家田荘子は「知ったかぶり遍路」(2)
- 2023/03/22
- 21:12
前置き
この記事は、
〈家田荘子は60番札所・横峰寺が「石鎚山の頂上にある」と思い込んでいる!!〉と
〈家田荘子は「知ったかぶり遍路」(1)〉
の続編です。
纏め記事であるため内容が上の二本の記事と重複します。
本文
浦島F爺は、家田荘子という名前を「MJBぢぢい」さんのブログで2023年2月26日に「発見」しました。
家田荘子の著書の一部を「ぢぢい」さんが引用していらっしゃいます。その文章は、F爺の目には、誠実なものとは見えませんでした。こう書いてあるのです。
孫引き引用
*****
「歩き遍路を一度はしてみたいけど、リタイアしてからでないと休みが……」と、耳にした。ならば、働いている人が、できる歩き遍路を考えてみようと思った。そこで思いついたのが、2泊3日つなぎ歩き遍路だった。連休を取って、四国一周約1400キロをつなげて歩くーー歩けた最終地点から、交通機関を使って戻り、次は、また交通機関を使って、前回歩いた地点まで戻り、そこから歩きつないで行く。時間と、交通費はかかるが、これなら1400キロをあるききることができる。これで、四国遍路は、働いている人たちにとって、もっともっと身近なものになれるのではないかと思った。こうして私の2泊3日つなぎ歩き遍路は始まった。
*****
不審な点
内容に不審な点が二つありました。
それに加えて、読点の使い方のいい加減さとテニヲハなどの間違いにも驚きます。
遍路道の長さ
遍路道は、「へんろみち保存協力会」編の通称「黄色い(表紙の遍路)地図」によると、最短距離を択んで歩いた場合、1100km足らずです。F爺のように「なるべくトンネルを避けて峠道を歩く」ようにすると、1200kmぐらいになります。
1400kmというのは、各種の案内書によると、全行程を車で移動した場合の走行距離です。律儀に自分の足で歩き繋いだ人の書くこととは思えません。
「四国の遍路道を数回に分けて歩くこと」の発案者だって!?
F爺は、2012年に初めて遍路道に降り立つ遥か以前に四国遍路のことを調べ始めました。最初はウェブ検索だけ。遍路案内書を買ってみようと思い立って一時帰国中に書店で探してみたのが2006年です。数冊買い求めましたが、どの本にも
〈一回の行程で八十八箇所全部を巡らなくても良い。何回に分けても、何年掛かっても構わない〉
という意味のことが書いてありました。それまでウェブ検索で得ていた知識と合致していました。
言い換えると、何回かに分けて遍路道を歩く謂わゆる「区切り打ち」(*)は、その頃、遍路界の常識だったのです。2009年に自分の遍路記を著わした家田荘子の発案だったとは、到底考えられません。
(*) 誤解を招くことのある「区切り打ち」の代案として「繋ぎ打ち」という言葉をF爺が造語しました。
家田荘子のサイトにとんでもない間違いが
「家田荘子」という文字列でウェブ検索してみました。当人が運営していると思しいサイトが見つかりました。
サイトの題名らしい
〈家田荘子の電車・バス「コラボ」歩き遍路〉
という文字列は、率直に言って、浅はかです。一体、誰と誰の「コラボ(レーション)」のことを言いたいのでしょうか。
サイトの記載を読み、
「交通機関を利用しての移動と徒歩での移動を組み合わせること」を
「コラボ」
と言っているつもりだったと分かって呆れ果てました。
家田荘子は、「コラボ」という言葉を完全に誤用しているのです。
そして、60番・横峰寺の項に載っている画像の下に、なんと、こう書いてありました。
「<横峯寺は霊峰石鎚山にあります。石鎚山頂上です>」
間違いが二つあります。
[1] 横峰寺を「横峯寺」と書いています。お寺の名前を間違えて書いて、今に至るまで訂正していないなんて・・・。
[2] 横峰寺のある所は、石鎚山ではありません。そして、石鎚山の頂上にあるのは、石鎚神社頂上社です。
家田荘子が本当に遍路道を全て歩き繋いだのなら、そして四国遍路の歴史を少しでも調べたのだったら、60番・前神寺のすぐ傍に石鎚神社があることに気付いたはずです。
サイトの記載の火を見るよりも明らかな間違いを修正しないで放っておくところを見ると・・・家田荘子は、石鎚神社が横峰寺とは違う場所にあることを未だに知らないのです。
「MJBぢぢい」さんからの(推理を含む)新情報
「MJBぢぢい」さんが今回の「繋ぎ打ちお遍路」からお帰りになって、F爺のかねてからの質問に答えてくださいました。この間にF爺がウェブ検索をして推測していたこととお答えがぴったり重なっていたのには驚きました。
合わせると、次のことが判りました。
[1]「つなぎ遍路」という文字列が家田荘子の著書の題名になっているが、前書きにも本文にも見当たらない。ウェブ検索でも「書名」としてしかヒットしない。
→編集者が勝手に作った文字列である可能性が大きい。
→今日(こんにち)まで、誰も・・・家田荘子自身も・・・この文字列を採用していないと見える。
[2]「つなぎ歩き遍路」という文字列は、家田荘子の著書の前書きに一回、本文に一回、現われるだけ。ウェブ検索では、何もヒットしない。
→家田荘子または編集者が作った「その場限りの思い付き」の文字列であった可能性が大きい。
→今日(こんにち)まで、誰も・・・家田荘子自身も・・・この文字列を常用している徴候が無い。
高野山詣でへのえげつない勧誘
家田荘子は、上記のサイトに
〈四国遍路に出掛ける前に高野山に挨拶に来い〉
〈遍路をして結願したら必ず高野山にお礼参りに来い〉
という意味のことを書いています。
高野山参りと四国遍路は、別のことです。お遍路さんが高野山にもお参りするのは自由ですが、義務では全然ありません。「必ず」という言葉を用いるのは、不謹慎です。
ここまでの纏め
家田荘子の執筆態度は、杜撰。
家田荘子が四国の遍路道を律儀に歩き繋いで踏破したとは考えられない。
家田荘子の書くことを信用してはならない。
補足情報
日本在住の友人たちから、家田荘子に関する補足情報が入って来ています。詳細はここには書きませんが、
【家田荘子の書くことを信用してはならない】
という結論を強固にするものです。日本では30年近く前から有名で、「知らぬは浦島爺ばかりなり」のことだったそうです。
まさかとは思いますが、もしも何のことか分からない方がいらっしゃいましたら、コメントで質問をお寄せください(笑)。
なお、コメント初投稿の方は、当ブログ独自の以下の投稿規定を必ずお読みください。
〈コメント投稿規定: 名前欄 2022年4月18日版〉
〈コメント投稿規定: タイトル欄、メール・アドレス欄、URL欄〉
〈コメント投稿規定: 本文欄〉
この記事は、
〈家田荘子は60番札所・横峰寺が「石鎚山の頂上にある」と思い込んでいる!!〉と
〈家田荘子は「知ったかぶり遍路」(1)〉
の続編です。
纏め記事であるため内容が上の二本の記事と重複します。
本文
浦島F爺は、家田荘子という名前を「MJBぢぢい」さんのブログで2023年2月26日に「発見」しました。
家田荘子の著書の一部を「ぢぢい」さんが引用していらっしゃいます。その文章は、F爺の目には、誠実なものとは見えませんでした。こう書いてあるのです。
孫引き引用
*****
「歩き遍路を一度はしてみたいけど、リタイアしてからでないと休みが……」と、耳にした。ならば、働いている人が、できる歩き遍路を考えてみようと思った。そこで思いついたのが、2泊3日つなぎ歩き遍路だった。連休を取って、
*****
不審な点
内容に不審な点が二つありました。
それに加えて、読点の使い方のいい加減さとテニヲハなどの間違いにも驚きます。
遍路道の長さ
遍路道は、「へんろみち保存協力会」編の通称「黄色い(表紙の遍路)地図」によると、最短距離を択んで歩いた場合、1100km足らずです。F爺のように「なるべくトンネルを避けて峠道を歩く」ようにすると、1200kmぐらいになります。
1400kmというのは、各種の案内書によると、全行程を車で移動した場合の走行距離です。律儀に自分の足で歩き繋いだ人の書くこととは思えません。
「四国の遍路道を数回に分けて歩くこと」の発案者だって!?
F爺は、2012年に初めて遍路道に降り立つ遥か以前に四国遍路のことを調べ始めました。最初はウェブ検索だけ。遍路案内書を買ってみようと思い立って一時帰国中に書店で探してみたのが2006年です。数冊買い求めましたが、どの本にも
〈一回の行程で八十八箇所全部を巡らなくても良い。何回に分けても、何年掛かっても構わない〉
という意味のことが書いてありました。それまでウェブ検索で得ていた知識と合致していました。
言い換えると、何回かに分けて遍路道を歩く謂わゆる「区切り打ち」(*)は、その頃、遍路界の常識だったのです。2009年に自分の遍路記を著わした家田荘子の発案だったとは、到底考えられません。
(*) 誤解を招くことのある「区切り打ち」の代案として「繋ぎ打ち」という言葉をF爺が造語しました。
家田荘子のサイトにとんでもない間違いが
「家田荘子」という文字列でウェブ検索してみました。当人が運営していると思しいサイトが見つかりました。
サイトの題名らしい
〈家田荘子の電車・バス「コラボ」歩き遍路〉
という文字列は、率直に言って、浅はかです。一体、誰と誰の「コラボ(レーション)」のことを言いたいのでしょうか。
サイトの記載を読み、
「交通機関を利用しての移動と徒歩での移動を組み合わせること」を
「
と言っているつもりだったと分かって呆れ果てました。
家田荘子は、「コラボ」という言葉を完全に誤用しているのです。
そして、60番・横峰寺の項に載っている画像の下に、なんと、こう書いてありました。
「
間違いが二つあります。
[1] 横峰寺を「横峯寺」と書いています。お寺の名前を間違えて書いて、今に至るまで訂正していないなんて・・・。
[2] 横峰寺のある所は、石鎚山ではありません。そして、石鎚山の頂上にあるのは、石鎚神社頂上社です。
家田荘子が本当に遍路道を全て歩き繋いだのなら、そして四国遍路の歴史を少しでも調べたのだったら、60番・前神寺のすぐ傍に石鎚神社があることに気付いたはずです。
サイトの記載の火を見るよりも明らかな間違いを修正しないで放っておくところを見ると・・・家田荘子は、石鎚神社が横峰寺とは違う場所にあることを未だに知らないのです。
「MJBぢぢい」さんからの(推理を含む)新情報
「MJBぢぢい」さんが今回の「繋ぎ打ちお遍路」からお帰りになって、F爺のかねてからの質問に答えてくださいました。この間にF爺がウェブ検索をして推測していたこととお答えがぴったり重なっていたのには驚きました。
合わせると、次のことが判りました。
[1]「つなぎ遍路」という文字列が家田荘子の著書の題名になっているが、前書きにも本文にも見当たらない。ウェブ検索でも「書名」としてしかヒットしない。
→編集者が勝手に作った文字列である可能性が大きい。
→今日(こんにち)まで、誰も・・・家田荘子自身も・・・この文字列を採用していないと見える。
[2]「つなぎ歩き遍路」という文字列は、家田荘子の著書の前書きに一回、本文に一回、現われるだけ。ウェブ検索では、何もヒットしない。
→家田荘子または編集者が作った「その場限りの思い付き」の文字列であった可能性が大きい。
→今日(こんにち)まで、誰も・・・家田荘子自身も・・・この文字列を常用している徴候が無い。
高野山詣でへのえげつない勧誘
家田荘子は、上記のサイトに
〈四国遍路に出掛ける前に高野山に挨拶に来い〉
〈遍路をして結願したら必ず高野山にお礼参りに来い〉
という意味のことを書いています。
高野山参りと四国遍路は、別のことです。お遍路さんが高野山にもお参りするのは自由ですが、義務では全然ありません。「必ず」という言葉を用いるのは、不謹慎です。
ここまでの纏め
家田荘子の執筆態度は、杜撰。
家田荘子が四国の遍路道を律儀に歩き繋いで踏破したとは考えられない。
家田荘子の書くことを信用してはならない。
補足情報
日本在住の友人たちから、家田荘子に関する補足情報が入って来ています。詳細はここには書きませんが、
【家田荘子の書くことを信用してはならない】
という結論を強固にするものです。日本では30年近く前から有名で、「知らぬは浦島爺ばかりなり」のことだったそうです。
まさかとは思いますが、もしも何のことか分からない方がいらっしゃいましたら、コメントで質問をお寄せください(笑)。
なお、コメント初投稿の方は、当ブログ独自の以下の投稿規定を必ずお読みください。
〈コメント投稿規定: 名前欄 2022年4月18日版〉
〈コメント投稿規定: タイトル欄、メール・アドレス欄、URL欄〉
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