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誤読ではない可能性
鰹節の私物化さんの見解は、ちょっと違うのではないかと思います。
堀茂樹氏は、おそらく自分が誤読をしたとは考えていないと思います。堀茂樹氏のツイートを遡ってみましょう。
デイリー新潮の記事に対して、堀茂樹氏は以下のようにツイートしました。
【堀茂樹氏による、該当する一連のツイート】
一つだけ指摘。"putain"に関するこの方の解説は誤りです。独言や友人間の会話では、putainはしばしば驚きを示す間投詞。俗語として使用して問題なし。⇒「強度の侮蔑語…悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら…『無教養』とか『無頼漢』と烙印を押されます」(小島氏)
【例】フランス語で”Qu’est-ce qu’elle est jolie!”は「彼女はなんて綺麗なんだ!」という意味ですが、これに「putain」を被せた”Putain, qu’est-ce qu’elle est jolie!”を正しく日本語に訳せば、「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」です。”putain”は、間投詞として<賛嘆>を示す場合さえあるのです。
【注】Putain, qu’est-ce qu’elle est jolie!の和訳として「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」の方が適切と主張するような一知半解未満の人は、先ず、私の紹介した和訳:「ああ、彼女はなんてきれいなんだ!」を掲載している『小学館ロベール』(仏和辞典の最高峰)をご覧になるがよろしい。(続く)
【注の続き1】次に『Petit Robert』(規範的な仏仏辞典)を開き、間投詞Putainが賛嘆を示す場合のある事を確認し、更にラルース辞典でも見て、"Putain ! Elle est belle, ta bagnole"(ちくしょー!お前のクルマいかしてるなあ」等、「悪罵」などでない砕けた表現の日常会話の存在も知るべし。(続く)
【注の続き2】ラッパー、ネクフの台詞:《Sans cette putain d'amitié, je me sentirais seul sur la Terre...》の"putain”は間投詞に非ず。"cette putain d'amitié"は「このいまいましい友情」という反語的表現。文意は、「この友情ってヤツがなきゃ、オレは地球上で独りぼっちの気分…」。(続く)
【注の続き3】"Putain"が悪罵でない例など枚挙に暇がない。《A 20 ans, on dit: Mon père est un con. A 30 ans, on dit: Putain, si seulement mon père était là.》(二十歳で人は言う。「オレの親爺は間抜けだ」。三十歳で人は言う。「くそっ、もしここに親爺がいてくれさえしたらなぁ」。(続く)
【注の続き4】堀が「ひろゆきを擁護」と憶測する人がいる由ですが、私はつい先日迄「F爺」という方の存在すら知らず、その方とひろゆき氏の対立は全く知りませんでした。今も関心ないです。尚、F爺こと小島剛一氏によれば、堀には「翻訳センスが致命的にない」そうです。いやはや、恐縮です(笑)。
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1423690368059535360
堀茂樹氏がこの一連のツイートで何をやっているのかというと、「putain」という単語は「俗語として使用して問題なし」ということを、いくつかの例を出して論証を試みているのです。辞書にはこのような例がある、ラッパーがこのような歌詞を書いている、などです。この例が適切かどうかは別にして、とにかく例を挙げて自説を証明しようとしています。
堀茂樹氏は、はなから「putainは俗語として使用して問題なし」という立場なのです。そして、なぜ「俗語として使用して問題なし」かというと、小島さんの「強度の侮蔑語…悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら…『無教養』とか『無頼漢』と烙印を押されます」という主張を認めていないからです。堀茂樹氏は、「putain」は必ずしも「強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語」とは考えておらず、従って「無教養」とか「無頼漢」であるとは必ずしも考えていないのです。
そのことが窺える堀茂樹氏のツイートを見てみましょう。先日のブログ記事『「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」と「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」』に対するツイートです。
【堀茂樹氏の、該当記事に対するツイート】
あまりのことに呆れ、笑ってしまいますね。
基本的な論理的自省力さえ持ち合わせていれば、俗語"Putain"の運用が文脈と状況によって必ずしも「下品」ではなくなるからこそ、”Jolie”といった語と同じ文の中に――「不自然」でなく――入り得るのだ、ということに気づく筈なのですが…。
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1424901380951576580
このツイートに、「俗語"Putain"の運用が文脈と状況によって必ずしも「下品」ではなくなる」とあります。「必ずしも下品ではなくなる」ということは、「必ずしも強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語ではなくなる」ということであり、従って「必ずしも『無教養』とか『無頼漢』ではなくなる」ということでしょう。この主張は、あの「ひろゆき」と同じだと言えるでしょう。この点において、小島さんと堀茂樹氏の意見は対立しています。堀茂樹氏は、誤読の結果として小島さんを批判したのではなく、もともと小島さんの「Putain」という単語に対する考え方に異を唱えているのだと思います。
こうなってくると、フランス語を知らない私にとっては、神々の戦いのように見えてしまうのです。「Putain」という単語は、〈強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語〉であるのか、そうではなく俗語として使用しても問題ないのか。ここをぜひ小島さんに解説いていただけると嬉しいです。
おそらく、この問題のキーポイントは、7月7日のブログ記事『日本人・極東人差別主義者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人』の追記(7月10日)ではないかと思います。該当箇所を引用します。
【英語の動詞「f**k」とフランス語の名詞「putain」は、品詞が異なり、また原義を誰も片時も忘れないこともあって、悪罵として用いる時でも、そもそも発想が違う。使う場面に大きな違いがあり、含蓄も当然違う】ということです。
(7月7日記事『『日本人・極東人差別主義者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人』』より引用)
「原義を誰も片時も忘れない」とあります。ここが重要なポイントではないかと思うのです。「putain」とは「売春婦」という意味なので、たとえ現代人の多くがその「売春婦」という意味を忘れて「putain」を使っていたとしても、それは決して「強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語ではなくなる」ということにはならないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
日本語だったら「クソ」とか「畜生」といった言葉が該当するのではないかと思うのです。「クソ」も「畜生」もたしかに使われますが、決して褒められた表現ではありません。うまいものを食べて「クソうめえ」と表現してしまう人はそれなりにいますが、やはり育ちの悪さを疑ってしまいます。この何倍もの感じの悪さが、フランス語の「Putain」にはあるのではないでしょうか。
ちなみに私は堀茂樹氏を決して支持する立場ではなく、むしろ堀茂樹氏の逃げるような態度は、「知識人」として誠実なものではないと思っています。忙しさを理由にしてこの話から逃げていてはいけませんね。
堀茂樹氏は、おそらく自分が誤読をしたとは考えていないと思います。堀茂樹氏のツイートを遡ってみましょう。
デイリー新潮の記事に対して、堀茂樹氏は以下のようにツイートしました。
【堀茂樹氏による、該当する一連のツイート】
一つだけ指摘。"putain"に関するこの方の解説は誤りです。独言や友人間の会話では、putainはしばしば驚きを示す間投詞。俗語として使用して問題なし。⇒「強度の侮蔑語…悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら…『無教養』とか『無頼漢』と烙印を押されます」(小島氏)
【例】フランス語で”Qu’est-ce qu’elle est jolie!”は「彼女はなんて綺麗なんだ!」という意味ですが、これに「putain」を被せた”Putain, qu’est-ce qu’elle est jolie!”を正しく日本語に訳せば、「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」です。”putain”は、間投詞として<賛嘆>を示す場合さえあるのです。
【注】Putain, qu’est-ce qu’elle est jolie!の和訳として「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」の方が適切と主張するような一知半解未満の人は、先ず、私の紹介した和訳:「ああ、彼女はなんてきれいなんだ!」を掲載している『小学館ロベール』(仏和辞典の最高峰)をご覧になるがよろしい。(続く)
【注の続き1】次に『Petit Robert』(規範的な仏仏辞典)を開き、間投詞Putainが賛嘆を示す場合のある事を確認し、更にラルース辞典でも見て、"Putain ! Elle est belle, ta bagnole"(ちくしょー!お前のクルマいかしてるなあ」等、「悪罵」などでない砕けた表現の日常会話の存在も知るべし。(続く)
【注の続き2】ラッパー、ネクフの台詞:《Sans cette putain d'amitié, je me sentirais seul sur la Terre...》の"putain”は間投詞に非ず。"cette putain d'amitié"は「このいまいましい友情」という反語的表現。文意は、「この友情ってヤツがなきゃ、オレは地球上で独りぼっちの気分…」。(続く)
【注の続き3】"Putain"が悪罵でない例など枚挙に暇がない。《A 20 ans, on dit: Mon père est un con. A 30 ans, on dit: Putain, si seulement mon père était là.》(二十歳で人は言う。「オレの親爺は間抜けだ」。三十歳で人は言う。「くそっ、もしここに親爺がいてくれさえしたらなぁ」。(続く)
【注の続き4】堀が「ひろゆきを擁護」と憶測する人がいる由ですが、私はつい先日迄「F爺」という方の存在すら知らず、その方とひろゆき氏の対立は全く知りませんでした。今も関心ないです。尚、F爺こと小島剛一氏によれば、堀には「翻訳センスが致命的にない」そうです。いやはや、恐縮です(笑)。
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1423690368059535360
堀茂樹氏がこの一連のツイートで何をやっているのかというと、「putain」という単語は「俗語として使用して問題なし」ということを、いくつかの例を出して論証を試みているのです。辞書にはこのような例がある、ラッパーがこのような歌詞を書いている、などです。この例が適切かどうかは別にして、とにかく例を挙げて自説を証明しようとしています。
堀茂樹氏は、はなから「putainは俗語として使用して問題なし」という立場なのです。そして、なぜ「俗語として使用して問題なし」かというと、小島さんの「強度の侮蔑語…悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら…『無教養』とか『無頼漢』と烙印を押されます」という主張を認めていないからです。堀茂樹氏は、「putain」は必ずしも「強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語」とは考えておらず、従って「無教養」とか「無頼漢」であるとは必ずしも考えていないのです。
そのことが窺える堀茂樹氏のツイートを見てみましょう。先日のブログ記事『「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」と「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」』に対するツイートです。
【堀茂樹氏の、該当記事に対するツイート】
あまりのことに呆れ、笑ってしまいますね。
基本的な論理的自省力さえ持ち合わせていれば、俗語"Putain"の運用が文脈と状況によって必ずしも「下品」ではなくなるからこそ、”Jolie”といった語と同じ文の中に――「不自然」でなく――入り得るのだ、ということに気づく筈なのですが…。
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1424901380951576580
このツイートに、「俗語"Putain"の運用が文脈と状況によって必ずしも「下品」ではなくなる」とあります。「必ずしも下品ではなくなる」ということは、「必ずしも強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語ではなくなる」ということであり、従って「必ずしも『無教養』とか『無頼漢』ではなくなる」ということでしょう。この主張は、あの「ひろゆき」と同じだと言えるでしょう。この点において、小島さんと堀茂樹氏の意見は対立しています。堀茂樹氏は、誤読の結果として小島さんを批判したのではなく、もともと小島さんの「Putain」という単語に対する考え方に異を唱えているのだと思います。
こうなってくると、フランス語を知らない私にとっては、神々の戦いのように見えてしまうのです。「Putain」という単語は、〈強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語〉であるのか、そうではなく俗語として使用しても問題ないのか。ここをぜひ小島さんに解説いていただけると嬉しいです。
おそらく、この問題のキーポイントは、7月7日のブログ記事『日本人・極東人差別主義者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人』の追記(7月10日)ではないかと思います。該当箇所を引用します。
【英語の動詞「f**k」とフランス語の名詞「putain」は、品詞が異なり、また原義を誰も片時も忘れないこともあって、悪罵として用いる時でも、そもそも発想が違う。使う場面に大きな違いがあり、含蓄も当然違う】ということです。
(7月7日記事『『日本人・極東人差別主義者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人』』より引用)
「原義を誰も片時も忘れない」とあります。ここが重要なポイントではないかと思うのです。「putain」とは「売春婦」という意味なので、たとえ現代人の多くがその「売春婦」という意味を忘れて「putain」を使っていたとしても、それは決して「強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語ではなくなる」ということにはならないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
日本語だったら「クソ」とか「畜生」といった言葉が該当するのではないかと思うのです。「クソ」も「畜生」もたしかに使われますが、決して褒められた表現ではありません。うまいものを食べて「クソうめえ」と表現してしまう人はそれなりにいますが、やはり育ちの悪さを疑ってしまいます。この何倍もの感じの悪さが、フランス語の「Putain」にはあるのではないでしょうか。
ちなみに私は堀茂樹氏を決して支持する立場ではなく、むしろ堀茂樹氏の逃げるような態度は、「知識人」として誠実なものではないと思っています。忙しさを理由にしてこの話から逃げていてはいけませんね。
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やはり反証可能性が理解できませんでした
小島先生
はじめまして。ひろゆきは知っていましたが、今回の件で初めて小島先生を知ることができた者です。
堀先生も参戦?され、一連のツイートを読みました。
(この方も知らず、アゴタ・クリストフの「悪童日記」の翻訳は読んでいたので、ああ、とはなりました。)
小島先生と同じく、やはり、「反証可能性」という単語が気になりました。詳しくはありませんが、主に科学分野で誤りがないか常に疑う姿勢をもつ意味合いで使われる単語のように思います。
恐らくはputanという単語、それを含む言い回しについて一般的かどうかということについて検証のしようがない、という意味で「反証可能性」とコメントされたのかな?と思いましたが、なんだか要領を得ません。悪魔の証明のようなものでご自身のツイートでの主張にも反するからです。
小島先生のブログ全部は読んでいませんが、先生は常に自分の理解について正しいかどうかを疑われる姿勢があられるように思います。→宗教や巡礼など
そもそも、putanという単語のみの用法、用例ははひろゆきが論点ずらしで出したキーワードであって、本題ではないですよね。
本題は動画に人種差別的な意味合いがあったかどうかな筈です。
どうして堀先生は唐突にputanだけ切り抜いて出されたのか疑問に思います。フランス文学・哲学研究家、翻訳家であるのならば、単語一つの用例、用法がどうこうではなく、動画全体について解説、言及してほしかったです。
なんにせよ、今回の一連の流れで小島先生を知ることが出来たのが収穫でした。
著書を購入しました。読むのが楽しみです。
はじめまして。ひろゆきは知っていましたが、今回の件で初めて小島先生を知ることができた者です。
堀先生も参戦?され、一連のツイートを読みました。
(この方も知らず、アゴタ・クリストフの「悪童日記」の翻訳は読んでいたので、ああ、とはなりました。)
小島先生と同じく、やはり、「反証可能性」という単語が気になりました。詳しくはありませんが、主に科学分野で誤りがないか常に疑う姿勢をもつ意味合いで使われる単語のように思います。
恐らくはputanという単語、それを含む言い回しについて一般的かどうかということについて検証のしようがない、という意味で「反証可能性」とコメントされたのかな?と思いましたが、なんだか要領を得ません。悪魔の証明のようなものでご自身のツイートでの主張にも反するからです。
小島先生のブログ全部は読んでいませんが、先生は常に自分の理解について正しいかどうかを疑われる姿勢があられるように思います。→宗教や巡礼など
そもそも、putanという単語のみの用法、用例ははひろゆきが論点ずらしで出したキーワードであって、本題ではないですよね。
本題は動画に人種差別的な意味合いがあったかどうかな筈です。
どうして堀先生は唐突にputanだけ切り抜いて出されたのか疑問に思います。フランス文学・哲学研究家、翻訳家であるのならば、単語一つの用例、用法がどうこうではなく、動画全体について解説、言及してほしかったです。
なんにせよ、今回の一連の流れで小島先生を知ることが出来たのが収穫でした。
著書を購入しました。読むのが楽しみです。
Re: 一知半解未満を検索した結果
「801人目の斉藤」さん
コメントの本題とは関係の無いことで一つお願いがあります。
F爺に「頑張ってください」とは、言わないでください。事情があって、F爺は、この言葉を、人にも言わないし、自分も言われたくないのです。
まだご存じないようであれば、当ブログの記事
〈一人歩きのお遍路さんに「頑張れ」とは言わないで〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1487.html
を是非ご覧ください。
コメントの本題とは関係の無いことで一つお願いがあります。
F爺に「頑張ってください」とは、言わないでください。事情があって、F爺は、この言葉を、人にも言わないし、自分も言われたくないのです。
まだご存じないようであれば、当ブログの記事
〈一人歩きのお遍路さんに「頑張れ」とは言わないで〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1487.html
を是非ご覧ください。
Re: No title
2021年8月14日 22時11分に「名前欄に記載無し」「タイトル欄に記載無し」という状態でコメントを投稿した方に申し上げます。
今回は、誤操作で開封してしまったため、心ならずもコメントの本文に目を通す結果になったので、例外的に返信します。
[1] ここは、F爺・小島剛一が実名で運営している個人ブログです。匿名掲示板ではありません。名前欄を空白にしたままのコメント投稿は、無礼です。
(名前欄を空白にしたままの投稿を受け付けない設定になっていないは、FC2ブログ・サービスの方針です。ブロガーがその設定を変えることは出来ません)
もしも再投稿をお望みでしたら、当ブログ独自のコメント投稿規定を必ずお読みください。
〈コメント投稿規定: 名前欄〉http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1613.html
〈コメント投稿規定: タイトル欄、メール・アドレス欄、URL欄〉http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1617.html
〈コメント投稿規定: 本文欄〉http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1618.html
[2] 当ブログは、F爺・小島剛一が自分の書きたいことを書くための場です。記事の題材の択び方について他人の指図は受けません。中でも、ハンドル・ネームさえも設定していない(= 交信を全く望んでいない)完全匿名投稿者の身勝手な「要望」は、断乎として撥ね付けます。
そちら様は、名前も顔も見せない赤の他人の言うことに無償で唯々諾々と従うことがあるのでしょうね。F爺は、その類(たぐい)の馬鹿ではございません。
今回は、誤操作で開封してしまったため、心ならずもコメントの本文に目を通す結果になったので、例外的に返信します。
[1] ここは、F爺・小島剛一が実名で運営している個人ブログです。匿名掲示板ではありません。名前欄を空白にしたままのコメント投稿は、無礼です。
(名前欄を空白にしたままの投稿を受け付けない設定になっていないは、FC2ブログ・サービスの方針です。ブロガーがその設定を変えることは出来ません)
もしも再投稿をお望みでしたら、当ブログ独自のコメント投稿規定を必ずお読みください。
〈コメント投稿規定: 名前欄〉http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1613.html
〈コメント投稿規定: タイトル欄、メール・アドレス欄、URL欄〉http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1617.html
〈コメント投稿規定: 本文欄〉http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1618.html
[2] 当ブログは、F爺・小島剛一が自分の書きたいことを書くための場です。記事の題材の択び方について他人の指図は受けません。中でも、ハンドル・ネームさえも設定していない(= 交信を全く望んでいない)完全匿名投稿者の身勝手な「要望」は、断乎として撥ね付けます。
そちら様は、名前も顔も見せない赤の他人の言うことに無償で唯々諾々と従うことがあるのでしょうね。F爺は、その類(たぐい)の馬鹿ではございません。
Re: 誤読ではない可能性
泉正弘さん
問題は、二つあります。
[1] 堀茂樹は、F爺・小島剛一が「感歎詞としても・・・」と言っていることを無視しようとしている。誤読だった可能性があるが、後になっても自説を撤回していないのは不誠実だ。
[2] 堀茂樹は、「putain」を「俗語として使用して問題なし」だと思い込んでいて、それを証明しようとしている。
「鰹節の私物化」さんは、[1]に目を付けて、「端(はな)から一方的に堀茂樹を責めているようには見えないように」文章を工夫しています。そのやり方が間違っているとは思いません。
泉正弘さんは、[2]に注目していますね。堀茂樹は「putain」の用法に関する持論を滔々と述べたいのだと。
F爺は、当記事〈藁人形論法にしがみつく堀茂樹〉では「鰹節の私物化」さんのコメントを引用してそれに感想を述べるという形式にしました。先ずは[1]に焦点を当てたのです。
予告はしませんでしたが最初から書くことに決めている続篇では、[2]に重点を置いて論を進めます。木曜日に掲載する予定です。それまでお待ちいただくことになりますが、次のご質問にはすぐにお答えできます。
>「原義を誰も片時も忘れない」とあります。ここが重要なポイントではないかと思うのです。「putain」とは「売春婦」という意味なので、たとえ現代人の多くがその「売春婦」という意味を忘れて「putain」を使っていたとしても、それは決して「強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語ではなくなる」ということにはならないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
思春期以降で「putain」の原義を知らないフランス語人はいません。どんなに感歎詞として連発していても、「売春婦」という意味の侮蔑語であることを忘れる人もいません。それ故(ゆえ)に「極めて下品な言葉」であり続けるのです。
問題は、二つあります。
[1] 堀茂樹は、F爺・小島剛一が「感歎詞としても・・・」と言っていることを無視しようとしている。誤読だった可能性があるが、後になっても自説を撤回していないのは不誠実だ。
[2] 堀茂樹は、「putain」を「
「鰹節の私物化」さんは、[1]に目を付けて、「端(はな)から一方的に堀茂樹を責めているようには見えないように」文章を工夫しています。そのやり方が間違っているとは思いません。
泉正弘さんは、[2]に注目していますね。堀茂樹は「putain」の用法に関する持論を滔々と述べたいのだと。
F爺は、当記事〈藁人形論法にしがみつく堀茂樹〉では「鰹節の私物化」さんのコメントを引用してそれに感想を述べるという形式にしました。先ずは[1]に焦点を当てたのです。
予告はしませんでしたが最初から書くことに決めている続篇では、[2]に重点を置いて論を進めます。木曜日に掲載する予定です。それまでお待ちいただくことになりますが、次のご質問にはすぐにお答えできます。
>「原義を誰も片時も忘れない」とあります。ここが重要なポイントではないかと思うのです。「putain」とは「売春婦」という意味なので、
思春期以降で「putain」の原義を知らないフランス語人はいません。どんなに感歎詞として連発していても、「売春婦」という意味の侮蔑語であることを忘れる人もいません。それ故(ゆえ)に「極めて下品な言葉」であり続けるのです。
Re: やはり反証可能性が理解できませんでした
ポトスさん
>小島先生のブログ全部は読んでいませんが、
あはは。ブログの記事の数が3000本を超えています。全部を読み切るのは大変なことですよ。それでも挑戦してみますか。
>先生は常に自分の理解について正しいかどうかを疑われる姿勢があられるように思います。→宗教や巡礼など
それが当然だと心得ております。
>そもそも、puta[i]nという単語のみの用法、用例ははひろゆきが論点ずらしで出したキーワードであって、本題ではないですよね。
本題は動画に人種差別的な意味合いがあったかどうかな筈です。
おっしゃる通りです。それに、そもそもフランス語の基礎の基礎さえも知らない「ひろゆき」には口を出す資格の無いことです。
>どうして堀先生は唐突にputa[i]nだけ切り抜いて出されたのか疑問に思います。フランス文学・哲学研究家、翻訳家であるのならば、単語一つの用例、用法がどうこうではなく、動画全体について解説、言及してほしかったです。
堀茂樹には、「ひろゆき」と共通の重大な欠陥があります。自分のフランス語能力を過信していること。藁人形論法依存症であること。そしてそれが瞬時にバレても非を認めない依怙地さ。加えて病的な傲岸不遜さ・・・。
>なんにせよ、今回の一連の流れで小島先生を知ることが出来たのが収穫でした。
著書を購入しました。読むのが楽しみです。
読み終えたら感想を聞かせていただけるでしょうか。勝手に楽しみにしております。
>小島先生のブログ全部は読んでいませんが、
あはは。ブログの記事の数が3000本を超えています。全部を読み切るのは大変なことですよ。それでも挑戦してみますか。
>先生は常に自分の理解について正しいかどうかを疑われる姿勢があられるように思います。→宗教や巡礼など
それが当然だと心得ております。
>そもそも、puta[i]nという単語のみの用法、用例ははひろゆきが論点ずらしで出したキーワードであって、本題ではないですよね。
本題は動画に人種差別的な意味合いがあったかどうかな筈です。
おっしゃる通りです。それに、そもそもフランス語の基礎の基礎さえも知らない「ひろゆき」には口を出す資格の無いことです。
>どうして堀先生は唐突にputa[i]nだけ切り抜いて出されたのか疑問に思います。フランス文学・哲学研究家、翻訳家であるのならば、単語一つの用例、用法がどうこうではなく、動画全体について解説、言及してほしかったです。
堀茂樹には、「ひろゆき」と共通の重大な欠陥があります。自分のフランス語能力を過信していること。藁人形論法依存症であること。そしてそれが瞬時にバレても非を認めない依怙地さ。加えて病的な傲岸不遜さ・・・。
>なんにせよ、今回の一連の流れで小島先生を知ることが出来たのが収穫でした。
著書を購入しました。読むのが楽しみです。
読み終えたら感想を聞かせていただけるでしょうか。勝手に楽しみにしております。
Re: 誤読ではない可能性
泉正弘さん
堀氏が論証を試みていることが泉正弘さんの言う通りだとしても、その方法には誤読していることによる問題がありますね。
(1) 記事の中でF爺さんは感歎詞の用法があり、それを強調と呼ぶことはできると言っているので、賛嘆(例文は一種の強調ですよね)として間投詞の用法を挙げても反論にはなりません。
(2) 堀氏は間投詞ではない用法も挙げていますが、それは「いまいましい友情」です。
記事内でもF爺さんは〈普通に強調の意味で使う人がいたとしたら〉と言っているのであって(ブログ内では「単なる強調」とも言ってますね)、単なる強調ではない、putainが持つ強い意味を前提としたある種の下品さが含まれる強調表現の存在を否定している訳ではありません。
そのためこの例文は反論としては不適切です。
以上のことを考えると、誤読に基づいて論を展開した堀氏の言説は、F爺さんが否定
していない部分を対象にした「反論もどき」「藁人形論法」になっているのです。
〈解説は誤り〉とまで言った堀氏の根拠は、実のところ何もF爺さんの誤りを指摘できていません。
加えて言えば、堀氏に対してTwitter上で誤読を指摘されています。
私には信じがたいことですが、もし本当に堀氏が指摘された上でも自身の誤読に気が付かないという有様であったとしても、ここまで述べたように堀氏は誤読に基づいて無意味な言説を並べ、F爺さんを否定しているという事実に変わりありません。
本人に誤読の自覚があろうがなかろうが、〈解説は誤り〉とまで断言して、今なお撤回していないのであれば批判されて当然ではないでしょうか。
堀氏が論証を試みていることが泉正弘さんの言う通りだとしても、その方法には誤読していることによる問題がありますね。
(1) 記事の中でF爺さんは感歎詞の用法があり、それを強調と呼ぶことはできると言っているので、賛嘆(例文は一種の強調ですよね)として間投詞の用法を挙げても反論にはなりません。
(2) 堀氏は間投詞ではない用法も挙げていますが、それは「いまいましい友情」です。
記事内でもF爺さんは〈普通に強調の意味で使う人がいたとしたら〉と言っているのであって(ブログ内では「単なる強調」とも言ってますね)、単なる強調ではない、putainが持つ強い意味を前提としたある種の下品さが含まれる強調表現の存在を否定している訳ではありません。
そのためこの例文は反論としては不適切です。
以上のことを考えると、誤読に基づいて論を展開した堀氏の言説は、F爺さんが否定
していない部分を対象にした「反論もどき」「藁人形論法」になっているのです。
〈解説は誤り〉とまで言った堀氏の根拠は、実のところ何もF爺さんの誤りを指摘できていません。
加えて言えば、堀氏に対してTwitter上で誤読を指摘されています。
私には信じがたいことですが、もし本当に堀氏が指摘された上でも自身の誤読に気が付かないという有様であったとしても、ここまで述べたように堀氏は誤読に基づいて無意味な言説を並べ、F爺さんを否定しているという事実に変わりありません。
本人に誤読の自覚があろうがなかろうが、〈解説は誤り〉とまで断言して、今なお撤回していないのであれば批判されて当然ではないでしょうか。
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コメントありがとうございます。
問題[1]【堀茂樹は、F爺・小島剛一が「感歎詞としても・・・」と言っていることを無視しようとしている。誤読だった可能性があるが、後になっても自説を撤回していないのは不誠実だ。】について、もう一度、検証してみます。
そもそも堀茂樹氏は、デイリー新潮の『ひろゆき氏を論破した言語学者 在仏50年超の“F爺”小島剛一氏が語る日本人差別』を引用してツイートしました。この記事の、「putain」に該当する箇所を読んでみます。
【デイリー新潮の記事より引用。わかりやすく番号を付けた】
①
ひろゆき氏の「putain」に関する発言は完全に間違っています。強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら、たちまち「無教養」とか「無頼漢」と烙印を押されます。
②
「putain」は、本来は名詞ですが、感歎詞としての用法がありますから、それを「強調」と呼ぶことはできます。
③
あの動画における「putain」は明白に日本語を罵倒する差別発言です。
堀茂樹氏は、この三か所を読んだうえで、反論ツイートをしたことになります。実際のツイートでは、①に焦点を当てています。
【堀茂樹氏のツイート】
一つだけ指摘。"putain"に関するこの方の解説は誤りです。独言や友人間の会話では、putainはしばしば驚きを示す間投詞。俗語として使用して問題なし。⇒「強度の侮蔑語…悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら…『無教養』とか『無頼漢』と烙印を押されます」(小島氏)
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1423690368059535360
堀茂樹氏は、①の「こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら」という箇所を、「こんな単語を強調の意味で使う人はいない、と小島剛一氏は考えている」と解釈したのでしょう。ここで問題となるのが「普通に」という表現です。堀茂樹氏はこの「普通に」を、「この単語は強調の意味として普通に使われる」という意味であると考えたのではないでしょうか。「putain」は日常生活で普通に使われますよ、と。
しかし、小島さんは「普通に」をそのような意味では当然使っていません。「こんな単語を、普通の強調という意味で使う人はいない(もしいたら、その人は無教養、無頼漢だ)」といった意味でしょう。「putain」を強調の意味で使うことは確かだ、けれども「普通」の意味での強調ではない、この場合の「普通」とはネガティブなニュアンスのない、価値中立的なものという意味での「普通」だ、と。
こうして細かく見ていくと、たしかに堀茂樹氏は誤読したと言えますね。しかも小島さんは、②で「感歎詞としての用法があります」とちゃんと言っています。堀茂樹氏は「間投詞」と表現していますが、「感嘆詞」と「間投詞」は同じ意味と考えて差し支えないでしょう。ということは、堀茂樹氏は②の文を見落としていたことになります。あるいは、この箇所はひろゆきが主張した、若者言葉としての強調の使い方である「putain」についての話だったので、注意深く読んでいなかったのかもしれません。
堀茂樹氏のツイートに対しても、きちんとその不備を指摘した方もいました。
【堀茂樹に対する指摘ツイート】
その記事中でこう書かれてますよ
↓
「putain」は、本来は名詞ですが、感歎詞としての用法がありますから、それを「強調」と呼ぶことはできます。
そして、あの動画における「putain」はと書かれてます。
https://twitter.com/kei60021126/status/1423720968539672576
このツイートに対する堀茂樹氏の返信は、今のところないようです。
その後、小島さんのブログ記事『「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」と「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」』の追記の箇所に、堀茂樹氏は反応しました。
【ブログ記事「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」と「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」から引用】
追記 2021年8月10日
堀氏のツイートにある「Putain,」と始まるフランス語文は、不自然です。冒頭の「Putain,」が極め付きの卑語で下品なのに、その後は「少し砕けた言い方」になり、最後の「jolie」(綺麗な、可愛い)は、なんと「ごく普通の」言葉です。
大概のフランス語人は、卑語で始めた文は最後まで卑語で通すものなのです。堀氏のフランス語能力では、そこまで気を使った作文は出来ないのでしょうね。
【堀茂樹氏の反応(ツイート)】
笑。自らの前提を疑う事を知らぬ言説。⇒「冒頭の『Putain,』が極め付きの卑語で下品なのに…最後の『jolie』(綺麗な…)は…『ごく普通の』言葉…。大概のフランス語人は、卑語で始めた文は最後まで卑語で通す…。堀氏のフランス語能力では、そこまで気を使った作文は出来ないのでしょうね」(F爺氏)
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1424896205440520212
そして、以下のツイートをしました。
【堀茂樹氏のツイート】
あまりのことに呆れ、笑ってしまいますね。
基本的な論理的自省力さえ持ち合わせていれば、俗語"Putain"の運用が文脈と状況によって必ずしも「下品」ではなくなるからこそ、”Jolie”といった語と同じ文の中に――「不自然」でなく――入り得るのだ、ということに気づく筈なのですが…。
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1424901380951576580
私はこのツイートを見て、堀茂樹氏は誤読しているというよりも、そもそも「putain」の見解が小島さんとは異なっているのではないか、と思いました。そこで私は先のコメントをしたのです。
ところが、今回改めて細かく経緯を確認し直したら、たしかに堀茂樹氏は、小島さんが「putain」の間投詞(感嘆詞)の使い方を知らないと解釈していたようです。これは鰹節の私物化さんのおっしゃる通り、誤読であると言えますね。「誤読ではないのではないか」という私の指摘は撤回します。大変失礼しました。(前回のコメントでなぜ気づかなかったのか、不覚です。)
ということは、堀茂樹氏は誤読をした上に、さらに「putain」という単語の認識においても、(小島さんから見れば)問題があるということになります。ことは誤読だけの問題ではないということですね。問題は二つもあったと。
そして問題[2]について記事にしていただけるということで、楽しみにしております。ありがとうございます。ここに至って、初めて議論らしい議論になるのではないかと思います。
問題[1]【堀茂樹は、F爺・小島剛一が「感歎詞としても・・・」と言っていることを無視しようとしている。誤読だった可能性があるが、後になっても自説を撤回していないのは不誠実だ。】について、もう一度、検証してみます。
そもそも堀茂樹氏は、デイリー新潮の『ひろゆき氏を論破した言語学者 在仏50年超の“F爺”小島剛一氏が語る日本人差別』を引用してツイートしました。この記事の、「putain」に該当する箇所を読んでみます。
【デイリー新潮の記事より引用。わかりやすく番号を付けた】
①
ひろゆき氏の「putain」に関する発言は完全に間違っています。強度の侮蔑語・罵倒用語・悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら、たちまち「無教養」とか「無頼漢」と烙印を押されます。
②
「putain」は、本来は名詞ですが、感歎詞としての用法がありますから、それを「強調」と呼ぶことはできます。
③
あの動画における「putain」は明白に日本語を罵倒する差別発言です。
堀茂樹氏は、この三か所を読んだうえで、反論ツイートをしたことになります。実際のツイートでは、①に焦点を当てています。
【堀茂樹氏のツイート】
一つだけ指摘。"putain"に関するこの方の解説は誤りです。独言や友人間の会話では、putainはしばしば驚きを示す間投詞。俗語として使用して問題なし。⇒「強度の侮蔑語…悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら…『無教養』とか『無頼漢』と烙印を押されます」(小島氏)
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1423690368059535360
堀茂樹氏は、①の「こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら」という箇所を、「こんな単語を強調の意味で使う人はいない、と小島剛一氏は考えている」と解釈したのでしょう。ここで問題となるのが「普通に」という表現です。堀茂樹氏はこの「普通に」を、「この単語は強調の意味として普通に使われる」という意味であると考えたのではないでしょうか。「putain」は日常生活で普通に使われますよ、と。
しかし、小島さんは「普通に」をそのような意味では当然使っていません。「こんな単語を、普通の強調という意味で使う人はいない(もしいたら、その人は無教養、無頼漢だ)」といった意味でしょう。「putain」を強調の意味で使うことは確かだ、けれども「普通」の意味での強調ではない、この場合の「普通」とはネガティブなニュアンスのない、価値中立的なものという意味での「普通」だ、と。
こうして細かく見ていくと、たしかに堀茂樹氏は誤読したと言えますね。しかも小島さんは、②で「感歎詞としての用法があります」とちゃんと言っています。堀茂樹氏は「間投詞」と表現していますが、「感嘆詞」と「間投詞」は同じ意味と考えて差し支えないでしょう。ということは、堀茂樹氏は②の文を見落としていたことになります。あるいは、この箇所はひろゆきが主張した、若者言葉としての強調の使い方である「putain」についての話だったので、注意深く読んでいなかったのかもしれません。
堀茂樹氏のツイートに対しても、きちんとその不備を指摘した方もいました。
【堀茂樹に対する指摘ツイート】
その記事中でこう書かれてますよ
↓
「putain」は、本来は名詞ですが、感歎詞としての用法がありますから、それを「強調」と呼ぶことはできます。
そして、あの動画における「putain」はと書かれてます。
https://twitter.com/kei60021126/status/1423720968539672576
このツイートに対する堀茂樹氏の返信は、今のところないようです。
その後、小島さんのブログ記事『「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」と「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」』の追記の箇所に、堀茂樹氏は反応しました。
【ブログ記事「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」と「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」から引用】
追記 2021年8月10日
堀氏のツイートにある「Putain,」と始まるフランス語文は、不自然です。冒頭の「Putain,」が極め付きの卑語で下品なのに、その後は「少し砕けた言い方」になり、最後の「jolie」(綺麗な、可愛い)は、なんと「ごく普通の」言葉です。
大概のフランス語人は、卑語で始めた文は最後まで卑語で通すものなのです。堀氏のフランス語能力では、そこまで気を使った作文は出来ないのでしょうね。
【堀茂樹氏の反応(ツイート)】
笑。自らの前提を疑う事を知らぬ言説。⇒「冒頭の『Putain,』が極め付きの卑語で下品なのに…最後の『jolie』(綺麗な…)は…『ごく普通の』言葉…。大概のフランス語人は、卑語で始めた文は最後まで卑語で通す…。堀氏のフランス語能力では、そこまで気を使った作文は出来ないのでしょうね」(F爺氏)
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1424896205440520212
そして、以下のツイートをしました。
【堀茂樹氏のツイート】
あまりのことに呆れ、笑ってしまいますね。
基本的な論理的自省力さえ持ち合わせていれば、俗語"Putain"の運用が文脈と状況によって必ずしも「下品」ではなくなるからこそ、”Jolie”といった語と同じ文の中に――「不自然」でなく――入り得るのだ、ということに気づく筈なのですが…。
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1424901380951576580
私はこのツイートを見て、堀茂樹氏は誤読しているというよりも、そもそも「putain」の見解が小島さんとは異なっているのではないか、と思いました。そこで私は先のコメントをしたのです。
ところが、今回改めて細かく経緯を確認し直したら、たしかに堀茂樹氏は、小島さんが「putain」の間投詞(感嘆詞)の使い方を知らないと解釈していたようです。これは鰹節の私物化さんのおっしゃる通り、誤読であると言えますね。「誤読ではないのではないか」という私の指摘は撤回します。大変失礼しました。(前回のコメントでなぜ気づかなかったのか、不覚です。)
ということは、堀茂樹氏は誤読をした上に、さらに「putain」という単語の認識においても、(小島さんから見れば)問題があるということになります。ことは誤読だけの問題ではないということですね。問題は二つもあったと。
そして問題[2]について記事にしていただけるということで、楽しみにしております。ありがとうございます。ここに至って、初めて議論らしい議論になるのではないかと思います。
Re: Re: 誤読ではない可能性
「鰹節の私物化」さん
泉正弘さん宛てのコメントを表示しました。
ご返信が直ぐに来るか、明日に予定している「堀茂樹の救いようの無い誤謬を指摘する続篇」の掲載の後しばらく経ってからになるかは、泉正広さん次第ですね。
泉正弘さん宛てのコメントを表示しました。
ご返信が直ぐに来るか、明日に予定している「堀茂樹の救いようの無い誤謬を指摘する続篇」の掲載の後しばらく経ってからになるかは、泉正広さん次第ですね。
こんばんは。
《Chiharu Sakamoto(坂本)さんと堀茂樹さんのツイッターやり取りの引用》
Chiharu Sakamoto
@ChiharuSakamot1
· 8月10日
返信先:
@hori_shigekiさん
そもそもこの1文で判断するのがおかしいかと。訳は文脈(状況)と発言した人の人柄で変わります。また現代の読者が理解出来る文章にしなければいけません(私はこのマブなんちゃら分かりませんでした。)堀先生の翻訳を非常に参考にさせて頂いている身としては私の翻訳はF爺さんにはミジンコ程度ですね。。
堀 茂樹
@hori_shigeki
· 8月11日
訳をつけるには文脈と状況の考慮が必須というのは、仰るとおりですね。ただ、発話者の「人柄」は、それを先験的に想定するのでなく、発話と行動によって決まっていくものとして(「実存は本質に先立つ」式に…)捉えるべきと確信します。
F爺という人の翻訳談義は、率直なところ、殆どナンセンスです。
https://twitter.com/ChiharuSakamot1/status/1425076190931406850?s=20
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【坂本】さん
>そもそもこの1文で判断するのがおかしいかと。訳は文脈(状況)と発言した人の人柄で変わります。
【堀茂樹】さん
>訳をつけるには文脈と状況の考慮が必須というのは、仰るとおりですね。
そもそもの「文脈(状況)」を無視して、この件にしゃしゃり出て来て“putain”の講釈を垂れたのは、堀茂樹さんです。
F爺様はブログ記事に
>堀氏のツイートにある「Putain,」と始まるフランス語文は、不自然です。冒頭の「Putain,」が極め付きの卑語で下品なのに、その後は「少し砕けた言い方」になり、最後の「jolie」(綺麗な、可愛い)は、なんと「ごく普通の」言葉です。
>大概のフランス語人は、卑語で始めた文は最後まで卑語で通すものなのです。
(「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」と「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」2021/08/09 の 追記 2021年8月10日 より抜粋)
と書いています。
F爺様は、
堀茂樹さんが、当初提示した文脈の分からない例文(無断引用)の不自然な点を指摘し、
あえて訳すとすれば、堀茂樹さんの(無断引用した)和訳より、こちらの方が適切でしょう、と言っただけだと思います。
そして、続く坂本さんの文です
Chiharu Sakamotoさん
>また現代の読者が理解出来る文章にしなければいけません(私はこのマブなんちゃら分かりませんでした。)
【Chiharu Sakamoto(坂本)さんのリプライの文を見て、私が思った事】
>また現代の読者が理解出来る文章にしなければいけません(私はこのマブなんちゃら分かりませんでした。)
①括弧内に句点を入れる ─ このリプライの文は、堀茂樹さんのツイッター文と同じ特徴が見られます。
Chiharu Sakamotoさんのツイッターをざっと見ると、
普段こういう使い方はしていないようです。
②平成生まれの方ならば、80年代に流行した言葉を知らないのは普通かもしれません。
しかし、アラフォー㊟1 で、語彙力も必要とされるであろう翻訳業をしている方の言葉の引き出しになかった、というのも普通と考えて良いのでしょうか・・・。
ちなみに、タレントのイモトさん(現在35歳 1986年1月12日生)は、「マブい」という言葉をご存知のようです㊟2 。
坂本さん本当は「マブい」という言葉を知っているのではないのでしょうか?
もし「マブい」を知っていれば「ゲロマブ」の意味も類推出来そうですが・・・。
㊟1
坂本ちはるさんが書いたブログ(2005/10/09 13:45投稿)の文には、
「わたしは今年卒業したのですが、慶応義塾大学で4年間仏文学を専攻していました」と記載があります。
現役で慶応に入学していると仮定すると今年38歳(の方と同学年という事)になると思われます。
はじめまして。 : フランス語センターBRAVO!ブログ
http://blog.livedoor.jp/bravo_france/archives/50068417.html
㊟2
「いつなんどきでもマブいオンナ」 イモト、北川景子に誕生日祝われ笑顔こぼれる -
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1802/26/news103.html
③F爺様を「若者言葉を知らない」と歪曲改竄発言で攻撃した若者代表(44歳)の方の言いぐさと似ているような・・・。
あくまで仮説ですが、
>また現代の読者が理解出来る文章にしなければいけません(私はこのマブなんちゃら分かりませんでした。)
の部分は、論理的な反論は出来ないけれど、F爺様に一矢報いたい?堀茂樹さんが書いたもので、
それを教え子(坂本さん)に指示して、リプライの文に挿入(貼り付け)させたのではないかと・・・でも、まさかそこまでは・・・考え過ぎですかね。
《Chiharu Sakamoto(坂本)さんと堀茂樹さんのツイッターやり取りの引用》
Chiharu Sakamoto
@ChiharuSakamot1
· 8月10日
返信先:
@hori_shigekiさん
そもそもこの1文で判断するのがおかしいかと。訳は文脈(状況)と発言した人の人柄で変わります。また現代の読者が理解出来る文章にしなければいけません(私はこのマブなんちゃら分かりませんでした。)堀先生の翻訳を非常に参考にさせて頂いている身としては私の翻訳はF爺さんにはミジンコ程度ですね。。
堀 茂樹
@hori_shigeki
· 8月11日
訳をつけるには文脈と状況の考慮が必須というのは、仰るとおりですね。ただ、発話者の「人柄」は、それを先験的に想定するのでなく、発話と行動によって決まっていくものとして(「実存は本質に先立つ」式に…)捉えるべきと確信します。
F爺という人の翻訳談義は、率直なところ、殆どナンセンスです。
https://twitter.com/ChiharuSakamot1/status/1425076190931406850?s=20
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【坂本】さん
>そもそもこの1文で判断するのがおかしいかと。訳は文脈(状況)と発言した人の人柄で変わります。
【堀茂樹】さん
>訳をつけるには文脈と状況の考慮が必須というのは、仰るとおりですね。
そもそもの「文脈(状況)」を無視して、この件にしゃしゃり出て来て“putain”の講釈を垂れたのは、堀茂樹さんです。
F爺様はブログ記事に
>堀氏のツイートにある「Putain,」と始まるフランス語文は、不自然です。冒頭の「Putain,」が極め付きの卑語で下品なのに、その後は「少し砕けた言い方」になり、最後の「jolie」(綺麗な、可愛い)は、なんと「ごく普通の」言葉です。
>大概のフランス語人は、卑語で始めた文は最後まで卑語で通すものなのです。
(「ああ、彼女はなんて綺麗なんだ!」と「うげっ、あの女ゲロマブじゃね?」2021/08/09 の 追記 2021年8月10日 より抜粋)
と書いています。
F爺様は、
堀茂樹さんが、当初提示した文脈の分からない例文(無断引用)の不自然な点を指摘し、
あえて訳すとすれば、堀茂樹さんの(無断引用した)和訳より、こちらの方が適切でしょう、と言っただけだと思います。
そして、続く坂本さんの文です
Chiharu Sakamotoさん
>また現代の読者が理解出来る文章にしなければいけません(私はこのマブなんちゃら分かりませんでした。)
【Chiharu Sakamoto(坂本)さんのリプライの文を見て、私が思った事】
>また現代の読者が理解出来る文章にしなければいけません(私はこのマブなんちゃら分かりませんでした。)
①括弧内に句点を入れる ─ このリプライの文は、堀茂樹さんのツイッター文と同じ特徴が見られます。
Chiharu Sakamotoさんのツイッターをざっと見ると、
普段こういう使い方はしていないようです。
②平成生まれの方ならば、80年代に流行した言葉を知らないのは普通かもしれません。
しかし、アラフォー㊟1 で、語彙力も必要とされるであろう翻訳業をしている方の言葉の引き出しになかった、というのも普通と考えて良いのでしょうか・・・。
ちなみに、タレントのイモトさん(現在35歳 1986年1月12日生)は、「マブい」という言葉をご存知のようです㊟2 。
坂本さん本当は「マブい」という言葉を知っているのではないのでしょうか?
もし「マブい」を知っていれば「ゲロマブ」の意味も類推出来そうですが・・・。
㊟1
坂本ちはるさんが書いたブログ(2005/10/09 13:45投稿)の文には、
「わたしは今年卒業したのですが、慶応義塾大学で4年間仏文学を専攻していました」と記載があります。
現役で慶応に入学していると仮定すると今年38歳(の方と同学年という事)になると思われます。
はじめまして。 : フランス語センターBRAVO!ブログ
http://blog.livedoor.jp/bravo_france/archives/50068417.html
㊟2
「いつなんどきでもマブいオンナ」 イモト、北川景子に誕生日祝われ笑顔こぼれる -
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1802/26/news103.html
③F爺様を「若者言葉を知らない」と歪曲改竄発言で攻撃した若者代表(44歳)の方の言いぐさと似ているような・・・。
あくまで仮説ですが、
>また現代の読者が理解出来る文章にしなければいけません(私はこのマブなんちゃら分かりませんでした。)
の部分は、論理的な反論は出来ないけれど、F爺様に一矢報いたい?堀茂樹さんが書いたもので、
それを教え子(坂本さん)に指示して、リプライの文に挿入(貼り付け)させたのではないかと・・・でも、まさかそこまでは・・・考え過ぎですかね。
Re: もう一度、確認してみました
泉正弘さん
「鰹節の私物化」さんから泉正弘さん宛ての「横スレ」が届いています。ご返信は、すぐでも良いし、F爺が明日発表すると予定している記事をお読みになってからでも構わないと思います。
>ということは、堀茂樹氏は誤読をした上に、さらに「putain」という単語の認識においても、(小島さんから見れば)問題があるということになります。ことは誤読だけの問題ではないということですね。問題は二つもあったと。
そうなんです。そして、「誤読」を指摘されても自説を撤回も謝罪もしていないことから、意図的にしたことだった(=藁人形論法に間違い無い)という結論が出ます。
F爺の自衛策としては、最初に藁人形論法を指摘して堀茂樹の卑劣さを浮き彫りにし、数日経ってから堀茂樹のフランス語能力の貧弱さを述べたほうが、遥かに効果が大きいのです。
「鰹節の私物化」さんから泉正弘さん宛ての「横スレ」が届いています。ご返信は、すぐでも良いし、F爺が明日発表すると予定している記事をお読みになってからでも構わないと思います。
>ということは、堀茂樹氏は誤読をした上に、さらに「putain」という単語の認識においても、(小島さんから見れば)問題があるということになります。ことは誤読だけの問題ではないということですね。問題は二つもあったと。
そうなんです。そして、「誤読」を指摘されても自説を撤回も謝罪もしていないことから、意図的にしたことだった(=藁人形論法に間違い無い)という結論が出ます。
F爺の自衛策としては、最初に藁人形論法を指摘して堀茂樹の卑劣さを浮き彫りにし、数日経ってから堀茂樹のフランス語能力の貧弱さを述べたほうが、遥かに効果が大きいのです。
撤回します
鰹節の私物化さんへ
今回の私の異議は撤回します。大変申し訳ありません。
(言い訳というか、自戒をこめて、なぜこのような勘違いをしたのか説明させて下さい)
今になって冷静に考えてみたところ、堀茂樹氏のツイートにある「間投詞」というのを、小島さんが表現なさった「感嘆詞」と同義であることに、私が気づいていなかったようです。
また堀茂樹氏の「ラッパー、ネクフの台詞」の例を見て、これはputainの形容詞的用法なので、これは間投詞(感嘆詞)の問題ではなく、そもそもの用法の問題だと思い込んでしまったようです。
「いまいましい友情」というのは、たしかにある種の下品さが含まれていますね。その例をもって、「問題なし」と言うのは問題ありますね。ラッパーの表現は「普通」ではありませんよね。
今回の私の不手際は、おそらく私がフランス語を全く解さないことが理由だと思います。フランス語文を自分なりにでも読み解けないから、どうしてもそのツイート文全体の読み込みが浅くなってしまうのでしょう。今回改めてよく読みなおしてみて、ようやく気づきました。このままではひろゆきと同じでしたね(苦笑)。
Twitter上で誤読を指摘されていますね。それに対してのツイートは、未だにありません。気づいていないのか、それとも気づいてはいるが、恥ずかしいので誤読などしていないという体を装ったのでしょうか。(私でさえ少し恥ずかしかったですし、なぜこの程度のツイートすら適切に読み取れなかったのだろう。疲れてるのかな…と気分が少し沈みました。)
今回の私の異議は撤回します。大変申し訳ありません。
(言い訳というか、自戒をこめて、なぜこのような勘違いをしたのか説明させて下さい)
今になって冷静に考えてみたところ、堀茂樹氏のツイートにある「間投詞」というのを、小島さんが表現なさった「感嘆詞」と同義であることに、私が気づいていなかったようです。
また堀茂樹氏の「ラッパー、ネクフの台詞」の例を見て、これはputainの形容詞的用法なので、これは間投詞(感嘆詞)の問題ではなく、そもそもの用法の問題だと思い込んでしまったようです。
「いまいましい友情」というのは、たしかにある種の下品さが含まれていますね。その例をもって、「問題なし」と言うのは問題ありますね。ラッパーの表現は「普通」ではありませんよね。
今回の私の不手際は、おそらく私がフランス語を全く解さないことが理由だと思います。フランス語文を自分なりにでも読み解けないから、どうしてもそのツイート文全体の読み込みが浅くなってしまうのでしょう。今回改めてよく読みなおしてみて、ようやく気づきました。このままではひろゆきと同じでしたね(苦笑)。
Twitter上で誤読を指摘されていますね。それに対してのツイートは、未だにありません。気づいていないのか、それとも気づいてはいるが、恥ずかしいので誤読などしていないという体を装ったのでしょうか。(私でさえ少し恥ずかしかったですし、なぜこの程度のツイートすら適切に読み取れなかったのだろう。疲れてるのかな…と気分が少し沈みました。)
Re: タイトルなし
露堂々さん
堀茂樹とその「腹心の部下」のツイートのやり取りのご報告、ありがとうございます。
「マブい」も「ゲロマブ」もウェブ検索すれば瞬時に語義の説明が手に入る時代なのに
「現代の読者が理解出来る文章にしなければいけません(私はこのマブなんちゃら分かりませんでした。)」
と宣(のたま)って恥ずかしいとも思わない「40歳に近い翻訳業の日本人」が「現代の読者」だとは、F爺にはとても信じられません。高齢者差別または古代人差別・浦島太郎族差別(笑)の発言であることは瞬時に感じ取りましたが。
閉じる括弧の前に句点を置くやり方は、50数年前の日本では普通のことでした。「現代」では、珍しくなっていますよね。前後不揃いのやりとりです。二人ともこの程度の輩なんですね。
堀茂樹とその「腹心の部下」のツイートのやり取りのご報告、ありがとうございます。
「マブい」も「ゲロマブ」もウェブ検索すれば瞬時に語義の説明が手に入る時代なのに
「
と宣(のたま)って恥ずかしいとも思わない「40歳に近い翻訳業の日本人」が「現代の読者」だとは、F爺にはとても信じられません。高齢者差別または古代人差別・浦島太郎族差別(笑)の発言であることは瞬時に感じ取りましたが。
閉じる括弧の前に句点を置くやり方は、50数年前の日本では普通のことでした。「現代」では、珍しくなっていますよね。前後不揃いのやりとりです。二人ともこの程度の輩なんですね。