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アンケートの回答です
[1] 〈単に2017年10月31日以来F爺のブログに多数の「黛まどか」関連の記事があるから〉と言うだけで十分だと思います。F爺さんは「黛まどか」を批判しているから、「黛まどか」の言う事は正しいという単純な思考回路で、F爺さんを中傷しているようです。
[2] 妥当ではないと思います。「標本E」のブログを再度読んで気付いたのですが、「標本E」はF爺さんを中傷するばかりで、「黛まどか」の著書の内容や俳句などについては全くと言って良いほど触れていないからです。もし、「標本E」が「黛まどか」の関係者または共犯者または「信者」であれば、「黛まどか」の著書や俳句がいかに素晴らしいか、あるいは「黛まどか」が偉大な人物であることを喧伝すると思いますが、そういう記述がありません。あるのはF爺さんへの罵倒ばかりです。「標本E」はF爺さんを中傷するために「黛まどか」を利用しているだけだと思います。
[3] 他の合理的な説明仮説は思いつきません。F爺さんを中傷する目的がまずあって、その手段としてブログにある多数の「黛まどか」関連の記事に目をつけて、「黛まどか」を擁護することでF爺さんがいかに愚劣な人物であるかを「証明」したつもりになっているのでしょう。その愚劣な人物像が自分自身に当てはまることに気付いていないのですから、まさに笑止千万です。気付いていれば「あるときは厳しくあるときは優しく F爺さんを叱咤激励」などとても書けません。
[2] 妥当ではないと思います。「標本E」のブログを再度読んで気付いたのですが、「標本E」はF爺さんを中傷するばかりで、「黛まどか」の著書の内容や俳句などについては全くと言って良いほど触れていないからです。もし、「標本E」が「黛まどか」の関係者または共犯者または「信者」であれば、「黛まどか」の著書や俳句がいかに素晴らしいか、あるいは「黛まどか」が偉大な人物であることを喧伝すると思いますが、そういう記述がありません。あるのはF爺さんへの罵倒ばかりです。「標本E」はF爺さんを中傷するために「黛まどか」を利用しているだけだと思います。
[3] 他の合理的な説明仮説は思いつきません。F爺さんを中傷する目的がまずあって、その手段としてブログにある多数の「黛まどか」関連の記事に目をつけて、「黛まどか」を擁護することでF爺さんがいかに愚劣な人物であるかを「証明」したつもりになっているのでしょう。その愚劣な人物像が自分自身に当てはまることに気付いていないのですから、まさに笑止千万です。気付いていれば「
Re: アンケートの回答です
チョルスさん
>「標本E」のブログを再度読んで気付いたのですが、「標本E」はF爺さんを中傷するばかりで、「黛まどか」の著書の内容や俳句などについては全くと言って良いほど触れていないからです。もし、「標本E」が「黛まどか」の関係者または共犯者または「信者」であれば、「黛まどか」の著書や俳句がいかに素晴らしいか、あるいは「黛まどか」が偉大な人物であることを喧伝すると思いますが、そういう記述がありません。あるのはF爺さんへの罵倒ばかりです。「標本E」はF爺さんを中傷するために「黛まどか」を利用しているだけだと思います
ははあ、そうだったのですか。友人知己から、
〈「標本E」は、「黛まどか」に対する数々の批判に対して何一つ反論できず、ただただF爺さんが批判すること自体を口汚く非難している〉
と聞いていますが、
〈「黛まどか」を褒める記載が全く無い〉
とは知りませんでした。
> F爺さんを中傷する目的がまずあって、その手段としてブログにある多数の「黛まどか」関連の記事に目をつけて、「黛まどか」を擁護することでF爺さんがいかに愚劣な人物であるかを「証明」したつもりになっているのでしょう。その愚劣な人物像が[F爺さんにではなく]自分自身に当てはまることに気付いていないのですから、まさに笑止千万です。
愚劣な人物像が、F爺にではなく、「標本E」自身に当て嵌まることは、F爺が度々(たびたび)公言しています。しかし「標本E」には、現実を直視し素直に認識する能力が全くありませんね。
チョルスさんは、やはり、F爺が当初から思っているように、「標本E」が愚かな記事の数を増やせば増やすほど自分の救いようの無い馬鹿さ加減と悪辣さを喧伝する結果になっているとお考えでしょうか。
>「標本E」のブログを再度読んで気付いたのですが、「標本E」はF爺さんを中傷するばかりで、「黛まどか」の著書の内容や俳句などについては全くと言って良いほど触れていないからです。もし、「標本E」が「黛まどか」の関係者または共犯者または「信者」であれば、「黛まどか」の著書や俳句がいかに素晴らしいか、あるいは「黛まどか」が偉大な人物であることを喧伝すると思いますが、そういう記述がありません。あるのはF爺さんへの罵倒ばかりです。「標本E」はF爺さんを中傷するために「黛まどか」を利用しているだけだと思います
ははあ、そうだったのですか。友人知己から、
〈「標本E」は、「黛まどか」に対する数々の批判に対して何一つ反論できず、ただただF爺さんが批判すること自体を口汚く非難している〉
と聞いていますが、
〈「黛まどか」を褒める記載が全く無い〉
とは知りませんでした。
> F爺さんを中傷する目的がまずあって、その手段としてブログにある多数の「黛まどか」関連の記事に目をつけて、「黛まどか」を擁護することでF爺さんがいかに愚劣な人物であるかを「証明」したつもりになっているのでしょう。その愚劣な人物像が[F爺さんにではなく]自分自身に当てはまることに気付いていないのですから、まさに笑止千万です。
愚劣な人物像が、F爺にではなく、「標本E」自身に当て嵌まることは、F爺が度々(たびたび)公言しています。しかし「標本E」には、現実を直視し素直に認識する能力が全くありませんね。
チョルスさんは、やはり、F爺が当初から思っているように、「標本E」が愚かな記事の数を増やせば増やすほど自分の救いようの無い馬鹿さ加減と悪辣さを喧伝する結果になっているとお考えでしょうか。
回答いたします
F爺様
[1]
F爺様が批判している対象は「黛まどか」以外にもいるにもかかわらず、
「M」は、その対象を擁護していないように見えます。
「M」はたまたま、その頃にF爺様のブログを見つけたのかどうか、2017年夏以前の記事をまるで読んでいないのかは不明です。
判らないことが多いのと、当該ブログをきっちり読もうという気力が出ないことより、これ以上の考察はできませんが、
「黛まどか」を「馬鹿にされたと思って腹を立てている」と、以前考えた結果のままの結論に致します。
[2] 上記の通り、「黛まどか」に好意を抱いているのは確かでしょうし、少なくとも、「黛信者ではない」とは断定できないと思います。
[3] 現状、考えは以上のところまでしか及びません。
私には、「M」が何をしたいのか、さっぱり理解できません。
本気でF爺様と議論したいのならば、きちんと礼節を守った上で、堂々とそれを申し込めばいいと思うのです。
[1]
F爺様が批判している対象は「黛まどか」以外にもいるにもかかわらず、
「M」は、その対象を擁護していないように見えます。
「M」はたまたま、その頃にF爺様のブログを見つけたのかどうか、2017年夏以前の記事をまるで読んでいないのかは不明です。
判らないことが多いのと、当該ブログをきっちり読もうという気力が出ないことより、これ以上の考察はできませんが、
「黛まどか」を「馬鹿にされたと思って腹を立てている」と、以前考えた結果のままの結論に致します。
[2] 上記の通り、「黛まどか」に好意を抱いているのは確かでしょうし、少なくとも、「黛信者ではない」とは断定できないと思います。
[3] 現状、考えは以上のところまでしか及びません。
私には、「M」が何をしたいのか、さっぱり理解できません。
本気でF爺様と議論したいのならば、きちんと礼節を守った上で、堂々とそれを申し込めばいいと思うのです。
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アンケート回答
「標本M/E」が「黛まどか」を擁護する理由は、〈2017年10月31日以来F爺のブログに多数の「黛まどか」関連の記事があるから〉かつ〈その内容を常に歪曲して読み取り、批判が不当なものだと思い込み、攻撃の材料になると考えるから〉だと思います。
仮に「標本M/E」が小島さんの「黛まどか」に対する批判の内容を正確に読み取ったとしても、このゴキブリには倫理性が欠如しており、「虚報発信」が悪いことだと思う感覚がありませんから、小島さんが何故「黛まどか」を批判しているのか、到底理解出来ないことでしょう。
しかし、そもそもこのゴキブリは、小島さんが「何を」批判しているのかさえ、理解していません。
例えば「標本E」は、2018年10月28日付けの記事で次のように書いています。
***
遍路に関しては、100人いれば100人なりの考え方があることでしょう。区切りをしようがしまいが、それが細切れであろうがなかろうが、それはそれでいいのではないですか。何かにこだわって他人をけなすことには到底賛成できません。
***
まさに歪曲です。小島さんは、〈区切り打ちだから、細切れ打ちだからいけない〉などとは一言も言っていません。〈通し打ちをしていないのに、「通し打ちをした」と嘘を吐くな〉と言っているだけです。正当な批判です。
「歪曲引用犯M」=「標本E」は、他人と同じ文字列を読んでも、頭の中で自動的に〈歪曲装置〉が作動して、常に書いてあることとは別の何かを読み取っているのでしょう。そして、歪曲によって生じた妄想を頭の中にたっぷり溜め込んで生きているのですね。「標本M/E」が「現実」だと思って見ているものは、「自分自身の妄想」なのですが、そのことに気付くのは不可能でしょう。
「標本M/E」は、〈小島剛一は、『黛まどか』を不当に攻撃している。ブログを立ち上げてそのことを大々的に宣伝すれば、小島剛一の評判を落とすことが出来るだろう〉と本気で思い込むほど馬鹿なのだと思います。
また、「信者だから擁護する」のだとすると、このゴキブリは、〈他人(=「黛まどか」)のために何かをしてあげる〉という行動様式を備えていることになります。この「人面獣心」がそんなものを持ち合わせているのでしょうか…?それは単に表向きの「設定」でしかないように私には思えます。「標本M/E」の守りたいものは、「他人」ではなく、常に「自分」だけだと私は考えています。
仮に「標本M/E」が小島さんの「黛まどか」に対する批判の内容を正確に読み取ったとしても、このゴキブリには倫理性が欠如しており、「虚報発信」が悪いことだと思う感覚がありませんから、小島さんが何故「黛まどか」を批判しているのか、到底理解出来ないことでしょう。
しかし、そもそもこのゴキブリは、小島さんが「何を」批判しているのかさえ、理解していません。
例えば「標本E」は、2018年10月28日付けの記事で次のように書いています。
***
遍路に関しては、100人いれば100人なりの考え方があることでしょう。区切りをしようがしまいが、それが細切れであろうがなかろうが、それはそれでいいのではないですか。何かにこだわって他人をけなすことには到底賛成できません。
***
まさに歪曲です。小島さんは、〈区切り打ちだから、細切れ打ちだからいけない〉などとは一言も言っていません。〈通し打ちをしていないのに、「通し打ちをした」と嘘を吐くな〉と言っているだけです。正当な批判です。
「歪曲引用犯M」=「標本E」は、他人と同じ文字列を読んでも、頭の中で自動的に〈歪曲装置〉が作動して、常に書いてあることとは別の何かを読み取っているのでしょう。そして、歪曲によって生じた妄想を頭の中にたっぷり溜め込んで生きているのですね。「標本M/E」が「現実」だと思って見ているものは、「自分自身の妄想」なのですが、そのことに気付くのは不可能でしょう。
「標本M/E」は、〈小島剛一は、『黛まどか』を不当に攻撃している。ブログを立ち上げてそのことを大々的に宣伝すれば、小島剛一の評判を落とすことが出来るだろう〉と本気で思い込むほど馬鹿なのだと思います。
また、「信者だから擁護する」のだとすると、このゴキブリは、〈他人(=「黛まどか」)のために何かをしてあげる〉という行動様式を備えていることになります。この「人面獣心」がそんなものを持ち合わせているのでしょうか…?それは単に表向きの「設定」でしかないように私には思えます。「標本M/E」の守りたいものは、「他人」ではなく、常に「自分」だけだと私は考えています。
Re: 回答いたします
「106」さん
>「M」が何をしたいのか、さっぱり理解できません。
本気でF爺様と議論したいのならば、きちんと礼節を守った上で、堂々とそれを申し込めばいいと思うのです。
おっしゃる通りです。「標本E」が本当に〈「標本M」と同一のゴキブリではない〉のだとしたら、投稿拒否設定をされていないはずですから、礼節を弁えた書き方でコメントを投稿してF爺に直接物を言えば良いのです。
それをしないのは、出来ないからです。
「標本M/E」は、事実無根のことを捏造してまでF爺を貶める記事を発表する度に、自分が卑劣であり悪辣であることの証明を公に曝す馬鹿です。
>「M」が何をしたいのか、さっぱり理解できません。
本気でF爺様と議論したいのならば、きちんと礼節を守った上で、堂々とそれを申し込めばいいと思うのです。
おっしゃる通りです。「標本E」が本当に〈「標本M」と同一のゴキブリではない〉のだとしたら、投稿拒否設定をされていないはずですから、礼節を弁えた書き方でコメントを投稿してF爺に直接物を言えば良いのです。
それをしないのは、出来ないからです。
「標本M/E」は、事実無根のことを捏造してまでF爺を貶める記事を発表する度に、自分が卑劣であり悪辣であることの証明を公に曝す馬鹿です。
Re: アンケート回答
「みやゆふ」さん
>「信者だから擁護する」のだとすると、このゴキブリは、〈他人(=「黛まどか」)のために何かをしてあげる〉という行動様式を備えていることになります。この「人面獣心」がそんなものを持ち合わせているのでしょうか…?それは単に表向きの「設定」でしかないように私には思えます。「標本M/E」の守りたいものは、「他人」ではなく、常に「自分」だけだ
F爺は、当初、漠然と
《吉丸一昌の信者が同時にもう一人ぐらい誰か別の人物の信者であってもおかしくない》
と思っていました。
でも、考えてみると、吉丸一昌は故人です。「標本M/E」の作り上げたゴキブリ格「寝言世」は、「吉丸一昌のために何かをしてあげる」のではなく、ただ「自分が注目を浴びたい」だけなのですよね。存命中の「黛まどか」の取り巻きの一人になることとは、似て非なることでした。
おっしゃる通り、「信者だから擁護する」のかという仮説は、根拠が薄弱ですね。
>例えば「標本E」は、2018年10月28日付けの記事で次のように書いています。
(・・・)
まさに歪曲です。小島さんは、〈区切り打ちだから、細切れ打ちだからいけない〉などとは一言も言っていません。〈通し打ちをしていないのに、「通し打ちをした」と嘘を吐くな〉と言っているだけです。正当な批判です。
御意。「標本M/E」の歪曲癖と「無い瑕疵を捏造する習癖」の実例をまた一つ確認しました。
>「標本M/E」が「現実」だと思って見ているものは、「自分自身の妄想」なのですが、そのことに気付くのは不可能でしょう。
これも、御意。「標本M/E」は、単に論理と倫理性が欠けているだけでなく、決して誇張ではなく、妄想の世界で生きています。
>「標本M/E」が「黛まどか」を擁護する理由は、〈2017年10月31日以来F爺のブログに多数の「黛まどか」関連の記事があるから〉かつ〈その内容を常に歪曲して読み取り、批判が不当なものだと思い込み、攻撃の材料になると考えるから〉だと思います。
最初のこの段落は、「ん?」と思いかけました。
《本当にF爺の「黛まどか」に対する「批判が不当なものだと思い込」んでいるのなら、わざわざ何かを歪曲する必要は無いのに・・・》と。
その後の記載を読んで、おっしゃりたいことが分りました。
「他人と同じ文字列を読んでも、頭の中で自動的に〈歪曲装置〉が作動して、常に書いてあることとは別の何かを読み取っている」
ということなのですね。正真正銘の狂犬だ、と。
原文の歪曲や存在しない瑕疵の捏造には、遅かれ早かれ、全ての読者が気付きます。他人のブログの話題選びに口を出すのが無礼の極みの越権行為だということは、「標本M/E」以外の万人にとって、自明のことです。ブログ記事にして170篇を既に遥かに超えていると思(おぼ)しい分量の駄文は、そのまま、「標本M/E」の狂気の証です。書けば書くほど説得力はゼロに収束します。その意味では無害化して行くことが確実です。事情を知らない新規の読者のために時々実情を知らせる記事を掲載するだけで、対策として十分でしょうね。
いつもながら、鋭い分析、ありがとうございます。悪意の歪曲の華麗な(笑)実例が見つかったら、またお知らせください。
>「信者だから擁護する」のだとすると、このゴキブリは、〈他人(=「黛まどか」)のために何かをしてあげる〉という行動様式を備えていることになります。この「人面獣心」がそんなものを持ち合わせているのでしょうか…?それは単に表向きの「設定」でしかないように私には思えます。「標本M/E」の守りたいものは、「他人」ではなく、常に「自分」だけだ
F爺は、当初、漠然と
《吉丸一昌の信者が同時にもう一人ぐらい誰か別の人物の信者であってもおかしくない》
と思っていました。
でも、考えてみると、吉丸一昌は故人です。「標本M/E」の作り上げたゴキブリ格「寝言世」は、「吉丸一昌のために何かをしてあげる」のではなく、ただ「自分が注目を浴びたい」だけなのですよね。存命中の「黛まどか」の取り巻きの一人になることとは、似て非なることでした。
おっしゃる通り、「信者だから擁護する」のかという仮説は、根拠が薄弱ですね。
>例えば「標本E」は、2018年10月28日付けの記事で次のように書いています。
(・・・)
まさに歪曲です。小島さんは、〈
御意。「標本M/E」の歪曲癖と「無い瑕疵を捏造する習癖」の実例をまた一つ確認しました。
>「標本M/E」が「現実」だと思って見ているものは、「自分自身の妄想」なのですが、そのことに気付くのは不可能でしょう。
これも、御意。「標本M/E」は、単に論理と倫理性が欠けているだけでなく、決して誇張ではなく、妄想の世界で生きています。
>「標本M/E」が「黛まどか」を擁護する理由は、〈2017年10月31日以来F爺のブログに多数の「黛まどか」関連の記事があるから〉かつ〈その内容を常に歪曲して読み取り、批判が不当なものだと思い込み、攻撃の材料になると考えるから〉だと思います。
最初のこの段落は、「ん?」と思いかけました。
《本当にF爺の「黛まどか」に対する「批判が不当なものだと思い込」んでいるのなら、わざわざ何かを歪曲する必要は無いのに・・・》と。
その後の記載を読んで、おっしゃりたいことが分りました。
「他人と同じ文字列を読んでも、頭の中で自動的に〈歪曲装置〉が作動して、常に書いてあることとは別の何かを読み取っている」
ということなのですね。正真正銘の狂犬だ、と。
原文の歪曲や存在しない瑕疵の捏造には、遅かれ早かれ、全ての読者が気付きます。他人のブログの話題選びに口を出すのが無礼の極みの越権行為だということは、「標本M/E」以外の万人にとって、自明のことです。ブログ記事にして170篇を既に遥かに超えていると思(おぼ)しい分量の駄文は、そのまま、「標本M/E」の狂気の証です。書けば書くほど説得力はゼロに収束します。その意味では無害化して行くことが確実です。事情を知らない新規の読者のために時々実情を知らせる記事を掲載するだけで、対策として十分でしょうね。
いつもながら、鋭い分析、ありがとうございます。悪意の歪曲の華麗な(笑)実例が見つかったら、またお知らせください。
「標本E」はまだ中傷を続けています
> チョルスさんは、やはり、F爺が当初から思っているように、「標本E」が愚かな記事の数を増やせば増やすほど自分の救いようの無い馬鹿さ加減と悪辣さを喧伝する結果になっているとお考えでしょうか。
そう考えています。F爺さんから再三に亘って自分の愚かさを指摘されてきたのに、全く省みようとしないのですから。傍から見れば、まともな人間のやる事とは思えません。ちなみに、「標本E」は自分のブログでこの記事についても取り上げていまして、以下のようなことを書いています。
F爺さんに言語学領域に戻ってもらいたい、その一心でE婆は泥をかぶり、F爺さんの罵詈雑言を引き受けています。考えてみると何の得もないまったくばかばかしい話です。しかし誰かが忠告しなければいけないのです。
さて、E婆もそれほど時間があるわけではなりません。寸暇を惜しんでこれ書いているのが実情です。なんとかトンネルの出口を見つけたいと思っています。
「標本E」が他人のブログの書くことに口を出すものではないという事さえも理解できていないのは不思議でしたが、「106」さんが仰るような議論を正々堂々と申し込まず、誹謗中傷ブログで自分の悪辣さを暴露し続ける行為を見ると、ストーカーの心理に似ている気がします。F爺さんを自分の思い通りにしようとする狂人ぶりを見せつける「標本E」は、ネット上のストーカーと言えそうです。
そう考えています。F爺さんから再三に亘って自分の愚かさを指摘されてきたのに、全く省みようとしないのですから。傍から見れば、まともな人間のやる事とは思えません。ちなみに、「標本E」は自分のブログでこの記事についても取り上げていまして、以下のようなことを書いています。
さて、E婆もそれほど時間があるわけではなりません。寸暇を惜しんでこれ書いているのが実情です。なんとかトンネルの出口を見つけたいと思っています。
「標本E」が他人のブログの書くことに口を出すものではないという事さえも理解できていないのは不思議でしたが、「106」さんが仰るような議論を正々堂々と申し込まず、誹謗中傷ブログで自分の悪辣さを暴露し続ける行為を見ると、ストーカーの心理に似ている気がします。F爺さんを自分の思い通りにしようとする狂人ぶりを見せつける「標本E」は、ネット上のストーカーと言えそうです。
Re: 「標本E」はまだ中傷を続けています
チョルスさん
>「標本E」が他人のブログの書くことに口を出すものではないという事さえも理解できていないのは不思議でしたが、「106」さんが仰るような議論を正々堂々と申し込まず、誹謗中傷ブログで自分の悪辣さを暴露し続ける行為を見ると、ストーカーの心理に似ている気がします。F爺さんを自分の思い通りにしようとする狂人ぶりを見せつける「標本E」は、ネット上のストーカーと言えそうです。
あ、なるほど。返事は絶対に貰えないと分り切っているのに毎日毎日飽きもせず手紙を送り続けたストーカーhttp://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-312.htmlと確かに同じ行動様式ですね。
「誰かが忠告しなければ」云々と未だに同じ戯言(たわごと)をくどくど繰り返しているのですか! まさに偏執病です。
歪曲引用犯の「標本M/E」が、火を見るよりも明らかな自分の非をいっかな認めようとせず、あらゆる卑劣な手段を使って罵詈雑言を毎日毎日F爺に浴びせているのです。F爺は、それに対して、卑劣は卑劣だと、邪悪は邪悪だと、嘘は嘘だと、捏造は捏造だと、傲岸不遜は傲岸不遜だと、無礼は無礼だと、馬鹿は馬鹿だと、正しい評価を下しているだけです。
「標本M/E」は、「なんとかトンネルの出口を見つけたい」とも書いているのですね。
これは・・・どうやら「出口のあるトンネル」の中にいるつもりのようです。自分が、邪悪の極みの逆恨みの果てに、生きながら★★に堕ちているという自覚は無いのですね。もしかして、いつか、憐れんでくださったお方が★★の底に蜘蛛(くも)の糸(*)を垂れてやることがあっても、そのお方に逆恨みすることしか出来ないのです。
(*) 日本語習得途上の読者のための注釈。『蜘蛛の糸』は、芥川龍之介の短編です。内容は、ウェブ検索で簡単に見つかります。類似の話が世界中のあちこちにあります。
>「標本E」が他人のブログの書くことに口を出すものではないという事さえも理解できていないのは不思議でしたが、「106」さんが仰るような議論を正々堂々と申し込まず、誹謗中傷ブログで自分の悪辣さを暴露し続ける行為を見ると、ストーカーの心理に似ている気がします。F爺さんを自分の思い通りにしようとする狂人ぶりを見せつける「標本E」は、ネット上のストーカーと言えそうです。
あ、なるほど。返事は絶対に貰えないと分り切っているのに毎日毎日飽きもせず手紙を送り続けたストーカーhttp://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-312.htmlと確かに同じ行動様式ですね。
「
歪曲引用犯の「標本M/E」が、火を見るよりも明らかな自分の非をいっかな認めようとせず、あらゆる卑劣な手段を使って罵詈雑言を毎日毎日F爺に浴びせているのです。F爺は、それに対して、卑劣は卑劣だと、邪悪は邪悪だと、嘘は嘘だと、捏造は捏造だと、傲岸不遜は傲岸不遜だと、無礼は無礼だと、馬鹿は馬鹿だと、正しい評価を下しているだけです。
「標本M/E」は、「
これは・・・どうやら「出口のあるトンネル」の中にいるつもりのようです。自分が、邪悪の極みの逆恨みの果てに、生きながら★★に堕ちているという自覚は無いのですね。もしかして、いつか、憐れんでくださったお方が★★の底に蜘蛛(くも)の糸(*)を垂れてやることがあっても、そのお方に逆恨みすることしか出来ないのです。
(*) 日本語習得途上の読者のための注釈。『蜘蛛の糸』は、芥川龍之介の短編です。内容は、ウェブ検索で簡単に見つかります。類似の話が世界中のあちこちにあります。
回答します
小島剛一様
[1]に対する回答
十分だと思います。1年前の今頃に、カテゴリ「著書・歪曲引用犯のネット・ゴキブリ」を立てて小島様が厳しく批判したことに「標本M」が逆恨みして、あの手この手で小島様を貶めたくて仕方ないのです。そして、時をほぼ同じくして小島様の批判の対象となった「黛まどか」を自分の境遇と重ね合わせて、「自分(=標本M/E)が傷つくから、F爺は『黛まどか』の批判をするな」とでも言いたいのでしょう。
[2] に対する回答
[1]を踏まえたうえで、「標本E」は「黛まどか」の信者だとする仮説を立てることは、「早くとも2017年11月下旬以降である」という条件付きで妥当だと思います。しかし、所詮は「自分が批判されることを恐れ、批判してきた相手に復讐したい」気持ちに駆られて「黛まどか」を盾にしているだけですから、「標本E」は「黛まどか」の著作物や行動について全くと言って良いほど知らないし、理解する気も無いのです。
でも、「たとえ手負いの個体や老個体であっても、何が何でも虎の威を借ろうとする」狐のような輩は、凄く多いのですよね…匿名情報を出典として出してくる輩や、そもそも思考停止・放棄した輩には本当に呆れます。
[3]現時点では、思い付きませんでした。尤も、余りにも単調で下品な「標本E」のブログをきっちり読もうという気にはなれないので、私の力では新しい合理的仮説を考えることは出来ません。
[1]に対する回答
十分だと思います。1年前の今頃に、カテゴリ「著書・歪曲引用犯のネット・ゴキブリ」を立てて小島様が厳しく批判したことに「標本M」が逆恨みして、あの手この手で小島様を貶めたくて仕方ないのです。そして、時をほぼ同じくして小島様の批判の対象となった「黛まどか」を自分の境遇と重ね合わせて、「自分(=標本M/E)が傷つくから、F爺は『黛まどか』の批判をするな」とでも言いたいのでしょう。
[2] に対する回答
[1]を踏まえたうえで、「標本E」は「黛まどか」の信者だとする仮説を立てることは、「早くとも2017年11月下旬以降である」という条件付きで妥当だと思います。しかし、所詮は「自分が批判されることを恐れ、批判してきた相手に復讐したい」気持ちに駆られて「黛まどか」を盾にしているだけですから、「標本E」は「黛まどか」の著作物や行動について全くと言って良いほど知らないし、理解する気も無いのです。
でも、「たとえ手負いの個体や老個体であっても、何が何でも虎の威を借ろうとする」狐のような輩は、凄く多いのですよね…匿名情報を出典として出してくる輩や、そもそも思考停止・放棄した輩には本当に呆れます。
[3]現時点では、思い付きませんでした。尤も、余りにも単調で下品な「標本E」のブログをきっちり読もうという気にはなれないので、私の力では新しい合理的仮説を考えることは出来ません。
Re: 回答します
S.Sola君
「余りにも単調で下品な(*)「標本E」のブログをきっちり読もうという気にはなれない」にも拘らず投稿してくださったご回答、ありがとうございます。
(*)「訪問者を辟易させるほど単調で下品」であることも、「寝言世」と「標本M/E」に共通する際立った特徴ですね。これも、後程、追加記事か纏め記事に書き加えることにします。
>「標本E」は「黛まどか」の著作物や行動について全くと言って良いほど知らないし、理解する気も無いのです。
S.Sola君が見ても、やっぱりそうなのですね。
「標本E」の書き殴ることのうち「ウェブ検索をする時に、見る気が無くても見えてしまう数十文字」の他は「読者の皆様から散発的に届く引用の数行」しか知らないF爺には、その点が見えていませんでした。
特定の人物の「信者」というものは、その人物を無条件で擁護しますが、著作や言動を正しく理解してはいないものです。「信者」の定義を良く考えてみる必要がありそうです。第二問は、質問の仕方が拙速だったかもしれません。
〈「たとえ手負いの個体や老個体であっても、何が何でも虎の威を借ろうとする」狐〉
という発想に感服しました。自分一人では何の価値も生み出せていない「標本E」の惨めな立場を実に良く表わしていますね。
「余りにも単調で下品な(*)「標本E」のブログをきっちり読もうという気にはなれない」にも拘らず投稿してくださったご回答、ありがとうございます。
(*)「訪問者を辟易させるほど単調で下品」であることも、「寝言世」と「標本M/E」に共通する際立った特徴ですね。これも、後程、追加記事か纏め記事に書き加えることにします。
>「標本E」は「黛まどか」の著作物や行動について全くと言って良いほど知らないし、理解する気も無いのです。
S.Sola君が見ても、やっぱりそうなのですね。
「標本E」の書き殴ることのうち「ウェブ検索をする時に、見る気が無くても見えてしまう数十文字」の他は「読者の皆様から散発的に届く引用の数行」しか知らないF爺には、その点が見えていませんでした。
特定の人物の「信者」というものは、その人物を無条件で擁護しますが、著作や言動を正しく理解してはいないものです。「信者」の定義を良く考えてみる必要がありそうです。第二問は、質問の仕方が拙速だったかもしれません。
〈「たとえ手負いの個体や老個体であっても、何が何でも虎の威を借ろうとする」狐〉
という発想に感服しました。自分一人では何の価値も生み出せていない「標本E」の惨めな立場を実に良く表わしていますね。