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みねん寺からの眺め
去年の暮れに高知に帰省した際、天気のいい日に文殊通から雪蹊寺までの遍路道を歩いてきました。
その途中、禅師峰寺に着いたのは午前11時頃でした。
お参りした後、見晴らし台に行って、太平洋を一望できる眺めを楽しんできました。
晴れていたので、西南西の方向には、桂浜の先にある龍王宮が良く見えていました。
桂浜の砂浜は、みねん寺さんからは、方角が良くないので確認できませんでした。
目がいい人なら、桂浜のほんの一部を確認することはできるのかもしれませんが、とても広がっているというほどは見えませんでした。
先の久万川のこともそうですか、この本の内容は正確でない記述が多いようですね。
その途中、禅師峰寺に着いたのは午前11時頃でした。
お参りした後、見晴らし台に行って、太平洋を一望できる眺めを楽しんできました。
晴れていたので、西南西の方向には、桂浜の先にある龍王宮が良く見えていました。
桂浜の砂浜は、みねん寺さんからは、方角が良くないので確認できませんでした。
目がいい人なら、桂浜のほんの一部を確認することはできるのかもしれませんが、とても広がっているというほどは見えませんでした。
先の久万川のこともそうですか、この本の内容は正確でない記述が多いようですね。
Re: みねん寺からの眺め
yukio君
12月末の晴れた日の遍路道も好いものでしょうね。
>目がいい人なら、桂浜のほんの一部を確認することはできるのかもしれませんが、とても広がっているというほどは見えませんでした。
地図で見ると、そういう計算が成り立ちますね。「黛まどか」は、『奇跡の遍路』に載せてある写真では眼鏡を掛けています。特に「目がいい人」のうちには入らないはずですよね。
>先の久万川のこともそうですか、この本の内容は正確でない記述が多いようですね。
「正確でない記述」という評価は、婉曲すぎます。捏造と誤魔化し記述で溢れています。初めから「小説」「創作」「幻想」「オカルト」と銘打っておけばF爺の注意を惹くことも無かったのです。期せずして浦島爺にも日本の出版業界周辺の腐敗の様相が見えてしまう結果になりました。真実軽視主義が「ライター」や出版業界のどのくらいの割合を占めるのかは判りませんが。
12月末の晴れた日の遍路道も好いものでしょうね。
>目がいい人なら、桂浜のほんの一部を確認することはできるのかもしれませんが、とても広がっているというほどは見えませんでした。
地図で見ると、そういう計算が成り立ちますね。「黛まどか」は、『奇跡の遍路』に載せてある写真では眼鏡を掛けています。特に「目がいい人」のうちには入らないはずですよね。
>先の久万川のこともそうですか、この本の内容は正確でない記述が多いようですね。
「正確でない記述」という評価は、婉曲すぎます。捏造と誤魔化し記述で溢れています。初めから「小説」「創作」「幻想」「オカルト」と銘打っておけばF爺の注意を惹くことも無かったのです。期せずして浦島爺にも日本の出版業界周辺の腐敗の様相が見えてしまう結果になりました。真実軽視主義が「ライター」や出版業界のどのくらいの割合を占めるのかは判りませんが。