歩き遍路用語の「区切り打ち」を排して今後は「繋ぎ打ち」を用います
- 2023/02/24
- 21:05
前置き
この記事は、
〈歩き遍路の「区切り打ち」を「繋ぎ打ち」と言い換える案〉
の続編です。
この記事にも読者の皆様のコメントが届いた場合は、前編に届いているものと合わせて、後ほど纏め記事を作成します。
本文
「区切り打ち」の代案としての「繋ぎ打ち」という文字列は、前編では「提案」の段階だったのですが、「MJBぢぢい」さんが早速採用してくださっていますから、F爺のブログ以外でも、既(すで)に新造語として機能し始めました。
「MJBぢぢい」さんのコメントの引用
原文通りですが、色分けと太字と打消し線は、F爺が勝手に施しました。冒頭部分は、F爺のコメントの引用です。
*****
>【徒歩での八十八箇所巡りを二回以上に分けて行なう人】
>にとって重要なのは、「区切ること」ではなく、「繋ぐこと」なのです。
>どこかで「区切ったまま」で後が続かなければ、結果的に断念したことになります。
>必ず「繋ぐ」と決めて何回に分けてでも先へ進めば、いつかは結願に至ります。
>このことを踏まえて、新しい言葉を思い付きました。この記事の表題にも書いた「繋ぎ打ち」がそれです。
〇質問への返答
合点がいきます。私は採用します。
「区切り」に注視してしまうとややもすれば「23番まで歩いて区切ったから、次は24番から歩く」「37番まで歩いて区切って、次は38番から歩く」という発想を生みます。「繋ぐ」でしたらその発想は生まれません。
(・・・)
*****
自分が「誤魔化し打ち」をしていることに気付かない人と・・・
「ぢぢい」さんの言及なさっている「発想」を口にし且(か)つ実行している人に、F爺も数人、遍路道で遭遇しました。
その人たちの口から自発的に〈□□から〇〇までを端折った〉という意味のことを聞いたわけではありません。
〈区切り打ちで〇回に分けて歩いている〉
とおっしゃる人と話していて、その人が歩いて来たはずの特定の行程のことを話題にした時に、事も無げに
「そこは、歩いていないから見ていません」
という言葉を聞いて驚き、
「えっ、じゃあ繋いでいないんですね」
と言って向こう様が逆に驚く・・・
ということが何度かあったのです。
最初の二回は、
【お遍路さん一人一人にそれぞれの考え方と歩き方があるから口出しはしない原則】
を貫いたのですが、三度目の時に、考え方を変えました。
・・・気付いた人
三度目の人に、こう言いました。
「私は、区切り打ちの時は、前回区切った場所に戻って来て、そこから歩き繋ぐようにしています。札所から札所への道を、一歩一歩、一メートルも誤魔化さずに自分の足で踏み締めるのが歩き遍路だと考えていますから」
その方は、返す言葉を失くしました。何秒か・・・何十秒か・・・緊迫した空気が流れて・・・それから、ぼそっと、こんなお返事がありました。
「やり直すことにします」
その方が、2013年のF爺のように「1番・霊山寺から全行程をやり直した」のか、「以前は端折って飛ばした行程だけを歩き繋いだ」のかは、存じません。
自発的に「繋いで歩き直した」人
また、誰に何を言われたわけでもなく、ご自分で「前回は交通機関を利用して迂廻した『遍路転がし』区間を今度は歩いて繋ぐ」ことに決めたお遍路さんもいます。
当ブログの記事〈とうに還暦を過ぎて初めてのお遍路に出た人からの便り〉の記載をご覧ください。
「部分歩き遍路」を始めた後、全行程を誤魔化さずに歩く「繋ぎ打ち遍路」に切り替えた方が登場します。
上のリンク先の記事がお気に召したら、次の記事〈「飛ばした」行程を繋いで歩く女お遍路さん〉にも是非、目をお通しください。
この記事は、
〈歩き遍路の「区切り打ち」を「繋ぎ打ち」と言い換える案〉
の続編です。
この記事にも読者の皆様のコメントが届いた場合は、前編に届いているものと合わせて、後ほど纏め記事を作成します。
本文
「区切り打ち」の代案としての「繋ぎ打ち」という文字列は、前編では「提案」の段階だったのですが、「MJBぢぢい」さんが早速採用してくださっていますから、F爺のブログ以外でも、既(すで)に新造語として機能し始めました。
「MJBぢぢい」さんのコメントの引用
原文通りですが、色分けと太字と打消し線は、F爺が勝手に施しました。冒頭部分は、F爺のコメントの引用です。
*****
>【徒歩での八十八箇所巡りを二回以上に分けて行なう人】
>にとって重要なのは、「区切ること」ではなく、「繋ぐこと」なのです。
>どこかで「区切ったまま」で後が続かなければ、結果的に断念したことになります。
>必ず「繋ぐ」と決めて何回に分けてでも先へ進めば、いつかは結願に至ります。
>このことを踏まえて、新しい言葉を思い付きました。この記事の表題にも書いた「繋ぎ打ち」がそれです。
〇質問への返答
合点がいきます。私は採用します。
「区切り」に注視してしまうとややもすれば「
(・・・)
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自分が「誤魔化し打ち」をしていることに気付かない人と・・・
「ぢぢい」さんの言及なさっている「発想」を口にし且(か)つ実行している人に、F爺も数人、遍路道で遭遇しました。
その人たちの口から自発的に〈□□から〇〇までを端折った〉という意味のことを聞いたわけではありません。
〈区切り打ちで〇回に分けて歩いている〉
とおっしゃる人と話していて、その人が歩いて来たはずの特定の行程のことを話題にした時に、事も無げに
「そこは、歩いていないから見ていません」
という言葉を聞いて驚き、
「えっ、じゃあ繋いでいないんですね」
と言って向こう様が逆に驚く・・・
ということが何度かあったのです。
最初の二回は、
【お遍路さん一人一人にそれぞれの考え方と歩き方があるから口出しはしない原則】
を貫いたのですが、三度目の時に、考え方を変えました。
・・・気付いた人
三度目の人に、こう言いました。
「私は、区切り打ちの時は、前回区切った場所に戻って来て、そこから歩き繋ぐようにしています。札所から札所への道を、一歩一歩、一メートルも誤魔化さずに自分の足で踏み締めるのが歩き遍路だと考えていますから」
その方は、返す言葉を失くしました。何秒か・・・何十秒か・・・緊迫した空気が流れて・・・それから、ぼそっと、こんなお返事がありました。
「やり直すことにします」
その方が、2013年のF爺のように「1番・霊山寺から全行程をやり直した」のか、「以前は端折って飛ばした行程だけを歩き繋いだ」のかは、存じません。
自発的に「繋いで歩き直した」人
また、誰に何を言われたわけでもなく、ご自分で「前回は交通機関を利用して迂廻した『遍路転がし』区間を今度は歩いて繋ぐ」ことに決めたお遍路さんもいます。
当ブログの記事〈とうに還暦を過ぎて初めてのお遍路に出た人からの便り〉の記載をご覧ください。
「部分歩き遍路」を始めた後、全行程を誤魔化さずに歩く「繋ぎ打ち遍路」に切り替えた方が登場します。
上のリンク先の記事がお気に召したら、次の記事〈「飛ばした」行程を繋いで歩く女お遍路さん〉にも是非、目をお通しください。