を喜び、互いの身体を労る。
日の高いうちに民宿に着いた。縁側で荷を解いていると、「なんにもない田舎ですけど、今日は一人だけだから、自分の家にいるように、ゆっくりしてね」と、お母さんが熱いはちみつレモンを出してくれた。
*****
「熱いはちみつレモン」って、何でしょう。
固体の「蜂蜜漬けのレモン」を「熱くして供する」ことがあるとは思えません。市販の瓶入りまたは紙パック入りの飲み物を熱することがあるとも思えません。従って、この民宿の女将さんが持って来たのは、自家製の「蜂蜜+レモン汁+熱湯」を混ぜた飲物だろうと推測します。
なぜ「蜂蜜入りのレモン湯」と言わないのか?
「みやゆふ」さんもコメントでご指摘なさっていますが、商品名ならともかく、「○○レモン」だけでは普通名詞として「レモン汁を入れた水または湯」という意味にはなりません。
「延光寺の近くの民宿の女将」の供する「熱いはちみつレモン」が「蜂蜜+レモン汁+熱湯」のことだという推測が正しければ、「黛まどか」は日本語感覚がおかしいということになります(*)。
なにしろ「黛まどか」は、遍路道を歩き通していないのに、それどころか途中で何度も交通機関を利用したのに、「ひたすら歩く」「歩き通す」などと書いて平気なのです。今更驚くほどのことではありませんね(**)。
(*)(**)「黛まどか」の本には、日本語の誤用が夥(おびただ)しく出現します。後日、纏めて記事にします。仮に上の推測が正しくなかったとしても、「黛まどか」の日本語感覚が異常であることは確かです。
「蜂蜜に漬けたレモンの輪切り」か「レモンの輪切りを蜂蜜に漬けた物」
不思議に思っていたら「むじゃもと」さんからもコメントが届きました。「むじゃもと」さんのご環境では
「はちみつにつけたレモンの輪切り」か
「レモンの輪切りをはちみつにつけた物」
と言うのだそうです。
F爺と共通の日本語感覚の持ち主が健在だったと知って安堵しました。「熱いはちみつレモン」と書くほうがおかしいのですね。「黛まどか」には、言葉を正しく使う意思が欠けています。
女将の言葉遣いは不自然極まりない
それにしても、この「延光寺の近くの民宿の女将」の言葉遣いは不自然です。
[1] 到着したばかりの見ず知らずの客に「自分の家にいるように、ゆっくりしてね」
と関東語のタメ口。
[2]「歩い*ちゅるがですよ」(*)
と実在しない形態 = 捏造 = 似非方言。
(*) 東京新聞の記事では「歩いちゅるがですよ」です。新書では81ページの最後から4行目に「歩いちゅうがですよ」とあります。なぜ一字、変えたのでしょうか。変えたところで捏造方言であることに何の変わりも無いのです(a)。
(a)「(歩い)ちゅう」は、土佐語で「(歩くという動作が)完了した状態」を表わす形式です。
この文脈で用いたはずがありません。
[3]「まだ幼い女のお子さんだったそうです。一番札所からここまで歩いてきて、初めて人に話したと涙を流されて・・・私も一緒に泣いたものです・・・」
と固い標準語。
場面にそぐわない異なった話し方を、しかも高知県に住んでいるのに似非高知弁を、これだけ交ぜる人が実在するとは思えません。
「延光寺の近くの民宿」のうちのどれ?
「延光寺の近くの民宿」という表現に対応する宿泊施設は、F爺の知る限りでは、二軒しかありません。「民宿嶋屋」と「へんくつ屋」です。そして、どちらにも、「黛まどか」の描写した女将さんに相当しそうな奇妙な言葉遣いと異常な行動様式の人物は見当たらないのです。
着替え中かもしれない客が中にいると知っていて断わり無しに客室に 侵入する無礼な女将なんて、そんじょそこらにいるものではありません。そして、侵入されて慌てふためいた客が「さっと隠」した物体を瞬時に骨壺だと見抜くような「超能力」は、SF小説か迷信を礼賛する類の本の中にしか見つかりません。現実には存在しないのです。
あ、そう言えば、確か「黛まどか」は、ブラジル人自称呪術師の書いた『星の巡礼』とかいうポルトガル語のトンデモ本の英誤訳のそのまた日本語訳の解説を担当していると「みやゆふ」さんからお知らせがあったのでしたね・・・。呪術って、勿論、迷信です。
前篇では、「黛まどか」の描写する「延光寺の近くの民宿の女将」の話す言葉と行動様式があまりにも不自然であることを指摘しました。
「はちみつレモン」って何?
前篇を書いたとき、F爺は、
《女将が客室に侵入して押し付けた「はちみつレモン」というのは冷たい飲み物の名前だろう》
と思いました。理由は三つあります。
[1] 何年か前にそういう名前の飲料を自動販売機で見かけた記憶があります。
[2] 栄養ドリンクの類(たぐい)を遍路客にお接待で進呈する旅館(*)がありますから、瓶入りか紙パック入りの市販の飲み物を提供する民宿があってもおかしくありません。
(*) 愛媛県津島町岩松の「三好旅館」で2013年に泊まった時、朝の出発前に栄養ドリンクのお接待がありました。F爺は、その類の飲み物は決して口に入れません。〈カフェインが入っているため飲むわけに行かない〉と「決して嘘ではない」事情を言って勘弁してもらいました。ブログ記事には記載してありません。
[3]「蜂蜜」と漢字で書かず、わざわざ「はちみつレモン」と平仮名書きにしたのは商品名だからだろうと推察しました。
ところが「みやゆふ」さんからコメントが届き、
〈「はちみつレモン」という商品名の飲み物もあるが、個体の「レモンの蜂蜜漬け」のことも「蜂蜜レモン」と呼ぶ。女将が持って来た物は、後者でもあり得る〉
という意味のことが書いてありました。
決め手になる情報が無いため、「黛まどか」が「はちみつレモン」と呼ぶものの正体は不明のままでした。
新情報
2018年4月になって、遍路仲間のAさんからメールが届きました。それによると、「黛まどか」の不真面目な題(*)の近著『奇跡の四国遍路』の80ページ9行目に次のような記載があるそうです。一部をF爺が勝手に太字にしました。
(*)「奇跡」は、科学精神の持ち主にとっては存在し得ません。特定の「奇跡」が信仰の土台になっている同じ宗教を奉ずる者同士、または同じ迷信にかぶれている者同士でなければ用いる意味の無い言葉です。宗教書と銘打っていない一般向けの書籍の題名として、極めて不謹慎です。
*****
三十九番延光寺ではこれまで何度か会ったお遍路さんたち数人と一緒になった。「また会えましたね!」「脚は大丈夫?」。再会を喜び、互いの身体を労る。
日の高いうちに民宿に着いた。縁側で荷を解いていると、「なんにもない田舎ですけど、今日は一人だけだから、自分の家にいるように、ゆっくりしてね」と、お母さんが熱いはちみつレモンを出してくれた。
*****
「熱いはちみつレモン」って、何でしょう。
固体の「蜂蜜漬けのレモン」を「熱くして供する」ことがあるとは思えません。市販の瓶入りまたは紙パック入りの飲み物を熱することがあるとも思えません。従って、この民宿の女将さんが持って来たのは、自家製の「蜂蜜+レモン汁+熱湯」を混ぜた飲物だろうと推測します。
なぜ「蜂蜜入りのレモン湯」と言わないのか?
「みやゆふ」さんもコメントでご指摘なさっていますが、商品名ならともかく、「○○レモン」だけでは普通名詞として「レモン汁を入れた水または湯」という意味にはなりません。
「延光寺の近くの民宿の女将」の供する「熱いはちみつレモン」が「蜂蜜+レモン汁+熱湯」のことだという推測が正しければ、「黛まどか」は日本語感覚がおかしいということになります(*)。
なにしろ「黛まどか」は、遍路道を歩き通していないのに、それどころか途中で何度も交通機関を利用したのに、「ひたすら歩く」「歩き通す」などと書いて平気なのです。今更驚くほどのことではありませんね(**)。
(*)(**)「黛まどか」の本には、日本語の誤用が夥(おびただ)しく出現します。後日、纏めて記事にします。仮に上の推測が正しくなかったとしても、「黛まどか」の日本語感覚が異常であることは確かです。
「蜂蜜に漬けたレモンの輪切り」か「レモンの輪切りを蜂蜜に漬けた物」
不思議に思っていたら「むじゃもと」さんからもコメントが届きました。「むじゃもと」さんのご環境では
「はちみつにつけたレモンの輪切り」か
「レモンの輪切りをはちみつにつけた物」
と言うのだそうです。
F爺と共通の日本語感覚の持ち主が健在だったと知って安堵しました。「熱いはちみつレモン」と書くほうがおかしいのですね。「黛まどか」には、言葉を正しく使う意思が欠けています。
女将の言葉遣いは不自然極まりない
それにしても、この「延光寺の近くの民宿の女将」の言葉遣いは不自然です。
[1] 到着したばかりの見ず知らずの客に「自分の家にいるように、ゆっくりしてね」
と関東語のタメ口。
[2]「歩い*ちゅるがですよ」(*)
と実在しない形態 = 捏造 = 似非方言。
(*) 東京新聞の記事では「歩いちゅるがですよ」です。新書では81ページの最後から4行目に「歩いちゅうがですよ」とあります。なぜ一字、変えたのでしょうか。変えたところで捏造方言であることに何の変わりも無いのです(a)。
(a)「(歩い)ちゅう」は、土佐語で「(歩くという動作が)完了した状態」を表わす形式です。
この文脈で用いたはずがありません。
[3]「まだ幼い女のお子さんだったそうです。一番札所からここまで歩いてきて、初めて人に話したと涙を流されて・・・私も一緒に泣いたものです・・・」
と固い標準語。
場面にそぐわない異なった話し方を、しかも高知県に住んでいるのに似非高知弁を、これだけ交ぜる人が実在するとは思えません。
「延光寺の近くの民宿」のうちのどれ?
「延光寺の近くの民宿」という表現に対応する宿泊施設は、F爺の知る限りでは、二軒しかありません。「民宿嶋屋」と「へんくつ屋」です。そして、どちらにも、「黛まどか」の描写した女将さんに相当しそうな奇妙な言葉遣いと異常な行動様式の人物は見当たらないのです。
着替え中かもしれない客が中にいると知っていて断わり無しに客室に 侵入する無礼な女将なんて、そんじょそこらにいるものではありません。そして、侵入されて慌てふためいた客が「さっと隠」した物体を瞬時に骨壺だと見抜くような「超能力」は、SF小説か迷信を礼賛する類の本の中にしか見つかりません。現実には存在しないのです。
あ、そう言えば、確か「黛まどか」は、ブラジル人自称呪術師の書いた『星の巡礼』とかいうポルトガル語のトンデモ本の英誤訳のそのまた日本語訳の解説を担当していると「みやゆふ」さんからお知らせがあったのでしたね・・・。呪術って、勿論、迷信です。