コメント
感覚の取り戻し?
「れる、られる」の疑似自発や疑似受動態に対する感じ方についてなのですが、この記事や「再構成した日本語文法」を読む前までは、違和感を感じずに過ごしていました。
正確には、記事や本を読んでも、数か月前までは(具体的にいつまでかは覚えていません)、あまり意識していなかったと思います。
ただ、ここ数か月の間でいつの間にか、疑似自発や疑似受動態に対して強い違和感を抱くようになりました。
「正常な感覚を取り戻したのだろうか」と思う一方で、今まで疑似受動態や疑似自発で表現していた文章をどう表現し直すかで、頭を悩ますときもあります。
この辺りは、主体の明示や類似表現に置き換えつつ、日本語の語彙を勉強すれば、何とかやっていけると思っています。
正確には、記事や本を読んでも、数か月前までは(具体的にいつまでかは覚えていません)、あまり意識していなかったと思います。
ただ、ここ数か月の間でいつの間にか、疑似自発や疑似受動態に対して強い違和感を抱くようになりました。
「正常な感覚を取り戻したのだろうか」と思う一方で、今まで疑似受動態や疑似自発で表現していた文章をどう表現し直すかで、頭を悩ますときもあります。
この辺りは、主体の明示や類似表現に置き換えつつ、日本語の語彙を勉強すれば、何とかやっていけると思っています。
Re: 感覚の取り戻し?
U川さん
>ここ数か月の間でいつの間にか、疑似自発や疑似受動態に対して強い違和感を抱くようになりました。
『再構築した日本語文法』を書き、このブログを開設した甲斐がありました。U川さんのように正常な日本語感覚を取り戻す方が少しずつでも増えて行きますように。
>今まで疑似受動態や疑似自発で表現していた文章をどう表現し直すかで、頭を悩ますときもあります。 この辺りは、主体の明示や類似表現に置き換えつつ、日本語の語彙を勉強すれば、何とかやっていけると思っています。
その通りです。「主体を明示する」または「主体を明示する必要が無いから『てある』という形態を使用する」などのやり方で解決できます。
>ここ数か月の間でいつの間にか、疑似自発や疑似受動態に対して強い違和感を抱くようになりました。
『再構築した日本語文法』を書き、このブログを開設した甲斐がありました。U川さんのように正常な日本語感覚を取り戻す方が少しずつでも増えて行きますように。
>今まで疑似受動態や疑似自発で表現していた文章をどう表現し直すかで、頭を悩ますときもあります。 この辺りは、主体の明示や類似表現に置き換えつつ、日本語の語彙を勉強すれば、何とかやっていけると思っています。
その通りです。「主体を明示する」または「主体を明示する必要が無いから『てある』という形態を使用する」などのやり方で解決できます。
『再構築した日本語文法』の感想(再投稿)
(このコメントは「ひらがな入力の勧め(続々)http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-227.html」)に投稿したコメントの再投稿です。)
本を再読しているうちに三ヶ月も経ってしました。遅くなりましたが、「再構築した日本語」の感想をお伝えいたします。
いずれも興味深い内容だったのですが、とりわけ日本語の「~れる・られる」には情動を表す機能があり、これは西ヨーロッパ印欧諸語の「受動態」とは異なるものであるという解説には驚嘆いたしました。恥ずかしながら、それまで日本語の「弟にお菓子を食べられた」といった類の文に情動があることを全く意識していなかったし、学校教育で染みついた習慣か、英語やドイツ語などの「受動態」の文章は、「~れる・~られる」と訳すのが当然で、意味も似たようなものだろうと思い込んでいたからです。読み終えた後、今まで習ってきたことはなんであったのか、日本語話者でありながら日本語のことを何も分かっていなかったのではないか、と血の気が引きました。この本が無ければ、生涯気づくことがなかったかもしれません。
この他にも、日本語の動詞に時制が無いという説明や、曖昧な「自動詞・他動詞」いう分類を排除しているところなど、様々なところで感銘を受けました。そういったものについても具体的な感想をお伝えしたかったのですが、まだ本当に理解できてるかどうか自信が無く、一体どう感銘を受けたのか、書き認めることができませんでした。申し訳ありません。
本を再読しているうちに三ヶ月も経ってしました。遅くなりましたが、「再構築した日本語」の感想をお伝えいたします。
いずれも興味深い内容だったのですが、とりわけ日本語の「~れる・られる」には情動を表す機能があり、これは西ヨーロッパ印欧諸語の「受動態」とは異なるものであるという解説には驚嘆いたしました。恥ずかしながら、それまで日本語の「弟にお菓子を食べられた」といった類の文に情動があることを全く意識していなかったし、学校教育で染みついた習慣か、英語やドイツ語などの「受動態」の文章は、「~れる・~られる」と訳すのが当然で、意味も似たようなものだろうと思い込んでいたからです。読み終えた後、今まで習ってきたことはなんであったのか、日本語話者でありながら日本語のことを何も分かっていなかったのではないか、と血の気が引きました。この本が無ければ、生涯気づくことがなかったかもしれません。
この他にも、日本語の動詞に時制が無いという説明や、曖昧な「自動詞・他動詞」いう分類を排除しているところなど、様々なところで感銘を受けました。そういったものについても具体的な感想をお伝えしたかったのですが、まだ本当に理解できてるかどうか自信が無く、一体どう感銘を受けたのか、書き認めることができませんでした。申し訳ありません。
Re: 『再構築した日本語文法』の感想(再投稿)
河畑さん
再投稿、ありがとうございます。お手数かけました。
>とりわけ日本語の「~れる・られる」には情動を表す機能があり、これは西ヨーロッパ印欧諸語の「受動態」とは異なるものであるという解説には驚嘆いたしました。恥ずかしながら、それまで日本語の「弟にお菓子を食べられた」といった類の文に情動があることを全く意識していなかったし、学校教育で染みついた習慣か、英語やドイツ語などの「受動態」の文章は、「~れる・~られる」と訳すのが当然で、意味も似たようなものだろうと思い込んでいたからです。
「それまで(・・・)情動があることを全く意識していなかった」けれども今は意識できて理解も出来るのですね。母言語って、そういうものなのです。意識しなくても正しく使えるのです。
河畑さんとは逆方向の「発見」をなさった読者の方々もいらっしゃいます。
「英語やフランス語の受動態にも情動があるとばかり思っていたので驚いた」
とおっしゃいます。
〈ヨーロッパ諸語では、「(ある人が僕を)殴った」と「(ある人に僕が)殴られた」の違いは、能動態と受動態の使い分けで訳し分けることは出来ない〉
ことをご存じなかったそうです。
日本の学校の外国語の授業では、「受動態」の本質を教えていないのです。教師自身が習っていないし知らないのだから教えろと言われても無理なのです。
それに、日本の学校の「国語」の授業では、「受け身」の本質を教えていません。日本語教育と外国語教育の両方が非常に不完全で未熟なのです。
「~れる・られる」については、よく噛み砕いた分かりやすい説明を数篇の記事に分けて書こうと思います。構想を練るのにしばらく時間がかかると思いますので、気長にお待ちください。
日本語の動詞や形容詞に時制が無いことなどについても、何かに気が付いた時に、またご質問があるときに、気軽に少しずつコメントをいただければ幸いです。
再投稿、ありがとうございます。お手数かけました。
>とりわけ日本語の「~れる・られる」には情動を表す機能があり、これは西ヨーロッパ印欧諸語の「受動態」とは異なるものであるという解説には驚嘆いたしました。恥ずかしながら、それまで日本語の「弟にお菓子を食べられた」といった類の文に情動があることを全く意識していなかったし、学校教育で染みついた習慣か、英語やドイツ語などの「受動態」の文章は、「~れる・~られる」と訳すのが当然で、意味も似たようなものだろうと思い込んでいたからです。
「それまで(・・・)情動があることを全く意識していなかった」けれども今は意識できて理解も出来るのですね。母言語って、そういうものなのです。意識しなくても正しく使えるのです。
河畑さんとは逆方向の「発見」をなさった読者の方々もいらっしゃいます。
「英語やフランス語の受動態にも情動があるとばかり思っていたので驚いた」
とおっしゃいます。
〈ヨーロッパ諸語では、「(ある人が僕を)殴った」と「(ある人に僕が)殴られた」の違いは、能動態と受動態の使い分けで訳し分けることは出来ない〉
ことをご存じなかったそうです。
日本の学校の外国語の授業では、「受動態」の本質を教えていないのです。教師自身が習っていないし知らないのだから教えろと言われても無理なのです。
それに、日本の学校の「国語」の授業では、「受け身」の本質を教えていません。日本語教育と外国語教育の両方が非常に不完全で未熟なのです。
「~れる・られる」については、よく噛み砕いた分かりやすい説明を数篇の記事に分けて書こうと思います。構想を練るのにしばらく時間がかかると思いますので、気長にお待ちください。
日本語の動詞や形容詞に時制が無いことなどについても、何かに気が付いた時に、またご質問があるときに、気軽に少しずつコメントをいただければ幸いです。
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Re: ある参院選候補者の言語感覚
「猫またぎ」さん
初投稿、ありがとうございます。このブログでは、記事の掲載時期の如何に拘わらずコメント投稿を受け付けております。記事は、発表時期が異なっていても、全て「今」有効なのです。
日本語の誤用についてF爺の気付いていない現象をお知らせくださって、ありがとうございます。ただ、ご投稿のコメントを表示するに当たっては、問題が二つあります。
一つ、「○○菌」「△△兵器」「□□システム」などは、F爺には初耳の言葉です。何のことなのか皆目見当が付きません。良く調べてからでなくては何も申し上げられません。長期休暇のため出発準備をしている今の時期にそのための時間は取れません。
二つ、話題になさっている人物も、F爺は全く存じません。その人物の日本語の話し方にどの程度「影響力」があるのかの判断も不可能です。
こういう事情のため、ご投稿のコメントは暫定的に非表示のままにしておきます。秋に帰仏後、しばらく経ってから改めて検討しますのでご諒承下さい。
ただ、次のことだけは、今すぐに明言できます。
「猫またぎ」さんが話題になさっている人物の用いる表現は、おっしゃる通り、放任してはならない重大な誤用です。
初投稿、ありがとうございます。このブログでは、記事の掲載時期の如何に拘わらずコメント投稿を受け付けております。記事は、発表時期が異なっていても、全て「今」有効なのです。
日本語の誤用についてF爺の気付いていない現象をお知らせくださって、ありがとうございます。ただ、ご投稿のコメントを表示するに当たっては、問題が二つあります。
一つ、「○○菌」「△△兵器」「□□システム」などは、F爺には初耳の言葉です。何のことなのか皆目見当が付きません。良く調べてからでなくては何も申し上げられません。長期休暇のため出発準備をしている今の時期にそのための時間は取れません。
二つ、話題になさっている人物も、F爺は全く存じません。その人物の日本語の話し方にどの程度「影響力」があるのかの判断も不可能です。
こういう事情のため、ご投稿のコメントは暫定的に非表示のままにしておきます。秋に帰仏後、しばらく経ってから改めて検討しますのでご諒承下さい。
ただ、次のことだけは、今すぐに明言できます。
「猫またぎ」さんが話題になさっている人物の用いる表現は、おっしゃる通り、放任してはならない重大な誤用です。
承認待ちコメント
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Re: 補足致します
「猫またぎ」さん
再度のご投稿、特に擬似科学(= 似非科学)を明確に否定するご意見、ありがとうございます。二通のコメントを合せて、帰仏後、時差ボケが消え、新学期の多忙な時期が終わった頃、検討いたします。
申し訳ございませんが、暫定的に二通とも非表示のままでお待ちいただくことになります。ご諒承下さいませ。
再度のご投稿、特に擬似科学(= 似非科学)を明確に否定するご意見、ありがとうございます。二通のコメントを合せて、帰仏後、時差ボケが消え、新学期の多忙な時期が終わった頃、検討いたします。
申し訳ございませんが、暫定的に二通とも非表示のままでお待ちいただくことになります。ご諒承下さいませ。
Re: ある参院選候補者の言語感覚
「猫またぎ」さん
大変長らくお待たせしました。
ご報告くださった表現は、おっしゃる通り、誤用です。目障り、耳障りです。しかし、今のところ『F爺・小島剛一のブログ』では取り上げないほうが良い、という結論になりました。理由は、主に二つあって、次の通りです。
[1] すでにウェブ上に批判が出ている。詳しいことを知らないF爺が早急にこの問題に取りかかる必要は無い。
[2] F爺の耳に入るほどの頻度では使用する人がいない。取り上げた場合、宣伝することになって、逆に使用者を増やしてしまう結果になりかねない。
そのうちに、一般論として、「○○という種類の動詞から可能動詞が派生することは無い」ことを記事にするかもしれません。間接的に批判したことになります。
ご満足の行く返信ではないかもしれませんが、ご諒承ください。
大変長らくお待たせしました。
ご報告くださった表現は、おっしゃる通り、誤用です。目障り、耳障りです。しかし、今のところ『F爺・小島剛一のブログ』では取り上げないほうが良い、という結論になりました。理由は、主に二つあって、次の通りです。
[1] すでにウェブ上に批判が出ている。詳しいことを知らないF爺が早急にこの問題に取りかかる必要は無い。
[2] F爺の耳に入るほどの頻度では使用する人がいない。取り上げた場合、宣伝することになって、逆に使用者を増やしてしまう結果になりかねない。
そのうちに、一般論として、「○○という種類の動詞から可能動詞が派生することは無い」ことを記事にするかもしれません。間接的に批判したことになります。
ご満足の行く返信ではないかもしれませんが、ご諒承ください。
No title
了解致しました。今のところ確かに影響度の大きさという点で取り上げるほどのものではないという気がします。また気にかかる表現がありましたらお知らせします。
Re: No title
「猫またぎ」さん
ご理解、ありがとうございます。
次のコメントをお待ちしております。擬似科学を宣伝するような人物の発言とは無縁の例をお願いします。
ご理解、ありがとうございます。
次のコメントをお待ちしております。擬似科学を宣伝するような人物の発言とは無縁の例をお願いします。
「行われる」という見出し語
いくつかの「国語辞典」に「行われる」という見出し語が載っています。このことに関して疑問を抱いており、ご意見をお伺いしたく思います。
手許にある『旺文社国語辞典第十一版』は、次のように語義を説明しています。
おこなわ・れる【行われる・(行なわれる)】(「行う」の受身の形から)世間に広く行き渡る。流行する。「世に行われる習わし」
「コトバンク」の『大辞林第三版』には、
広く世の中にゆきわたる。はやる。もてはやされる。 「この説が今は行われている」
とあります。接辞の「-れる」の用法では説明できない(誰も想像できない)意味だからこそ、見出し語にしているのだと思います。
動詞に「-れる」をくっつけているのに、「-れる」の用法では説明できない意味・・・端的に言って、この「行われる」は誤用ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
手許にある『旺文社国語辞典第十一版』は、次のように語義を説明しています。
おこなわ・れる【行われる・(行なわれる)】(「行う」の受身の形から)世間に広く行き渡る。流行する。「世に行われる習わし」
「コトバンク」の『大辞林第三版』には、
広く世の中にゆきわたる。はやる。もてはやされる。 「この説が今は行われている」
とあります。接辞の「-れる」の用法では説明できない(誰も想像できない)意味だからこそ、見出し語にしているのだと思います。
動詞に「-れる」をくっつけているのに、「-れる」の用法では説明できない意味・・・端的に言って、この「行われる」は誤用ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
Re: 「行われる」という見出し語
「みやゆふ」さん
おっしゃる通り、誤用です。
近頃の辞書制作者の日本語感覚は、変ですね。「存在するものを全て受容する主義」なのでしょうか。
F爺は、随分前から、例えばコトバンクの記載http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1219.htmlは全然信用できないと見極めています。真偽を検証する努力を怠ってあちこちから無定見に「引用」しているだけなのです。
おっしゃる通り、誤用です。
近頃の辞書制作者の日本語感覚は、変ですね。「存在するものを全て受容する主義」なのでしょうか。
F爺は、随分前から、例えばコトバンクの記載http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1219.htmlは全然信用できないと見極めています。真偽を検証する努力を怠ってあちこちから無定見に「引用」しているだけなのです。