コメント
国境
昔カシュに行った時に、すぐ先に浮かぶ島はギリシャ領だと先生に教えられて驚いたことを覚えています。
新しい歌の島はサモス島あたりなのでしょうか。サモス島はクシャダスから見たことありますが、まるで陸続きのように見えました。
国同士の都合に振り回される住民はたいへんな思いをしたのでしょうね。
こんど夏にお会いできたら、楽譜をいただけるとうれしいです。
新しい歌の島はサモス島あたりなのでしょうか。サモス島はクシャダスから見たことありますが、まるで陸続きのように見えました。
国同士の都合に振り回される住民はたいへんな思いをしたのでしょうね。
こんど夏にお会いできたら、楽譜をいただけるとうれしいです。
Re: 国境
yukio君
>新しい歌の島はサモス島あたりなのでしょうか。
いや、カシュの沖に浮かぶメイス島です。
>国同士の都合に振り回される住民はたいへんな思いをしたのでしょうね。
トルコとギリシャの間の「住民交換」で、百万人のギリシャ人がトルコからギリシャに、30万人のトルコ人がギリシャからトルコに移住させられたと伝えます。その子孫は、何世代経っても「余所者(よそもの)」扱いを受けています。
この老漁夫が海を渡って引越しした時代には、手漕ぎの小舟しか無かったそうです。
>こんど夏にお会いできたら、楽譜をいただけるとうれしいです。
yukio君に進呈する楽譜は、もう夏の旅用の頭陀袋に入れてありますよ。
>新しい歌の島はサモス島あたりなのでしょうか。
いや、カシュの沖に浮かぶメイス島です。
>国同士の都合に振り回される住民はたいへんな思いをしたのでしょうね。
トルコとギリシャの間の「住民交換」で、百万人のギリシャ人がトルコからギリシャに、30万人のトルコ人がギリシャからトルコに移住させられたと伝えます。その子孫は、何世代経っても「余所者(よそもの)」扱いを受けています。
この老漁夫が海を渡って引越しした時代には、手漕ぎの小舟しか無かったそうです。
>こんど夏にお会いできたら、楽譜をいただけるとうれしいです。
yukio君に進呈する楽譜は、もう夏の旅用の頭陀袋に入れてありますよ。
無題
2022年6月のコンサートの音源でこの合唱曲を聴き、とても気に入りました。
『トルコのもう一つの顔』の挿話を読み直してから聴いてみると、「華やいだ雰囲気」の始まりから最後の「特異な情感」の和声への一連の流れはまるで、訥々と語っていくうちに段々と故郷の島への思いが嵩じていく「子供たちの祖父」の語り口や心象風景の変化のさまのようにも感じられました。
以下、断片的な感想です。
冒頭部は祭りの太鼓を連想させるような始まりが軽快で楽しく、女声二部と男性二部で異なる動きをするところは、寄せては返す波のようにも聞こえます。海の向こうの故郷を眺める男の姿が浮かんでくるようです。
「あの頃までは」以降、小島さんの他の作品と比べると各声部の動きが同じ旋律を追って重なる部分が多いのが特徴的ですが、和声が複雑なため単調には感じません。そのまま男の独白となっている歌詞を際立たせる技法なのでしょうね。実際、男がこちらに向かって一人語りを始めたかのような感覚になります。
「舟を漕いで 漕いで 漕いで」の部分のバリトンの動きは船の揺れのようにも、赤子をあやす父の声のようにも聞こえました。
「 この丘のここんとこに来ると」に始まる一節は、1回目の華やかさと2回目の重々しさとの歌い分けが見事です。
さて、作詞作曲者の意図がどのくらい汲み取れているものでしょうか…。
それにしても、50年近くも温め続けてきた思い出がこうして合唱曲という形で結実するのは何とも感慨深いものですね。
『トルコのもう一つの顔』の挿話を読み直してから聴いてみると、「華やいだ雰囲気」の始まりから最後の「特異な情感」の和声への一連の流れはまるで、訥々と語っていくうちに段々と故郷の島への思いが嵩じていく「子供たちの祖父」の語り口や心象風景の変化のさまのようにも感じられました。
以下、断片的な感想です。
冒頭部は祭りの太鼓を連想させるような始まりが軽快で楽しく、女声二部と男性二部で異なる動きをするところは、寄せては返す波のようにも聞こえます。海の向こうの故郷を眺める男の姿が浮かんでくるようです。
「あの頃までは」以降、小島さんの他の作品と比べると各声部の動きが同じ旋律を追って重なる部分が多いのが特徴的ですが、和声が複雑なため単調には感じません。そのまま男の独白となっている歌詞を際立たせる技法なのでしょうね。実際、男がこちらに向かって一人語りを始めたかのような感覚になります。
「舟を漕いで 漕いで 漕いで」の部分のバリトンの動きは船の揺れのようにも、赤子をあやす父の声のようにも聞こえました。
「 この丘のここんとこに来ると」に始まる一節は、1回目の華やかさと2回目の重々しさとの歌い分けが見事です。
さて、作詞作曲者の意図がどのくらい汲み取れているものでしょうか…。
それにしても、50年近くも温め続けてきた思い出がこうして合唱曲という形で結実するのは何とも感慨深いものですね。
Re: 無題
星三郎さん
合唱曲「故郷の島の俺の家」をCDで聴いた上でのご感想、ありがとうございます。
>「華やいだ雰囲気」の始まりから最後の「特異な情感」の和声への一連の流れはまるで、訥々と語っていくうちに段々と故郷の島への思いが嵩じていく「子供たちの祖父」の語り口や心象風景の変化のさまのようにも感じられました。
語り始めた時には強かった抑制が次第に薄れて行き、最後は感情を、自分でも予期しなかったほど開けっ広げに、表現するに至るのです。
>冒頭部は祭りの太鼓を連想させるような始まりが軽快で楽しく、女声二部と男性二部で異なる動きをするところは、寄せては返す波のようにも聞こえます。海の向こうの故郷を眺める男の姿が浮かんでくるようです。
遠くから見ても異国からの客と判るのにトルコ語を話すF青年と遭遇した時の老漁師の姿です。
>「あの頃までは」以降、小島さんの他の作品と比べると各声部の動きが同じ旋律を追って重なる部分が多いのが特徴的ですが、和声が複雑なため単調には感じません。そのまま男の独白となっている歌詞を際立たせる技法なのでしょうね。実際、男がこちらに向かって一人語りを始めたかのような感覚になります。
技法も、作曲者の意図も、御明察の通りです。「男がこちらに向かって一人語りを始めたかのような感覚にな」ることを望んだのです。
>「舟を漕いで 漕いで 漕いで」の部分のバリトンの動きは船の揺れのようにも、赤子をあやす父の声のようにも聞こえました。
それと、もう一つ、国境を越える突然の転居を余儀なくされた男の歎きも重なっています。
>「この丘のここんとこに来ると」に始まる一節は、1回目の華やかさと2回目の重々しさとの歌い分けが見事です。
同じ歌詞、同じ旋律、同じ和声でも、歌い方によって表現する心象風景は異なりますね。譜読みを始める前に歌詞の意味と背景を詳しく説明したので、特別な指示を出す必要は無く、全員が「自然に」ああいう歌い方になりました。
長年一緒に歌って来たからこそ可能になったことだと思います。
合唱曲「故郷の島の俺の家」をCDで聴いた上でのご感想、ありがとうございます。
>「華やいだ雰囲気」の始まりから最後の「特異な情感」の和声への一連の流れはまるで、訥々と語っていくうちに段々と故郷の島への思いが嵩じていく「子供たちの祖父」の語り口や心象風景の変化のさまのようにも感じられました。
語り始めた時には強かった抑制が次第に薄れて行き、最後は感情を、自分でも予期しなかったほど開けっ広げに、表現するに至るのです。
>冒頭部は祭りの太鼓を連想させるような始まりが軽快で楽しく、女声二部と男性二部で異なる動きをするところは、寄せては返す波のようにも聞こえます。海の向こうの故郷を眺める男の姿が浮かんでくるようです。
遠くから見ても異国からの客と判るのにトルコ語を話すF青年と遭遇した時の老漁師の姿です。
>「あの頃までは」以降、小島さんの他の作品と比べると各声部の動きが同じ旋律を追って重なる部分が多いのが特徴的ですが、和声が複雑なため単調には感じません。そのまま男の独白となっている歌詞を際立たせる技法なのでしょうね。実際、男がこちらに向かって一人語りを始めたかのような感覚になります。
技法も、作曲者の意図も、御明察の通りです。「男がこちらに向かって一人語りを始めたかのような感覚にな」ることを望んだのです。
>「舟を漕いで 漕いで 漕いで」の部分のバリトンの動きは船の揺れのようにも、赤子をあやす父の声のようにも聞こえました。
それと、もう一つ、国境を越える突然の転居を余儀なくされた男の歎きも重なっています。
>「この丘のここんとこに来ると」に始まる一節は、1回目の華やかさと2回目の重々しさとの歌い分けが見事です。
同じ歌詞、同じ旋律、同じ和声でも、歌い方によって表現する心象風景は異なりますね。譜読みを始める前に歌詞の意味と背景を詳しく説明したので、特別な指示を出す必要は無く、全員が「自然に」ああいう歌い方になりました。
長年一緒に歌って来たからこそ可能になったことだと思います。
無題
作曲者の意図が感じ取れていたようで、嬉しく思います。
>語り始めた時には強かった抑制が次第に薄れて行き、最後は感情を、自分でも予期しなかったほど開けっ広げに、表現するに至るのです。
確かに問わず語りってそういうものですね。相手の反応を窺いつつ、途中で話を打ち止めにすることもあり得ます。
感情をここまで開けっ広げに表現するに至ったのは、聞き手のF青年がどう見ても異国からの客と判り、尚且つトルコ語で複雑な内容の会話を解することが分かったからこそだろうと想像します。
>国境を越える突然の転居を余儀なくされた男の歎き
そうですね。その後の「おお おお」の和声も含めて、不条理、理不尽さに対する歎き、悲しみ、憤怒が感じ取れます。
>特別な指示を出す必要は無く、全員が「自然に」ああいう歌い方になりました
素晴らしい団結です。技術面で熟練度が高いだけでなく、歌に載せて小島さんの人生経験や心象風景を共有し続けていることも大きな要因なのだろうと思います。
数日前の記事 https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-4591.html?sp で、次の作曲予定のことも知りました。老いを感じるという発言が増える一方で、創作意欲は益々旺盛と知るとこちらも嬉しくなります。
>語り始めた時には強かった抑制が次第に薄れて行き、最後は感情を、自分でも予期しなかったほど開けっ広げに、表現するに至るのです。
確かに問わず語りってそういうものですね。相手の反応を窺いつつ、途中で話を打ち止めにすることもあり得ます。
感情をここまで開けっ広げに表現するに至ったのは、聞き手のF青年がどう見ても異国からの客と判り、尚且つトルコ語で複雑な内容の会話を解することが分かったからこそだろうと想像します。
>国境を越える突然の転居を余儀なくされた男の歎き
そうですね。その後の「おお おお」の和声も含めて、不条理、理不尽さに対する歎き、悲しみ、憤怒が感じ取れます。
>特別な指示を出す必要は無く、全員が「自然に」ああいう歌い方になりました
素晴らしい団結です。技術面で熟練度が高いだけでなく、歌に載せて小島さんの人生経験や心象風景を共有し続けていることも大きな要因なのだろうと思います。
数日前の記事 https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-4591.html?sp で、次の作曲予定のことも知りました。老いを感じるという発言が増える一方で、創作意欲は益々旺盛と知るとこちらも嬉しくなります。
Re: 無題
星三郎さん
>数日前の記事https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-4591.htmlで、次の作曲予定のことも知りました。老いを感じるという発言が増える一方で、創作意欲は益々旺盛と知るとこちらも嬉しくなります。
某社からの原稿依頼もあり、日本語講座や折り紙教室の新年度で「多忙で嬉しい」時期です。合唱団員に新曲の前奏部分だけは歌って聞かせました。
「今週と来週は時間をたっぷり使うことが出来ないから、楽譜が完成するのは一ヶ月ぐらい先になる」
と知らせてあります。
いずれ、寄稿する記事のことも、新曲の歌詞も、ブログで発表します。
>数日前の記事https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-4591.htmlで、次の作曲予定のことも知りました。老いを感じるという発言が増える一方で、創作意欲は益々旺盛と知るとこちらも嬉しくなります。
某社からの原稿依頼もあり、日本語講座や折り紙教室の新年度で「多忙で嬉しい」時期です。合唱団員に新曲の前奏部分だけは歌って聞かせました。
「今週と来週は時間をたっぷり使うことが出来ないから、楽譜が完成するのは一ヶ月ぐらい先になる」
と知らせてあります。
いずれ、寄稿する記事のことも、新曲の歌詞も、ブログで発表します。
無題
嬉しい報せです。忙しさの中身が執筆や作詞作曲といった創造的な活動であるというのもまた素敵なことです。
それぞれ、公表できる時期が来るのを気長にお待ちしております。
それぞれ、公表できる時期が来るのを気長にお待ちしております。
Re: 無題
星三郎さん
原稿の送信と楽譜の完成は、同じ時期になりそうです。原稿は、その後、校正が入ります。ですから、ブログでの公表は、高確率で新曲のほうが先になると思います。
原稿の送信と楽譜の完成は、同じ時期になりそうです。原稿は、その後、校正が入ります。ですから、ブログでの公表は、高確率で新曲のほうが先になると思います。