(記事の末尾に追記があります)四国遍路の定義四国遍路の定義は、本来は、こうです。
【四国八十八箇所の札所を巡礼すること、及び巡礼する人】
世界中の全ての巡礼路と同様に、四国遍路は、元々は「必ず
全行程を歩くもの」なのですが、現代では、「自家用車、バス、電車、自転車、ロープウェイなどを利用して短期間に札所巡りをする人」が多数、出現していて、その人たちも自分の行動を指して
「四国遍路をしている」
「四国遍路をした」
と称することが多いそうです。
そうした「札所から札所へと歩いていないのに遍路をしたつもりの人」と区別するために、「歩き遍路」という新語が成立しています。
歩き遍路が乗って構わない交通機関が一つだけあります。渡し船(またはフェリー)です。
そうなっている歴史的な理由は、
〈昔は、橋の無い海峡や川が多く、そこを渡るのに誰でも舟に乗るものだったから〉です。
歩き遍路が渡し船(またはフェリー)を利用する主な区間は次のようなものです。
[1] 本州や九州から四国に渡って来る時と遍路を終えて自宅に戻る時
[2] 33番・雪蹊寺の少し東で浦戸湾の出入り口の海峡を渡る時
[3] 36番・青龍寺の参拝のために浦ノ内湾の出入り口の海峡を渡る時の往復
[4] 四万十川の河口の下田の渡し
このうちの[3]は宇佐大橋が出来てから、[4]は四万十大橋が出来てから、利用するお遍路さんが殆どいなくなりました。浦戸大橋が歩行者にとって「難所」
(*)であるため、[2]は、今でも多くの歩きお遍路さんが利用します。
(*) F爺は、2017年の6回目の遍路行の時に初めて浦戸大橋を渡りました。歩道が狭く、急傾斜が続くばかりで平らな所の無い、歩行者にはむごい橋です。台風が室戸沖を通った日だったため強烈な北西風に耐えて歩き、身の縮む思いをしました。四国に渡って来る[1]の時は、今では飛行機、電車、バスなど選べますから、船に乗る人はごく少数です。
「通し打ち」と「区切り打ち」の定義[通し打ち]
【一回の遍路行で八十八箇所全ての札所を巡って
歩き通すこと】
遍路は歩くものですから、事情がどうあれ、渡し船以外の交通機関
(*)を一回でも利用したら「通し打ち」ではありません。次に説明する「区切り打ち」です。
(*) リヤカーや救急車、担架などに載せてもらうのも、人に負(お)ぶってもらうのも、自分の足で歩いていないのですから「交通機関を利用した」うちです。[区切り打ち]
【歩き遍路が、何らかの事情で
(*)、歩くことを中断し、二回以上の遍路行に分けて八十八箇所全ての札所を巡ること】
(*) 何らかの事情 :「一旦自宅に帰る」「救急車などで運ばれる」「所用のため車などで移動する」「自力ではまともな時間に宿に辿り着けないと見てタクシーを呼ぶ」など。上の注に書いたことを繰り返しますが、どんな事情であっても、渡し船以外の交通機関を使うのは「区切る」ことです。歩き通さないのですから、「通し打ちを破る」ことです。区切った後、前回区切った場所まで戻って改めて歩き始めることを「繋ぐ」と言います。「繋ぐ」回数の制限はありません。何回、何十回「繋ぐ」ことになっても構いません。
ブログ記事〈
細切れ打ち遍路〉を是非、参照してください。
遍路は、自分自身に課した行(ぎょう)です。一部の区間を自分の足で歩かずに交通機関を利用した場合でも、その「飛ばした」区間を全て後で歩いて「繋ぐ」なら、区切り打ちでの結願が成立します。歩いていない区間が一歩でも残っていたら、結願ではありません。未踏破区間が残っているのに「通し打ちだ」とか「結願した」とか言ったら、それは
誤魔化しです。
「黛まどか」の場合「黛まどか」は、不真面目な題
(*)を付けた著書『奇跡の四国遍路』で「通し打ち」したと詐称しています。
(*) 一つ前のブログ記事〈「黛まどか」: 似非方言と骨壺と「はちみつレモン」〉で施した説明を繰り返します。
「奇跡」は、科学精神の持ち主にとっては存在し得ません。特定の「奇跡」が信仰の土台になっている同じ宗教を奉ずる者同士、または同じ迷信にかぶれている者同士でなければ用いる意味の無い言葉です。宗教書と銘打っていない一般向けの書籍の題名として、極めて不謹慎です。詐称徳島県海部から高知県尾崎までの約33kmと愛媛県津島町の手前の4kmを車に乗せてもらって移動したからには
通し打ちをしていない「黛まどか」が〈
ひたすら歩く〉だの〈
歩き通す〉だのと「いかにも通し打ちをしたように思わせる」不誠実な表現を使っているのにはこれまでも気付いていましたが、明確に「通し打ち」という言葉を使っているのが見つからないため
《はっきり「通し打ち」とは言わないでおいて、逃げ口上を弄するつもりかもしれない》
と疑っていました。
でも、ついに、見つけました。
『奇跡の四国遍路』の「香川県」の章、
149ページ7行目にこう書いてありました。
*****
六人のうち私を含め三人は通し打ちで*****
「黛まどか」は、通し打ちを
詐称しています。
しかし、〈「通し打ち」という言葉の正しい意味を知らないため「詐称している」と認識していない〉こともあり得ます。
「誤魔化し遍路」の意図的な嘘か・・・それとも、無知蒙昧に足が生えているのか・・・判断の難しいところです。
新情報「むじゃもと」さんからのコメントのお蔭で、「黛まどか」がFacebookの記事「
遍路通信36」で「通し打ち」という言葉を「明確に誤用」していることが判りました。
問題の記事を引用します。色分けは、F爺が勝手に施しました。また、語義の
誤った解釈は見るに堪えないので、これも勝手に、取り消し線を引きました。
なお、黒い四角形(◆)は、「環境依存文字らしい色付きの図形」の代わりに用いたものです。
*****
遍路通信36
ゴールデンウィークの後はお遍路さんの数が急に減りました。休日を使って「区切り打ち(期間を区切って廻る)」する方が多いのでしょう。特に女性の「通し遍路(一度に88ヵ所すべて廻る)」は少ないようです。宿や遍路道で会う方もここ数日は男性ばかり。皆さん険しい峠道もざっくざっく休まず歩くので、一緒に歩いているとこちらも自然とペースが上がります◆そんなわけで、昨日は25㎞と距離も短かったせいか、午後2時過ぎには宿の前に着いていました!今までで一番早い到着です◆お陰でゆっくりお風呂に入り、洗濯物をお日様の下に干し、部屋で地図と計算機を交互に見ながらこれからのルートをじっくり考えることができました。
写真は雨の峠道を行くお遍路さんです。通し遍路さんは荷物が大きいので一目でわかります。*****
注:
■「区切り打ち」は、【区切った(= 交通機関を使った)所に戻って歩き繋ぐことを一回以上行なって結願に到ること】です。「黛まどか」が思い込みたがっているように「期間を区切る」ことではありません。■「通し打ち」は、重要なことですから何度でも繰り返しますが、【いずれかの札所を起点にして歩き始めた後は渡し船以外の交通機関を一切利用せず、自分の足で八十八箇所巡りの全行程を歩き通すこと】です。F爺は、2013年には、期間を最長30日までと限定して「出来ることなら通し打ちを」と試み、成就しました。2017年には、日数の余裕があり、最長35日までと期間を限定し、通し打ちに成功した上で7周目に少し入りました。どちらの場合も「期間を区切って」いますが、「区切り打ち」ではありません。■「通し遍路」という表現をF爺は、遍路道で聞いたことがありません。文字列としては「黛まどか」の著作で初めて目にしました。ウェブ検索してみても何も引っ掛かりませんでした。恐らく「通し打ちを目差す遍路」という意味のつもりだと推測しますが、誤った言い方です。結願の日までは「通し打ち」が達成できるかどうかを知る手立ては無いのですから。解釈「むじゃもと」さんが示唆なさっているように
【「黛まどか」が誰かに騙されて誤った解釈で「通し打ち」という言葉を使っている】
可能性はゼロではありません。
しかし、それよりは、「黛まどか」の書く文章には目を覆うばかりの
多種多様の誤用が頻出するのですから、「不注意だから一人で勝手に誤解した」か「意図的に自分に都合の良いように曲げて使った(= 誤魔化した)」と考えるほうが合理的です。
お遍路さんのごくごく少ない真夏にしか遍路道を歩いたことの無いF爺に観察できた範囲でも、あちこちで言葉を交わしたお遍路さんの大多数は、「渡し船以外の交通機関は利用しない」ことを鉄則としていました。「指定した地点まで車で送り迎えしてくれる宿」があっても、そんなサービスは言下に断わっていました。
「四月初めから六月初旬」という、一年中でお遍路さんの一番多い時期に遍路道を歩いたと言う「黛まどか」に
〈真摯に歩き遍路をする人と遭遇して自分のしていることとの違いを知る機会が無かった〉
はずはありません。
〈自分の足で歩かず車に乗った〉と書いている「
海部から尾崎までの約33km」と「
愛媛県津島町の手前の四キロ」を「繋ぐ」ために後日「区切った地点に戻って歩く」ことと「歩き通す」こととは違います。
「黛まどか」は、「歩き通す」という言葉を「意図的に誤用」しているのです。意図的な誤用は、詐称以外の何物でもありません。
些末なこと「黛まどか」のFacebookの記事「
遍路通信36」は、著作と同様、勝手な思い込みが満載です。
例えば
「
通し遍路さんは荷物が大きいので一目でわかります」
と書いていますね。
F爺の経験では、「通し打ちを目指すお遍路さん」と「既に一度以上どこかで区切ったお遍路さん」を荷物の大きさで見分けることは不可能です。
「40~50日歩き続ける覚悟のお遍路さん」と「一週間だけ歩く予定のお遍路さん」も荷物の大きさだけでは区別がつきません。
もしも、万が一、F爺がいつも通りの有るか無しかの荷物で遍路道を歩いているのを「黛まどか」が見かけることがあったら、
「あれは、お遍路さんじゃない。その辺の暇な爺さんが散歩しているだけだ」
と思い込むことでしょう。
後の祭り「黛まどか」は、初めから正直に
「脚の故障のせいで通し打ちは出来なくなってしまったけれども、後日、区切った所に戻り、穴埋めをするために歩き繋ぐ。区切り打ちだからと言って『通し打ち』よりも価値が低いということにはならない」
と書けば良かったのです。
でも、もう、後の祭りです。「黛まどか」は、ツイートや著書を使って、自分で自分に「詐称遍路」の烙印を捺(お)したのです。
追記 2018年11月4日
「黛まどか」が高知県窪川でも遍路を中断していたことが判りました。
高知県四万十市にお住いの田中全さんのブログの2017年11月19日付けの記事に、こう書いてあります。
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まどかさんは四月五日、徳島の一番札所霊山寺をスタート。最初は仲間数人と歩いていたが、途中から和田さんと二人きりになった。高知県に入る手前では、足が腫れて病院に行ったそうだが、それでも歩き続け窪川の三十七番岩本寺に着いた。
そこで、どうしてもはずせない仕事があって一週間ほど東京に戻っていたが、五月二日から再開し、最初は伊与喜に泊まったという。
*****
この一事だけでも、「黛まどか」の行なったのは区切り打ちだと断定できます。それも未完のままです。決して、通し打ちではありません。
田中全さんは、四万十市の元市長です。実名でブログを運営していらっしゃいます。「黛まどか」の著書『奇跡の四国遍路』(中公新書ラクレ、2018年)の巻末の謝辞のページにお名前が載っています。事実無根のことをお書きになるはずがありません。