「ホワイト」「ブラック」「レッド」「ブルー」などは無用語彙
- 2022/08/08
- 19:44
前置き
昨夕、無事に下山しました。しばらく前に準備の出来ていた記事を掲載します。
本文
前提
日本語は、大昔から、色彩名の豊かな言語です。
状況に応じて、大雑把に「赤っぽい色」とも言えますし、細かく「緋色」「紅色」「深紅」「薄紅色」「桃色」「桜色」「朱色」「柿色」「橙色」などを区別することも出来ます。
「茶色」や「茶色がかった色」には、多種類あります。「焦げ茶色」「薄茶色」「駱駝色」「海老茶色」「金茶色」などを呼び分けることが出来ます。
『萬葉集』の時代に「青」という色彩概念の成立していた言語なんて、探してもなかなか見つかりません(*)。
(*)「信じられない」とおっしゃる方は、ご自分で、古い時代の言語をいくつも習得して、探してみてください。多数見つけようと思うと徒労に終わること請け合いです。
無用語彙
ところが、いつの頃からか、「白」「黒」「赤」「青」「緑」・・・と言えば済むのに「ホワイト」「ブラック」「レッド」「ブルー」「グリーン」・・・とカタカナ語を使う人が多数出現しています。
固有の語彙だと「白」と「白い」、「黒」と「黒い」、「赤」と「赤い」、「青」と「青い」は、別語です。一方は名詞で、もう一方は形容詞です。カタカナ語にすると、どちらなのか判らないことがあり、文意が不明瞭(*)になります。言語の貧困化(**)に繋がるのです。
(*)(**)「日本語の貧困化」を提唱する馬鹿者もいます。そんな輩の戯言(たわごと)に耳を傾ける意味はありません。未読の方は、例えば・・・当ブログの記事〈命・暮らし・人生・・・(後)〉を是非お読みください。
異言語の習得を妨げる
そして、殆どの日本語人は自覚していないように見受けますが、こうしたカタカナ語の頻用は、英語などの異言語の習得を妨げるのです。一例だけ挙げます。
日本語の「青」は、「さまざまな段階の濃淡の青」だけでなく、「青葉」「青草」「青い実」「青葱」「青紫蘇」「青信号」などの表現にあるように、「多種類の緑色」を含みます。しかし、「青紫」や「薄紫」を指すことはありません。また、「青い顔」と言えば「血の気を失った顔」のことです。
英語の「blue」は、「さまざまな濃淡の青」に加えて「青紫」や「薄紫」をも指すことがあります。一方、「緑」や「青緑」を含むことはありません。顔色の悪さを表現することもありません。
「青」と「blue」は、指し示す色相の範囲が異なるのです。
カタカナ語の「ブルー」を好んで「青」の代わりに使う人は、このことを知らないらしく、英語人なら「blue」とは決して呼ばない色を、英語を話しているつもりで「blue」と言うのが普通です。当然、誤解を招きます。
カタカナで書く色彩語のうちでも「ブルー」は、特に弊害が大きいため、無用語彙の下位分類の「寄生語彙」でもある例です。
なお、英語の「yellow」も、日本語の「黄色」の語義とは、一部しか重なりません。こうしたことは、氷山の一角です。
無用なカタカナ語の濫用は、日本語を貧困化させるだけではありません。使用者の意識していない弊害を伴う愚行なのです。
寄生語彙∈無用語彙
当ブログでは、「無用語彙」の一部を「寄生語彙」と定義しています。「寄生語彙のリスト」と題した記事の冒頭でも説明しているように、F爺が「寄生語彙」と呼ぶものには、二種類あります。
[1]「異言語からの逐語訳用に成立したけれども明晰な日本語文の中では存在意義の無い語または語句」
[2]「カタカナ語のうちで、存在意義が無く、誤解の基になるだけの有害なもの」
後者のうちでF爺が「寄生語彙」と認定しているのは、今のところ、「サンキュー」「タトゥー」「ブルー」「ライター」の四語だけです。今後増えて行く可能性が大いにあります。
「タトゥー」
「タトゥー」は、入れ墨(=刺青、文身)のことです。ところが、
「別の物だ」
と言い張る不可解な輩が多数存在するため、銭湯やプールなどで
「入れ墨、タトゥーをしている人はお断り」
という論理の破綻した断り書きを出さなくてはならなくなっています。
「ライター」
「ライター」は、「lighter」に由来する語と「writer」をカタカナ転写した語と、二種類あります。無用語彙であり寄生語彙でもあるのは、後者だけです。
英語の「writer」は「書く人、筆者」などという意味ですが、カタカナ語の「ライター」は、
【〈文筆業だが「作家」「批評家」などと尊称で呼んでもらえるほどではない人〉で
〈主に大衆向けの娯楽雑誌やスポーツ新聞などに軽い読み物や扇情的な記事を書くような大したこと無い人〉】
という意味にずれているのだそうです。
もしかしたら
「売文屋の一種で特に軽薄な輩」
のことを言うのでしょうか。
引用以外の場面で自分も使ってみようとは、浦島爺は思わない言葉です。
昨夕、無事に下山しました。しばらく前に準備の出来ていた記事を掲載します。
本文
前提
日本語は、大昔から、色彩名の豊かな言語です。
状況に応じて、大雑把に「赤っぽい色」とも言えますし、細かく「緋色」「紅色」「深紅」「薄紅色」「桃色」「桜色」「朱色」「柿色」「橙色」などを区別することも出来ます。
「茶色」や「茶色がかった色」には、多種類あります。「焦げ茶色」「薄茶色」「駱駝色」「海老茶色」「金茶色」などを呼び分けることが出来ます。
『萬葉集』の時代に「青」という色彩概念の成立していた言語なんて、探してもなかなか見つかりません(*)。
(*)「信じられない」とおっしゃる方は、ご自分で、古い時代の言語をいくつも習得して、探してみてください。多数見つけようと思うと徒労に終わること請け合いです。
無用語彙
ところが、いつの頃からか、「白」「黒」「赤」「青」「緑」・・・と言えば済むのに「ホワイト」「ブラック」「レッド」「ブルー」「グリーン」・・・とカタカナ語を使う人が多数出現しています。
固有の語彙だと「白」と「白い」、「黒」と「黒い」、「赤」と「赤い」、「青」と「青い」は、別語です。一方は名詞で、もう一方は形容詞です。カタカナ語にすると、どちらなのか判らないことがあり、文意が不明瞭(*)になります。言語の貧困化(**)に繋がるのです。
(*)(**)「日本語の貧困化」を提唱する馬鹿者もいます。そんな輩の戯言(たわごと)に耳を傾ける意味はありません。未読の方は、例えば・・・当ブログの記事〈命・暮らし・人生・・・(後)〉を是非お読みください。
異言語の習得を妨げる
そして、殆どの日本語人は自覚していないように見受けますが、こうしたカタカナ語の頻用は、英語などの異言語の習得を妨げるのです。一例だけ挙げます。
日本語の「青」は、「さまざまな段階の濃淡の青」だけでなく、「青葉」「青草」「青い実」「青葱」「青紫蘇」「青信号」などの表現にあるように、「多種類の緑色」を含みます。しかし、「青紫」や「薄紫」を指すことはありません。また、「青い顔」と言えば「血の気を失った顔」のことです。
英語の「blue」は、「さまざまな濃淡の青」に加えて「青紫」や「薄紫」をも指すことがあります。一方、「緑」や「青緑」を含むことはありません。顔色の悪さを表現することもありません。
「青」と「blue」は、指し示す色相の範囲が異なるのです。
カタカナ語の「ブルー」を好んで「青」の代わりに使う人は、このことを知らないらしく、英語人なら「blue」とは決して呼ばない色を、英語を話しているつもりで「blue」と言うのが普通です。当然、誤解を招きます。
カタカナで書く色彩語のうちでも「ブルー」は、特に弊害が大きいため、無用語彙の下位分類の「寄生語彙」でもある例です。
なお、英語の「yellow」も、日本語の「黄色」の語義とは、一部しか重なりません。こうしたことは、氷山の一角です。
無用なカタカナ語の濫用は、日本語を貧困化させるだけではありません。使用者の意識していない弊害を伴う愚行なのです。
寄生語彙∈無用語彙
当ブログでは、「無用語彙」の一部を「寄生語彙」と定義しています。「寄生語彙のリスト」と題した記事の冒頭でも説明しているように、F爺が「寄生語彙」と呼ぶものには、二種類あります。
[1]「異言語からの逐語訳用に成立したけれども明晰な日本語文の中では存在意義の無い語または語句」
[2]「カタカナ語のうちで、存在意義が無く、誤解の基になるだけの有害なもの」
後者のうちでF爺が「寄生語彙」と認定しているのは、今のところ、「サンキュー」「タトゥー」「ブルー」「ライター」の四語だけです。今後増えて行く可能性が大いにあります。
「タトゥー」
「タトゥー」は、入れ墨(=刺青、文身)のことです。ところが、
「
と言い張る不可解な輩が多数存在するため、銭湯やプールなどで
「入れ墨、タトゥーをしている人はお断り」
という論理の破綻した断り書きを出さなくてはならなくなっています。
「ライター」
「ライター」は、「lighter」に由来する語と「writer」をカタカナ転写した語と、二種類あります。無用語彙であり寄生語彙でもあるのは、後者だけです。
英語の「writer」は「書く人、筆者」などという意味ですが、カタカナ語の「ライター」は、
【〈文筆業だが「作家」「批評家」などと尊称で呼んでもらえるほどではない人〉で
〈主に大衆向けの娯楽雑誌やスポーツ新聞などに軽い読み物や扇情的な記事を書くような大したこと無い人〉】
という意味にずれているのだそうです。
もしかしたら
「売文屋の一種で特に軽薄な輩」
のことを言うのでしょうか。
引用以外の場面で自分も使ってみようとは、浦島爺は思わない言葉です。