アンケートの纏め : 〈歩き遍路の「区切り打ち」を「繋ぎ打ち」と言い換える案〉+ 〈歩き遍路用語の「区切り打ち」を排して今後は「繋ぎ打ち」を用います〉
- 2023/03/19
- 00:07
当ブログの記事〈歩き遍路の「区切り打ち」を「繋ぎ打ち」と言い換える案〉でお願いしたアンケートの纏めをします。
未読の方は、その記事の続編の
〈歩き遍路用語の「区切り打ち」を排して今後は「繋ぎ打ち」を用います〉にも目をお通しください。
コメントでご回答をお寄せになった「MJBぢぢい」さん、「106」さん、洛北孫子亭さん、
メールなどでご意見をお知らせくださった皆様、
誠にありがとうございます。
アンケートの質問
アンケートの質問は、次の通りでした。
#####
皆様は、F爺の考え方に賛同して、「区切り打ち・・・」の代わりに
「繋ぎ打ち遍路をする」
「繋ぎ打ちをする」
「繋ぎ打ちお遍路さん」
という言い方を採用してみようとお考えになりますか。
#####
ご回答
「MJBぢぢい」さん
*****
>【徒歩での八十八箇所巡りを二回以上に分けて行なう人】
>にとって重要なのは、「区切ること」ではなく、「繋ぐこと」なのです。
>どこかで「区切ったまま」で後が続かなければ、結果的に断念したことになります。
>必ず「繋ぐ」と決めて何回に分けてでも先へ進めば、いつかは結願に至ります。
>このことを踏まえて、新しい言葉を思い付きました。この記事の表題にも書いた「繋ぎ打ち」がそれです。
〇質問への返答
合点がいきます。私は採用します。
「区切り」に注視してしまうとややもすれば「23番まで歩いて区切ったから、次は24番から歩く」「37番まで歩いて区切って、次は38番から歩く」という発想を生みます。「繋ぐ」でしたらその発想は生まれません。
唯一気になるのは画数が多いことです。「継ぐ」や「接ぐ」も考えましたが、これらは「つぐ」であって「つなぐ」とは読めません。「繋ぎ打ち」「つなぎ打ち」と2つの形を許容するのはどうでしょうか?
はっ、ここは「創作遍路漢字」の出番なのでしょうか(^_^)
*****
「106」さん
*****
F爺様
新たなご提案に賛同いたします。
「区切る」より、「繋ぐ」と呼んだほうが、
「終わったわけではない」「先に希望が待っている」といった印象を受けますので、
遍路に対して前向きな気持ちを抱き続けられるように感じます。
*****
洛北孫子亭さん
*****
小島剛一様
私も、
「繋ぎ打ち」
という言い方の採用に賛成します。
106さんがおっしゃるように、私も「区切り」は「お終い」と感じてしまいますので。
*****
纏め
コメントでご回答くださった方々も、メールでご意見を述べた皆様も、一致して
【「繋ぎ打ち」を採用する】
とおっしゃっています。発案者として、とても嬉しいことです。
賛同する理由として皆様が挙げていらっしゃることは、当ブログの〈新造語のリスト〉の「繋ぎ打ち」の項でF爺が述べていることとぴったり重なっています。
その部分を自己引用します。
#####
「繋ぎ打ち」
四国遍路で、渡し舟とフェリー以外の交通機関を使わず、徒歩に徹して八十八箇所巡りを二回以上に分けて行なうこと。一回の遍路行で全行程を歩き通す「通し打ち」の対語。
これまで人口に膾炙している「区切り打ち」の代案。
後者には難点が二つある。
[1] 歩き遍路にとって重要なのは、「繋ぐ」ことであって、「区切る」ことではない。
[2] 例えば、23番札所・薬王寺で区切った後、健脚の人で一日半掛かる行程を歩かず、24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)から再び歩き始める人がいる。また、37番札所・岩本寺で区切った後、健脚の人でも二日半は掛かる行程を歩かず、38番札所・金剛福寺まで電車やバスを利用する人がいる。そして、88番札所・大窪寺と1番札所・霊山寺の間の行程を「繋ぐ」ことに全く思い至らない人が実に多い。これは、律儀に全行程を歩くお遍路さんの目には「誤魔化し」としか映らない。
#####
「繋ぎ打ち」と言い換えることで、【「区切り打ち」という表現では発生してしまう誤解】を未然に防ぐことが出来るのです。
未読の方は、その記事の続編の
〈歩き遍路用語の「区切り打ち」を排して今後は「繋ぎ打ち」を用います〉にも目をお通しください。
コメントでご回答をお寄せになった「MJBぢぢい」さん、「106」さん、洛北孫子亭さん、
メールなどでご意見をお知らせくださった皆様、
誠にありがとうございます。
アンケートの質問
アンケートの質問は、次の通りでした。
#####
皆様は、F爺の考え方に賛同して、「区切り打ち・・・」の代わりに
「繋ぎ打ち遍路をする」
「繋ぎ打ちをする」
「繋ぎ打ちお遍路さん」
という言い方を採用してみようとお考えになりますか。
#####
ご回答
「MJBぢぢい」さん
*****
>【徒歩での八十八箇所巡りを二回以上に分けて行なう人】
>にとって重要なのは、「区切ること」ではなく、「繋ぐこと」なのです。
>どこかで「区切ったまま」で後が続かなければ、結果的に断念したことになります。
>必ず「繋ぐ」と決めて何回に分けてでも先へ進めば、いつかは結願に至ります。
>このことを踏まえて、新しい言葉を思い付きました。この記事の表題にも書いた「繋ぎ打ち」がそれです。
〇質問への返答
合点がいきます。私は採用します。
「区切り」に注視してしまうとややもすれば「23番まで歩いて区切ったから、次は24番から歩く」「37番まで歩いて区切って、次は38番から歩く」という発想を生みます。「繋ぐ」でしたらその発想は生まれません。
唯一気になるのは画数が多いことです。「継ぐ」や「接ぐ」も考えましたが、これらは「つぐ」であって「つなぐ」とは読めません。「繋ぎ打ち」「つなぎ打ち」と2つの形を許容するのはどうでしょうか?
はっ、ここは「創作遍路漢字」の出番なのでしょうか(^_^)
*****
「106」さん
*****
F爺様
新たなご提案に賛同いたします。
「区切る」より、「繋ぐ」と呼んだほうが、
「終わったわけではない」「先に希望が待っている」といった印象を受けますので、
遍路に対して前向きな気持ちを抱き続けられるように感じます。
*****
洛北孫子亭さん
*****
小島剛一様
私も、
「繋ぎ打ち」
という言い方の採用に賛成します。
106さんがおっしゃるように、私も「区切り」は「お終い」と感じてしまいますので。
*****
纏め
コメントでご回答くださった方々も、メールでご意見を述べた皆様も、一致して
【「繋ぎ打ち」を採用する】
とおっしゃっています。発案者として、とても嬉しいことです。
賛同する理由として皆様が挙げていらっしゃることは、当ブログの〈新造語のリスト〉の「繋ぎ打ち」の項でF爺が述べていることとぴったり重なっています。
その部分を自己引用します。
#####
「繋ぎ打ち」
四国遍路で、渡し舟とフェリー以外の交通機関を使わず、徒歩に徹して八十八箇所巡りを二回以上に分けて行なうこと。一回の遍路行で全行程を歩き通す「通し打ち」の対語。
これまで人口に膾炙している「
後者には難点が二つある。
[1] 歩き遍路にとって重要なのは、「繋ぐ」ことであって、「区切る」ことではない。
[2] 例えば、23番札所・薬王寺で区切った後、健脚の人で一日半掛かる行程を歩かず、24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)から再び歩き始める人がいる。また、37番札所・岩本寺で区切った後、健脚の人でも二日半は掛かる行程を歩かず、38番札所・金剛福寺まで電車やバスを利用する人がいる。そして、88番札所・大窪寺と1番札所・霊山寺の間の行程を「繋ぐ」ことに全く思い至らない人が実に多い。これは、律儀に全行程を歩くお遍路さんの目には「誤魔化し」としか映らない。
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「繋ぎ打ち」と言い換えることで、【「区切り打ち」という表現では発生してしまう誤解】を未然に防ぐことが出来るのです。