コメント
アンケート
コメントする際はいつもパソコンで書き込むのですが、普段はスマホで閲覧しています。
ですので、最初は表題だけが読めます。
今回の場合は「「かわいそう」と「気の毒」はどう違う?」だけが目に入り、まだ本文を読まない段階で考えました。
「かわいそう」は目下の人間、「気の毒」は、それ以外の人間相手に使うなぁ・・・と感じました。
本文を読み、それ以外の部分も考えてみました。
「かわいそうな捨て猫」「ぼろぼろのかわいそうな犬」「萎れてかわいそうな花」等、動植物が相手の場合「かわいそう」の方をよく使います。
もちろん「気の毒な捨て猫」も使いますが、その猫に同情する度合いは、「かわいそう」の方が強いように思います。
機械でも「道端に捨てられたかわいそうなロボット」「こんな乱暴な運転をしたら車がかわいそうだ」等と言います。
また、人間相手でも、特定の誰かを指さない場合では使う事があります。
「かわいそうなサラリーマン」と「気の毒なサラリーマン」
では、前者は薄給で残業代もなしで長時間こき使われ・・・後者もこき使われていそうですが、感覚が少し薄い気がします。猫と同じように、同情の度合いに差があるのかもしれません。
特定の目下の人間以外に使う「かわいそう」だと、侮辱の意図が入ってきますので意味が変わってしまうと思っております。
例えば、A先輩がいない場面での同僚との会話中に「かわいそうなA先輩」と言えば、「生活に困窮しているA先輩」等の意味ではなく、「馬鹿なA先輩」とほぼ同義であると思っています。
ですので、最初は表題だけが読めます。
今回の場合は「「かわいそう」と「気の毒」はどう違う?」だけが目に入り、まだ本文を読まない段階で考えました。
「かわいそう」は目下の人間、「気の毒」は、それ以外の人間相手に使うなぁ・・・と感じました。
本文を読み、それ以外の部分も考えてみました。
「かわいそうな捨て猫」「ぼろぼろのかわいそうな犬」「萎れてかわいそうな花」等、動植物が相手の場合「かわいそう」の方をよく使います。
もちろん「気の毒な捨て猫」も使いますが、その猫に同情する度合いは、「かわいそう」の方が強いように思います。
機械でも「道端に捨てられたかわいそうなロボット」「こんな乱暴な運転をしたら車がかわいそうだ」等と言います。
また、人間相手でも、特定の誰かを指さない場合では使う事があります。
「かわいそうなサラリーマン」と「気の毒なサラリーマン」
では、前者は薄給で残業代もなしで長時間こき使われ・・・後者もこき使われていそうですが、感覚が少し薄い気がします。猫と同じように、同情の度合いに差があるのかもしれません。
特定の目下の人間以外に使う「かわいそう」だと、侮辱の意図が入ってきますので意味が変わってしまうと思っております。
例えば、A先輩がいない場面での同僚との会話中に「かわいそうなA先輩」と言えば、「生活に困窮しているA先輩」等の意味ではなく、「馬鹿なA先輩」とほぼ同義であると思っています。
Re: アンケート
「100kgの平城男」さん
>「かわいそう」は目下の人間、「気の毒」は、それ以外の人間相手に使うなぁ・・・と感じました。
これは、「目下であれば成人に関しても使う」という意味だと解釈して宜しいのですね。
>「かわいそうな捨て猫」「ぼろぼろのかわいそうな犬」「萎れてかわいそうな花」等、動植物が相手の場合「かわいそう」の方をよく使います。
あ・・・「動植物が相手の場合」をF爺は、この記事を書いた時点で考えていませんでした。言われてみれば、確かに、動植物に対しても使いますね。それどころか、人形やぬいぐるみ、さらには機械相手でも使います。ちょっと考えましたが、記事に追記はせず、纏め記事で人間以外の物にも言及することにします。
>もちろん「気の毒な捨て猫」も使いますが、その猫に同情する度合いは、「かわいそう」の方が強いように思います。
捨て猫を「気の毒」と思う発想は、F爺にはありませんでした。でも、文字列を見てみると、確かに「あまり同情していない」感じがします。
>人間相手でも、特定の誰かを指さない場合では使う事があります。
「かわいそうなサラリーマン」と「気の毒なサラリーマン」
では、前者は薄給で残業代もなしで長時間こき使われ・・・後者もこき使われていそうですが、感覚が少し薄い気がします。猫と同じように、同情の度合いに差があるのかもしれません。
なるほど、成人であっても「特定の誰かを指さない場合」には使うという例、ありがとうございます。
>特定の[目上の人間を指して]使う「かわいそう」だと、侮辱の意図が入ってきますので意味が変わってしまうと思っております。
例えば、A先輩がいない場面での同僚との会話中に「かわいそうなA先輩」と言えば、「生活に困窮しているA先輩」等の意味ではなく、「馬鹿なA先輩」とほぼ同義であると思っています。
そうですね。目上の人を指して「かわいそう」と正統でない用法をすると、侮辱・侮蔑の意図が入って来ます。
>「かわいそう」は目下の人間、「気の毒」は、それ以外の人間相手に使うなぁ・・・と感じました。
これは、「目下であれば成人に関しても使う」という意味だと解釈して宜しいのですね。
>「かわいそうな捨て猫」「ぼろぼろのかわいそうな犬」「萎れてかわいそうな花」等、動植物が相手の場合「かわいそう」の方をよく使います。
あ・・・「動植物が相手の場合」をF爺は、この記事を書いた時点で考えていませんでした。言われてみれば、確かに、動植物に対しても使いますね。それどころか、人形やぬいぐるみ、さらには機械相手でも使います。ちょっと考えましたが、記事に追記はせず、纏め記事で人間以外の物にも言及することにします。
>もちろん「気の毒な捨て猫」も使いますが、その猫に同情する度合いは、「かわいそう」の方が強いように思います。
捨て猫を「気の毒」と思う発想は、F爺にはありませんでした。でも、文字列を見てみると、確かに「あまり同情していない」感じがします。
>人間相手でも、特定の誰かを指さない場合では使う事があります。
「かわいそうなサラリーマン」と「気の毒なサラリーマン」
では、前者は薄給で残業代もなしで長時間こき使われ・・・後者もこき使われていそうですが、感覚が少し薄い気がします。猫と同じように、同情の度合いに差があるのかもしれません。
なるほど、成人であっても「特定の誰かを指さない場合」には使うという例、ありがとうございます。
>特定の[目上の人間を指して]使う「かわいそう」だと、侮辱の意図が入ってきますので意味が変わってしまうと思っております。
例えば、A先輩がいない場面での同僚との会話中に「かわいそうなA先輩」と言えば、「生活に困窮しているA先輩」等の意味ではなく、「馬鹿なA先輩」とほぼ同義であると思っています。
そうですね。目上の人を指して「かわいそう」と正統でない用法をすると、侮辱・侮蔑の意図が入って来ます。
追記です。
>>「かわいそう」は目下の人間、「気の毒」は、それ以外の人間相手に使うなぁ・・・と感じました。
これは、「目下であれば成人に関しても使う」という意味だと解釈して宜しいのですね。
いえ、
>「かわいそう」を子供など「明確に目下の人」に関してのみ用います。言い換えると、「上から目線」の言葉だと感じます。
と同じ語感です。
成人が相手であれば、目下であっても「気の毒」を用います。
返信を受けて考えてみましたが、
>「かわいそうなサラリーマン」と「気の毒なサラリーマン」
の、「かわいそうなサラリーマン」の方は、「かわいそう」には思うし、同情もするけれど、こうはなりたくないものだ・・・と思っている時。「上から目線」で、心理的に目下扱いしている時に用いる気がします。
「かわいそうなA先輩」程の強い侮辱の意図はありませんが、少し侮蔑している部分はあるのかもしれません。
「気の毒なサラリーマン」は純粋に「気の毒」です。
子供、動植物相手の「かわいそう」は、侮辱や侮蔑の意図はありません。
これは、「目下であれば成人に関しても使う」という意味だと解釈して宜しいのですね。
いえ、
>「かわいそう」を子供など「明確に目下の人」に関してのみ用います。言い換えると、「上から目線」の言葉だと感じます。
と同じ語感です。
成人が相手であれば、目下であっても「気の毒」を用います。
返信を受けて考えてみましたが、
>「かわいそうなサラリーマン」と「気の毒なサラリーマン」
の、「かわいそうなサラリーマン」の方は、「かわいそう」には思うし、同情もするけれど、こうはなりたくないものだ・・・と思っている時。「上から目線」で、心理的に目下扱いしている時に用いる気がします。
「かわいそうなA先輩」程の強い侮辱の意図はありませんが、少し侮蔑している部分はあるのかもしれません。
「気の毒なサラリーマン」は純粋に「気の毒」です。
子供、動植物相手の「かわいそう」は、侮辱や侮蔑の意図はありません。
Re: 追記です。
「100kgの平城男」さん
>>これは、「目下であれば成人に関しても使う」という意味だと解釈して宜しいのですね。
>いえ、
>>「かわいそう」を子供など「明確に目下の人」に関してのみ用います。言い換えると、「上から目線」の言葉だと感じます。
>と同じ語感です。
成人が相手であれば、目下であっても「気の毒」を用います。
あ、そうでしたか。失礼しました。質問するべきか否か迷ったのですが、質問して正解でした。
>「かわいそうなサラリーマン」の方は、「かわいそう」には思うし、同情もするけれど、こうはなりたくないものだ・・・と思っている時。「上から目線」で、心理的に目下扱いしている時に用いる気がします。
成人を相手に「かわいそう」を使うのは、「純粋に気の毒」ではない場合なのですね。確かに、それでは、本人に聞こえる所では言うわけに行きません。
>>これは、「目下であれば成人に関しても使う」という意味だと解釈して宜しいのですね。
>いえ、
>>「かわいそう」を子供など「明確に目下の人」に関してのみ用います。言い換えると、「上から目線」の言葉だと感じます。
>と同じ語感です。
成人が相手であれば、目下であっても「気の毒」を用います。
あ、そうでしたか。失礼しました。質問するべきか否か迷ったのですが、質問して正解でした。
>「かわいそうなサラリーマン」の方は、「かわいそう」には思うし、同情もするけれど、こうはなりたくないものだ・・・と思っている時。「上から目線」で、心理的に目下扱いしている時に用いる気がします。
成人を相手に「かわいそう」を使うのは、「純粋に気の毒」ではない場合なのですね。確かに、それでは、本人に聞こえる所では言うわけに行きません。
アンケートの回答です
F爺さん
私は「かわいそう」は目下の人に、「気の毒」「お気の毒」は目上の人に対して用いています。
成人済みの目下の人や、身内、同世代の人であっても、親しい間柄であれば「かわいそう」を用いますが、当記事を読んでからは幼稚な言い方に感じてきました…。
また、実際に目上の人に「気の毒」「お気の毒」と言うことは、たまにしかありません。
「目下から同情されることを嫌う人は多い」という経験則があるためです。
なので、使う状況として思い浮かぶものは、相手が同情して欲しそうな話題の時に「気の毒な話ですね」と言う時くらいです。
他には「気の毒なことをしてしまいました」と言うこともありますが、目上の人を指しては用いません。
その他の用法としては、「かわいそうな人」「気の毒な人」は「人間性に問題のある人」または「頭の悪い人」という意味の侮蔑語として用います。どういった状況であっても、純粋に同情する意図にはなりえない言い方だと思います。
「(それは)お気の毒に」は、型にはまった言い方として定着しているからか、冗談でしか言いません。
冗談以外で実際に言っている人は、全く無いか、思い出せないほど僅かな頻度です。
私は「かわいそう」は目下の人に、「気の毒」「お気の毒」は目上の人に対して用いています。
成人済みの目下の人や、身内、同世代の人であっても、親しい間柄であれば「かわいそう」を用いますが、当記事を読んでからは幼稚な言い方に感じてきました…。
また、実際に目上の人に「気の毒」「お気の毒」と言うことは、たまにしかありません。
「目下から同情されることを嫌う人は多い」という経験則があるためです。
なので、使う状況として思い浮かぶものは、相手が同情して欲しそうな話題の時に「気の毒な話ですね」と言う時くらいです。
他には「気の毒なことをしてしまいました」と言うこともありますが、目上の人を指しては用いません。
その他の用法としては、「かわいそうな人」「気の毒な人」は「人間性に問題のある人」または「頭の悪い人」という意味の侮蔑語として用います。どういった状況であっても、純粋に同情する意図にはなりえない言い方だと思います。
「(それは)お気の毒に」は、型にはまった言い方として定着しているからか、冗談でしか言いません。
冗談以外で実際に言っている人は、全く無いか、思い出せないほど僅かな頻度です。
Re: アンケートの回答です
「883s」さん
>私は「かわいそう」は目下の人に、「気の毒」「お気の毒」は目上の人に対して用いています。
成人済みの目下の人や、身内、同世代の人であっても、親しい間柄であれば「かわいそう」を用いますが、当記事を読んでからは幼稚な言い方に感じてきました…。
幼児に
「おじいちゃん、かわいそう」
「おばあちゃん、かわいそう」
と言われても誰も怒りませんが、成人が他の大人に「かわいそう」と言われたら、良い気分はしないと思います。
>実際に目上の人に「気の毒」「お気の毒」と言うことは、たまにしかありません。
「目下から同情されることを嫌う人は多い」という経験則があるためです。
そうですね。ご当人に聞こえる所で「お気の毒」と言うのは、憚るのが普通です。聞こえない所では「□□さんは、お気の毒に」と言えますが。
>他には「気の毒なことをしてしまいました」と言うこともありますが、目上の人を指しては用いません。
そうですね。「気の毒なことをしてしまった」は、被害者が目下である場合にだけ言えることです。目上の人だったら「申し訳ないことをしてしまった」とでも言うでしょう。
>「かわいそうな人」「気の毒な人」は「人間性に問題のある人」または「頭の悪い人」という意味の侮蔑語として用います。どういった状況であっても、純粋に同情する意図にはなりえない言い方だと思います。
御意。これも、ご当人に聞こえる所で言ってはならないことです。
同情は、迂闊に表明すると却って傷付けてしまうことが多いので、言葉を択ばなくてはなりませんね。
>私は「かわいそう」は目下の人に、「気の毒」「お気の毒」は目上の人に対して用いています。
成人済みの目下の人や、身内、同世代の人であっても、親しい間柄であれば「かわいそう」を用いますが、当記事を読んでからは幼稚な言い方に感じてきました…。
幼児に
「おじいちゃん、かわいそう」
「おばあちゃん、かわいそう」
と言われても誰も怒りませんが、成人が他の大人に「かわいそう」と言われたら、良い気分はしないと思います。
>実際に目上の人に「気の毒」「お気の毒」と言うことは、たまにしかありません。
「目下から同情されることを嫌う人は多い」という経験則があるためです。
そうですね。ご当人に聞こえる所で「お気の毒」と言うのは、憚るのが普通です。聞こえない所では「□□さんは、お気の毒に」と言えますが。
>他には「気の毒なことをしてしまいました」と言うこともありますが、目上の人を指しては用いません。
そうですね。「気の毒なことをしてしまった」は、被害者が目下である場合にだけ言えることです。目上の人だったら「申し訳ないことをしてしまった」とでも言うでしょう。
>「かわいそうな人」「気の毒な人」は「人間性に問題のある人」または「頭の悪い人」という意味の侮蔑語として用います。どういった状況であっても、純粋に同情する意図にはなりえない言い方だと思います。
御意。これも、ご当人に聞こえる所で言ってはならないことです。
同情は、迂闊に表明すると却って傷付けてしまうことが多いので、言葉を択ばなくてはなりませんね。
回答です
F爺様
「かわいそう」は、目上の人には用いません。同級生、同期、目下の人に対しても、慎重に判断してから使います。
これは、他人から「かわいそうだ」と思われて、それで気持ちが楽になる状況は少ないと思うからです。
他者の状態に対して「かわいそうだ」と言ったとして、その当人は、その状況を悪いと思っていなければ、その発言は失礼に当たります。
「かわいそう」を使っても良いと思う状況ですが、
日本ではかなり有名な絵本に、「かわいそうな ぞう」という話があります。
これは、太平洋戦争の末期に、上野動物園が爆撃されて、猛獣が街に放たれたら危険だということで、動物たちを殺害することが決まり、
多くの動物たちは毒入りの餌を与えられて、長く苦しまずに死んでいったものの、賢い象だけは、毒を見抜いて食べようとせず、
銃弾が惜しいので射殺は禁じられ、それではもう、餓死させるほかない、となり、その象は、食事を与えられずに瘦せこけて死んでいった、という話です。
これを、「私たちは、象にかわいそうなことをしてしまった」と表現するのは正しいのかな、と思います。
すなわち、「かわいそう」は、目下の人や動物などに、自分たちが悪いことをしてしまった、時に使うことがある、となります。
特殊な使い方として、
「他人のブログに何年にも亘って嫌がらせの書き込みを繰り返して、それでもなお全く相手にされない輩、というのも世の中には存在するようだが、まあ、かわいそうな存在ですな」
という表現もありますが、これは話し手と受け手が、話題の対象のことを同じく認識しており、かつ、「かわいそう」を侮蔑語だと理解している前提で使うことになります。
(F爺様はむしろ、このことを確認なさりたいのではないのかな、と思うのです)
「気の毒」ですが、これは、同期や目下の者が、良くない状況にある場合に使います。
「私の甥が先日、新型コロナウィールスに感染してしまい、高校最後の試合に出られなくなってしまった。気の毒なことだった」
このような使い方です。これは、本人のいるところでは使わず、本人の前であれば「最後の試合に出られなくて残念だったね」となります。
そして、「お気の毒様」となればもう、厭味以外の何物でもありません。
「かわいそう」も「気の毒」も、本当にそうなのかは当事者が決めるべきことですので、当事者に向かって言える状況は、かなり少ないだろう、と思います。
「かわいそう」は、目上の人には用いません。同級生、同期、目下の人に対しても、慎重に判断してから使います。
これは、他人から「かわいそうだ」と思われて、それで気持ちが楽になる状況は少ないと思うからです。
他者の状態に対して「かわいそうだ」と言ったとして、その当人は、その状況を悪いと思っていなければ、その発言は失礼に当たります。
「かわいそう」を使っても良いと思う状況ですが、
日本ではかなり有名な絵本に、「かわいそうな ぞう」という話があります。
これは、太平洋戦争の末期に、上野動物園が爆撃されて、猛獣が街に放たれたら危険だということで、動物たちを殺害することが決まり、
多くの動物たちは毒入りの餌を与えられて、長く苦しまずに死んでいったものの、賢い象だけは、毒を見抜いて食べようとせず、
銃弾が惜しいので射殺は禁じられ、それではもう、餓死させるほかない、となり、その象は、食事を与えられずに瘦せこけて死んでいった、という話です。
これを、「私たちは、象にかわいそうなことをしてしまった」と表現するのは正しいのかな、と思います。
すなわち、「かわいそう」は、目下の人や動物などに、自分たちが悪いことをしてしまった、時に使うことがある、となります。
特殊な使い方として、
「他人のブログに何年にも亘って嫌がらせの書き込みを繰り返して、それでもなお全く相手にされない輩、というのも世の中には存在するようだが、まあ、かわいそうな存在ですな」
という表現もありますが、これは話し手と受け手が、話題の対象のことを同じく認識しており、かつ、「かわいそう」を侮蔑語だと理解している前提で使うことになります。
(F爺様はむしろ、このことを確認なさりたいのではないのかな、と思うのです)
「気の毒」ですが、これは、同期や目下の者が、良くない状況にある場合に使います。
「私の甥が先日、新型コロナウィールスに感染してしまい、高校最後の試合に出られなくなってしまった。気の毒なことだった」
このような使い方です。これは、本人のいるところでは使わず、本人の前であれば「最後の試合に出られなくて残念だったね」となります。
そして、「お気の毒様」となればもう、厭味以外の何物でもありません。
「かわいそう」も「気の毒」も、本当にそうなのかは当事者が決めるべきことですので、当事者に向かって言える状況は、かなり少ないだろう、と思います。
Re: 回答です
「106」さん
>「かわいそう」を使っても良いと思う状況ですが、
日本ではかなり有名な絵本に、「かわいそうな ぞう」という話があります。
これは、太平洋戦争の末期に、上野動物園が爆撃されて、猛獣が街に放たれたら危険だということで、動物たちを殺害することが決まり、
多くの動物たちは毒入りの餌を与えられて、長く苦しまずに死んでいったものの、賢い象だけは、毒を見抜いて食べようとせず、
銃弾が惜しいので射殺は禁じられ、それではもう、餓死させるほかない、となり、その象は、食事を与えられずに瘦せこけて死んでいった、という話です。
これを、「私たちは、象にかわいそうなことをしてしまった」と表現するのは正しいのかな、と思います。
すなわち、「かわいそう」は、目下の人や動物などに、自分たちが悪いことをしてしまった、時に使うことがある、となります。
この絵本のことは、存じませんでした。ご紹介、ありがとうございます。ウェブ検索してみたら、最後の二頭がついに餓死した時に飼育係の男が泣き叫んだ・・・という、聞くも涙の本当に「かわいそうな」お話でした。
>特殊な使い方として、
「他人のブログに何年にも亘って嫌がらせの書き込みを(・・・)まあ、かわいそうな存在ですな」
逆恨みに狂って粘着し
〈「哀れ」ではなく「憫れ」だ〉
と何度言われても何も理解できない輩ですから、今後は「例のかわいそうな・・・」と呼ぶことにします。勿論のこと、絶対に相手にしません。
>「かわいそう」も「気の毒」も、本当にそうなのかは当事者が決めるべきことですので、当事者に向かって言える状況は、かなり少ないだろう、と思います。
そうですね。迂闊に使うと人を傷付けてしまう言葉です。
>「かわいそう」を使っても良いと思う状況ですが、
日本ではかなり有名な絵本に、「かわいそうな ぞう」という話があります。
これは、太平洋戦争の末期に、上野動物園が爆撃されて、猛獣が街に放たれたら危険だということで、動物たちを殺害することが決まり、
多くの動物たちは毒入りの餌を与えられて、長く苦しまずに死んでいったものの、賢い象だけは、毒を見抜いて食べようとせず、
銃弾が惜しいので射殺は禁じられ、それではもう、餓死させるほかない、となり、その象は、食事を与えられずに瘦せこけて死んでいった、という話です。
これを、「私たちは、象にかわいそうなことをしてしまった」と表現するのは正しいのかな、と思います。
すなわち、「かわいそう」は、目下の人や動物などに、自分たちが悪いことをしてしまった、時に使うことがある、となります。
この絵本のことは、存じませんでした。ご紹介、ありがとうございます。ウェブ検索してみたら、最後の二頭がついに餓死した時に飼育係の男が泣き叫んだ・・・という、聞くも涙の本当に「かわいそうな」お話でした。
>特殊な使い方として、
「他人のブログに何年にも亘って嫌がらせの書き込みを(・・・)まあ、かわいそうな存在ですな」
逆恨みに狂って粘着し
〈「哀れ」ではなく「憫れ」だ〉
と何度言われても何も理解できない輩ですから、今後は「例のかわいそうな・・・」と呼ぶことにします。勿論のこと、絶対に相手にしません。
>「かわいそう」も「気の毒」も、本当にそうなのかは当事者が決めるべきことですので、当事者に向かって言える状況は、かなり少ないだろう、と思います。
そうですね。迂闊に使うと人を傷付けてしまう言葉です。