『萬葉集の謎』
- 2014/04/10
- 04:40
数年前、F爺が秋田市の某所で高校時代の級友数人と四十数年ぶりに再会する機会がありました。12人ほどが一堂に会して20分目ぐらいに出て来た話題は・・・
「F君は、T先生を職員室まで追いかけて行って泣かせたんだよね。あの事件の発端は、何だったの ? 同じ教室にいたんだけど、何が問題だったのか、さっぱり分からなかった」
xxxxxxxx
その事件の発端は、『萬葉集の謎』(安田徳太郎、光文社、1955)というトンデモ本です。「ネパールのレプチャ語と日本語は同系の言語だ。レプチャ人の一部がインド洋に漕ぎ出して日本列島にやって来たのだ」と主張しているのです。ド素人こじつけ語源説と似非言語系統論と歴史もどき妄想を捏(こ)ね合わせた紙資源無駄遣いデマの典型です(*)。
(*) あまりにも馬鹿馬鹿しいので内容の詳しい紹介はしませんが、例えば「朝鮮語で万葉集は解読できない」というサイトの入り口をちょっと覗くと、いかに愚劣なものであるかが分かります。ただ、F爺は、このサイトを運営している人たちの「邪馬台国」にかける情熱に対しては懐疑的です。
発行当時、ベスト・セラーになった本だそうです。F爺は、子供だったので、この本の売れ行きのことは全く知りませんでした。
たまたま伯父の書棚にあったので手に取って読んだのが、F爺、10歳の時ですから、発行して間もなくだったのでしょう。子供心に「世の中には、こんな箸にも棒にもかからないことを書き立てる馬鹿な大人もいるんだなあ」と思いました。
それから8年後、高校三年生の時のある教科の教師が、その教科とは無関係な『萬葉集の謎』を「面白い発想の本だから」という前置きで授業中に紹介しました。10分ぐらいも喋っていたと思います。本の紹介を終えたその教師がおもむろに言いました。
「誰か意見のある人 ?」
F爺が、ただ一人、手を挙げました。
「安田徳太郎の『萬葉集の謎』は、わざわざ授業中に取り上げて紹介するような本じゃありません」
と始めて、授業の終わりを知らせるベルが鳴るまで、とうとうと自分の確固たる意見を述べ立てたのです。級友一同、呆気に取られてF爺と教師の顔を見比べていました。
「難しい言葉の連続で、何のことか、分からないね・・・」
と呟(つぶや)く級友の反応を尻目に、F爺は淀みなく演説をぶったのです。
「その本に書いてある『日本語はレプチャ語』説は、荒唐無稽なこじつけの繰り返しに過ぎません。方法論もへったくれも無い。任意の二言語が同系だと仮説を立てるためには言語構造が一致していることと基礎語彙同士で音韻対応が成立することの二つが必須ですが、何が基礎語彙なのかも知らない上に音韻対応という術語の意味さえも分かっていないド素人の戯言(たわごと)です。例えば・・・」
授業時間が終わりになっても教師が折れようとしないので、怒ったF爺はその教師を職員室の中まで追いかけて行き、他の教職員一同が横目で眺めながら聞いている中で理路整然と責め続けました。
「安田徳太郎の説が箸にも棒にもかからないことは、比較言語学、日本語学、日本語史学の常識です。萬葉集を云々するのなら萬葉仮名の時代の日本語の音韻体系が現代とは違っていたことも当然知っていなければならないのに・・・・・・・」
次の授業の始まりを知らせるベルが鳴っても職員室でのF爺の長広舌はやみませんでしたが、F爺を諌(いさ)めて教室に帰らせようとする教師は一人もいませんでした。十分な知識があり確信があって教師の軽はずみなやり方を批判していることを見て取ったのでしょう。15分ほども遅刻して教室に帰ったのですが、次の授業の担当教師も、クラス担任も、国語科の教師たち(*)も、F爺に批判がましいことは何も言いませんでした。
(*) この事件の前の年、F爺が二年生の時に、国語科の某教師と有坂秀世の『P音攷(Pおんこう)』という本について議論したことがあるのです。初めは「あれは、高校生が読むような本じゃない」と言って斥(しりぞ)けようとしたその教師は、翌週、授業時間の一部を割(さ)いて音韻論の話をしたのですが、術語の古さをF爺に指摘されて弱っていました。
xxxxxxxx
「F君は、卒業してからT先生には会った ?」
「会ったよ。二度目の帰国の時に(*)。あの時のことは忘れてなかった。『F君にやり込められた時・・・』って、向こうから話題を振って来た」
「よっぽど堪(こた)えたんだね」
(*) 1988年。
あの日、F爺が言うべきことを全て言った上で踵(きびす)を返して職員室を出た時、周りに他の生徒は一人もいませんでしたから、「三年○組のFがT先生を泣かせた」噂は、誰か教職員の口から広まったのでしょう。
「F君は、T先生を職員室まで追いかけて行って泣かせたんだよね。あの事件の発端は、何だったの ? 同じ教室にいたんだけど、何が問題だったのか、さっぱり分からなかった」
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その事件の発端は、『萬葉集の謎』(安田徳太郎、光文社、1955)というトンデモ本です。「
(*) あまりにも馬鹿馬鹿しいので内容の詳しい紹介はしませんが、例えば「朝鮮語で万葉集は解読できない」というサイトの入り口をちょっと覗くと、いかに愚劣なものであるかが分かります。ただ、F爺は、このサイトを運営している人たちの「邪馬台国」にかける情熱に対しては懐疑的です。
発行当時、ベスト・セラーになった本だそうです。F爺は、子供だったので、この本の売れ行きのことは全く知りませんでした。
たまたま伯父の書棚にあったので手に取って読んだのが、F爺、10歳の時ですから、発行して間もなくだったのでしょう。子供心に「世の中には、こんな箸にも棒にもかからないことを書き立てる馬鹿な大人もいるんだなあ」と思いました。
それから8年後、高校三年生の時のある教科の教師が、その教科とは無関係な『萬葉集の謎』を「面白い発想の本だから」という前置きで授業中に紹介しました。10分ぐらいも喋っていたと思います。本の紹介を終えたその教師がおもむろに言いました。
「誰か意見のある人 ?」
F爺が、ただ一人、手を挙げました。
「安田徳太郎の『萬葉集の謎』は、わざわざ授業中に取り上げて紹介するような本じゃありません」
と始めて、授業の終わりを知らせるベルが鳴るまで、とうとうと自分の確固たる意見を述べ立てたのです。級友一同、呆気に取られてF爺と教師の顔を見比べていました。
「難しい言葉の連続で、何のことか、分からないね・・・」
と呟(つぶや)く級友の反応を尻目に、F爺は淀みなく演説をぶったのです。
「その本に書いてある『日本語はレプチャ語』説は、荒唐無稽なこじつけの繰り返しに過ぎません。方法論もへったくれも無い。任意の二言語が同系だと仮説を立てるためには言語構造が一致していることと基礎語彙同士で音韻対応が成立することの二つが必須ですが、何が基礎語彙なのかも知らない上に音韻対応という術語の意味さえも分かっていないド素人の戯言(たわごと)です。例えば・・・」
授業時間が終わりになっても教師が折れようとしないので、怒ったF爺はその教師を職員室の中まで追いかけて行き、他の教職員一同が横目で眺めながら聞いている中で理路整然と責め続けました。
「安田徳太郎の説が箸にも棒にもかからないことは、比較言語学、日本語学、日本語史学の常識です。萬葉集を云々するのなら萬葉仮名の時代の日本語の音韻体系が現代とは違っていたことも当然知っていなければならないのに・・・・・・・」
次の授業の始まりを知らせるベルが鳴っても職員室でのF爺の長広舌はやみませんでしたが、F爺を諌(いさ)めて教室に帰らせようとする教師は一人もいませんでした。十分な知識があり確信があって教師の軽はずみなやり方を批判していることを見て取ったのでしょう。15分ほども遅刻して教室に帰ったのですが、次の授業の担当教師も、クラス担任も、国語科の教師たち(*)も、F爺に批判がましいことは何も言いませんでした。
(*) この事件の前の年、F爺が二年生の時に、国語科の某教師と有坂秀世の『P音攷(Pおんこう)』という本について議論したことがあるのです。初めは「あれは、高校生が読むような本じゃない」と言って斥(しりぞ)けようとしたその教師は、翌週、授業時間の一部を割(さ)いて音韻論の話をしたのですが、術語の古さをF爺に指摘されて弱っていました。
xxxxxxxx
「F君は、卒業してからT先生には会った ?」
「会ったよ。二度目の帰国の時に(*)。あの時のことは忘れてなかった。『F君にやり込められた時・・・』って、向こうから話題を振って来た」
「よっぽど堪(こた)えたんだね」
(*) 1988年。
あの日、F爺が言うべきことを全て言った上で踵(きびす)を返して職員室を出た時、周りに他の生徒は一人もいませんでしたから、「三年○組のFがT先生を泣かせた」噂は、誰か教職員の口から広まったのでしょう。