コメント
「下さい」という言葉について
F爺さま
誤用敬語の記事、とても勉強になりました。
敬語というのは、私もこれは正しい使い方なのだろうかと
疑問に思う状況が多々あります。
敬語に属するのか丁寧語に属するのかはわからないですが、
ポスターで「下さい」という表現を目にする時に
これは果たして正しい使い方なのだろうかと迷う事があります。
一昨日、日本で参議院選挙がありましたが、
選挙期間中に候補者がポスターで投票を促す文言で
「投票用紙には○○とお書き下さい」
「投票用紙には○○とお書きください」
(○○には候補者の名前だったり所属している政党名が入ります)
と書かれているのを良く目にします。
日本での選挙運動では
候補者が有権者に対し最大限に丁寧かつ敬い、へりくだりながら
自分に投票をお願いをする事が一般的というのが私の認識です。
ポスターでは「どうか私めに票を投じて下さいませ」と言わんばかりに
一生懸命に訴えています。
故に、お願いをするのであれば「お書き下さい」ではなく「お書きくださいませ」の方が
丁寧な表現になるのではと疑問に思いました。
理由は「お書き下さい」という使い方に
「○○して下さい」という表現の"指示"を連想するからです。
以前知人が選挙に出馬した時にその運動を少し手伝った事があります。
その時に
「投票用紙には○○とお書き下さい」と書かれていたポスターをみて
「投票用紙には○○とお書きくださいませ」の方が良いのでは、
と提案した事がありますが、
選挙ではこういう書き方をするものだと言われ却下されました。
お願いしているのに指示しているのは矛盾しているのでは、と感じ
違和感として現在も残っています。
また、漢字で「下さい」と表記する事と
ひらがなで「ください」と表記する事は意味合いが違ってくるのかも気になります。
尊敬語とは異なるコメントになってしまいましたが、
「下さい」「ください」というのはどう使用するのが日本語として正しいのでしょうか。
誤用敬語の記事、とても勉強になりました。
敬語というのは、私もこれは正しい使い方なのだろうかと
疑問に思う状況が多々あります。
敬語に属するのか丁寧語に属するのかはわからないですが、
ポスターで「下さい」という表現を目にする時に
これは果たして正しい使い方なのだろうかと迷う事があります。
一昨日、日本で参議院選挙がありましたが、
選挙期間中に候補者がポスターで投票を促す文言で
「投票用紙には○○とお書き下さい」
「投票用紙には○○とお書きください」
(○○には候補者の名前だったり所属している政党名が入ります)
と書かれているのを良く目にします。
日本での選挙運動では
候補者が有権者に対し最大限に丁寧かつ敬い、へりくだりながら
自分に投票をお願いをする事が一般的というのが私の認識です。
ポスターでは「どうか私めに票を投じて下さいませ」と言わんばかりに
一生懸命に訴えています。
故に、お願いをするのであれば「お書き下さい」ではなく「お書きくださいませ」の方が
丁寧な表現になるのではと疑問に思いました。
理由は「お書き下さい」という使い方に
「○○して下さい」という表現の"指示"を連想するからです。
以前知人が選挙に出馬した時にその運動を少し手伝った事があります。
その時に
「投票用紙には○○とお書き下さい」と書かれていたポスターをみて
「投票用紙には○○とお書きくださいませ」の方が良いのでは、
と提案した事がありますが、
選挙ではこういう書き方をするものだと言われ却下されました。
お願いしているのに指示しているのは矛盾しているのでは、と感じ
違和感として現在も残っています。
また、漢字で「下さい」と表記する事と
ひらがなで「ください」と表記する事は意味合いが違ってくるのかも気になります。
尊敬語とは異なるコメントになってしまいましたが、
「下さい」「ください」というのはどう使用するのが日本語として正しいのでしょうか。
Re: 「下さい」という言葉について
「ailiyuki」さん
ご質問が多いため、順不同に、答えやすいものから書いて行きます。
>漢字で「下さい」と表記する事と
ひらがなで「ください」と表記する事は意味合いが違ってくるのか
いや、意味の違いはありません。
>「投票用紙には○○とお書きくださいませ」の方が良いのでは、
「-ませ」は、頻繁に過剰敬語になります。確信が無い時は、使用を避けたほうが無難です。
>日本での選挙運動では
候補者が有権者に対し最大限に丁寧かつ敬い、へりくだりながら
自分に投票をお願いをする事が一般的というのが私の認識です。
日本の候補者は、
「私に投票してくれ」
とせがむだけで、自分の政治的な信条や当選した場合に何をどうするつもりなのかは滅多に公表しないと聞いています。これが正しい情報だとすると、選挙に臨む姿勢がそもそも間違っています。加えて
【へりくだるのは選挙の時だけ】
という確固たる評判になっているとも聞きます。
F爺は、そんな「選挙期間中限定のお願い」をしなくても有権者が投票したくなるような候補者が頭角を現わすのが当然だと思います。現実は、そうなっていませんね。
「指示」について
「投票用紙には○○とお書き下さい」は、「ませ」が付いていてもいなくても、「指示」です。無礼です。有権者は、「頼まれたから投票する」のではなく、「自分の住んでいる村を、町を、都道府県を、国を、良くしてもらえそうな候補者を択ぶ」のです。投票用紙に何を書くかを候補者に「頼まれる」筋合いはありません。
受給表現
>尊敬語とは異なるコメントになってしまいましたが、
「下さい」「ください」というのはどう使用するのが日本語として正しいのでしょうか。
「やる」「あげる」「くれる」「くださる」「よこす」「もらう」「いただく」などの受給表現に関しては、いずれ、そのための書庫を作って、多数の記事を収める予定です。上記のうち、「あげる」「くださる」「いただく」は、尊敬語でもあります。決して「尊敬語とは異なるコメントになってしま」ってはいませんよ。ご安心ください。
受給表現は、「上下関係」を軸として封建時代に成立した言い方・書き方が、「平等」「同輩」「横並び」という概念の広がりとともに、質的に変化して来ています。どんな説明のし方が解かりやすいのか、熟考しなくてはなりません。何日後、或いは何週間後に始められるのか、すぐには予告できません。気長にお待ちいただければ幸いです。
ご質問が多いため、順不同に、答えやすいものから書いて行きます。
>漢字で「下さい」と表記する事と
ひらがなで「ください」と表記する事は意味合いが違ってくるのか
いや、意味の違いはありません。
>「投票用紙には○○とお書きくださいませ」の方が良いのでは、
「-ませ」は、頻繁に過剰敬語になります。確信が無い時は、使用を避けたほうが無難です。
>日本での選挙運動では
候補者が有権者に対し最大限に丁寧かつ敬い、へりくだりながら
自分に投票をお願いをする事が一般的というのが私の認識です。
日本の候補者は、
「私に投票してくれ」
とせがむだけで、自分の政治的な信条や当選した場合に何をどうするつもりなのかは滅多に公表しないと聞いています。これが正しい情報だとすると、選挙に臨む姿勢がそもそも間違っています。加えて
【へりくだるのは選挙の時だけ】
という確固たる評判になっているとも聞きます。
F爺は、そんな「選挙期間中限定のお願い」をしなくても有権者が投票したくなるような候補者が頭角を現わすのが当然だと思います。現実は、そうなっていませんね。
「指示」について
「投票用紙には○○とお書き下さい」は、「ませ」が付いていてもいなくても、「指示」です。無礼です。有権者は、「頼まれたから投票する」のではなく、「自分の住んでいる村を、町を、都道府県を、国を、良くしてもらえそうな候補者を択ぶ」のです。投票用紙に何を書くかを候補者に「頼まれる」筋合いはありません。
受給表現
>尊敬語とは異なるコメントになってしまいましたが、
「下さい」「ください」というのはどう使用するのが日本語として正しいのでしょうか。
「やる」「あげる」「くれる」「くださる」「よこす」「もらう」「いただく」などの受給表現に関しては、いずれ、そのための書庫を作って、多数の記事を収める予定です。上記のうち、「あげる」「くださる」「いただく」は、尊敬語でもあります。決して「尊敬語とは異なるコメントになってしま」ってはいませんよ。ご安心ください。
受給表現は、「上下関係」を軸として封建時代に成立した言い方・書き方が、「平等」「同輩」「横並び」という概念の広がりとともに、質的に変化して来ています。どんな説明のし方が解かりやすいのか、熟考しなくてはなりません。何日後、或いは何週間後に始められるのか、すぐには予告できません。気長にお待ちいただければ幸いです。
ありがとうございます
F爺さま
たくさんの疑問点に詳しく解説してくださり、とても良く理解できました。
投票用紙に○○とお書き下さい、という表現をおかしいと思う事は間違っていなかったのですね。
受給表現の使い方は、私も普段からどう使用するのか悩む事が多く、
それが概念の広まりとともに、質的にどう変化してきたのかは、非常に興味深いです。
F爺さまの記事を楽しみに待つ事にします。
大変勉強になりました。ありがとうございます。
たくさんの疑問点に詳しく解説してくださり、とても良く理解できました。
投票用紙に○○とお書き下さい、という表現をおかしいと思う事は間違っていなかったのですね。
受給表現の使い方は、私も普段からどう使用するのか悩む事が多く、
それが概念の広まりとともに、質的にどう変化してきたのかは、非常に興味深いです。
F爺さまの記事を楽しみに待つ事にします。
大変勉強になりました。ありがとうございます。
Re: ありがとうございます
「ailiyuki」さん
「日本語・敬語・受給動詞の体系」と銘打った書庫を作りました。いまは、まだ空っぽです。手始めに
〈「やる」と「あげる」と「さしあげる」〉(仮題)
と題した記事を準備します。
単独で用いる「やる」と「あげる」と「さしあげる」だけで一篇、
複合動詞の「□□てやる」と「□□てあげる」と「□□てさしあげる」で、少なくとも一篇
の記事になるはずです。
対比できる組み合わせを細かく取り上げて行くのが良い・・・と今のところは考えています。実際にどんな形になるかは、まだまだ分かりません。
その後で「くれる」と「くださる」を対比させる記事、「□□てくれる」と「□□てくださる」を対比させる記事・・・と続く見込みです。
「日本語・敬語・受給動詞の体系」と銘打った書庫を作りました。いまは、まだ空っぽです。手始めに
〈「やる」と「あげる」と「さしあげる」〉(仮題)
と題した記事を準備します。
単独で用いる「やる」と「あげる」と「さしあげる」だけで一篇、
複合動詞の「□□てやる」と「□□てあげる」と「□□てさしあげる」で、少なくとも一篇
の記事になるはずです。
対比できる組み合わせを細かく取り上げて行くのが良い・・・と今のところは考えています。実際にどんな形になるかは、まだまだ分かりません。
その後で「くれる」と「くださる」を対比させる記事、「□□てくれる」と「□□てくださる」を対比させる記事・・・と続く見込みです。
ありがとうございました
F爺さま
>>いろいろあって長らくお待たせする結果になってしまいました。申し訳ございません
とんでもございません!
私も返信が遅くなってしまいました。
こちらこそ、申し訳ございません。
そもそも、私のコメントに誤用敬語が多いため、「反省しています」、と投稿したら、更に
F爺さまが書いておられますが、
と誤用敬語を書いてしまった、というのが始まりでした。文字通り、恥の上塗りということになります……。
F爺さまのご指摘を読むと、自分でもなぜ「書いていらっしゃいますが」とせず、「書いておられますが」としてしまったのか、とても不思議な気持ちになります。
とはいえ、根本原因が不勉強にあるのは間違いありません。
何よりも「おる」が謙譲語だという事実を全く理解していませんでした。
謙譲語の「おる」って、どんな例文を考えればいいんだっけ、と慌ててネットなどで調べましたが、
「先生、和室におります」
「先生、駅前の喫茶店でお待ちしております」
「先生に何度も申し上げておりますが」
という文章をひねり出しました。
しかしながら、これが正しいかどうかは自信がないという体たらくです。(正直に書くと、3つの文章はある方の”校閲”が入っております)
「おる」と「謙譲」という単語で、グーグルを使って検索していた時のことですが、NHK放送文化研究所の「『先生は、おられますか』は、間違い?」との記事を見つけました。
ルールに従ってリンクは貼りません。
この記事に「間違いとまでは言えないでしょう」と書いてあることから、F爺さまの《NHK式の擬似尊敬語》とのご指摘を思い出しました。
今のところは、これが精一杯のコメントです。
情動相、擬似自発、擬似受動態となるとさっぱりですし、
《(*)「(お)書きなさる」の命令形の「(お)書きなさい」は、現代語では目下の者に対して用いるようになっていますから、
【命令形は、現代語では、尊敬語ではない。「書け」よりも丁寧ではあるが、目上の人や初対面の人に言ったら、また、面識の無い人に宛てた書状に書いたら、無礼だ】
と認識するのが正解です。
但し、挨拶としての「お帰りなさい」は、例外です。「帰れ」という意味ではありませんから(笑)》
ここのくだりも、非常に興味深いことが書かれていると、知的好奇心をそそられるのですが、分からないことだらけです。
1つだけ触れますと、目上の人に向かって「お書きなさい」と言うことが、今ではなく昔なら「敬語の正しい使い方だった時代があったということですか?」という疑問が浮かびました。
確かに尊敬語の命令形があっても不思議はないはずなのですが、そんな時代があったなんて信じられないというのが率直な感想です。
脱線してしまいました。
よく、手品もタネを知ると、なんだ、と拍子抜けしてしまいます。
敬語には難しいところがあると思いますが、例文の《F爺様の記事にありますが》という、とても簡単で、平易で、分かりやすい文章を、なぜ思い浮かばなかったのか、不思議やら情けないやら、という気持ちです。
>>いろいろあって長らくお待たせする結果になってしまいました。申し訳ございません
とんでもございません!
私も返信が遅くなってしまいました。
こちらこそ、申し訳ございません。
そもそも、私のコメントに誤用敬語が多いため、「反省しています」、と投稿したら、更に
F爺さまが書いておられますが、
と誤用敬語を書いてしまった、というのが始まりでした。文字通り、恥の上塗りということになります……。
F爺さまのご指摘を読むと、自分でもなぜ「書いていらっしゃいますが」とせず、「書いておられますが」としてしまったのか、とても不思議な気持ちになります。
とはいえ、根本原因が不勉強にあるのは間違いありません。
何よりも「おる」が謙譲語だという事実を全く理解していませんでした。
謙譲語の「おる」って、どんな例文を考えればいいんだっけ、と慌ててネットなどで調べましたが、
「先生、和室におります」
「先生、駅前の喫茶店でお待ちしております」
「先生に何度も申し上げておりますが」
という文章をひねり出しました。
しかしながら、これが正しいかどうかは自信がないという体たらくです。(正直に書くと、3つの文章はある方の”校閲”が入っております)
「おる」と「謙譲」という単語で、グーグルを使って検索していた時のことですが、NHK放送文化研究所の「『先生は、おられますか』は、間違い?」との記事を見つけました。
ルールに従ってリンクは貼りません。
この記事に「間違いとまでは言えないでしょう」と書いてあることから、F爺さまの《NHK式の擬似尊敬語》とのご指摘を思い出しました。
今のところは、これが精一杯のコメントです。
情動相、擬似自発、擬似受動態となるとさっぱりですし、
《(*)「(お)書きなさる」の命令形の「(お)書きなさい」は、現代語では目下の者に対して用いるようになっていますから、
【命令形は、現代語では、尊敬語ではない。「書け」よりも丁寧ではあるが、目上の人や初対面の人に言ったら、また、面識の無い人に宛てた書状に書いたら、無礼だ】
と認識するのが正解です。
但し、挨拶としての「お帰りなさい」は、例外です。「帰れ」という意味ではありませんから(笑)》
ここのくだりも、非常に興味深いことが書かれていると、知的好奇心をそそられるのですが、分からないことだらけです。
1つだけ触れますと、目上の人に向かって「お書きなさい」と言うことが、今ではなく昔なら「敬語の正しい使い方だった時代があったということですか?」という疑問が浮かびました。
確かに尊敬語の命令形があっても不思議はないはずなのですが、そんな時代があったなんて信じられないというのが率直な感想です。
脱線してしまいました。
よく、手品もタネを知ると、なんだ、と拍子抜けしてしまいます。
敬語には難しいところがあると思いますが、例文の《F爺様の記事にありますが》という、とても簡単で、平易で、分かりやすい文章を、なぜ思い浮かばなかったのか、不思議やら情けないやら、という気持ちです。
Re: ありがとうございました
「脱線男」さん
情動相については「日本語・文法・情動相≠受動態」https://fjii.blog.fc2.com/blog-category-200.htmlという書庫に入っている記事をご覧ください。
擬似自発は、〈日本語が危ない(3)〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-170.html と題した記事の「3.2.2.」の項で実例を示しています。
>「おる」と「謙譲」という単語で、グーグルを使って検索していた時のことですが、NHK放送文化研究所の「□□□□□□□」との記事を見つけました。
ルールに従ってリンクは貼りません。
正解です。何十年来NHKが犯し続ける捏造東北弁依存症https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1201.htmlによる暴言の繰り返しhttps://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-2417.htmlには怨み骨髄に徹していますから。
>尊敬語の命令形があっても不思議はないはずなのですが、そんな時代があったなんて信じられないというのが率直な感想です。
はあ ? 「ください(ませ)」「いらっしゃい(ませ)」「御覧なさい(ませ)」などは、紛れも無く「尊敬語の命令形」ですよ・・・。
ついでに一言
「ありがとうございました」は、
【これで一件落着】
という時の別れの挨拶です。
これとは別に、再会した時の
「先日は、どうもありがとうございました」
という用法もあります。こちらは、「回想」です。
「-ました」には、「完了」と「回想」の二つの意味・用法があるのです。
情動相については「日本語・文法・情動相≠受動態」https://fjii.blog.fc2.com/blog-category-200.htmlという書庫に入っている記事をご覧ください。
擬似自発は、〈日本語が危ない(3)〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-170.html と題した記事の「3.2.2.」の項で実例を示しています。
>「おる」と「謙譲」という単語で、グーグルを使って検索していた時のことですが、NHK放送文化研究所の「□□□□□□□」との記事を見つけました。
ルールに従ってリンクは貼りません。
正解です。何十年来NHKが犯し続ける捏造東北弁依存症https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-1201.htmlによる暴言の繰り返しhttps://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-2417.htmlには怨み骨髄に徹していますから。
>尊敬語の命令形があっても不思議はないはずなのですが、そんな時代があったなんて信じられないというのが率直な感想です。
はあ ? 「ください(ませ)」「いらっしゃい(ませ)」「御覧なさい(ませ)」などは、紛れも無く「尊敬語の命令形」ですよ・・・。
ついでに一言
「ありがとうございました」は、
【これで一件落着】
という時の別れの挨拶です。
これとは別に、再会した時の
「先日は、どうもありがとうございました」
という用法もあります。こちらは、「回想」です。
「-ました」には、「完了」と「回想」の二つの意味・用法があるのです。
嬉しさと畏れ多さ
F爺さま
私が長年悩んでいた敬語や丁寧語の疑問について
詳しくお答えいただいたのみならず、
「日本語・敬語・受給動詞の体系」書庫の開設までしたくださり、
感謝の気持ちでいっぱいです。
私がコメントを投稿する時は、
慇懃無礼や失礼なコメントになってしまっていないか
何度も確認しながら書いているので、
新規に記事を立てていただくことに対し嬉しさ反面、畏れ多くもあります。
この文を書いている時も間違った書き方や誤った表現になってしまっていないか
緊張して手に汗がにじんでいるくらいです。
F爺さまはたくさんの記事を書いておられると同時に、
別個記事にする予定の題材もたくさんあろうかと思います。
気の向かれた時で構いません、楽しみにお待ちしています。
本当にありがとうございます。
私が長年悩んでいた敬語や丁寧語の疑問について
詳しくお答えいただいたのみならず、
「日本語・敬語・受給動詞の体系」書庫の開設までしたくださり、
感謝の気持ちでいっぱいです。
私がコメントを投稿する時は、
慇懃無礼や失礼なコメントになってしまっていないか
何度も確認しながら書いているので、
新規に記事を立てていただくことに対し嬉しさ反面、畏れ多くもあります。
この文を書いている時も間違った書き方や誤った表現になってしまっていないか
緊張して手に汗がにじんでいるくらいです。
F爺さまはたくさんの記事を書いておられると同時に、
別個記事にする予定の題材もたくさんあろうかと思います。
気の向かれた時で構いません、楽しみにお待ちしています。
本当にありがとうございます。
Re: 嬉しさと畏れ多さ
「ailiyuki」さん
> F爺さまはたくさんの記事を書いておられると同時に、
おやおや、「□□ておられる」を使ってしまっていますよ。コメントの最後の部分なので気が緩んでしまったのかと推測します。
>気の向かれた時で構いません
んんん・・・ここには、誤用が二つ重なっています。
[1]「れる/られる」をNHK式に「尊敬語のおつもり」で用いるのは、F爺宛てのコメントではお止(や)めください。
[2]「気の向いた時で構わない」という言い方は、やる気満々の人にやる気を失くさせてしまいます。
F爺は、気が向いたからこの記事を立てたのです。それに、元々、日本語文法はF爺の興味の中心になっているものの一つです。受給動詞のためにわざわざ三つも書庫を用意したのですから、構想は既に詳細に出来ていると推察してくださるのが当然です。
「気の向いた時で構わない。もごもご、ごにょごにょ」と言っておかしくない時期は、とうに過ぎているのです。「遠慮したおつもり」なのかもしれませんが、完全に逆効果なのですよ。この部分は、是非とも撤回してください。
> F爺さまはたくさんの記事を書い
おやおや、「□□
>気の
んんん・・・ここには、誤用が二つ重なっています。
[1]「れる/られる」をNHK式に「尊敬語のおつもり」で用いるのは、F爺宛てのコメントではお止(や)めください。
[2]「気の向いた時で構わない」という言い方は、やる気満々の人にやる気を失くさせてしまいます。
F爺は、気が向いたからこの記事を立てたのです。それに、元々、日本語文法はF爺の興味の中心になっているものの一つです。受給動詞のためにわざわざ三つも書庫を用意したのですから、構想は既に詳細に出来ていると推察してくださるのが当然です。
「気の向いた時で構わない。もごもご、ごにょごにょ」と言っておかしくない時期は、とうに過ぎているのです。「遠慮したおつもり」なのかもしれませんが、完全に逆効果なのですよ。この部分は、是非とも撤回してください。
命令形
F爺さま
>>はあ ? 「ください(ませ)」「いらっしゃい(ませ)」「御覧なさい(ませ)」などは、紛れも無く「尊敬語の命令形」ですよ・・・。
トンチンカンなことを書いたようで、本当に申し訳ありません。
「電話して下さい」という例文を考えて、大丈夫でしょうか?
「電話して下さい!」と書くと、目上の人に使えないような気がしますが、「お願いですから電話して下さい」ですと、上司に言って何の問題もないように思えます。
言い訳ではないのですが、「尊敬語に命令形がある」ということは考えもしませんでした。
勉強不足というより、考えるという行為が足らないということでしょうか……。
>>はあ ? 「ください(ませ)」「いらっしゃい(ませ)」「御覧なさい(ませ)」などは、紛れも無く「尊敬語の命令形」ですよ・・・。
トンチンカンなことを書いたようで、本当に申し訳ありません。
「電話して下さい」という例文を考えて、大丈夫でしょうか?
「電話して下さい!」と書くと、目上の人に使えないような気がしますが、「お願いですから電話して下さい」ですと、上司に言って何の問題もないように思えます。
言い訳ではないのですが、「尊敬語に命令形がある」ということは考えもしませんでした。
勉強不足というより、考えるという行為が足らないということでしょうか……。
Re: 命令形
「脱線男」さん
>「尊敬語に命令形がある」ということは考えもしませんでした。勉強不足というより、考えるという行為が足らないということでしょうか……。
いやいや、勉強不足のせいでも「考えるという行為が足らない」わけでもありません。[英] imperative、[仏] impératif に対する訳語の「命令形」の意味と用法を学校教育できちんと教えてもらえていないからなのです。
「命令形」は、「命令」だけでなく、「依頼」「激励」「進言」「懇願」「祈祷」などに用いる形態です。
「祓い給え、清め給え」は、祈祷です。命令ではありません。
「しっかりしろ」は、激励です。命令ではありません。
「お助けください」は、懇願です。これも、命令ではありません。
ただ「命令・激励・進言・懇願・祈祷・その他いろいろ形」
と言ったのでは、長過ぎて使えません。已む無く「命令形」という言い方で妥協しているのです。
>「電話して下さい!」と書くと、目上の人に使えないような気がしますが、「お願いですから電話して下さい」ですと、上司に言って何の問題もないように思えます。
いや、「お願いですから電話して下さい」は、「強要」「脅迫」「過度の甘え」「ストーカー行為」と見做される確率が極めて高いと思います。
前後の文脈によっては、目上の人にも「電話してください」と言えますし書けますよ。
「お電話、お願いします」
「□□様から『お電話を』との伝言があります」
などのほうが通りが良いとは思いますが。
>「尊敬語に命令形がある」ということは考えもしませんでした。勉強不足というより、考えるという行為が足らないということでしょうか……。
いやいや、勉強不足のせいでも「考えるという行為が足らない」わけでもありません。[英] imperative、[仏] impératif に対する訳語の「命令形」の意味と用法を学校教育できちんと教えてもらえていないからなのです。
「命令形」は、「命令」だけでなく、「依頼」「激励」「進言」「懇願」「祈祷」などに用いる形態です。
「祓い給え、清め給え」は、祈祷です。命令ではありません。
「しっかりしろ」は、激励です。命令ではありません。
「お助けください」は、懇願です。これも、命令ではありません。
ただ「命令・激励・進言・懇願・祈祷・その他いろいろ形」
と言ったのでは、長過ぎて使えません。已む無く「命令形」という言い方で妥協しているのです。
>「電話して下さい!」と書くと、目上の人に使えないような気がしますが、「お願いですから電話して下さい」ですと、上司に言って何の問題もないように思えます。
いや、「お願いですから電話して下さい」は、「強要」「脅迫」「過度の甘え」「ストーカー行為」と見做される確率が極めて高いと思います。
前後の文脈によっては、目上の人にも「電話してください」と言えますし書けますよ。
「お電話、お願いします」
「□□様から『お電話を』との伝言があります」
などのほうが通りが良いとは思いますが。
失礼いたしました
F爺さま
誤用を指摘くださりありがとうございます。
いや、本当に自分でも気づかぬ内に間違って覚えている所が多いと改めて感じました。
謙遜して書いたつもりが却って失礼になってしまい申し訳ありません。
> F爺さまはたくさんの記事を書いておられると同時に、
↓
この場合は「書かれている」という表現が正しいのでしょうか。
意識せずに使っておりました。不勉強だなと反省しきりです。
>気の向かれた時で構いません
↓
ここの表現も迷ったのですが、F爺さまに記事の作成を促したくない心情で
このような表現になりました。
意味合いとしては、
書庫を作ってくださった事は大変嬉しいが
早く記事を書いてほしいと急かしたくはなく、
F爺さまの好きなタイミングで書いてほしいからといった意味です。
結果、失礼な書き方になってしまいました。
「気の向かれた時で構いません」
は撤回致します。
ご指摘、ありがとうございます。
誤用を指摘くださりありがとうございます。
いや、本当に自分でも気づかぬ内に間違って覚えている所が多いと改めて感じました。
謙遜して書いたつもりが却って失礼になってしまい申し訳ありません。
> F爺さまはたくさんの記事を書いておられると同時に、
↓
この場合は「書かれている」という表現が正しいのでしょうか。
意識せずに使っておりました。不勉強だなと反省しきりです。
>気の向かれた時で構いません
↓
ここの表現も迷ったのですが、F爺さまに記事の作成を促したくない心情で
このような表現になりました。
意味合いとしては、
書庫を作ってくださった事は大変嬉しいが
早く記事を書いてほしいと急かしたくはなく、
F爺さまの好きなタイミングで書いてほしいからといった意味です。
結果、失礼な書き方になってしまいました。
「気の向かれた時で構いません」
は撤回致します。
ご指摘、ありがとうございます。
Re: 失礼いたしました
「ailiyuki」さん
>「気の向かれた時で構いません」
は撤回致します。
迅速なご理解、ありがとうございます。安心しました。
> F爺さまはたくさんの記事を書いておられると同時に、
↓
この場合は「書かれている」という表現が正しいのでしょうか。
いや、それは、「NHK式の安易すぎかつ誤解を招きやすい擬似尊敬語」です。F爺の尺度では、正しくありません。
「お書きになっている」か
「書いていらっしゃる」
とも言えます。
また、尊敬語を使わずに
「F爺さまは、記事の更新頻度が高い」
と表現するなど、いろいろな方法がありますよ。
>「
は撤回致します。
迅速なご理解、ありがとうございます。安心しました。
> F爺さまはたくさんの記事を
↓
この場合は「
いや、それは、「NHK式の安易すぎかつ誤解を招きやすい擬似尊敬語」です。F爺の尺度では、正しくありません。
「お書きになっている」か
「書いていらっしゃる」
とも言えます。
また、尊敬語を使わずに
「F爺さまは、記事の更新頻度が高い」
と表現するなど、いろいろな方法がありますよ。
学校教育
F爺さま
>>「祓い給え、清め給え」は、祈祷です。命令ではありません
月並みな感想をお許しいただきたいのですが、あらためて「ことば」とは難しく、奥深いものだと痛感しました。
神様に向かって「祓い給え、清め給え」と”命令”しているように思えるけれども、実は、これが”祈祷”という使用法なのだ……。
そもそも「祓い給え」が命令形と同じということすら、気づいておりませんでした。「勉強になります」と書くと軽薄な感じですが、本当にそう思います。
>>[英] imperative、[仏] impératif に対する訳語の「命令形」の意味と用法を学校教育できちんと教えてもらえていないからなのです。
調子に乗って、浅学の言い訳をするわけではありません。
例えば高校の「国語」の授業で、『羅生門』とか『こころ』といった小説を読まされたことは感謝しております。
ただ、もうちょっと「日本語」の「文法」を教えてくれても、大人になって役立つことが多かったのかな、とはF爺さまのご指摘を読んで思いました。
>>「祓い給え、清め給え」は、祈祷です。命令ではありません
月並みな感想をお許しいただきたいのですが、あらためて「ことば」とは難しく、奥深いものだと痛感しました。
神様に向かって「祓い給え、清め給え」と”命令”しているように思えるけれども、実は、これが”祈祷”という使用法なのだ……。
そもそも「祓い給え」が命令形と同じということすら、気づいておりませんでした。「勉強になります」と書くと軽薄な感じですが、本当にそう思います。
>>[英] imperative、[仏] impératif に対する訳語の「命令形」の意味と用法を学校教育できちんと教えてもらえていないからなのです。
調子に乗って、浅学の言い訳をするわけではありません。
例えば高校の「国語」の授業で、『羅生門』とか『こころ』といった小説を読まされたことは感謝しております。
ただ、もうちょっと「日本語」の「文法」を教えてくれても、大人になって役立つことが多かったのかな、とはF爺さまのご指摘を読んで思いました。
Re: 学校教育
脱線男さん
>そもそも「祓い給え」が命令形と同じということすら、気づいておりませんでした。
誤解または表現の不備があります。「祓い給え」は、命令形そのものですよ。
>「国語」の授業で、(・・・)もうちょっと「日本語」の「文法」を教えてくれても、大人になって役立つことが多かったのかな、とはF爺さまのご指摘を読んで思いました。
日本語の文法を正しく理解している小学校・中学校・高校教師は、どのくらいいるのでしょうか。「間違ったことを教えられる」くらいなら「何も教えてもらっていない」ほうがまだマシです。日本語を「国語」と呼ぶ時点で、すでに日本語教育は狂っています。
>そもそも「祓い給え」が命令形
誤解または表現の不備があります。「祓い給え」は、命令形そのものですよ。
>「国語」の授業で、(・・・)もうちょっと「日本語」の「文法」を教えてくれても、大人になって役立つことが多かったのかな、とはF爺さまのご指摘を読んで思いました。
日本語の文法を正しく理解している小学校・中学校・高校教師は、どのくらいいるのでしょうか。「間違ったことを教えられる」くらいなら「何も教えてもらっていない」ほうがまだマシです。日本語を「国語」と呼ぶ時点で、すでに日本語教育は狂っています。
誤解または表現の不備
F爺さま
>>誤解または表現の不備があります。「祓い給え」は、命令形そのものですよ。
「祓い給え」は命令形であり、その中で「祈祷」に分類される用法、という理解で大丈夫でしょうか?
>>「間違ったことを教えられる」くらいなら「何も教えてもらっていない」ほうがまだマシです
確かに、酷い先生は私の通っていた高校にもいたなあ、と思いだしてしまいました。
>>日本語を「国語」と呼ぶ時点で、すでに日本語教育は狂っています
「国語の授業」ではなく「日本語の授業」だったら、私たちの意識も相当に変わったと、素人の私でも簡単に想像はつきます。
>>誤解または表現の不備があります。「祓い給え」は、命令形そのものですよ。
「祓い給え」は命令形であり、その中で「祈祷」に分類される用法、という理解で大丈夫でしょうか?
>>「間違ったことを教えられる」くらいなら「何も教えてもらっていない」ほうがまだマシです
確かに、酷い先生は私の通っていた高校にもいたなあ、と思いだしてしまいました。
>>日本語を「国語」と呼ぶ時点で、すでに日本語教育は狂っています
「国語の授業」ではなく「日本語の授業」だったら、私たちの意識も相当に変わったと、素人の私でも簡単に想像はつきます。
Re: 誤解または表現の不備
脱線男さん
>「祓い給え」は命令形であり、その中で「祈祷」に分類される用法、という理解で大丈夫でしょうか?
はい、その理解が正解です。
以前の返信コメントへの追伸
7月14日付けの脱線男さんのコメントに一つ、説明のための返信を忘れた箇所がありました。
>目上の人に向かって「お書きなさい」と言うことが、今ではなく昔なら「敬語の正しい使い方だった時代があったということですか?」という疑問が浮かびました。
確かに尊敬語の命令形があっても不思議はないはずなのですが、そんな時代があったなんて信じられないというのが率直な感想です。
「□□なさい」の古語での形態は、「□□なされ」です。「お聞きなされ」「行きなされ」「拝みなされ」などの言い方を、時代劇で登場人物が目上の人に何かを進言する場面で、聞いたことはありませんか。
最近の時代劇の時代考証は滅茶苦茶ですから、浦島爺の希望的観測に過ぎないかもしれませんが。
>「祓い給え」は命令形であり、その中で「祈祷」に分類される用法、という理解で大丈夫でしょうか?
はい、その理解が正解です。
以前の返信コメントへの追伸
7月14日付けの脱線男さんのコメントに一つ、説明のための返信を忘れた箇所がありました。
>目上の人に向かって「お書きなさい」と言うことが、今ではなく昔なら「敬語の正しい使い方だった時代があったということですか?」という疑問が浮かびました。
確かに尊敬語の命令形があっても不思議はないはずなのですが、そんな時代があったなんて信じられないというのが率直な感想です。
「□□なさい」の古語での形態は、「□□なされ」です。「お聞きなされ」「行きなされ」「拝みなされ」などの言い方を、時代劇で登場人物が目上の人に何かを進言する場面で、聞いたことはありませんか。
最近の時代劇の時代考証は滅茶苦茶ですから、浦島爺の希望的観測に過ぎないかもしれませんが。
時代劇
F爺さま
>>「□□なさい」の古語での形態は、「□□なされ」です。「お聞きなされ」「行きなされ」「拝みなされ」などの言い方を、時代劇で登場人物が目上の人に何かを進言する場面で、聞いたことはありませんか。
あります、あります!
なるほど、と思わず叫びたくなるような感動(?)でした。
家老が殿に「お聞きなされ」と諫言する──こんなシーンを妄想してしまいましたが、あれは尊敬語だったのですね!!
うまく書けなくてもどかしいのですが、現代の日本社会は「お聞きなされ」と言えない世の中になってしまいました。それは貴重な表現を1つ、失ってしまったのだなと思いました。
追伸
7月25日に息子が発熱し、コロナ禍のため様々なことが現在進行形で起きております。
今のところ、私も妻も平熱で、息子も38度台の熱にしては元気です。病院も診察してくれていますが、それでも、やはり医療崩壊を実感しております。
本題とは無関係の書き込み、ルール違反かもしれず、本当に申し訳ありません。ちょっとだけ、現状をF爺さまにお伝えしたかったので、どうかお許し下さい。
>>「□□なさい」の古語での形態は、「□□なされ」です。「お聞きなされ」「行きなされ」「拝みなされ」などの言い方を、時代劇で登場人物が目上の人に何かを進言する場面で、聞いたことはありませんか。
あります、あります!
なるほど、と思わず叫びたくなるような感動(?)でした。
家老が殿に「お聞きなされ」と諫言する──こんなシーンを妄想してしまいましたが、あれは尊敬語だったのですね!!
うまく書けなくてもどかしいのですが、現代の日本社会は「お聞きなされ」と言えない世の中になってしまいました。それは貴重な表現を1つ、失ってしまったのだなと思いました。
追伸
7月25日に息子が発熱し、コロナ禍のため様々なことが現在進行形で起きております。
今のところ、私も妻も平熱で、息子も38度台の熱にしては元気です。病院も診察してくれていますが、それでも、やはり医療崩壊を実感しております。
本題とは無関係の書き込み、ルール違反かもしれず、本当に申し訳ありません。ちょっとだけ、現状をF爺さまにお伝えしたかったので、どうかお許し下さい。
Re: 時代劇
脱線男さん
大変なことになっているようですね。今は、「お大事に」とだけ申し上げます。
>>「□□なさい」の古語での形態は、「□□なされ」です。「お聞きなされ」「行きなされ」「拝みなされ」などの言い方を、時代劇で登場人物が目上の人に何かを進言する場面で、聞いたことはありませんか。
>あります、あります!
なるほど、と思わず叫びたくなるような感動(?)でした。
家老が殿に「お聞きなされ」と諫言する──こんなシーンを妄想[想起]してしまいましたが、あれは尊敬語だったのですね!!
「お聞きなされ」を聞いたことは、やはりあるのですね。安心しました(^_^)。
>うまく書けなくてもどかしいのですが、現代の日本社会は「お聞きなされ」と言えない世の中になってしまいました。それは貴重な表現を1つ、失ってしまったのだなと思いました。
文意がぼんやりとしか呑み込めません。〈「お聞きなされ」と言えない世の中〉って何のことでしょうか。具体例を挙げてご説明をお願いします。大昔も、「家老なら言えることが足軽には言えない」ことが多かったと思いますよ。
大変なことになっているようですね。今は、「お大事に」とだけ申し上げます。
>>「□□なさい」の古語での形態は、「□□なされ」です。「お聞きなされ」「行きなされ」「拝みなされ」などの言い方を、時代劇で登場人物が目上の人に何かを進言する場面で、聞いたことはありませんか。
>あります、あります!
なるほど、と思わず叫びたくなるような感動(?)でした。
家老が殿に「お聞きなされ」と諫言する──こんなシーンを
「お聞きなされ」を聞いたことは、やはりあるのですね。安心しました(^_^)。
>うまく書けなくてもどかしいのですが、現代の日本社会は「お聞きなされ」と言えない世の中になってしまいました。それは貴重な表現を1つ、失ってしまったのだなと思いました。
文意がぼんやりとしか呑み込めません。〈「お聞きなされ」と言えない世の中〉って何のことでしょうか。具体例を挙げてご説明をお願いします。大昔も、「家老なら言えることが足軽には言えない」ことが多かったと思いますよ。
頑張ります
F爺さま
投稿が遅くなってしまい、申し訳ありません。
うまく説明できないことを、これから書きます。
やはり分かりにくい文章になってしまうかもしれませんが、ご寛恕をお願いします。
>>文意がぼんやりとしか呑み込めません。〈「お聞きなされ」と言えない世の中〉って何のことでしょうか。具体例を挙げてご説明をお願いします。大昔も、「家老なら言えることが足軽には言えない」ことが多かったと思いますよ
「尊敬語の命令形」という用法にびっくりしたのは、前に書いた通りです。
その際、私が考えたのは、上司に敬意を示しつつ、「命令」するという表現は、今の日本語では存在しないだろうな、ということでした。
極端な例を想定しますと、上司が「ライバル会社の秘密資料を盗んでこい」と何度も命令してきたとします。
私が「刑法に抵触します」と説明しても聞いてくれない。遂に堪忍袋の尾が切れて、上司に「お聞きなされ!」と言うことはできません。いわゆる「死語」だからです。
現代の日本語なら「お願いですから聞いて下さい。犯罪者になるのは嫌です」とか、「頼みますから、私の言うことに耳を傾けて下さい」とか、何と言いますか、懇願というか、哀願といいますか、いずれにしても命令とはほど遠いニュアンスの文章しか思い浮かびません。
《「お聞きなされ」と言えない世の中》という文章は、「尊敬語の命令形が存在しない世の中」という意味で書きました。
これで説明になっているのか不安ですが、まずはこれで送信いたします。
投稿が遅くなってしまい、申し訳ありません。
うまく説明できないことを、これから書きます。
やはり分かりにくい文章になってしまうかもしれませんが、ご寛恕をお願いします。
>>文意がぼんやりとしか呑み込めません。〈「お聞きなされ」と言えない世の中〉って何のことでしょうか。具体例を挙げてご説明をお願いします。大昔も、「家老なら言えることが足軽には言えない」ことが多かったと思いますよ
「尊敬語の命令形」という用法にびっくりしたのは、前に書いた通りです。
その際、私が考えたのは、上司に敬意を示しつつ、「命令」するという表現は、今の日本語では存在しないだろうな、ということでした。
極端な例を想定しますと、上司が「ライバル会社の秘密資料を盗んでこい」と何度も命令してきたとします。
私が「刑法に抵触します」と説明しても聞いてくれない。遂に堪忍袋の尾が切れて、上司に「お聞きなされ!」と言うことはできません。いわゆる「死語」だからです。
現代の日本語なら「お願いですから聞いて下さい。犯罪者になるのは嫌です」とか、「頼みますから、私の言うことに耳を傾けて下さい」とか、何と言いますか、懇願というか、哀願といいますか、いずれにしても命令とはほど遠いニュアンスの文章しか思い浮かびません。
《「お聞きなされ」と言えない世の中》という文章は、「尊敬語の命令形が存在しない世の中」という意味で書きました。
これで説明になっているのか不安ですが、まずはこれで送信いたします。
Re: 頑張ります
脱線男さん
前便の趣旨がさっぱり理解できていないご様子です。もう一度、説明を試みます。
動詞の「命令形」と名の付いている形態は、命令のためだけに使うものではないのです。
7月15日付けの返信コメントの根幹部分に、次のように補筆・修正します。
#####
「命令形」は、「命令」だけでなく、「依頼」「激励」「進言」「懇願」「祈祷」などに用いる形態です。
「祓い給え、清め給え」は、命令形ですが、命令ではありません。祈祷です。
「しっかりしろ」も、命令形ですが、命令ではありません。激励です。
「お助けください」も、命令形ですが、命令ではありません。懇願です。
#####
脱線男さんの今日のコメントに現れた形態のうち
「聞いて下さい」は、「聞いて下さる」の命令形です。
「耳を傾けて下さい」は、「耳を傾けて下さる」の命令形です。
「命令」形という言葉に囚われてはいけないのです。
前便の趣旨がさっぱり理解できていないご様子です。もう一度、説明を試みます。
動詞の「命令形」と名の付いている形態は、命令のためだけに使うものではないのです。
7月15日付けの返信コメントの根幹部分に、次のように補筆・修正します。
#####
「命令形」は、「命令」だけでなく、「依頼」「激励」「進言」「懇願」「祈祷」などに用いる形態です。
「祓い給え、清め給え」は、命令形ですが、命令ではありません。祈祷です。
「しっかりしろ」も、命令形ですが、命令ではありません。激励です。
「お助けください」も、命令形ですが、命令ではありません。懇願です。
#####
脱線男さんの今日のコメントに現れた形態のうち
「聞いて下さい」は、「聞いて下さる」の命令形です。
「耳を傾けて下さい」は、「耳を傾けて下さる」の命令形です。
「命令」形という言葉に囚われてはいけないのです。
ありがとうございました!
F爺さま
>>前便の趣旨がさっぱり理解できていないご様子です。もう一度、説明を試みます。
ご指摘の通りでした。
どれほど「さっぱり理解できていない」か、痛感することができました。
命令形=命令という図式に《囚われて》おりました。
確かに職場で毎日のように(?)上司には「命令形」を使って進言したり懇願したりしております……。
本当に、本当に、ありがとうございました!
>>前便の趣旨がさっぱり理解できていないご様子です。もう一度、説明を試みます。
ご指摘の通りでした。
どれほど「さっぱり理解できていない」か、痛感することができました。
命令形=命令という図式に《囚われて》おりました。
確かに職場で毎日のように(?)上司には「命令形」を使って進言したり懇願したりしております……。
本当に、本当に、ありがとうございました!
Re: ありがとうございました!
脱線男さん
>ご指摘の通りでした。
どれほど「さっぱり理解できていない」か、痛感[し]ました。
命令形=命令という図式に《囚われて》おりました。
「命令形」のご卒業おめでとうございます(笑)。
「痛感する」の用法は、まだまだ卒業には程遠い段階と見えます。日本語文法の遠隔講義を続けましょうね。
>ご指摘の通りでした。
どれほど「さっぱり理解できていない」か、痛感[し]ました。
命令形=命令という図式に《囚われて》おりました。
「命令形」のご卒業おめでとうございます(笑)。
「痛感する」の用法は、まだまだ卒業には程遠い段階と見えます。日本語文法の遠隔講義を続けましょうね。
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
遠隔講義
F爺さま
>>「痛感する」の用法は、まだまだ卒業には程遠い段階と見えます。日本語文法の遠隔講義を続けましょうね。
本当に、本当に、ありがとうございます!
頑張ります!!
>>「痛感する」の用法は、まだまだ卒業には程遠い段階と見えます。日本語文法の遠隔講義を続けましょうね。
本当に、本当に、ありがとうございます!
頑張ります!!
Re: 遠隔講義
脱線男さん
ご返信を待たずに当方のブログに
〈「痛感する」や「感涙にむせぶ」から可能動詞の派生は可能か〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3689.html
と題した記事を掲載しました。是非ご一読ください。
次のコメントを楽しみにしております。
ご返信を待たずに当方のブログに
〈「痛感する」や「感涙にむせぶ」から可能動詞の派生は可能か〉https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3689.html
と題した記事を掲載しました。是非ご一読ください。
次のコメントを楽しみにしております。