井伏鱒二を猪瀬直樹が中傷していた
- 2021/06/17
- 18:09
今日の二本目の記事です。
外科医の望月吉彦先生のサイトの「黒い雨」シリーズの第三篇が発表になりました。前篇と前々篇でなかなか本題に入らないのを不思議に思っていたのですが、
《「黒い雨」と言うからには、いずれ原爆や被爆者のことが記事の主題になるのだろう》
と見当は付いていました。
やっと第三篇が出て・・・自分の浦島症候群の深刻さを、またまた、認識しました。
《これで何千回目だろう・・・》
『黒い雨』
『黒い雨』は、井伏鱒二(1898~1993)の著書の題名です。井伏自身が、『井伏鱒二自選全集』第六巻の「覚え書」に次のような内容のことを書いているそうです。
【重松静馬氏の被爆日記、重松夫人の戦時中の食糧雑記、岩竹博医師の被爆日記、岩竹医師夫人の看護日記、何人もの被爆者の体験談、家屋疎開勤労奉仕隊数人の体験談、及び各人の解説によって書いたドキュメントであって、小説ではない】
この作品は、野間文芸賞を受賞していますが、受賞の言葉として、井伏鱒二がこう書いているそうです。
*****
私は『黒い雨』で二人の人物の手記その他の記録を扱ったが、取材のとき被爆者の有様を話してくれる人たちに共通していることは、初めのうちは原爆の話をしたがらないことであった。もう一つ共通していることは、話しているうちに実感を蘇らせてくると絶句してぐっと息をつまらせることであった。思い出す阿鼻叫喚の光景に圧倒されるのだ。そのつど私は、ノートを取っている自分を浅ましく思った。
要するにこの作品は新聞の切抜、医者のカルテ、手記、記録、人の噂、速記、参考書、ノート、録音などによって書いたものである。ルポルタージュのようなものだから純粋な小説とは云われない。その点、今度の野間賞を受けるについて少し気にかかる。
*****
ここまでは、浦島F爺も朧(おぼろ)げに風の便りに聞くことがあったのですが、初耳なのは、次のことです。
猪瀬直樹が酷評
【後に東京都知事になった猪瀬直樹が、井伏鱒二の『黒い雨』を(*)無価値だと断じていた】
というのです。
(*) ウェブ検索してみたら、『黒い雨』以外にも、いくつもの井伏作品をこきおろしていたことが判りました。また、猪瀬直樹以前にも『黒い雨』に「盗作疑惑」を掛けた輩(やから)がいたけれども、中傷であることが判明して、その論議は立ち消えになったということです。「存在しない瑕疵を捏造して誹謗中傷する輩」って、あちこちにいたのですね。
ある年齢以上の日本人でこのことを今まで知らなかったのは、F爺だけかもしれません。
反論
望月吉彦先生がこうお書きになっています。なお、引用文中の太赤字は、原文通りです。
*****
猪瀬直樹氏は「黒い雨」の6割以上は「重松日記」のリライトだと断じています(文献2)。
私は「黒い雨」と「重松日記」の両方を読んだのですがどちらも「良い」と思います。重なる部分も多いのですが、井伏鱒二の表現方法は独特です。井伏鱒二ならではの表現方法で原爆の悲劇を伝えています。一方「重松日記」は素人が書いたとは思えないほど、冷静に原爆投下後の広島の現状を書き記しています。どちらも素晴らしいと思います。「重松日記」はあまり知られていませんが是非お読みになることをお勧めします。「重松日記」には井伏鱒二から重松氏への手紙も収載されています。興味深いです。
*****
猪瀬直樹を酷評する人も
望月吉彦先生の記事の末尾の「重要な余話」が傑作です。全文引用します。引用文中の引用は、F爺が勝手に色分けをしました。
#####
私が尊敬している日本文学者で評論家としても活躍した故「板坂元(いたさかげん)」氏は、猪瀬直樹氏のことを批判しています。板坂氏の筆致は冷静ですが辛辣です。猪瀬氏が都知事になるよりもかなり以前のことです。
板坂元著「人生後半のための知的生活入門(PHP文庫)」より引用します(頁121-122)。
*********** 引用開始 ***********
“ある雑誌で「ミカドの肖像」の著者(筆者注:猪瀬直樹)が取材の苦労を語っていた。その苦労した例として「バンザイ」についての調べも語られているが、あの箇所(注:つまりミカドの肖像の中にある「バンザイ」についての記述部分)はほとんど私(筆者注:つまり板坂氏)から電話で聞いたことが書かれているだけだ。30分の電話取材が苦労の中に入るのかどうか。”
(中略)
“そういうことは気にならないが、私のバンザイ調べは20年になる。”
(中略)
“私がバンザイを調べているのは「一体何時から、両手を挙げてバンザイ」するようになったかそれを調べているのである。明治30数年頃までの写真錦絵では片手しか挙げていないのである。昔の新聞や雑誌の写真、錦絵を20数年収集して、両手のバンザイが普通になったのは何時からかを調べているのである。バンザイを調べるだけでそれくらいかかる。”
*********** 引用終了 ***********
言外に強く「ミカドの肖像」の著者を非難しているのです。これに対する猪瀬氏の反論を読んだり聞いたりしたことがありません。これを読んでから、猪瀬氏の著書や言動に対して私の頭の中では「?」が湧くようになりました。猪瀬氏は、後に東京都知事になりました。その後のことは皆さんご承知の通りです。
#####
猪瀬直樹によると
【井伏鱒二の『黒い雨』は、重松静馬氏の日記に依っている。だから無価値】
なのだそうです。
ブーメラン
そうすると、
その猪瀬直樹自身の主張によると
【猪瀬直樹の『ミカドの肖像』は、板坂元氏から30分もの長電話で聞き出したことに依っているから無価値】
だということになりますね。
猪瀬直樹に関して「公民権停止処分を受けた元都知事」で「ヒステリックな喫煙ファシストの一人」だという噂しか聞いていなかったF爺にとっては、とても面白い情報です。
外科医の望月吉彦先生のサイトの「黒い雨」シリーズの第三篇が発表になりました。前篇と前々篇でなかなか本題に入らないのを不思議に思っていたのですが、
《「黒い雨」と言うからには、いずれ原爆や被爆者のことが記事の主題になるのだろう》
と見当は付いていました。
やっと第三篇が出て・・・自分の浦島症候群の深刻さを、またまた、認識しました。
《これで何千回目だろう・・・》
『黒い雨』
『黒い雨』は、井伏鱒二(1898~1993)の著書の題名です。井伏自身が、『井伏鱒二自選全集』第六巻の「覚え書」に次のような内容のことを書いているそうです。
【重松静馬氏の被爆日記、重松夫人の戦時中の食糧雑記、岩竹博医師の被爆日記、岩竹医師夫人の看護日記、何人もの被爆者の体験談、家屋疎開勤労奉仕隊数人の体験談、及び各人の解説によって書いたドキュメントであって、小説ではない】
この作品は、野間文芸賞を受賞していますが、受賞の言葉として、井伏鱒二がこう書いているそうです。
*****
私は『黒い雨』で二人の人物の手記その他の記録を扱ったが、取材のとき被爆者の有様を話してくれる人たちに共通していることは、初めのうちは原爆の話をしたがらないことであった。もう一つ共通していることは、話しているうちに実感を蘇らせてくると絶句してぐっと息をつまらせることであった。思い出す阿鼻叫喚の光景に圧倒されるのだ。そのつど私は、ノートを取っている自分を浅ましく思った。
要するにこの作品は新聞の切抜、医者のカルテ、手記、記録、人の噂、速記、参考書、ノート、録音などによって書いたものである。ルポルタージュのようなものだから純粋な小説とは云われない。その点、今度の野間賞を受けるについて少し気にかかる。
*****
ここまでは、浦島F爺も朧(おぼろ)げに風の便りに聞くことがあったのですが、初耳なのは、次のことです。
猪瀬直樹が酷評
【後に東京都知事になった猪瀬直樹が、井伏鱒二の『黒い雨』を(*)
というのです。
(*) ウェブ検索してみたら、『黒い雨』以外にも、いくつもの井伏作品をこきおろしていたことが判りました。また、猪瀬直樹以前にも『黒い雨』に「盗作疑惑」を掛けた輩(やから)がいたけれども、中傷であることが判明して、その論議は立ち消えになったということです。「存在しない瑕疵を捏造して誹謗中傷する輩」って、あちこちにいたのですね。
ある年齢以上の日本人でこのことを今まで知らなかったのは、F爺だけかもしれません。
反論
望月吉彦先生がこうお書きになっています。なお、引用文中の太赤字は、原文通りです。
*****
猪瀬直樹氏は「黒い雨」の6割以上は「重松日記」のリライトだと断じています(文献2)。
私は「黒い雨」と「重松日記」の両方を読んだのですがどちらも「良い」と思います。重なる部分も多いのですが、井伏鱒二の表現方法は独特です。井伏鱒二ならではの表現方法で原爆の悲劇を伝えています。一方「重松日記」は素人が書いたとは思えないほど、冷静に原爆投下後の広島の現状を書き記しています。どちらも素晴らしいと思います。「重松日記」はあまり知られていませんが是非お読みになることをお勧めします。「重松日記」には井伏鱒二から重松氏への手紙も収載されています。興味深いです。
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猪瀬直樹を酷評する人も
望月吉彦先生の記事の末尾の「重要な余話」が傑作です。全文引用します。引用文中の引用は、F爺が勝手に色分けをしました。
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私が尊敬している日本文学者で評論家としても活躍した故「板坂元(いたさかげん)」氏は、猪瀬直樹氏のことを批判しています。板坂氏の筆致は冷静ですが辛辣です。猪瀬氏が都知事になるよりもかなり以前のことです。
板坂元著「人生後半のための知的生活入門(PHP文庫)」より引用します(頁121-122)。
*********** 引用開始 ***********
“ある雑誌で「ミカドの肖像」の著者(筆者注:猪瀬直樹)が取材の苦労を語っていた。その苦労した例として「バンザイ」についての調べも語られているが、あの箇所(注:つまりミカドの肖像の中にある「バンザイ」についての記述部分)はほとんど私(筆者注:つまり板坂氏)から電話で聞いたことが書かれているだけだ。30分の電話取材が苦労の中に入るのかどうか。”
(中略)
“そういうことは気にならないが、私のバンザイ調べは20年になる。”
(中略)
“私がバンザイを調べているのは「一体何時から、両手を挙げてバンザイ」するようになったかそれを調べているのである。明治30数年頃までの写真錦絵では片手しか挙げていないのである。昔の新聞や雑誌の写真、錦絵を20数年収集して、両手のバンザイが普通になったのは何時からかを調べているのである。バンザイを調べるだけでそれくらいかかる。”
*********** 引用終了 ***********
言外に強く「ミカドの肖像」の著者を非難しているのです。これに対する猪瀬氏の反論を読んだり聞いたりしたことがありません。これを読んでから、猪瀬氏の著書や言動に対して私の頭の中では「?」が湧くようになりました。猪瀬氏は、後に東京都知事になりました。その後のことは皆さんご承知の通りです。
#####
猪瀬直樹によると
【井伏鱒二の『黒い雨』は、重松静馬氏の日記に依っている。
なのだそうです。
ブーメラン
そうすると、
その猪瀬直樹自身の主張によると
【猪瀬直樹の『ミカドの肖像』は、板坂元氏から30分もの長電話で聞き出したことに依っているから無価値】
だということになりますね。
猪瀬直樹に関して「公民権停止処分を受けた元都知事」で「ヒステリックな喫煙ファシストの一人」だという噂しか聞いていなかったF爺にとっては、とても面白い情報です。