コメント
No title
小島剛一文法で「活用形」というのは、学校文法で習わされる「かろ、かっ、く、う、い、い、けれ」という呪文のことではありません。「あつくなかったらしい」「あつかったそうだ」など、一続きで意味を成す「語幹+接辞(の連続)」のことです。
「かろ、かっ、く…」やりました。いや、やらされました(笑)今まで思いつかなかったのですが、考えてみれば、僕の学習した言語(習ったものも、自学自習したものも)では、動詞の活用は(形容詞も、名詞も、活用のあるものは全部)「一続きで意味を成す『語幹+接辞(の連続)』」で覚えました。教科書にもそう書いてありますし。
「-e, -es, -e, -ons, -ez, -ent」なんて覚えた記憶はありません。もちろん規則として頭にいれますが、「je parle, tu parles...」と覚えました。
どうして気が付かなかったんだろう。あんな覚えさせ方は、ヘンですよね。
「あなたの知性で理解できないことがあると主張したところで、あなたの知らない言語の構造や語彙や発音が変わることはありません。私は、現実の日本語をあるがままに教授します。私は、自分が苦労してフランス語を習った長い期間に、多数ある不規則動詞の活用を、文句を言わずに、全部覚えましたよ。『不規則動詞は、非論理的だから存在意義が無い。異言語人に覚えやすくなるようにフランス語文法を変えろ』などという傲岸不遜な発言をしたことはありません」
同感です。こういう合理的な反論がすぐに出てこないと、どんな生徒のやってくるかわからない異言語学習の先生は務まらないのかも知れませんね……。
みんなが書き写すのを待ちます。
剛一さんが教壇の前でゆっくりと歩きながら、生徒が書くのを十分に待っている姿が思い返されます。懐かしいなあ。
「かろ、かっ、く…」やりました。いや、やらされました(笑)今まで思いつかなかったのですが、考えてみれば、僕の学習した言語(習ったものも、自学自習したものも)では、動詞の活用は(形容詞も、名詞も、活用のあるものは全部)「一続きで意味を成す『語幹+接辞(の連続)』」で覚えました。教科書にもそう書いてありますし。
「-e, -es, -e, -ons, -ez, -ent」なんて覚えた記憶はありません。もちろん規則として頭にいれますが、「je parle, tu parles...」と覚えました。
どうして気が付かなかったんだろう。あんな覚えさせ方は、ヘンですよね。
「あなたの知性で理解できないことがあると主張したところで、あなたの知らない言語の構造や語彙や発音が変わることはありません。私は、現実の日本語をあるがままに教授します。私は、自分が苦労してフランス語を習った長い期間に、多数ある不規則動詞の活用を、文句を言わずに、全部覚えましたよ。『不規則動詞は、非論理的だから存在意義が無い。異言語人に覚えやすくなるようにフランス語文法を変えろ』などという傲岸不遜な発言をしたことはありません」
同感です。こういう合理的な反論がすぐに出てこないと、どんな生徒のやってくるかわからない異言語学習の先生は務まらないのかも知れませんね……。
みんなが書き写すのを待ちます。
剛一さんが教壇の前でゆっくりと歩きながら、生徒が書くのを十分に待っている姿が思い返されます。懐かしいなあ。
Re: No title
R君
早速のコメント、ありがとう。
>「かろ、かっ、く・・・」やりました。いや、やらされました(笑)(・・・) あんな覚えさせ方は、ヘンですよね。
変です。もっと子供にとって覚えやすい、とっつきやすい、出来ることなら楽しめるやり方を考案しなければならないのですが、日本では「現場の教師にとっては指導要領が絶対」とかいうことを時々耳にします。
>>みんなが書き写すのを待ちます。
>剛一さんが教壇の前でゆっくりと歩きながら、生徒が書くのを十分に待っている姿が(・・・)懐かしいなあ。
歩きながら、それとなく、受講者の書いている文字を観察します。「わ」と「れ」、「さ」と「ち」、「さ」と「き」、「め」と「ぬ」、「シ」と「ツ」、「う」と「ら」、「お」と「す」、「は」と「ほ」、「ん」と「h」などを混同していないかどうか見るのです。
コロナ禍のせいで流行(はや)っているオンライン講義とは、本質的に違います。教師と受講者が物理的に至近距離にいないと、異言語の効果的な学習は出来ません。
早速のコメント、ありがとう。
>「かろ、かっ、く・・・」やりました。いや、やらされました(笑)(・・・) あんな覚えさせ方は、ヘンですよね。
変です。もっと子供にとって覚えやすい、とっつきやすい、出来ることなら楽しめるやり方を考案しなければならないのですが、日本では「現場の教師にとっては指導要領が絶対」とかいうことを時々耳にします。
>>みんなが書き写すのを待ちます。
>剛一さんが教壇の前でゆっくりと歩きながら、生徒が書くのを十分に待っている姿が(・・・)懐かしいなあ。
歩きながら、それとなく、受講者の書いている文字を観察します。「わ」と「れ」、「さ」と「ち」、「さ」と「き」、「め」と「ぬ」、「シ」と「ツ」、「う」と「ら」、「お」と「す」、「は」と「ほ」、「ん」と「h」などを混同していないかどうか見るのです。
コロナ禍のせいで流行(はや)っているオンライン講義とは、本質的に違います。教師と受講者が物理的に至近距離にいないと、異言語の効果的な学習は出来ません。
無題
とても無礼な受講者ですね・・・。
とはいえ、私も母言語や自分たちの文化のことを棚に上げ、異言語や異国文化の特殊性ばかりを取り立てて騒ぐことが全くないとは言えません。反面教師にしなければと思います。
先生の縦書きの板書を横書きにして書き写す受講者は落伍しやすいという経験則も面白いですね。「R」様への返信コメントにもある通り、オンラインや通信教育がどんなに便利になったとしても、物理的に距離の近い、血の通った教育とは根本的に別物だということを忘れてはならないと感じます。
とはいえ、私も母言語や自分たちの文化のことを棚に上げ、異言語や異国文化の特殊性ばかりを取り立てて騒ぐことが全くないとは言えません。反面教師にしなければと思います。
先生の縦書きの板書を横書きにして書き写す受講者は落伍しやすいという経験則も面白いですね。「R」様への返信コメントにもある通り、オンラインや通信教育がどんなに便利になったとしても、物理的に距離の近い、血の通った教育とは根本的に別物だということを忘れてはならないと感じます。
Re: 無題
星三郎さん
>とても無礼な受講者ですね・・・。
只事ではない無礼さと愚かさでした。〈ああいう輩は、ごく稀にしか出現しない〉のが救いです。「表に出さないだけ」ということもあり得ますが。
>オンラインや通信教育がどんなに便利になったとしても、物理的に距離の近い、血の通った教育とは根本的に別物だということを忘れてはならない
その通りです。
ところが・・・忘れている人が、あるいは初めから何も分かっていない人が、政治や行政の中心的な位置を占めているのが困ったことです。そして、どこの国も似たり寄ったりらしいのです。
>とても無礼な受講者ですね・・・。
只事ではない無礼さと愚かさでした。〈ああいう輩は、ごく稀にしか出現しない〉のが救いです。「表に出さないだけ」ということもあり得ますが。
>オンラインや通信教育がどんなに便利になったとしても、物理的に距離の近い、血の通った教育とは根本的に別物だということを忘れてはならない
その通りです。
ところが・・・忘れている人が、あるいは初めから何も分かっていない人が、政治や行政の中心的な位置を占めているのが困ったことです。そして、どこの国も似たり寄ったりらしいのです。
No title
興味深いお話でした。たしかに「く」がなければ簡単に覚えやすいだろうとは思います。関西弁では「あつい」「あつない」といった言い方をしていますね。その人は関西弁を習うべきだったのかもしれません。「あつい、ない」だと「あつい」ことと「(何かが)ない」ことの両方を言っているように聞こえてしまいます。少なくとも標準語の基準では、意味理解の妨げになりますね。
このようなことは、日本人が外国語を勉強するときにもあるのでしょう。英語だと、なぜ a が必要なのかとか、複数形の s は必要かとか、三人称単数の s は必要ないとか思っている英語学習者はわりといると思います。サバイバル英語(買い物程度の英語)ならばそれでも済むかもしれません。結局、学習者の志がどの程度のものかに関わってくるのでしょう。
このようなことは、日本人が外国語を勉強するときにもあるのでしょう。英語だと、なぜ a が必要なのかとか、複数形の s は必要かとか、三人称単数の s は必要ないとか思っている英語学習者はわりといると思います。サバイバル英語(買い物程度の英語)ならばそれでも済むかもしれません。結局、学習者の志がどの程度のものかに関わってくるのでしょう。
Re: No title
泉正弘さん
>たしかに「く」がなければ簡単に覚えやすいだろうとは思います。
いや、日本語のイ形容詞の活用に現われる「く」には、まだ主文の終わりでも副文の終わりでもないことを示す機能があるのです。「あつく」と聞こえれば、或いは見えれば、
「暑く・・・なる」
「熱く・・・する」
「暑く・・・ない」
「暑く・・・てたまらない」
のように「何かが続く」ことが予見できます。
「あつい」と聞こえたら、或いは見えたら、そこが連体節か主文の終わりです。連体節の終わりなら被修飾名詞が後続します。主文の終わりなら、書き言葉では句点が後続し、話し言葉では頻繁に文末接辞の「よ」「ね」「わ」「か」などが文末であることを示します。
「あつい、する」などという音列・文字列は、日本語ではありません。
>関西弁では「あつい」「あつない」といった言い方をしていますね。
おや、そうですか。「あつい」の否定形は「あつうない」、「見たい」の否定形は「見とうない」と言うのではないでしょうか。〈単純に「く」が脱落している〉のだとは思えませんが。
>このようなことは、日本人が外国語を勉強するときにもあるのでしょう。英語だと、なぜ a が必要なのかとか、複数形の s は必要かとか、三人称単数の s は必要ないとか思っている英語学習者はわりといると思います。サバイバル英語(買い物程度の英語)ならばそれでも済むかもしれません。結局、学習者の志がどの程度のものかに関わってくるのでしょう。
御意。異言語の習得は、既知の言語とは異なる体系を一から習うことです。「主語が必須」の言語を習う時には、「存在しない主語」も、「文法的にでっちあげなくてはならない」のです。英語の「it」、ドイツ語の「es」、フランス語の「il」などには、「別に何を指すわけでも誰を指すわけでもない」用法がありますね。
>たしかに「く」がなければ簡単に覚えやすいだろうとは思います。
いや、日本語のイ形容詞の活用に現われる「く」には、まだ主文の終わりでも副文の終わりでもないことを示す機能があるのです。「あつく」と聞こえれば、或いは見えれば、
「暑く・・・なる」
「熱く・・・する」
「暑く・・・ない」
「暑く・・・てたまらない」
のように「何かが続く」ことが予見できます。
「あつい」と聞こえたら、或いは見えたら、そこが連体節か主文の終わりです。連体節の終わりなら被修飾名詞が後続します。主文の終わりなら、書き言葉では句点が後続し、話し言葉では頻繁に文末接辞の「よ」「ね」「わ」「か」などが文末であることを示します。
「
>関西弁では「あつい」「あつない」といった言い方をしていますね。
おや、そうですか。「あつい」の否定形は「あつうない」、「見たい」の否定形は「見とうない」と言うのではないでしょうか。〈
>このようなことは、日本人が外国語を勉強するときにもあるのでしょう。英語だと、なぜ a が必要なのかとか、複数形の s は必要かとか、三人称単数の s は必要ないとか思っている英語学習者はわりといると思います。サバイバル英語(買い物程度の英語)ならばそれでも済むかもしれません。結局、学習者の志がどの程度のものかに関わってくるのでしょう。
御意。異言語の習得は、既知の言語とは異なる体系を一から習うことです。「主語が必須」の言語を習う時には、「存在しない主語」も、「文法的にでっちあげなくてはならない」のです。英語の「it」、ドイツ語の「es」、フランス語の「il」などには、「別に何を指すわけでも誰を指すわけでもない」用法がありますね。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
「あつない」
>いや、日本語のイ形容詞の活用に現われる「く」には、まだ主文の終わりでも副文の終わりでもないことを示す機能があるのです。
もちろんそうですよね。少しでも真面目に外国語を勉強しようとするならば、その女性の態度はいただけませんね。
>「あつい」の否定形は「あつうない」、「見たい」の否定形は「見とうない」と言うのではないでしょうか。
「あつうない」の省略によって、「あつない」となっているのかもしれませんね。実際に「あつない」と言った関西人がいたので言及しました。もしかしたら方言内においての若者的表現、比較的新しい使い方なのかもしれません。
もちろんそうですよね。少しでも真面目に外国語を勉強しようとするならば、その女性の態度はいただけませんね。
>「あつい」の否定形は「あつうない」、「見たい」の否定形は「見とうない」と言うのではないでしょうか。
「あつうない」の省略によって、「あつない」となっているのかもしれませんね。実際に「あつない」と言った関西人がいたので言及しました。もしかしたら方言内においての若者的表現、比較的新しい使い方なのかもしれません。
Re: 「あつない」
泉正弘さん
>「あつうない」の省略によって、「あつない」となっているのかもしれませんね。実際に「あつない」と言った関西人がいたので言及しました。もしかしたら方言内においての若者的表現、比較的新しい使い方なのかもしれません。
「あつぅない」とでも書ける「半長音」の発音ならF爺も聞いたことがあります。泉正弘さんには、半長音が聞き分けられますか。
>「あつうない」の省略によって、「あつない」となっているのかもしれませんね。実際に「あつない」と言った関西人がいたので言及しました。もしかしたら方言内においての若者的表現、比較的新しい使い方なのかもしれません。
「あつぅない」とでも書ける「半長音」の発音ならF爺も聞いたことがあります。泉正弘さんには、半長音が聞き分けられますか。
あつない
猫またぎです。関西、限定的にいうと堺市の浜寺地区、10分も歩けば高石市、というところで育ちました。感覚的な話で申し訳ないのですが「暑い」の否定形は、年配の方は「あつぅない」、若い方は「あつない」というように感じます。「でかけよか?」「外まだ暑いで」「あつないあつない大丈夫や」といった感じです。地元の人同士の会話なら間違っても「あつくない」とは言わないと思います。
半長音
>泉正弘さんには、半長音が聞き分けられますか。
正直に言うと、私には無理だと思います。そもそも日本語(標準語の場合)に半長音があるのかどうかすらわかりません。私なら「あつぅない」は、「あつない」か「あつうない」かのどちらかで聞き取ってしまうと思います。これは私の聴取力の問題なのでしょう。
あるいは私は関東人なので、ほぼ標準語の日本語話者であると思います。そのため、標準語以外の方言の聞き取りには弱いのかもしれません。
正直に言うと、私には無理だと思います。そもそも日本語(標準語の場合)に半長音があるのかどうかすらわかりません。私なら「あつぅない」は、「あつない」か「あつうない」かのどちらかで聞き取ってしまうと思います。これは私の聴取力の問題なのでしょう。
あるいは私は関東人なので、ほぼ標準語の日本語話者であると思います。そのため、標準語以外の方言の聞き取りには弱いのかもしれません。
Re: あつない
「猫またぎ」さん
>関西、限定的にいうと堺市の浜寺地区、10分も歩けば高石市、というところで育ちました。感覚的な話で申し訳ないのですが「暑い」の否定形は、年配の方は「あつぅない」、若い方は「あつない」というように感じます。「でかけよか?」「外まだ暑いで」「あつないあつない大丈夫や」といった感じです。
年代によって発音が異なるということですね。
標準語の「痛くない」に相当する言い方は、浜寺地区ではどうなっていますか。
年配の方は「いとぅない」と言うのではないかと推測していますが、どうでしょうか。若い人は、どんな発音でしょうか。
>関西、限定的にいうと堺市の浜寺地区、10分も歩けば高石市、というところで育ちました。感覚的な話で申し訳ないのですが「暑い」の否定形は、年配の方は「あつぅない」、若い方は「あつない」というように感じます。「でかけよか?」「外まだ暑いで」「あつないあつない大丈夫や」といった感じです。
年代によって発音が異なるということですね。
標準語の「痛くない」に相当する言い方は、浜寺地区ではどうなっていますか。
年配の方は「いとぅない」と言うのではないかと推測していますが、どうでしょうか。若い人は、どんな発音でしょうか。
痛くない
年配の方は「いとぅない」、若い方は「いとない」または「いたない」と言います。「いとない」よりも「いたない」の方が若干舌足らずな、あるいは幼い感じがしますが大人が使わない、というほどではありません。「見たくない」も同様、「みとぅない」「みとない」「みたない」いずれも耳にします。因みに「見たない」と「満たない」は抑揚が異なるので聞き間違えることはないと思います。
私は50代後半、泉南と呼ばれるエリアでは堺、貝塚、泉大津、泉佐野に同年代の知人がいますが、おそらく誰も「あつぅない」「みとぅない」とは言いません。同年代が「あつぅない」と言ったとしたら「おっとりしている」「年寄り臭い」と感じるのではないかと思います。
私は50代後半、泉南と呼ばれるエリアでは堺、貝塚、泉大津、泉佐野に同年代の知人がいますが、おそらく誰も「あつぅない」「みとぅない」とは言いません。同年代が「あつぅない」と言ったとしたら「おっとりしている」「年寄り臭い」と感じるのではないかと思います。
Re: 半長音
泉正弘さん
>>泉正弘さんには、半長音が聞き分けられますか。
>正直に言うと、私には無理だと思います。そもそも日本語(標準語の場合)に半長音があるのかどうかすらわかりません。私なら「あつぅない」は、「あつない」か「あつうない」かのどちらかで聞き取ってしまうと思います。これは私の聴取力の問題なのでしょう。
あるいは私は関東人なので、ほぼ標準語の日本語話者であると思います。そのため、標準語以外の方言の聞き取りには弱いのかもしれません。
ご推察の通りです。弁別的な半長音は、関東諸語にはありません。自分の話す言語に存在しない音素や音韻単位、音調単位などは、簡単には聞き取れないものなのです。
この記事に届いている関西人の「猫またぎ」さんのコメントを是非ご覧ください。
>>泉正弘さんには、半長音が聞き分けられますか。
>正直に言うと、私には無理だと思います。そもそも日本語(標準語の場合)に半長音があるのかどうかすらわかりません。私なら「あつぅない」は、「あつない」か「あつうない」かのどちらかで聞き取ってしまうと思います。これは私の聴取力の問題なのでしょう。
あるいは私は関東人なので、ほぼ標準語の日本語話者であると思います。そのため、標準語以外の方言の聞き取りには弱いのかもしれません。
ご推察の通りです。弁別的な半長音は、関東諸語にはありません。自分の話す言語に存在しない音素や音韻単位、音調単位などは、簡単には聞き取れないものなのです。
この記事に届いている関西人の「猫またぎ」さんのコメントを是非ご覧ください。
Re: 痛くない
「猫またぎ」さん
迅速なご返信、ありがとうございます。
>年配の方は「いとぅない」、若い方は「いとない」または「いたない」と言います。「いとない」よりも「いたない」の方が若干舌足らずな、あるいは幼い感じがしますが大人が使わない、というほどではありません。「見たくない」も同様、「みとぅない」「みとない」「みたない」いずれも耳にします。
活用に変化があって、三種類の発音が今のところは併存しているのですね。良く分りました。
>私は50代後半、泉南と呼ばれるエリアでは堺、貝塚、泉大津、泉佐野に同年代の知人がいますが、おそらく誰も「あつぅない」「みとぅない」とは言いません。同年代が「あつぅない」と言ったとしたら「おっとりしている」「年寄り臭い」と感じるのではないかと思います。
ははあ、そういうものですか。F爺が「あつぅない」と言ったら、年齢相応と見られるのでしょうね。
迅速なご返信、ありがとうございます。
>年配の方は「いとぅない」、若い方は「いとない」または「いたない」と言います。「いとない」よりも「いたない」の方が若干舌足らずな、あるいは幼い感じがしますが大人が使わない、というほどではありません。「見たくない」も同様、「みとぅない」「みとない」「みたない」いずれも耳にします。
活用に変化があって、三種類の発音が今のところは併存しているのですね。良く分りました。
>私は50代後半、泉南と呼ばれるエリアでは堺、貝塚、泉大津、泉佐野に同年代の知人がいますが、おそらく誰も「あつぅない」「みとぅない」とは言いません。同年代が「あつぅない」と言ったとしたら「おっとりしている」「年寄り臭い」と感じるのではないかと思います。
ははあ、そういうものですか。F爺が「あつぅない」と言ったら、年齢相応と見られるのでしょうね。
「見たない」「痛ない」
○経験則
私は関西(大津市、京都市)に生まれ、在住している20代です。大阪府の吹田市に数年住んでいたこともあります。
猫またぎさんのおっしゃるように、日常会話では「あつない」「いたない」と発音されているケースが殆どです(もっとも、ビジネスの場や目上の方との会話で使われる例はほぼ耳にしないので、敬語との相性は悪い発音だと思います。そもそもこのような場では関西弁自体の使用が憚られる場合が常かと存じますのであまり問題とならないでしょう。)。
[用例]
「今日ちょっと暑ない?」(疑問)
「いやそんなに暑ないやろ」(否定)
「今日ワクチンの注射打ってきたけど思ったより痛なかったわ」(「痛い」+「ない(打消)」+「た(完了)」)
「お前こんなん見たないやろ」(「見たくないでしょう?」の意)
(補足:猫またぎさんも同様のことをおっしゃってますが、「見たない」と「満たない」とのイントネーションは違います。「押さない」と「小山内」との違いに似ているように感じます。)
○小考察
私の世代では「あつない」がポピュラーな発音です。親しい友人間で「あつくない」と正しく発音するとやや形式ばった印象が生じ、ややもすると関東出身の人(標準語圏の人)なのかなと誤解されることもあります。
また、「あつうない」「いとうない」といったウ音便が使用されることもあります(「あつうない」のほうが「いとうない」よりもやや日常使用として自然な印象です。「いとうない」は発話者がかなりご年配の方なのかなという印象を受けます。)。
「あつぅない」「いとぅない」という発音は少しイメージしづらく、「あつない」「いたない」との違いを正確に聞き分けられている自信はありません。しかし、京都市出身である私の母及び祖母はしばしば「いと(*)ない」と発音することがあり得たように記憶しています。
(*「た」と「と」の中間音と表現すればいいのでしょうか。「a」の口唇のまま「o」と発音するイメージです。)
もしかすると、形容詞+「ない」の「ウ音便」について「う」の部分が徐々に弱音となり、「ら抜き言葉」のように変じ、「語呂の良さ」から比較的若い世代に定着したのかもしれません。
他にも、「赤くない」は「あかない」、「強くない」は「つよない」、「詳しくない」は「くわしない」、「楽しくない」は「たのしない」など、ク活用・シク活用問わず形容詞一般について、「語幹+ない」の発音を自然と耳にします。
ただし、「幼くない」「汚くない」について「おさなない」「きたなない」は耳にしたことたことがありません。
なお、書き言葉として「熱ない」「痛ない」と表記されている例は見たことがありませんし、私もこのようには書きません。
○話は変わりますが
小島先生は「あつそうだ」と「あついそうだ」の違いを仏語圏の受講生にどのようにご教授されているのでしょうか。
前者は「推量」、後者は「伝聞」でしょうか……。
日本語話者の私もやや混乱する部分です。
私は関西(大津市、京都市)に生まれ、在住している20代です。大阪府の吹田市に数年住んでいたこともあります。
猫またぎさんのおっしゃるように、日常会話では「あつない」「いたない」と発音されているケースが殆どです(もっとも、ビジネスの場や目上の方との会話で使われる例はほぼ耳にしないので、敬語との相性は悪い発音だと思います。そもそもこのような場では関西弁自体の使用が憚られる場合が常かと存じますのであまり問題とならないでしょう。)。
[用例]
「今日ちょっと暑ない?」(疑問)
「いやそんなに暑ないやろ」(否定)
「今日ワクチンの注射打ってきたけど思ったより痛なかったわ」(「痛い」+「ない(打消)」+「た(完了)」)
「お前こんなん見たないやろ」(「見たくないでしょう?」の意)
(補足:猫またぎさんも同様のことをおっしゃってますが、「見たない」と「満たない」とのイントネーションは違います。「押さない」と「小山内」との違いに似ているように感じます。)
○小考察
私の世代では「あつない」がポピュラーな発音です。親しい友人間で「あつくない」と正しく発音するとやや形式ばった印象が生じ、ややもすると関東出身の人(標準語圏の人)なのかなと誤解されることもあります。
また、「あつうない」「いとうない」といったウ音便が使用されることもあります(「あつうない」のほうが「いとうない」よりもやや日常使用として自然な印象です。「いとうない」は発話者がかなりご年配の方なのかなという印象を受けます。)。
「あつぅない」「いとぅない」という発音は少しイメージしづらく、「あつない」「いたない」との違いを正確に聞き分けられている自信はありません。しかし、京都市出身である私の母及び祖母はしばしば「いと(*)ない」と発音することがあり得たように記憶しています。
(*「た」と「と」の中間音と表現すればいいのでしょうか。「a」の口唇のまま「o」と発音するイメージです。)
もしかすると、形容詞+「ない」の「ウ音便」について「う」の部分が徐々に弱音となり、「ら抜き言葉」のように変じ、「語呂の良さ」から比較的若い世代に定着したのかもしれません。
他にも、「赤くない」は「あかない」、「強くない」は「つよない」、「詳しくない」は「くわしない」、「楽しくない」は「たのしない」など、ク活用・シク活用問わず形容詞一般について、「語幹+ない」の発音を自然と耳にします。
ただし、「幼くない」「汚くない」について「おさなない」「きたなない」は耳にしたことたことがありません。
なお、書き言葉として「熱ない」「痛ない」と表記されている例は見たことがありませんし、私もこのようには書きません。
○話は変わりますが
小島先生は「あつそうだ」と「あついそうだ」の違いを仏語圏の受講生にどのようにご教授されているのでしょうか。
前者は「推量」、後者は「伝聞」でしょうか……。
日本語話者の私もやや混乱する部分です。
Re: 「見たない」「痛ない」
浅尾円人(Asao Haruto)さん
実例を示してのご報告、ありがとうございます。F爺が遥か昔、日本に住んでいた頃に遭遇した「同年配の」関西人は、皆、今は当然70歳台なのです。その年代の人の発音が耳に残っているため、大きな年齢差のある人の京阪諸語の現状を把握するのは簡単なことではありません。
>小島先生は「あつそうだ」と「あついそうだ」の違いを仏語圏の受講生にどのようにご教授されているのでしょうか。
「あついそうだ」は、「確かな伝聞」です。話者は、誰かが「あつい」と言ったのを明確に聞いたのです。あるいは、特定の文書に「あつい」と書いてあるのを読んだのです。
「あついらしい」は「誰がそう言ったのだったか良く憶えていない」または「発言者が誰であるかを言いたくない」「どの文書で読んだのだったか憶えていない」などの場合に用いるのに対して、「あついそうだ」と言えば対話者は「誰の発言であるかを知っているのだ」と考えます。
「あつそうだ」は、「確信のある推定」です。遮(さえぎ)るものの無い所で誰かを至近距離で観察して、汗の掻き方、赤らんでいる顔色、喘ぐような呼吸、胸元をはだけようとする様子などから
《あついと感じていることが何も言わなくても判る》
という意味です。
これに対して「あついようだ」は、「さほど確信の無い推量」です。遠距離からの観察だったり眼鏡を外している時だったり、あるいはカーテンの陰や磨りガラスの向こうにいる人物の感覚を推し量る時に用います。
実例を示してのご報告、ありがとうございます。F爺が遥か昔、日本に住んでいた頃に遭遇した「同年配の」関西人は、皆、今は当然70歳台なのです。その年代の人の発音が耳に残っているため、大きな年齢差のある人の京阪諸語の現状を把握するのは簡単なことではありません。
>小島先生は「あつそうだ」と「あついそうだ」の違いを仏語圏の受講生にどのようにご教授されているのでしょうか。
「あついそうだ」は、「確かな伝聞」です。話者は、誰かが「あつい」と言ったのを明確に聞いたのです。あるいは、特定の文書に「あつい」と書いてあるのを読んだのです。
「あついらしい」は「誰がそう言ったのだったか良く憶えていない」または「発言者が誰であるかを言いたくない」「どの文書で読んだのだったか憶えていない」などの場合に用いるのに対して、「あついそうだ」と言えば対話者は「誰の発言であるかを知っているのだ」と考えます。
「あつそうだ」は、「確信のある推定」です。遮(さえぎ)るものの無い所で誰かを至近距離で観察して、汗の掻き方、赤らんでいる顔色、喘ぐような呼吸、胸元をはだけようとする様子などから
《あついと感じていることが何も言わなくても判る》
という意味です。
これに対して「あついようだ」は、「さほど確信の無い推量」です。遠距離からの観察だったり眼鏡を外している時だったり、あるいはカーテンの陰や磨りガラスの向こうにいる人物の感覚を推し量る時に用います。
あつくはない
猫またぎです。浅尾さんの投稿に賛同します。これまでの話をまとめると、少なくとも湖西・京都南部・北摂から泉南にかけての範囲で、70歳以上の世代と60歳以下の世代の間のどこかで、イ形容詞の活用に大きな変化(断層)があったらしい、ということが言えそうです。その変化が何によるものか、素人はついテレビなどメディアのせいにしそうですが、このような変化(断層)はおそらく過去いつの時代にも起こっていることであり、その理由を考えても詮無いことのような気がします。
ところで、「暑くはない」「痛くはない」という標準語を泉南で言うとすれば、60代以下の世代であっても「あつうはない」「いとうはない」と言うことに気付きました。浅尾さんの例でいくと、赤くはない→あこうはない、強くはない→つようはない、となります。詳しくはない→くわしいはない、楽しくはない→たのしいはない、は少し違和感があります。年配の方なら「くわしゅうはない」「たのしゅうはない」と言うでしょうが、50代以下ではあまり耳にしません。敢えて言うなら、くわしくはない、たのしくはない、と標準語通りに言うと思います。幼くはない→おさのうはない、汚くはない→きたのうはない、はいずれも口に出して言っても違和感はありません。ただ、「う」が長音か半長音かは私にはよく分かりません(世代ごとの微細な差異があるような気もしますが確証はありません)。
60代のどこかで断層がある件については他の例もあると思います。また思いついたらコメント致します。
ところで、「暑くはない」「痛くはない」という標準語を泉南で言うとすれば、60代以下の世代であっても「あつうはない」「いとうはない」と言うことに気付きました。浅尾さんの例でいくと、赤くはない→あこうはない、強くはない→つようはない、となります。詳しくはない→くわしいはない、楽しくはない→たのしいはない、は少し違和感があります。年配の方なら「くわしゅうはない」「たのしゅうはない」と言うでしょうが、50代以下ではあまり耳にしません。敢えて言うなら、くわしくはない、たのしくはない、と標準語通りに言うと思います。幼くはない→おさのうはない、汚くはない→きたのうはない、はいずれも口に出して言っても違和感はありません。ただ、「う」が長音か半長音かは私にはよく分かりません(世代ごとの微細な差異があるような気もしますが確証はありません)。
60代のどこかで断層がある件については他の例もあると思います。また思いついたらコメント致します。
猫またぎさんと浅尾円人(Asao Haruto)さんのコメント
猫またぎさんのコメントを拝読しました。
>年配の方は「あつぅない」、若い方は「あつない」というように感じます。
関西弁の喋りについて、頭の中の乏しい記憶を辿ると、言われてみれば年配者の関西弁の方が、ゆったり発音していたような気がします。若い人の方がせわしない感じに聞こえます。私が聞いた「あつない」も比較的に若い人でした。
>同年代が「あつぅない」と言ったとしたら「おっとりしている」「年寄り臭い」と感じるのではないかと思います。
私は関西の人間ではありませんが、これは何となくわかるような気がします。少し尖った言い方のほうが現代風に聞こえるのではないでしょうか。関東では「○○じゃない」(「○○ではないか」の意)というと少し馬鹿にされ、「○○じゃん」と言った方が好まれるというのがあります(比較的若い世代で)。そのような微妙な言い方の違いで、ある種の区別というか、もっと言えば差別があるような気がします。
浅尾円人(Asao Haruto)さんのコメントも興味深いです。やはり「あつない」が浅尾さんの世代ではポピュラーなのですね。
>もしかすると、形容詞+「ない」の「ウ音便」について「う」の部分が徐々に弱音となり、「ら抜き言葉」のように変じ、「語呂の良さ」から比較的若い世代に定着したのかもしれません。
若者的表現だと標準語が取りだたされますが、実は関西方言などにも特有の若者的表現があるのかもしれません。あっても不思議ではないと思います。
>年配の方は「あつぅない」、若い方は「あつない」というように感じます。
関西弁の喋りについて、頭の中の乏しい記憶を辿ると、言われてみれば年配者の関西弁の方が、ゆったり発音していたような気がします。若い人の方がせわしない感じに聞こえます。私が聞いた「あつない」も比較的に若い人でした。
>同年代が「あつぅない」と言ったとしたら「おっとりしている」「年寄り臭い」と感じるのではないかと思います。
私は関西の人間ではありませんが、これは何となくわかるような気がします。少し尖った言い方のほうが現代風に聞こえるのではないでしょうか。関東では「○○じゃない」(「○○ではないか」の意)というと少し馬鹿にされ、「○○じゃん」と言った方が好まれるというのがあります(比較的若い世代で)。そのような微妙な言い方の違いで、ある種の区別というか、もっと言えば差別があるような気がします。
浅尾円人(Asao Haruto)さんのコメントも興味深いです。やはり「あつない」が浅尾さんの世代ではポピュラーなのですね。
>もしかすると、形容詞+「ない」の「ウ音便」について「う」の部分が徐々に弱音となり、「ら抜き言葉」のように変じ、「語呂の良さ」から比較的若い世代に定着したのかもしれません。
若者的表現だと標準語が取りだたされますが、実は関西方言などにも特有の若者的表現があるのかもしれません。あっても不思議ではないと思います。
Re: あつくはない
「猫またぎ」さん
>少なくとも湖西・京都南部・北摂から泉南にかけての範囲で、70歳以上の世代と60歳以下の世代の間のどこかで、イ形容詞の活用に大きな変化(断層)があったらしい、ということが言えそうです。
そうとしか考えられませんね。
>ところで、「暑くはない」「痛くはない」という標準語を泉南で言うとすれば、60代以下の世代であっても「あつうはない」「いとうはない」と言うことに気付きました。浅尾さんの例でいくと、赤くはない→あこうはない、強くはない→つようはない、となります。
ああ、やっぱりそうでしたか。2019年までの関西人同士が交わす会話の記憶があって腑に落ちないので質問してみようかと思っていたところでした。貴重な補足情報、ありがとうございます。
>詳しくはない→くわしいはない、楽しくはない→たのしいはない、は少し違和感があります。年配の方なら「くわしゅうはない」「たのしゅうはない」と言うでしょうが、50代以下ではあまり耳にしません。敢えて言うなら、くわしくはない、たのしくはない、と標準語通りに言うと思います。幼くはない→おさのうはない、汚くはない→きたのうはない、はいずれも口に出して言っても違和感はありません。
複雑な様相を呈していますね。変遷ってそういうものなので、驚かない・・・と言うよりも、安堵しました。
>60代のどこかで断層がある件については他の例もあると思います。また思いついたらコメント致します。
お待ちしております。とても楽しみです。
>少なくとも湖西・京都南部・北摂から泉南にかけての範囲で、70歳以上の世代と60歳以下の世代の間のどこかで、イ形容詞の活用に大きな変化(断層)があったらしい、ということが言えそうです。
そうとしか考えられませんね。
>ところで、「暑くはない」「痛くはない」という標準語を泉南で言うとすれば、60代以下の世代であっても「あつうはない」「いとうはない」と言うことに気付きました。浅尾さんの例でいくと、赤くはない→あこうはない、強くはない→つようはない、となります。
ああ、やっぱりそうでしたか。2019年までの関西人同士が交わす会話の記憶があって腑に落ちないので質問してみようかと思っていたところでした。貴重な補足情報、ありがとうございます。
>詳しくはない→くわしいはない、楽しくはない→たのしいはない、は少し違和感があります。年配の方なら「くわしゅうはない」「たのしゅうはない」と言うでしょうが、50代以下ではあまり耳にしません。敢えて言うなら、くわしくはない、たのしくはない、と標準語通りに言うと思います。幼くはない→おさのうはない、汚くはない→きたのうはない、はいずれも口に出して言っても違和感はありません。
複雑な様相を呈していますね。変遷ってそういうものなので、驚かない・・・と言うよりも、安堵しました。
>60代のどこかで断層がある件については他の例もあると思います。また思いついたらコメント致します。
お待ちしております。とても楽しみです。
ご教授への謝辞/「暑ない」「痛ない」の補足
○謝辞
「あつそうだ」「あついそうだ」の違いについて詳細に解説していただきありがとうございます。たいへん勉強になりました。
○補足
形容詞の活用語尾の扱いについて世代によって断層があるという猫またぎさんのご指摘は非常に興味深いです。小島先生のように数十年多ヵ国語を勉強していらっしゃる方からすると、世代による変遷は割と普遍的な現象なのでしょうか。
この話題に関して補足するならば、関西弁(少なくとも私の地域)で活用語尾が発音されない現象は、打消の助動詞「ない」(つまりク活用・シク活用形容詞の未然形)に限らず、「(~に)なる」に接続する場合(つまり連用形)にも見られます。
すなわち、
「暑くなる」は「あつなる」
(例「今日めっちゃあつなるらしいから涼しいカッコして行きや」)
「痛くなる」は「いたなる」
(例「さっき転けて打ったとこ段々いたなってきたわ」)
という具合です。
しかも動詞「なる」に連なる場合には、「ない」では不自然な例として取り上げた「汚い」「幼い」「拙い」にも妥当する用例を(あまり頻度は高くないですが友人同士の軽口などのシチュエーションで)耳にします。
すなわち、
「汚くなる」は「きたななる」
(例「お前の部屋かなりきたななってきたからちょっとは片付けや」)
「拙くなる」は「つたななる」
(例「ちょっとサボってただけでめっちゃ英語の発音つたななってるやん」)
という具合です。
「あつそうだ」「あついそうだ」の違いについて詳細に解説していただきありがとうございます。たいへん勉強になりました。
○補足
形容詞の活用語尾の扱いについて世代によって断層があるという猫またぎさんのご指摘は非常に興味深いです。小島先生のように数十年多ヵ国語を勉強していらっしゃる方からすると、世代による変遷は割と普遍的な現象なのでしょうか。
この話題に関して補足するならば、関西弁(少なくとも私の地域)で活用語尾が発音されない現象は、打消の助動詞「ない」(つまりク活用・シク活用形容詞の未然形)に限らず、「(~に)なる」に接続する場合(つまり連用形)にも見られます。
すなわち、
「暑くなる」は「あつなる」
(例「今日めっちゃあつなるらしいから涼しいカッコして行きや」)
「痛くなる」は「いたなる」
(例「さっき転けて打ったとこ段々いたなってきたわ」)
という具合です。
しかも動詞「なる」に連なる場合には、「ない」では不自然な例として取り上げた「汚い」「幼い」「拙い」にも妥当する用例を(あまり頻度は高くないですが友人同士の軽口などのシチュエーションで)耳にします。
すなわち、
「汚くなる」は「きたななる」
(例「お前の部屋かなりきたななってきたからちょっとは片付けや」)
「拙くなる」は「つたななる」
(例「ちょっとサボってただけでめっちゃ英語の発音つたななってるやん」)
という具合です。
Re: 猫またぎさんと浅尾円人(Asao Haruto)さんのコメント
泉正弘さん
さまざまなご意見が集まって、だんだん全貌に近いものが見えて来ていますね。喜ばしいことです。
>若者的表現だと標準語が取り[ざ]たされますが、実は関西方言などにも特有の若者的表現があるのかもしれません。あっても不思議ではないと思います。
「若者的表現」は、地域言語を含めて全ての自然言語で確認できる現象です。京阪諸語にも、当然、あるのです。その一部分しか定着はしませんが。
さまざまなご意見が集まって、だんだん全貌に近いものが見えて来ていますね。喜ばしいことです。
>若者的表現だと標準語が取り[ざ]たされますが、実は関西方言などにも特有の若者的表現があるのかもしれません。あっても不思議ではないと思います。
「若者的表現」は、地域言語を含めて全ての自然言語で確認できる現象です。京阪諸語にも、当然、あるのです。その一部分しか定着はしませんが。
Re: ご教授への謝辞/「暑ない」「痛ない」の補足
浅尾円人(Asao Haruto)さん
京阪諸語のイ形容詞+「なる」の場合のご報告、ありがとうございます。ますます面白くなって来ました。
>世代による変遷は割と普遍的な現象なのでしょうか。
「割りと」ではありません。全ての自然言語で観察する普遍的な現象です。変遷の速度には大きな違いがありますが。
>数十年多ヵ国語を勉強
言語の数と国家の数は、一致しません。言語域の境と国境も一致しないのが普通です。「□ヶ国語」という言い方は、日本でだけ人口に膾炙していますが、意味を成さないのです。例えば、ラズ語とザザ語とクルド語は、どこの「国語」にもなっていません。この三言語を話す人は「一ヶ国語も話さない」のです。
辞書も文法書も教科書もあり、録音録画した資料も揃っている言語の習得は、「勉強」でしょう。F爺の習得した言語の中では、英語やフランス語がそれに相当します。
ところが、ラズ語やザザ語には、F爺が現地に赴いて研究調査を始めた時代には、辞書も文法書も教科書も録音資料も無かったのです。「勉強」という気楽なものではありませんでした。
研究者のしていることを「勉強」と呼ぶのは、おやめください。
京阪諸語のイ形容詞+「なる」の場合のご報告、ありがとうございます。ますます面白くなって来ました。
「割りと」ではありません。全ての自然言語で観察する普遍的な現象です。変遷の速度には大きな違いがありますが。
>数十年
言語の数と国家の数は、一致しません。言語域の境と国境も一致しないのが普通です。「□ヶ国語」という言い方は、日本でだけ人口に膾炙していますが、意味を成さないのです。例えば、ラズ語とザザ語とクルド語は、どこの「国語」にもなっていません。この三言語を話す人は「一ヶ国語も話さない」のです。
辞書も文法書も教科書もあり、録音録画した資料も揃っている言語の習得は、「勉強」でしょう。F爺の習得した言語の中では、英語やフランス語がそれに相当します。
ところが、ラズ語やザザ語には、F爺が現地に赴いて研究調査を始めた時代には、辞書も文法書も教科書も録音資料も無かったのです。「勉強」という気楽なものではありませんでした。
研究者のしていることを「勉強」と呼ぶのは、おやめください。
ネット・ゴキブリ認定のお知らせ
読者の皆様
この記事にコメントを数通投稿した「浅尾円人(Asao Haruto)」と称する輩は、匿名の陰に隠れて次から次へと虚報発信をすることで快感を得る虚言症ネット・ゴキブリです。コメントの内容に信憑性は全くありません。
詳しいことは、当ブログの記事〈「実定法学を専攻している」と称するネット・ゴキブリ
〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3542.htmlをご覧ください。
この記事にコメントを数通投稿した「浅尾円人(Asao Haruto)」と称する輩は、匿名の陰に隠れて次から次へと虚報発信をすることで快感を得る虚言症ネット・ゴキブリです。コメントの内容に信憑性は全くありません。
詳しいことは、当ブログの記事〈「実定法学を専攻している」と称するネット・ゴキブリ
〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3542.htmlをご覧ください。