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新情報です
「10/6」の記事は当初2篇アップロードされていましたが、今は1篇のみとなっています。単に向こうのミスだったらしいです。それはともかく、「E婆」のブログによると、当記事「標本Mの負け惜しみ」に対して、「10/8」という題名で「標本Mの負け惜しみ 読むのに値しない記事です。0点。」としか書いていません。何も反論ができないのでしょう。
その代わりと言いますか、「10/6」の記事を加筆していて、そこで記事を非公開にしていた理由を書いています。「F爺さんを悪く書いてあるから、いまさら公開しておくのも申し訳ないなあ、ご本人は読んでしまわれたことだろうから、もう非公開でもいいや、という程度です。そもそもF爺さんの休暇中にすべてプライベートにしたのはせっかく休暇中なのにこういう批判記事はよくないなあと自粛したんです」とのことです。
そして、再度「F爺さんという人に読んでもらえたらそれでいいわけです」とか「すべては、F爺さんを叱咤激励するためです。言語学にもどってもらうためです」と書いています。さらに、「いまの中学生はもっと文章の上手い子がいる」らしいです。
正確な日本語に翻訳すると、「私は小島剛一より遥かに格上の人間だ。私より格下で言語学しか取り柄の無い小島剛一は、私の言う通りに従って言語学の記事だけ書いていれば良いのだ。生意気にも他の分野で口出しするから馬鹿を晒すことになるのだ。お前は中学生より文章を書くのが下手なのだから、私の言う事に逆らうと惨めな人生になるぞ」となりそうです。誹謗中傷をしているという認識が全く無いようで、正気の沙汰とは思えません。本気でF爺さんを見下してるようで、この優越感がどこから出てくるのか、まったく理解できません。ネット上でストーカー行為を働くサイバーストーカーにも見えます。
ちなみに、「黛まどか」については「俳人というよりはたしか日本語オペラ台本を書いた人として私は認識しています。上手だと思いますよ。だけど私は深くは読んだことがありません」と書いています。言語感覚は極めて歪んでいるようです。また、ブログ主が標本Mかどうかは一切書いていません。
その代わりと言いますか、「10/6」の記事を加筆していて、そこで記事を非公開にしていた理由を書いています。「F爺さんを悪く書いてあるから、いまさら公開しておくのも申し訳ないなあ、ご本人は読んでしまわれたことだろうから、もう非公開でもいいや、という程度です。そもそもF爺さんの休暇中にすべてプライベートにしたのはせっかく休暇中なのにこういう批判記事はよくないなあと自粛したんです」とのことです。
そして、再度「F爺さんという人に読んでもらえたらそれでいいわけです」とか「すべては、F爺さんを叱咤激励するためです。言語学にもどってもらうためです」と書いています。さらに、「いまの中学生はもっと文章の上手い子がいる」らしいです。
正確な日本語に翻訳すると、「私は小島剛一より遥かに格上の人間だ。私より格下で言語学しか取り柄の無い小島剛一は、私の言う通りに従って言語学の記事だけ書いていれば良いのだ。生意気にも他の分野で口出しするから馬鹿を晒すことになるのだ。お前は中学生より文章を書くのが下手なのだから、私の言う事に逆らうと惨めな人生になるぞ」となりそうです。誹謗中傷をしているという認識が全く無いようで、正気の沙汰とは思えません。本気でF爺さんを見下してるようで、この優越感がどこから出てくるのか、まったく理解できません。ネット上でストーカー行為を働くサイバーストーカーにも見えます。
ちなみに、「黛まどか」については「俳人というよりはたしか日本語オペラ台本を書いた人として私は認識しています。上手だと思いますよ。だけど私は深くは読んだことがありません」と書いています。言語感覚は極めて歪んでいるようです。また、ブログ主が標本Mかどうかは一切書いていません。
Re: 新情報です
チョルスさん
ご報告、ありがとうございます。「馬鹿に付ける薬は無い」とは、昔の人は良く言ったものですね。
「歪曲引用犯M」
=「病人M」
=「 誹謗中傷ブログの運営者E婆」
=「狭量爺い・惚け老人・クソバカ爺い・ばか・バカ・きちがい・・・連呼先生」
=「標本M」
に付ける薬はありません。自分がどれほど愚かであり支離滅裂であり軽蔑されているかを認識しないで済ませようと懸命の努力をしています。でも、全て無駄です。
>「標本Mの負け惜しみ 読むのに値しない記事です。0点。」としか書いていません。何も反論ができないのでしょう。
おっしゃる通りです。このブログ記事〈標本Mの負け惜しみ〉に反論の余地は、どこにもありません。尊称の使い方も知らない日本語不全症の「標本M」の「採点」など、誰が賛同すると妄想しているのでしょう。「読むのに値しない」のは、「標本M」のブログのほうです。
>誹謗中傷をしているという認識が全く無いようで、正気の沙汰とは思えません。
いや、コメントの第二段落の引用を見ると、
「F爺を悪く書いてある」ことや
「こういう(・・・)記事を書くのはよくない」
ということは認識していますよ。
勿論、自分のしていることがF爺に対する誹謗中傷と侮辱の試みであって「批判」ではないということ、まして絶対に「激励」などではないことも、認識しています。それを何とかして公には認めまいと意地を張っているだけです。
それにしても「ご本人は読んでしまわれたことだろう」は、傑作です。嫌がらせコメントをどこから発信しても直(ただ)ちに再投稿拒否設定をされると確認した時点で、常人なら「決して読んではもらえない」と認識するものなのですが、狂犬の心理は推測不可能です。
それでなくても、ただただF爺を貶めるだけのために嘘八百を並べ立て、無い瑕疵を捏造してまで「嘘吐き呼ばわり」その他、考え付く限りの悪罵を繰り返した文書を当のF爺に全部読んでもらおうというのは、まさに自己中心主義の極みの馬鹿で気違いです。
「標本M」の主張は、常に論理が破綻しています。
>そして、再度「F爺さんという人に読んでもらえたらそれでいいわけです」とか「すべては、F爺さんを叱咤激励するためです。言語学にもどってもらうためです」と書いています。
F爺が明確に
〈馬鹿で気違いの「標本M」の書く誹謗中傷ブログなど訪問したことは無い〉
〈今後も訪問する気は無い〉
〈「叱咤激励」という超・上から目線の態度は無礼千万〉
〈どんな分野のことを書くのも各ブロガーの自由。匿名の赤の他人は口を出すな〉
と言っているのに、何も理解したがらないのです。
>「いまの中学生はもっと文章の上手い子がいる」らしいです。
へええ、そうなんですか!? 馬鹿で気違いの「標本M」は、きっと、何百万人もの中学生と付き合いがあって、その中に天才的な子を少なくとも一人は見つけたのでしょうね。事実なら是非とも証明してもらいたいものです!
・・・とは言っても、引用の仕方も弁えず、尊称の使い方も知らず、論理の破綻した文字列しか並べることの出来ない日本語不全症の「標本M」に他人の文章の上手下手を論ずる資格は、芥子粒(けしつぶ)ほどもありません。
>正気の沙汰とは思えません。本気でF爺さんを見下してるようで、この優越感がどこから出てくるのか、まったく理解できません。
いやいや、チョルスさん、「標本M」が並べている文字列を字義どおりに受け取ってはいけません。「標本M」は、自分が完敗したことを、実は、初めから、知っています。
歪曲引用・歪曲要約を指摘された後の開き直りと罵倒の試みも、
夥(おびただ)しい嫌がらせコメントの投稿も、
毎日毎日飽きもせずに続けている誹謗中傷ブログの制作も、
「採点ごっこ」も、
傲岸不遜な「叱咤激励」云々も、
F爺の文章に無い瑕疵を見つけたつもりになって有頂天になるのも、
F爺の文章に無い瑕疵を捏造して中傷するのも、
言い訳がましいことを「10/8」と題した記事に書いたのも、
全ては、癒しようの無い劣等感が動機なのです。
自分の犯した組織的・体系的な歪曲引用・歪曲要約を指摘されたときに、非を認めて素直に謝罪し、問題の記事全篇を削除するという健全な対処法を取ることの出来なかった極度にいじけた性格なのです。
>ちなみに、「黛まどか」については「俳人というよりはたしか日本語オペラ台本を書いた人として私は認識しています。上手だと思いますよ。だけど私は深くは読んだことがありません」と書いています。
「深くは読んだことがありません」というのが本当なら、どうして、F爺が「黛まどか」の欺瞞を指摘する記事を書く度に、正当なことを言っているF爺のほうを中傷する記事を書いたのでしょう。
「黛まどか」の書いた何かを評して日本語不全症患者が「上手だと思いますよ」と言っても、誰も真に受けはしませんよね。
>言語感覚は極めて歪んでいるようです。
言語感覚も、性格も、倫理感覚も、全て極度に歪んでいます。
>また、ブログ主が標本Mかどうかは一切書いていません。
反論できないのです。どうせ、否定しても無駄です。
ご報告、ありがとうございます。「馬鹿に付ける薬は無い」とは、昔の人は良く言ったものですね。
「歪曲引用犯M」
=「病人M」
=「 誹謗中傷ブログの運営者E婆」
=「狭量爺い・惚け老人・クソバカ爺い・ばか・バカ・きちがい・・・連呼先生」
=「標本M」
に付ける薬はありません。自分がどれほど愚かであり支離滅裂であり軽蔑されているかを認識しないで済ませようと懸命の努力をしています。でも、全て無駄です。
>「標本Mの負け惜しみ 読むのに値しない記事です。0点。」としか書いていません。何も反論ができないのでしょう。
おっしゃる通りです。このブログ記事〈標本Mの負け惜しみ〉に反論の余地は、どこにもありません。尊称の使い方も知らない日本語不全症の「標本M」の「採点」など、誰が賛同すると妄想しているのでしょう。「読むのに値しない」のは、「標本M」のブログのほうです。
>誹謗中傷をしているという認識が全く無いようで、正気の沙汰とは思えません。
いや、コメントの第二段落の引用を見ると、
「F爺を悪く書いてある」ことや
「こういう(・・・)記事を書くのはよくない」
ということは認識していますよ。
勿論、自分のしていることがF爺に対する誹謗中傷と侮辱の試みであって「批判」ではないということ、まして絶対に「激励」などではないことも、認識しています。それを何とかして公には認めまいと意地を張っているだけです。
それにしても「ご本人は読んでしまわれたことだろう」は、傑作です。嫌がらせコメントをどこから発信しても直(ただ)ちに再投稿拒否設定をされると確認した時点で、常人なら「決して読んではもらえない」と認識するものなのですが、狂犬の心理は推測不可能です。
それでなくても、ただただF爺を貶めるだけのために嘘八百を並べ立て、無い瑕疵を捏造してまで「嘘吐き呼ばわり」その他、考え付く限りの悪罵を繰り返した文書を当のF爺に全部読んでもらおうというのは、まさに自己中心主義の極みの馬鹿で気違いです。
「標本M」の主張は、常に論理が破綻しています。
>そして、再度「F爺さんという人に読んでもらえたらそれでいいわけです」とか「すべては、F爺さんを叱咤激励するためです。言語学にもどってもらうためです」と書いています。
F爺が明確に
〈馬鹿で気違いの「標本M」の書く誹謗中傷ブログなど訪問したことは無い〉
〈今後も訪問する気は無い〉
〈「叱咤激励」という超・上から目線の態度は無礼千万〉
〈どんな分野のことを書くのも各ブロガーの自由。匿名の赤の他人は口を出すな〉
と言っているのに、何も理解したがらないのです。
>「いまの中学生はもっと文章の上手い子がいる」らしいです。
へええ、そうなんですか!? 馬鹿で気違いの「標本M」は、きっと、何百万人もの中学生と付き合いがあって、その中に天才的な子を少なくとも一人は見つけたのでしょうね。事実なら是非とも証明してもらいたいものです!
・・・とは言っても、引用の仕方も弁えず、尊称の使い方も知らず、論理の破綻した文字列しか並べることの出来ない日本語不全症の「標本M」に他人の文章の上手下手を論ずる資格は、芥子粒(けしつぶ)ほどもありません。
>正気の沙汰とは思えません。本気でF爺さんを見下してるようで、この優越感がどこから出てくるのか、まったく理解できません。
いやいや、チョルスさん、「標本M」が並べている文字列を字義どおりに受け取ってはいけません。「標本M」は、自分が完敗したことを、実は、初めから、知っています。
歪曲引用・歪曲要約を指摘された後の開き直りと罵倒の試みも、
夥(おびただ)しい嫌がらせコメントの投稿も、
毎日毎日飽きもせずに続けている誹謗中傷ブログの制作も、
「採点ごっこ」も、
傲岸不遜な「叱咤激励」云々も、
F爺の文章に無い瑕疵を見つけたつもりになって有頂天になるのも、
F爺の文章に無い瑕疵を捏造して中傷するのも、
言い訳がましいことを「10/8」と題した記事に書いたのも、
全ては、癒しようの無い劣等感が動機なのです。
自分の犯した組織的・体系的な歪曲引用・歪曲要約を指摘されたときに、非を認めて素直に謝罪し、問題の記事全篇を削除するという健全な対処法を取ることの出来なかった極度にいじけた性格なのです。
>ちなみに、「黛まどか」については「俳人というよりはたしか日本語オペラ台本を書いた人として私は認識しています。上手だと思いますよ。だけど私は深くは読んだことがありません」と書いています。
「深くは読んだことがありません」というのが本当なら、どうして、F爺が「黛まどか」の欺瞞を指摘する記事を書く度に、正当なことを言っているF爺のほうを中傷する記事を書いたのでしょう。
「黛まどか」の書いた何かを評して日本語不全症患者が「上手だと思いますよ」と言っても、誰も真に受けはしませんよね。
>言語感覚は極めて歪んでいるようです。
言語感覚も、性格も、倫理感覚も、全て極度に歪んでいます。
>また、ブログ主が標本Mかどうかは一切書いていません。
反論できないのです。どうせ、否定しても無駄です。
Re: Re: 新情報です
チョルスさん
追伸です。前便に書き忘れたことがありました。
「標本M」(= E婆)のブログの記載が悪辣な誹謗中傷でしかないことの証明の一例として「京都の東寺の立看板の件」を挙げました。
ところが、「E婆」は、自分の悪意そのものの主張が100%間違っていることを反論の余地の無い形で指摘されたのに、非を認めようとしません。勿論、謝罪もしていません。この卑劣な態度が、「標本M/E」の性格の根幹なのです。
お知らせくださった記事に書いてあることも、それ以前の150篇以上の悪罵記事の記載も、典型的な「負け犬の遠吠え」です。
「標本M/E」は、
【負け犬が匿名の陰に隠れて何を言ってもF爺が聞くことは無い】
そして、そもそも
【匿名投稿者は、実名で発言している相手と対等の立場にはない】
という基本的なことさえ理解できない馬鹿です。
追伸です。前便に書き忘れたことがありました。
「標本M」(= E婆)のブログの記載が悪辣な誹謗中傷でしかないことの証明の一例として「京都の東寺の立看板の件」を挙げました。
ところが、「E婆」は、自分の悪意そのものの主張が100%間違っていることを反論の余地の無い形で指摘されたのに、非を認めようとしません。勿論、謝罪もしていません。この卑劣な態度が、「標本M/E」の性格の根幹なのです。
お知らせくださった記事に書いてあることも、それ以前の150篇以上の悪罵記事の記載も、典型的な「負け犬の遠吠え」です。
「標本M/E」は、
【負け犬が匿名の陰に隠れて何を言ってもF爺が聞くことは無い】
そして、そもそも
【匿名投稿者は、実名で発言している相手と対等の立場にはない】
という基本的なことさえ理解できない馬鹿です。
新しい負け惜しみ
小島剛一様 チョルス様
先ほど「標本M」のブログを見たところ、10月8日付の記事に新しい内容が付け足してありました。
その内容ですが、「文章で以て他人と論争して批判する時には敬称を付けるのが私の中で常識だから、『黛まどか』に『さん』付けしろ」、「F爺は言語学の事だけを書いていればいい」、「コメント投稿の常連者が、『カテゴリ:医学:献体と解剖実習』にまともなコメントを残すか否か、私自ら見てやる」と要約することが出来ます。
恥知らずで傲慢だから自分の非を認めて謝罪する内容が一切ないのは今更ですが、「標本M」のブログを見ていて新たに気付いたことが1つあります。「標本Mがブログ記事の内容を追記・修正する際、書き換えた日時を一切記さない」ということです。これは、標本Mが一見のブログ読者を騙すために意図的に行っている、非常に愚劣で悪質な行為だとS.Solaは見ています。
先ほど「標本M」のブログを見たところ、10月8日付の記事に新しい内容が付け足してありました。
その内容ですが、「文章で以て他人と論争して批判する時には敬称を付けるのが私の中で常識だから、『黛まどか』に『さん』付けしろ」、「F爺は言語学の事だけを書いていればいい」、「コメント投稿の常連者が、『カテゴリ:医学:献体と解剖実習』にまともなコメントを残すか否か、私自ら見てやる」と要約することが出来ます。
恥知らずで傲慢だから自分の非を認めて謝罪する内容が一切ないのは今更ですが、「標本M」のブログを見ていて新たに気付いたことが1つあります。「標本Mがブログ記事の内容を追記・修正する際、書き換えた日時を一切記さない」ということです。これは、標本Mが一見のブログ読者を騙すために意図的に行っている、非常に愚劣で悪質な行為だとS.Solaは見ています。
Re: 新しい負け惜しみ
S.Sola君
新たなご報告、ありがとうございます。
>「標本Mがブログ記事の内容を追記・修正する際、書き換えた日時を一切記さない」ということです。これは、標本Mが一見[(いちげん)]のブログ読者を騙すために意図的に行っている、非常に愚劣で悪質な行為だとS.Solaは見ています。
F爺が新しいカテゴリー「医学・献体と解剖実習」の第一号の記事を掲載したのは10日10日です。「標本M」がそのカテゴリーのことを自分のブログの10月8日付けの記事に書いたら、読者に何の説明もしないで10日10日以降に追記したことが明白ですね。ごく僅かしかいない訪問者に意図を怪しまれ軽蔑されるという認識は無いのでしょう。
(F爺も、誤打鍵や誤変換、脱字などの細かい修正は、いちいち追記しません。次元の異なることです)
>「コメント投稿の常連者が、『カテゴリ:医学:献体と解剖実習』にまともなコメントを残すか否か、私自ら見てやる」と要約することが出来ます。
F爺のブログの特定のカテゴリーの記事に常連投稿者がコメントを付けるか否かを卑劣で傲慢で馬鹿で気違いの「標本M」が「自ら見てやる」ことに何の意味もあり得ません。新種の戯言(たわごと)です。そんなことは、誰も気にも掛けませんよね。公開ブログですから、誰が訪問するのも自由です。
それに、特定のコメントが「まともであるかどうか」を判断する能力は、まともな文章を書く能力の無い「標本M」にはありません。
>「文章で以て他人と論争して批判する時には敬称を付けるのが私の中で常識だから、『黛まどか』に『さん』付けしろ」(・・・) と要約することが出来ます。
〈他人の文章を引用する際に一字一句も改竄・歪曲してはならない〉
〈要約したつもりで真逆のことを書いてはならない〉
ということさえ知らない非常識な「標本M」が何かを常識だと思い込んでいるとして、それが何だと言うのでしょう。
F爺は「黛まどか」と「論争」などしてはいないのです。「黛まどか」の文章に現われる歴然たる虚報、捏造語源説、テニヲハの間違い、語義の取り違え、事実ではあり得ないことの描写、辻褄の合わない主張などを指摘しているだけです。「黛まどか」宛てに書状を認(したた)めているのではありません。
「標本M」は、大江健三郎や村上春樹を批判する全ての人にも、一人一人に宛ててブログ記事を書いて、馴れ馴れしく「さん」付けしろと「叱咤激励」しているのでしょうか。
>「F爺は言語学の事だけを書いていればいい」
ブロガーが自分のブログに何を書くかは、当のブロガーが、そしてそのブロガーだけが、決めることです。他人がとやかく言うことではありません。特に「標本M」のような卑劣で傲慢な馬鹿が口を出すことではありません。特定のブログの内容がつまらないと思ったら、そのブログを訪問しないという選択肢があることを「標本M」は知らないのでしょうね。
F爺は、「標本M」を相手にする気はありませんから、
〈「標本M」は、何ヶ月も何ヶ月も毎日毎日飽きもせずF爺を誹謗中傷する暇があったら、せめて日本語の間違いをしないように少しは気を付ければ良い〉
などと無駄なことは言いません。
「標本M」は、「読むのに値しない」と書いているそうですね。正しくは「読むに値しない」と言うものだと教えてくれる人は、憎まれ口しか利くことのできない「標本M」の近くには一人もいないのでしょうね。
新たなご報告、ありがとうございます。
>「標本Mがブログ記事の内容を追記・修正する際、書き換えた日時を一切記さない」ということです。これは、標本Mが一見[(いちげん)]のブログ読者を騙すために意図的に行っている、非常に愚劣で悪質な行為だとS.Solaは見ています。
F爺が新しいカテゴリー「医学・献体と解剖実習」の第一号の記事を掲載したのは10日10日です。「標本M」がそのカテゴリーのことを自分のブログの10月8日付けの記事に書いたら、読者に何の説明もしないで10日10日以降に追記したことが明白ですね。ごく僅かしかいない訪問者に意図を怪しまれ軽蔑されるという認識は無いのでしょう。
(F爺も、誤打鍵や誤変換、脱字などの細かい修正は、いちいち追記しません。次元の異なることです)
>「コメント投稿の常連者が、『カテゴリ:医学:献体と解剖実習』にまともなコメントを残すか否か、私自ら見てやる」と要約することが出来ます。
F爺のブログの特定のカテゴリーの記事に常連投稿者がコメントを付けるか否かを卑劣で傲慢で馬鹿で気違いの「標本M」が「自ら見てやる」ことに何の意味もあり得ません。新種の戯言(たわごと)です。そんなことは、誰も気にも掛けませんよね。公開ブログですから、誰が訪問するのも自由です。
それに、特定のコメントが「まともであるかどうか」を判断する能力は、まともな文章を書く能力の無い「標本M」にはありません。
>「文章で以て他人と論争して批判する時には敬称を付けるのが私の中で常識だから、『黛まどか』に『さん』付けしろ」(・・・) と要約することが出来ます。
〈他人の文章を引用する際に一字一句も改竄・歪曲してはならない〉
〈要約したつもりで真逆のことを書いてはならない〉
ということさえ知らない非常識な「標本M」が何かを常識だと思い込んでいるとして、それが何だと言うのでしょう。
F爺は「黛まどか」と「論争」などしてはいないのです。「黛まどか」の文章に現われる歴然たる虚報、捏造語源説、テニヲハの間違い、語義の取り違え、事実ではあり得ないことの描写、辻褄の合わない主張などを指摘しているだけです。「黛まどか」宛てに書状を認(したた)めているのではありません。
「標本M」は、大江健三郎や村上春樹を批判する全ての人にも、一人一人に宛ててブログ記事を書いて、馴れ馴れしく「さん」付けしろと「叱咤激励」しているのでしょうか。
>「F爺は言語学の事だけを書いていればいい」
ブロガーが自分のブログに何を書くかは、当のブロガーが、そしてそのブロガーだけが、決めることです。他人がとやかく言うことではありません。特に「標本M」のような卑劣で傲慢な馬鹿が口を出すことではありません。特定のブログの内容がつまらないと思ったら、そのブログを訪問しないという選択肢があることを「標本M」は知らないのでしょうね。
F爺は、「標本M」を相手にする気はありませんから、
〈「標本M」は、何ヶ月も何ヶ月も毎日毎日飽きもせずF爺を誹謗中傷する暇があったら、せめて日本語の間違いをしないように少しは気を付ければ良い〉
などと無駄なことは言いません。
「標本M」は、「読むのに値しない」と書いているそうですね。正しくは「読むに値しない」と言うものだと教えてくれる人は、憎まれ口しか利くことのできない「標本M」の近くには一人もいないのでしょうね。
Re: Re: 新しい負け惜しみ
S.Sola君 読者の皆様
追伸です。
[A] 上の返信コメントに文字列のコピーの不手際がありました。同じ誤りが二度、出現しています。失礼いたしました。
×10日10日
○10月10日
[B] ついでに、最後から五番目の段落に修正を施します。
×「標本M」は、大江健三郎や村上春樹を批判する全ての人にも、一人一人に宛ててブログ記事を書いて、馴れ馴れしく「さん」付けしろと「叱咤激励」しているのでしょうか。
○「標本M」は、大江健三郎や村上春樹を批判する全ての人にも、一人一人に宛ててブログ記事を書いて、〈馴れ馴れしく「さん」付けしろ〉と「叱咤激励」しているのでしょうか。
こうすると、「馴れ馴れしく」は、「『さん』付けしろ」に掛かるのであって「『叱咤激励』している」に掛かるのではないことが明確になりますね。
[C]「標本M/E」は、「さん」を付けたら失礼に当たる場合もあるということを知らないのですね。
F爺を誹謗中傷する目的だけで開設したブログで「標本M/E」が「F爺」及び「小島剛一」という名前に馴れ馴れしく「さん」付けをしているそうですが、不愉快極まりないことです。匿名の分際でどこまで付け上がるつもりなのでしょうか。
追伸です。
[A] 上の返信コメントに文字列のコピーの不手際がありました。同じ誤りが二度、出現しています。失礼いたしました。
×
○10月10日
[B] ついでに、最後から五番目の段落に修正を施します。
×「標本M」は、大江健三郎や村上春樹を批判する全ての人にも、一人一人に宛ててブログ記事を書いて、馴れ馴れしく「さん」付けしろと「叱咤激励」しているのでしょうか。
○「標本M」は、大江健三郎や村上春樹を批判する全ての人にも、一人一人に宛ててブログ記事を書いて、〈馴れ馴れしく「さん」付けしろ〉と「叱咤激励」しているのでしょうか。
こうすると、「馴れ馴れしく」は、「『さん』付けしろ」に掛かるのであって「『叱咤激励』している」に掛かるのではないことが明確になりますね。
[C]「標本M/E」は、「さん」を付けたら失礼に当たる場合もあるということを知らないのですね。
F爺を誹謗中傷する目的だけで開設したブログで「標本M/E」が「F爺」及び「小島剛一」という名前に馴れ馴れしく「さん」付けをしているそうですが、不愉快極まりないことです。匿名の分際でどこまで付け上がるつもりなのでしょうか。