「祈り」とは叶わぬことを願うこと(続) : ウクライナ情勢に寄せて
- 2022/04/22
- 02:41
4月22日付けの一本目の記事です。二本目は、日本時間で夕刻、掲載します。
ウクライナ情勢は、先が見えません。軍事評論に関してド素人のF爺は、ロシアによる無体な戦禍で亡くなった人たちとそのご遺族、重傷を負った人たちとその近親の方たちの歎きを思い遣って悲歎に暮れるばかりです。
戦況のライブ配信
「BFM-TV」のサイトのライブ配信が次のことを伝えています。
# 16時16分 米国大統領のバイデン氏が「プーチンにはウクライナを占領することは出来ない」と宣言。
《占領させないように米軍が乗り出すという意味なのだろうか。それとも・・・》
# 16時33分 AFP(Agence France Presse)の記者が「マリウポリから非戦闘員を脱出させたバスが3台、無事にザポリッジヤに到着した」ことを確認。
《マリウポリからザポリッジヤに到達するには、何日も掛かるそうだ。爆撃されないで逃げおおせた避難バスも、少しは存在するんだ。出発したバスは、確か、もっと多かったはず・・・》
# 16時39分 スペインが「ウクライナに200トンの軍事資材を送る」と発表。
# 17時19分 ロシアが米国人29名に入国拒否。その中にはKamala Harris 夫人とMark Zuckerberg氏の名前もある。
《今のロシアにわざわざ行きたがる人なんて、いるのかなあ》
# 17時50分 ロシアがカナダ人61名に「無期限で」入国拒否。
# 18時7分 フランスが「ウクライナに28トンの医療資材を送る」と発表。
「MJBぢぢい」さんのお歎き
「MJBぢぢい」さんが、ご自身のブログの〈俺たちに時間はない〉と題した記事に「追記」を付けました。F爺が、それを全文引用して、こんなコメントを投稿しました。
#####
「MJBぢぢい」さん
>今「祈りとは何か」と考えています。毎日ウクライナの惨状を目にするにつけ途方にくれ、
無力感に襲われています。自力で変えようもないことを「祈る」ことに何か意味があるのか、
諦めるために祈るのか。人間とは本当に難しい生きものです。
F爺は、最近、こう考えるようになりました。
【自力では叶わないことへの「祈り」と「呪い」から「迷信」や「宗教」が生まれた。
個々の人間の祈りは無力に見えるが、数が集まれば何かを動かす力になり得る】
祈るのは、「(希望が見当たらなくても)諦めないこと」です。当座は「気休めに過ぎない」
かも知れませんが、希望を未来に繋ぐことです。
#####
上のコメントは、当ブログの記事〈「祈り」とは叶わぬことを願うこと〉の続篇という位置付けです。そのため、この記事は、〈「祈り」とは何か〉と銘打った書庫に入れます。
「祈り」が宗教を生んだ
F坊や→F少年→F青年→F爺は、長いこと、
《「祈る」も「呪う」も和語(やまとことば)だ。有史以前からある概念なのだ。神道や佛教などとの関係は、初期にはどうだったんだろう》
と、「答えの無い疑問」を抱いていました。
当ブログに上記の記事〈「祈り」とは叶わぬことを願うこと〉を発表する前後に、確信が生まれました。
【「祈り」も「呪い」も宗教や迷信の成立以前に存在したのだ。だから、宗教の違いを超えて、無宗教者をも含めて、万人が共有できる心情なのだ】
結論
この「続篇」の結論をもう一度書きます。
【自力では叶わないことへの真摯な「祈り」と「呪い」から「迷信」や「宗教」が生まれた。個々の人間の祈りは無力に見えるが、数が集まれば何かを動かす力になり得る】
祈るのは、「(希望が見当たらなくても)諦めないこと」です。当座は「気休めに過ぎない」かも知れませんが、希望を未来に繋ぐことです。
誤解の無いように付け加えますが、独裁者プーチンや一部の「宗教」の教条主義者のような殺人鬼どもが「口実」として喧伝している「攻撃慾・破壊慾・誹謗中傷慾・殺人慾を正当化しようとして嘘を寄せ集めた逆恨みの表明」は、無価値です。そこには、不当であるため、希望も未来もありません。
ウクライナ情勢は、先が見えません。軍事評論に関してド素人のF爺は、ロシアによる無体な戦禍で亡くなった人たちとそのご遺族、重傷を負った人たちとその近親の方たちの歎きを思い遣って悲歎に暮れるばかりです。
戦況のライブ配信
「BFM-TV」のサイトのライブ配信が次のことを伝えています。
# 16時16分 米国大統領のバイデン氏が「プーチンにはウクライナを占領することは出来ない」と宣言。
《占領させないように米軍が乗り出すという意味なのだろうか。それとも・・・》
# 16時33分 AFP(Agence France Presse)の記者が「マリウポリから非戦闘員を脱出させたバスが3台、無事にザポリッジヤに到着した」ことを確認。
《マリウポリからザポリッジヤに到達するには、何日も掛かるそうだ。爆撃されないで逃げおおせた避難バスも、少しは存在するんだ。出発したバスは、確か、もっと多かったはず・・・》
# 16時39分 スペインが「ウクライナに200トンの軍事資材を送る」と発表。
# 17時19分 ロシアが米国人29名に入国拒否。その中にはKamala Harris 夫人とMark Zuckerberg氏の名前もある。
《今のロシアにわざわざ行きたがる人なんて、いるのかなあ》
# 17時50分 ロシアがカナダ人61名に「無期限で」入国拒否。
# 18時7分 フランスが「ウクライナに28トンの医療資材を送る」と発表。
「MJBぢぢい」さんのお歎き
「MJBぢぢい」さんが、ご自身のブログの〈俺たちに時間はない〉と題した記事に「追記」を付けました。F爺が、それを全文引用して、こんなコメントを投稿しました。
#####
「MJBぢぢい」さん
>今「祈りとは何か」と考えています。毎日ウクライナの惨状を目にするにつけ途方にくれ、
無力感に襲われています。自力で変えようもないことを「祈る」ことに何か意味があるのか、
諦めるために祈るのか。人間とは本当に難しい生きものです。
F爺は、最近、こう考えるようになりました。
【自力では叶わないことへの「祈り」と「呪い」から「迷信」や「宗教」が生まれた。
個々の人間の祈りは無力に見えるが、数が集まれば何かを動かす力になり得る】
祈るのは、「(希望が見当たらなくても)諦めないこと」です。当座は「気休めに過ぎない」
かも知れませんが、希望を未来に繋ぐことです。
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上のコメントは、当ブログの記事〈「祈り」とは叶わぬことを願うこと〉の続篇という位置付けです。そのため、この記事は、〈「祈り」とは何か〉と銘打った書庫に入れます。
「祈り」が宗教を生んだ
F坊や→F少年→F青年→F爺は、長いこと、
《「祈る」も「呪う」も和語(やまとことば)だ。有史以前からある概念なのだ。神道や佛教などとの関係は、初期にはどうだったんだろう》
と、「答えの無い疑問」を抱いていました。
当ブログに上記の記事〈「祈り」とは叶わぬことを願うこと〉を発表する前後に、確信が生まれました。
【「祈り」も「呪い」も宗教や迷信の成立以前に存在したのだ。だから、宗教の違いを超えて、無宗教者をも含めて、万人が共有できる心情なのだ】
結論
この「続篇」の結論をもう一度書きます。
【自力では叶わないことへの真摯な「祈り」と「呪い」から「迷信」や「宗教」が生まれた。個々の人間の祈りは無力に見えるが、数が集まれば何かを動かす力になり得る】
祈るのは、「(希望が見当たらなくても)諦めないこと」です。当座は「気休めに過ぎない」かも知れませんが、希望を未来に繋ぐことです。
誤解の無いように付け加えますが、独裁者プーチンや一部の「宗教」の教条主義者のような殺人鬼どもが「口実」として喧伝している「攻撃慾・破壊慾・誹謗中傷慾・殺人慾を正当化しようとして嘘を寄せ集めた逆恨みの表明」は、無価値です。そこには、不当であるため、希望も未来もありません。