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論破という概念
そもそも「論破」というのは、誰もが明確に判定できるものではありませんね。ある人は「論破」したと判定しても、別の人は「論破」していないと判定することもあります。議論は競技ではないですし、審判もいません。ギャラリーがいる場合もありますが、彼らはめいめいの判定を下します。
ただし、多数決による信憑性を感じ取ることはあるでしょう。今回はその信憑性を小島さんに対して感じている人が多いと思います(本当は信憑性ではなく、論理による理解が理想なのですが)。
記事の題名に対して批判が起こる大きな理由として、ネット記事に対する読者の不信感があります。誇大なタイトルでアクセス数を稼ぐやり方に、読者が辟易しているのです。今回のタイトルも「またか」と考えられてしまうのでしょう。揚げ足を取られないように、カッコつきの「論破」にすれば言い訳も立ったのではないかと思います。あくまでひろゆきがF爺という学者に批判されて、その話題がネットで大きな話題になった一連の現象を、ひろゆきの表現になぞらえて「論破」とカッコつきで表現したのだ、と。
ところで現代の日本人は、読解力の低下というか、言葉の綾といったものがわからなくなくなってきています。言葉を額面通りに受け止めてしまう。画面での文字のやり取りに慣れ過ぎて言葉のニュアンスを掴むのが下手になっていると思います。特にツイッターのような短文の喋り言葉に慣れきってしまい、条件反射的に言葉に反応しているように思います。そこにネットニュースの不信感も相まって、落ち着いて物事を考えられなくなっているのではないでしょうか。
ただし、多数決による信憑性を感じ取ることはあるでしょう。今回はその信憑性を小島さんに対して感じている人が多いと思います(本当は信憑性ではなく、論理による理解が理想なのですが)。
記事の題名に対して批判が起こる大きな理由として、ネット記事に対する読者の不信感があります。誇大なタイトルでアクセス数を稼ぐやり方に、読者が辟易しているのです。今回のタイトルも「またか」と考えられてしまうのでしょう。揚げ足を取られないように、カッコつきの「論破」にすれば言い訳も立ったのではないかと思います。あくまでひろゆきがF爺という学者に批判されて、その話題がネットで大きな話題になった一連の現象を、ひろゆきの表現になぞらえて「論破」とカッコつきで表現したのだ、と。
ところで現代の日本人は、読解力の低下というか、言葉の綾といったものがわからなくなくなってきています。言葉を額面通りに受け止めてしまう。画面での文字のやり取りに慣れ過ぎて言葉のニュアンスを掴むのが下手になっていると思います。特にツイッターのような短文の喋り言葉に慣れきってしまい、条件反射的に言葉に反応しているように思います。そこにネットニュースの不信感も相まって、落ち着いて物事を考えられなくなっているのではないでしょうか。
ひろゆきも反応したようですね
https://twitter.com/hirox246/status/1423475924830412800?s=19
ひろゆきはF爺先生のデイリー新潮の記事に対して引用RTで、まだマクロン大統領についてあれこれいっているようです。
以下ひろゆきツイートから引用
マクロン大統領は「putain」を強調で使ってますが、「無教養」とか「無頼漢」といった烙印は押されていません。
侮蔑・罵倒以外の使い方も辞書に書いてあります。
事実と異なることを記事にしてる理由を教えて頂けますか?
https://t.co/lenTmTCunE https://t.co/ybcQxeUpGB
まだ過ちを認めない姿勢には困ったものです。
ひろゆきはF爺先生のデイリー新潮の記事に対して引用RTで、まだマクロン大統領についてあれこれいっているようです。
以下ひろゆきツイートから引用
マクロン大統領は「putain」を強調で使ってますが、「無教養」とか「無頼漢」といった烙印は押されていません。
侮蔑・罵倒以外の使い方も辞書に書いてあります。
事実と異なることを記事にしてる理由を教えて頂けますか?
https://t.co/lenTmTCunE https://t.co/ybcQxeUpGB
まだ過ちを認めない姿勢には困ったものです。
「論破ゲーム」の虚しさ
恥ずかしながら、私も若かりし頃、「ひろゆき」のように「論破ゲーム」に興じていたことがあります。
ある時ふと、この「論破ゲーム」は、非生産的かつ虚無そのものだと気づきました。
「論破ゲーム」のやり方はとても単純です。
(1) 相手にだけ論証コストを要求する
例えば今回のputainという語についての「論破ゲーム」では、「putainが卑語である証拠を出せ」「putainが若者言葉"ではない"という証拠を出せ」と、一方的に証拠を積み上げるコストを要求するのです。
(2) (1)の過程に一つでも誤りがあれば「論破ゲーム」の勝利
これはとても愚かしいことですが、何か一つでも――それこそ単純な誤字脱字であっても――相手が何らかのミスを犯したら、それを針小棒大に取り上げて「こいつは○○ということすら知らない無知なくせに……について論じようとしていた愚か者だ」などとレッテルを貼るのです。
(3) 藁人形論法の多用
(1)および(2)の過程において、藁人形論法、すなわちF爺様のおっしゃるところの「歪曲改竄捏造引用」を織り交ぜることで、「論破ゲーム」の勝率は高まります。相手の言説をねじ曲げて引用すること、相手の主張のごく一部だけを取り上げて批判すること(チェリーピッキング)、などなど。古代ギリシアに跋扈していたソフィストのごとく、詭弁を振りかざすことが、このゲームにおいては肝要なのです。
この愚かしい「論破ゲーム」に興ずることがいかに無意味で虚しい時間であるのか。知名度の高い「ひろゆき」に影響されて、無意味な時間を過ごす人間がどれほど増えてしまったのか。私のような「経験に学ぶ」愚者はこれ以上増えてほしくないのにな……などなど。思うところがたくさんあった中、F爺様の「十罪」に、極めて簡潔に、この「論破ゲーム」の無意味さ、あるいは、「論破ゲーム」の識別方法が示されており、とても感銘を受けました。
「ひろゆき」はこれからも、パリの小部屋に籠もって、このくだらない「論破ゲーム」に興じ続けることでしょう。F爺様の痛快な「ツッコミ」、これからも楽しみにお待ちしております(笑)。
ある時ふと、この「論破ゲーム」は、非生産的かつ虚無そのものだと気づきました。
「論破ゲーム」のやり方はとても単純です。
(1) 相手にだけ論証コストを要求する
例えば今回のputainという語についての「論破ゲーム」では、「putainが卑語である証拠を出せ」「putainが若者言葉"ではない"という証拠を出せ」と、一方的に証拠を積み上げるコストを要求するのです。
(2) (1)の過程に一つでも誤りがあれば「論破ゲーム」の勝利
これはとても愚かしいことですが、何か一つでも――それこそ単純な誤字脱字であっても――相手が何らかのミスを犯したら、それを針小棒大に取り上げて「こいつは○○ということすら知らない無知なくせに……について論じようとしていた愚か者だ」などとレッテルを貼るのです。
(3) 藁人形論法の多用
(1)および(2)の過程において、藁人形論法、すなわちF爺様のおっしゃるところの「歪曲改竄捏造引用」を織り交ぜることで、「論破ゲーム」の勝率は高まります。相手の言説をねじ曲げて引用すること、相手の主張のごく一部だけを取り上げて批判すること(チェリーピッキング)、などなど。古代ギリシアに跋扈していたソフィストのごとく、詭弁を振りかざすことが、このゲームにおいては肝要なのです。
この愚かしい「論破ゲーム」に興ずることがいかに無意味で虚しい時間であるのか。知名度の高い「ひろゆき」に影響されて、無意味な時間を過ごす人間がどれほど増えてしまったのか。私のような「経験に学ぶ」愚者はこれ以上増えてほしくないのにな……などなど。思うところがたくさんあった中、F爺様の「十罪」に、極めて簡潔に、この「論破ゲーム」の無意味さ、あるいは、「論破ゲーム」の識別方法が示されており、とても感銘を受けました。
「ひろゆき」はこれからも、パリの小部屋に籠もって、このくだらない「論破ゲーム」に興じ続けることでしょう。F爺様の痛快な「ツッコミ」、これからも楽しみにお待ちしております(笑)。
Re: 論破という概念
泉正弘さん
>記事の題名に対して批判が起こる大きな理由として、ネット記事に対する読者の不信感があります。誇大なタイトルでアクセス数を稼ぐやり方に、読者が辟易しているのです。今回のタイトルも「またか」と考えられてしまうのでしょう。揚げ足を取られないように、カッコつきの「論破」にすれば言い訳も立ったのではないかと思います。あくまでひろゆきがF爺という学者に批判されて、その話題がネットで大きな話題になった一連の現象を、ひろゆきの表現になぞらえて「論破」とカッコつきで表現したのだ、と。
なるほど、鉤括弧付きの「論破」としていたら批判は起らなかったと考えられます。担当の記者がこれを読んでいれば、今後記事を書く時の計算に使ってくれるかもしれませんね。
>記事の題名に対して批判が起こる大きな理由として、ネット記事に対する読者の不信感があります。誇大なタイトルでアクセス数を稼ぐやり方に、読者が辟易しているのです。今回のタイトルも「またか」と考えられてしまうのでしょう。揚げ足を取られないように、カッコつきの「論破」にすれば言い訳も立ったのではないかと思います。あくまでひろゆきがF爺という学者に批判されて、その話題がネットで大きな話題になった一連の現象を、ひろゆきの表現になぞらえて「論破」とカッコつきで表現したのだ、と。
なるほど、鉤括弧付きの「論破」としていたら批判は起らなかったと考えられます。担当の記者がこれを読んでいれば、今後記事を書く時の計算に使ってくれるかもしれませんね。
Re: ひろゆきも反応したようですね
鱈太郎さん
論理破綻王関連のお知らせ、ありがとうございます。
F爺が何を聞き知っているかを負け御玉杓子に知らせたくないので、コメントを表示するのは反撃記事を掲載した後にしたいと思います。ご理解をお願いします。
論理破綻王関連のお知らせ、ありがとうございます。
F爺が何を聞き知っているかを負け御玉杓子に知らせたくないので、コメントを表示するのは反撃記事を掲載した後にしたいと思います。ご理解をお願いします。
Re: 「論破ゲーム」の虚しさ
春好夏嫌さん
>この愚かしい「論破ゲーム」に興ずることがいかに無意味で虚しい時間であるのか。知名度の高い「ひろゆき」に影響されて、無意味な時間を過ごす人間がどれほど増えてしまったのか。私のような「経験に学ぶ」愚者はこれ以上増えてほしくないのにな……などなど。思うところがたくさんあった中、F爺様の「十罪」に、極めて簡潔に、この「論破ゲーム」の無意味さ、あるいは、「論破ゲーム」の識別方法が示されており、とても感銘を受けました。
お役に立てたようで、とても嬉しいことです。
言わずもがなとは思いますが、「十罪・十狂」は、第三条に「他者及び自己の発言を組織的に歪曲引用・捏造引用し」を嵌めこんだ改訂版https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3061.htmlを採用するようにしてくださいね(笑)。
「藁人形論法」を分りやすく言い換えたものです。
>この愚かしい「論破ゲーム」に興ずることがいかに無意味で虚しい時間であるのか。知名度の高い「ひろゆき」に影響されて、無意味な時間を過ごす人間がどれほど増えてしまったのか。私のような「経験に学ぶ」愚者はこれ以上増えてほしくないのにな……などなど。思うところがたくさんあった中、F爺様の「十罪」に、極めて簡潔に、この「論破ゲーム」の無意味さ、あるいは、「論破ゲーム」の識別方法が示されており、とても感銘を受けました。
お役に立てたようで、とても嬉しいことです。
言わずもがなとは思いますが、「十罪・十狂」は、第三条に「他者及び自己の発言を組織的に歪曲引用・捏造引用し」を嵌めこんだ改訂版https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3061.htmlを採用するようにしてくださいね(笑)。
「藁人形論法」を分りやすく言い換えたものです。
Re: ひろゆきも反応したようですね
鱈太郎さん
大変遅くなりましたが、2021年8月10日付けでお送りくださったコメントを表示しました。本日、コメントを引用して反撃記事を掲載します。しばらくお待ちください。
大変遅くなりましたが、2021年8月10日付けでお送りくださったコメントを表示しました。本日、コメントを引用して反撃記事を掲載します。しばらくお待ちください。