記事の表題の付け方当ブログの記事〈
多重偽名ネット・ストーカーの箍(たが)の外れた「誹謗中傷文書閲覧強要の試み」〉を掲載した時に、表題の付け方に迷いました。
今日のこの記事と組みにして「(1)」「(2)」と番号を振ろうかと思ったのです。
この記事の下書きを少し書いてみて、それは止(や)めました。この記事の
登場人物登場
鬼畜は、
【誹謗中傷サイトに繋がるリンクを貼り付けたコメントを突然投稿してよこしたのではなかった】
ことを思い出したからです。
前触れ2017年6月8日に、「批評を装った壊滅的攻撃」を目論んだゴキブリが、
〈長文の批評を書いた。どうやって送ったら良いか〉
という意味の質問をまず仕掛けてよこしたのです。
その顛末は、「
自称・元出版社勤め」と題した記事に纏めてあります。
また、かなり後の〈
多重偽名のネット・ゴキブリ(1)「標本KF」〉は、F爺が
【この「自称・元出版社勤め」(= 標本KF)は、「標本M = 標本E(= □婆)」である】
ことに気付いた時期の記事です。
未読の方は、是非ご覧ください。
「日本語知らず」呼ばわり 一 ブログ開設直後から散発的に当ブログには、開設直後から、散発的に
〈
お前の日本語文は、なっていない〉
〈
お前のような浦島爺には、日本や日本人を論ずる資格は無い〉
〈
お前の日本語は古過ぎる〉
と貶めるコメントが届いていました。
そうしたコメントには、
【どこがどう「なっていない」のかの説明が無い】
【具体例を一切示さない】
【とにかく言論弾圧をしようとする意思だけが明白】
という共通の愚かで邪悪な特徴がありました。
そしてもう一つ・・・
日本語の間違いだらけでした(爆笑)。笑止千万とは、このことです。相手にする意味がありません。
F爺は、勿論・当然・言わずもがなのことですが、全て徹底的に無視しました。
F爺の日本語表現力1968年の若かりし頃に日本を出て1988年に二度目の一時帰国を果たした時に中年男になっていたF爺は、留守にしていた長い間に日本列島の日本語の語彙にかなりの変化が起こっていたことを観察していました。
そのため、『トルコのもう一つの顔』を上梓した時には、「自分の日本語表現が今でも通用するのか否か」不安がありました。
しかし、当ブログを開設したのは2013年です。その不安は、基本的に、とうに消滅していました。
残っていた問題は、二つだけです。
一つ、ごく少数の語彙に関して、浦島症候群、つまり
【語義の最近の変化に気付いていない惧れ】
がありました。
二つ、夥(おびただ)しい新出のカタカナ語の大多数は、
何のことか解りません。しかし、カタカナ語を頻用する連中自身に
そもそも意味が解っていないことが分かって気が楽になりました(笑)。
〈どういう意味なのか〉
と訊けば、明確に教えてもらえる稀有な場合と、本人にも何を言いたいのか分かっていない空言である大多数の場合とにはっきり分かれるのです(^_^)。
当ブログを開設した時期には既にこういう状況でしたから、匿名の陰に隠れた卑劣な投稿犯に
〈
お前の日本語文は、なっていない〉
などと支離滅裂な悪罵まがいを送り付けられても、
「日本語不全症の無礼者め。一昨日来い」
と斬り返して当然だったのです。実際には、殆どの場合、非表示・無返信処分としていますが。
そのことを何回、何十回・・・もしかすると何百回・・・指摘されても未だに呑み込んでいないネット・ゴキブリの愚かさには呆れ果てます。
「日本語知らず」呼ばわり 二 超・長文に纏めて「自称・元出版社勤め」(= 標本KF)は、「
形式はWord、A4サイズで14ページ、日本語で16,300字」の文章を書いたと言っていました。
〈八つの文書に分割して非公開設定コメントとして送れ〉
という意味の返信をしました。
「自称・元出版社勤め」仮面は、何を思ったか、「10の文書に分割して」送ってよこしました。
一通目を開封して三行も読まないうちに、誹謗中傷が目的のネット・ゴキブリだったと判明しました。
F爺の著書『トルコのもう一つの顔・補遺編』について
「
意味不明」
「
極めて不愉快」
「
意味不明」
「
極めて不愉快」
「
意味不明」
「
極めて不愉快」
・・・
と際限無く繰り返し、
〈
万人が駄作と評するだろう〉
という意味になることを書き殴っているだけだったのです。
「自称・元出版社勤め」仮面の目的は、
【F爺の書いた日本語文を徹底的に貶めることでF爺の自分の日本語表現能力に関する自信を失わせる】
ことだったのです。
「斜め読み」という言葉がありますが、あまりの馬鹿馬鹿しさに「縦読み」にしました。
この仮面には、
【罵詈雑言だけを「
日本語で16,300字」も並べたら、丁寧に全部を読もうとする馬鹿はいない】
ということが想像も出来なかったのです。
しかも、「自称・元出版社勤め」仮面は、
【F爺を「
実務家」と評して、「
実務家の書く文章ではありません」と貶めたつもり】
でいました。
「実務家」という言葉の語義も知らない馬鹿が何を言うか!
「自称・元出版社勤め」の攻撃に対するF爺の反応は、
底知れない軽蔑でした。
今になって振り返ると【「自称・元出版社勤め」も鬼畜老婆の使い捨てにする数多(あまた)の仮面の一つだった】
と認識したのは、かなり後のことでした。
今になって振り返ると、
【反省能力の欠如している鬼畜老婆には、
「自分の言動は、教養程度が低過ぎ、常に的外れであり、無礼で愚かで卑劣であるため、説得力が全く無い」
ということを認識する能力が無い】
ことが良く分ります。
「箍の外れた□□」シリーズは、もう数篇、続きます。