負け御玉杓子「ひろゆき」の悪あがき

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(記事の末尾に追記があります)

往生際の悪い負け御玉杓子「ひろゆき」がF爺攻撃を続けているという情報が幾つかあります。そのうちの鱈太郎さんと泉正弘さんから届いたものを今日の記事にします。

鱈太郎さんからのコメント

鱈太郎さんからの8月10日付けのコメントを引用します。色分けと打ち消し線は、F爺が勝手に施しました。

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ひろゆきはF爺先生のデイリー新潮の記事に対して引用RTで、まだマクロン大統領についてあれこれいっているようです。

以下ひろゆきツイートから引用


マクロン大統領は「putain」を強調で使ってますが、「無教養」とか「無頼漢」といった烙印は押されていません。
侮蔑・罵倒以外の使い方も辞書に書いてあります。

事実と異なることを記事にしてる理由を教えて頂けますか?


まだ過ちを認めない姿勢には困ったものです。
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F爺は、当ブログの記事〈日本人・極東人差別者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人〉でこう書きました。自己引用します。なお、太字は、この記事のために新たに施したものです。

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   「強調のためによく使われる
   は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、
   「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・
   と烙印を捺(お)されます。」
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一方、「ひろゆき」が「マクロン大統領」の発言だと思い込んだ動画は、マクロン氏が大統領になる前に贔屓のサッカー・チームが敗退した時の無念さを表現する独り言を捉えたものです。撮影されていることを知っていたのですから軽率でした。そのため、大統領になった後でその動画が公になった時、フランス国民の笑いを誘ったのです。

そして、マクロン氏の年齢のフランス人が不用意に用い、動画を見たフランス語人が年齢の別無く大笑いしたというのは、この「putain」という言葉が決して「若者言葉」ではないことを示しています。

マクロン氏のこの発言は、「無念さ」「落胆」「失意」「口惜しさ」の表明です。何かの「強調」ではありません。「強調で使ってます」というのも、「ひろゆき」お得意の歪曲です。「ひろゆき」は、一体マクロン氏が何を強調したと言うのでしょうか。「ひろゆき」は、「強調」という言葉を意味も知らずに使っています。フランス語能力も片言未満ですが、日本語も不自由なのです。

F爺が「事実と異なることを記事にしてる」という「ひろゆき」の主張は、いつものように、捏造です。真っ赤な嘘です。そんなものに応答する必要も意味もありません。

第一、F爺は、「ひろゆき」のツイートのような無価値なものをわざわざ探して読むことはありません。

F爺に向かって物を言う資格は、嘘吐きの卑怯者「ひろゆき」には無い

「ひろゆき」は、これまでの数々の歪曲引用・改竄引用・捏造引用のどれ一つも撤回・謝罪していません。F爺に物を言う権利も資格も無いのです。何よりも先ず、自分が恥を知ることが必須です。

また、「ひろゆき」はF爺を「自称・専門家」と呼んでいるそうですが、F爺が何の専門家を「自称」したと言うのか、説明していません。怠慢であり、卑怯です。

「ひろゆき」にフランス語を論ずる資格は無い

そもそも「ひろゆき」は、フランス語の初歩の初歩、基礎の基礎を知らない(*)(**)ことを自分で証明しています。

(*)「ひろゆき」がフランス語の男性名詞と女性名詞の区別を知らない件については、当ブログの記事〈「釣り」の成果と「ひろゆき」のおフランス語〉をご覧ください。

(**)「ひろゆき」がフランス語辞書の用いる「très familier」の意味を知らない件については、当ブログの記事〈「ひろゆき」の(意図的かもしれない)誤訳〉 をご覧ください。

「ひろゆき」のようにフランス語を知らない者が知ったかぶりのみでフランス語を論ずるものではありません。

何度でも繰り返しますが、「ひろゆき」は、前々から・当初から・太古から(*)存在しない発言を捏造して攻撃をする嘘吐きの卑怯者だと判明しています。相手にしてくれるようなお人好しがどこにいると思っているのでしょうか。全く底無しの馬鹿です。

(*)「太古から」は、勿論、意図的な誇張です。正確には、「44年近く前から」です。生まれて間もない赤ん坊の頃に「他者の発言を捏造する」なんていう芸当は出来なかったはずですから。

この状況で「ひろゆき」が何を主張しようと全て無意味です。

「ひろゆき」の詭弁に気付かず支持し続けるのは、「ひろゆき未満の馬鹿者」だけです。

「ひろゆき」が負け御玉杓子の遠吠えを続けるなら、こちらも何度でもこう繰り返します。

【歪曲・改竄・捏造引用の数々を撤回せず謝罪もせずに嘘と詭弁を弄し続ける「ひろゆき」には、F爺に向かって物を言う資格は無い】

泉正弘さんからのコメント

次に、泉正弘さんの8月20日付けのコメントを引用します。色分けと打ち消し線と太字は、F爺が勝手に施しました、

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ひろゆきが新たに小島さんを批判している動画を発見しました。ここでご紹介します。

(動画は二分半ほど)

動画の主旨をご説明します。

(主旨)

「強調のためによく使われる」は、何かの間違いでしょう。単なる強調のために使ったりしたら、「教養を疑われる」どころではありません。直(ただ)ちに「無教養」「無頼漢」「最下層階級」・・・と烙印を捺(お)されます。
と小島さんは言っているが、証拠をひとつも出していない。自分は客観的な証拠をいくつも出しているのに、小島さんは「自分はフランスに長く住んでいる、自分はすごい」と言っているだけなので、これ以上はどうしようもない。



以下、ひろゆきの問題点を述べます。

まず、ひろゆきは「(putainが)強調のためによく使われる」という認識があまりに強固なためか、小島さんの「単なる強調」という意味をいまだに理解していないようです。小島さんは「putainを使う人はいる。しかし単なる強調では使わない」と言っているのですが、これが理解できていない。【「putain」の原義が「売春婦」という意味の侮蔑語である時点で、「単なる強調」で使うことはありえないし、もし「単なる強調」で使う人がいたら、それこそ「無教養」「無頼漢」「最下層階級」の烙印を捺される】ということを理解できていない。いまだに「F爺は[「]putainを強調では使わない」と主張したと思い込んでいる。だから自分がいくつか挙げた動画が「客観的な証拠」になると思ってしまうのです。


これを意図的な論点ずらしだと指摘する人もいます。しかし私は意図的ではないと見ています(*)。文意を読み取れず、自然に論点がずれてしまっただけだと思います。単純に、文章が読めない人ではないでしょうか。
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(*) F爺は、反対です。記事の末尾の追記をご覧ください。

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ところで「証拠」という言葉からもわかるとおり、ひろゆきはこの問題を客観的に証明できる性質のものだと思い込んでいます。しかし、「無教養」「無頼漢」「最下層階級」の烙印を捺される証拠など、提示できるわけがないのです。なぜならこれは物理現象とか自然科学の問題ではなく、人がどう感じるかの問題なのです。仮に小島さんが「これは無教養だ」と言う人を何人も連れてきたとしても、ひろゆきは絶対に納得しないでしょう。なぜなら、ひろゆきは「オレは無教養だと思わねえな」と言う人を用意する(そういう動画を紹介する)からです。100の証拠を用意しても1の例外を挙げれば、その100の証拠は数の論理に過ぎないとして、決して認められることはないでしょう。

したがってこのケースでは、「証拠」を出すこと、少なくともひろゆきが納得のいく「証拠」を出すことは、不可能でしょう。世の中には簡単に「証拠」が出せる性質のものと出せない性質のものがあります。「無教養」「無頼漢」「最下層階級」というのは概念です。また、「差別」も概念です。概念を認めなかったら、どんな「証拠」による証明も意味を成しません。「オレはそう思わない」と言い張れば済むからです。これは論理ではありません。一種の暴力です。

ひろゆきは「証拠」が出せない(「証拠」を出してもそれと認識されづらい)性質の物事に対して、「証拠」を求めています。無理難題を要求しているのです。これはれっきとした暴力であることに人々は気づくべきです。

ただし、これをひろゆきが意図的に、つまりわかっていながらやっているのかどうかは、意見の分かれるところです。私は、ひろゆきはそこまでの策士ではないと見ています。意図して無理難題を要求しているのではなく、結果的にそうなったのだろうと思います。そこまでわかっている人間だったら、自説展開の進め方がもっと整然としたものになっているような気がします。


いずれにしても、この無理難題な「証拠」要求をしてきた時点で、多くの人は相手にするのをやめます。無茶苦茶なことを言っていることが直感的にわかるからです。しかし、それを当意即妙に反駁することはなかなか難しい。これはある種の技術が必要でしょう。たいていの人はここでつっかえてしまいます。そうすると、ひろゆきがすかさず畳み掛けてくるので、周りはひろゆきが優勢だと勘違いしてしまうのです。

この無理難題な「証拠」要求というのが今の日本社会で蔓延っており、二言目には「証拠」だの「エビデンス」だの「ソース(source)」だのと言ってくるのです。証明できるような性質ではないものに対しても、です。また、「証拠」として提出したものを解読できる能力がないために、「証拠」と認めないケースもあります。

このひろゆき的思考がコロナウイルスさながらに蔓延しています。私はこのような風潮を大変危惧しています。

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泉正弘さんが的確に「ひろゆき」の論理不在ぶりを看破してくださっているので、F爺がわざわざ付け加えるほどのことは残っていません。別の言い方で、こう纏めます。

【歪曲・改竄・捏造引用犯「ひろゆき」が「証拠」だと主張しているものは、全て、論点がずらしてあるため、何の証拠でもない】

【歪曲・改竄・捏造引用犯「ひろゆき」は、悪魔の証明を要求する(*)卑怯者だ】

(*) 日本語習得途上の読者のための注。「悪魔の証明の要求」は、ヨーロッパ諸語からの逐語訳で成立した表現です。「証明不可能なことの証明を要求すること」です。

例えば、「鵺(ぬえ)が存在しないことの証明」は、不可能です。しかし、「存在しない」と言って間違いではありません。「存在の証明があるまでは存在しないと見做す」のが正しいからです。

泉正弘さんのコメントにある【「putain」の原義が「売春婦」という意味の侮蔑語である時点で、「単なる強調」で使うことはありえないし、もし「単なる強調」で使う人がいたら、それこそ「無教養」「無頼漢」「最下層階級」の烙印を捺される】という陳述は、フランス語社会の常識です。そもそも証明する必要が無いのです。


反論まがいを敢えて唱えるのは、フランス語の初歩の初歩も知らない「ひろゆき」のような馬鹿者やフランス語をある程度は習得していても十分な長期間に亙って生きたフランス語を話して生活した経験の無い輩だけです。

「ひろゆき」の「十罪」の最新版

「ひろゆき」の「十罪」の最新改訂版を作りました。今後は、これを使ってください。

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「ひろゆき」は、
# 頻繁に議題のすり替えを試みながら他者を「論点ずらし」呼ばわりし
# 自分が無知なくせに他者を「勉強不足」呼ばわりし
# 他者及び自己の発言を組織的に歪曲引用・捏造引用している嘘吐きのくせに他者を「嘘吐き」呼ばわりし
# 人格攻撃を好み、
# 何が若者言葉であるかも知らず、
# 映画を観る時には悪罵の出現回数を指折り数えることに集中し、
# 高齢者差別をし、
# 何が人種差別であるかも知らず、
# 自分が差別されていることにも気が付かず、
# 44歳にもなって未だに「若者」のつもりでいます。
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第十項は、そのうちに「45歳にもなって」と書き換えなくてはならないでしょうね。

(*) 追記 2021年8月26日

泉正弘さんのコメントに一箇所、賛成できない重大なことがあります。指摘するのを忘れていましたが、「K.Forest.Island」さんがコメントでその点に賛同なさっているのを見て思い出しました。

泉正弘さんがこう書いていらっしゃいます。

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これを意図的な論点ずらしだと指摘する人もいます。しかし私は意図的ではないと見ています。
文意を読み取れず、自然に論点がずれてしまっただけだと思います。単純に、文章が読めない人ではないでしょうか。

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「ひろゆき」は、歪曲改竄引用を「不用意に」犯すのではありません。組織的に、言い逃れのために、自分に都合の良い捏造引用をするのです。その行動様式は、「単純に、[日本語の]文章が読めない」というだけでは説明が付きません。

「ひろゆき」は、卑劣ですが、そしてフランス語能力も英語能力も貧弱ですが、「知能指数が低い」という意味での馬鹿ではありません。

また、歪曲改竄捏造引用を指摘されて常に無視する態度も説明できません。

「ひろゆき」には根底に極度に邪悪な意図があるとしか考えられません。
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