コメント
遍路道と英語の件
小島先生へ
まず最初に提出が非常に遅くなっていますことをお詫び申し上げます。申し訳ございません。
〔1〕
なるほど、私と全く逆の感覚なのですね。私にとっては「生の英語を聞き話す貴重な機会」なのです。
私は
[a]ごく拙い通訳で、本当に役に立つか疑心暗鬼で
[b]困っているならなるべく力になりたいから
[c]遍路のことなどいろいろ聞かれるのがうれしいから
[d]どうにかして意思疎通を図ろうとしているなら
力になりたいと思うのです。
ただし、私が英語を話すのは後述するようにわざわざ日本に来て下さった外国人遍路さんへの「お接待」ですから、最低限必要な要件があります。それは[d]「真摯に意思疎通を図ろうとしているなら」ということです。カタコトの日本語と身振り手振りも交えてなんとか伝えようとしているなら力を貸そうということです。英語に固執して「傲慢な態度」と感じた場合、協力する気持ち(お接待する気)が萎えてしまいます。
[b]「宿の代理予約」は難しい問題を含んでいます。外国人遍路は日本では音声通話することができない携帯電話(すなわち「携帯できるインターネット端末」)を持っていることが多いのです。インターネットで予約できない宿が大多数である四国遍路において、女将や出会った日本人お遍路さんが代理予約をせざるを得ない現状はあります。
しかしその後彼らに何らかの問題が生じて宿に到着できない場合、彼らは宿に連絡する手段がありません。そして「無断予約取り消し」(No-show)が起こった場合、代理予約をした我々に連絡が来ます。しかしすでに別れて別の宿にいるなど、彼らと連絡が取れない状態になってしまっていることがほとんどです。最終的にキャンセル料を請求されても仕方がない状態です。できる限りやりたくはありませが「人を見て」代理予約も止むを得ないかなあという姿勢です。
>[2] F爺にとってその人たちは、お遍路さんではありません。「観光トレッカー」です。
>白装束を着ていても、菅笠を被っていても、「金剛杖」を突いていても、般若心経を唱えても、「ちょっと変わったコスプレ」をしているに過ぎません。
そこも難しい問題です。私の例で言うと、父母の供養という目的を持って歩いた1周り目はかろうじて「お遍路」だったかなと思っています。しかし2周り目からはその意味は薄れ、宿泊りの観光巡拝・ぜいたく巡拝に堕したと思うのです。
先生のご指摘は私を含む非常に多くの日本人巡拝者にも当て嵌まるのです。私はしばしばお遍路のことを「時間とお金と体力を使ってつらい思いをするぜいたくな遊び」と表現します。「命もかかっておらず修行でもないあくまで遊び」と断定するこの表現は自虐や謙遜も含みますが、本音でもあるのです。
>[3]「ぢぢい」さんは、「日本人が日本で外国人を見たらせめて英語を話してやるのが当然だ」と考えているようです。
それは少し違います。おっしゃるように遍路道は英語が通じないのが当たり前です。それでも多くの外国人が四国にやってきて遍路道を歩いて日本文化を体感しようとしてくださっています。私が拙い英語で話そうとするのはその気持ちがうれしいからです。その行為を少しでも手助けしようとする「お接待」です。
但し、あくまでお接待ですから([1]で書いているように)「真摯に意思疎通を図ろうとしている」ことが条件です。当然のように英語のみで話されるのは困ります。
>[4]「ぢぢい」さんは、これまでに「外国人との交流で酷い目に遭ったことが無い」ように見受けます。
おっしゃる通りです。これまでしばしば自由気ままで時間にいい加減な外国人と出会いましたが、酷い目に遭ったことはないのです。私には先生の言われる「日本を離れた地の状況」に関して経験も知識もありません。しかし「わざわざ時間と費用をかけてはるか遠い日本その更に田舎の四国へやってきて、しかもバスやタクシーや自家用車ではなく歩いて周る外国人」には悪い人や無礼者や乱暴者や犯罪者はかなり少ないと実感しています。(差別主義者は居るかもしれません。)
生活費に困ったりすることのない、たぶん学歴もある程度から上の層の人たちが多いと感じるのです。もちろんお金のない野宿野営トレッカーもいます。しかしそんな彼ら彼女らも「異文化の中では節度をもって行動すべきである」という常識的感覚の持ち主である確率が高いといえます。
きっと先生は「私が無警戒に外国人と話をして酷い目に遭わないか」と心配してご忠告下さったのだと思います。ありがとうございます。確かに私はともすれば無警戒に無条件に受け入れていた気がします。警戒心を失わずに接するようにいたします。
私の仮結論
英語版の遍路地図にある「no one speaks English」という表示を特定の宿泊施設一軒にだけ付けるのは(私も間違いであるとは思うが)、発行者の苦肉の策であり止むを得ないと考えます。非日本語圏を対象に発行される全てのお遍路に関する出版物とネット上の記事に「四国はほとんどのところで日本語しか通じない。(英語は通じない。)」と明記されるべきであると思います。
まず最初に提出が非常に遅くなっていますことをお詫び申し上げます。申し訳ございません。
〔1〕
なるほど、私と全く逆の感覚なのですね。私にとっては「生の英語を聞き話す貴重な機会」なのです。
私は
[a]ごく拙い通訳で、本当に役に立つか疑心暗鬼で
[b]困っているならなるべく力になりたいから
[c]遍路のことなどいろいろ聞かれるのがうれしいから
[d]どうにかして意思疎通を図ろうとしているなら
力になりたいと思うのです。
ただし、私が英語を話すのは後述するようにわざわざ日本に来て下さった外国人遍路さんへの「お接待」ですから、最低限必要な要件があります。それは[d]「真摯に意思疎通を図ろうとしているなら」ということです。カタコトの日本語と身振り手振りも交えてなんとか伝えようとしているなら力を貸そうということです。英語に固執して「傲慢な態度」と感じた場合、協力する気持ち(お接待する気)が萎えてしまいます。
[b]「宿の代理予約」は難しい問題を含んでいます。外国人遍路は日本では音声通話することができない携帯電話(すなわち「携帯できるインターネット端末」)を持っていることが多いのです。インターネットで予約できない宿が大多数である四国遍路において、女将や出会った日本人お遍路さんが代理予約をせざるを得ない現状はあります。
しかしその後彼らに何らかの問題が生じて宿に到着できない場合、彼らは宿に連絡する手段がありません。そして「無断予約取り消し」(No-show)が起こった場合、代理予約をした我々に連絡が来ます。しかしすでに別れて別の宿にいるなど、彼らと連絡が取れない状態になってしまっていることがほとんどです。最終的にキャンセル料を請求されても仕方がない状態です。できる限りやりたくはありませが「人を見て」代理予約も止むを得ないかなあという姿勢です。
>[2] F爺にとってその人たちは、お遍路さんではありません。「観光トレッカー」です。
>白装束を着ていても、菅笠を被っていても、「金剛杖」を突いていても、般若心経を唱えても、「ちょっと変わったコスプレ」をしているに過ぎません。
そこも難しい問題です。私の例で言うと、父母の供養という目的を持って歩いた1周り目はかろうじて「お遍路」だったかなと思っています。しかし2周り目からはその意味は薄れ、宿泊りの観光巡拝・ぜいたく巡拝に堕したと思うのです。
先生のご指摘は私を含む非常に多くの日本人巡拝者にも当て嵌まるのです。私はしばしばお遍路のことを「時間とお金と体力を使ってつらい思いをするぜいたくな遊び」と表現します。「命もかかっておらず修行でもないあくまで遊び」と断定するこの表現は自虐や謙遜も含みますが、本音でもあるのです。
>[3]「ぢぢい」さんは、「日本人が日本で外国人を見たらせめて英語を話してやるのが当然だ」と考えているようです。
それは少し違います。おっしゃるように遍路道は英語が通じないのが当たり前です。それでも多くの外国人が四国にやってきて遍路道を歩いて日本文化を体感しようとしてくださっています。私が拙い英語で話そうとするのはその気持ちがうれしいからです。その行為を少しでも手助けしようとする「お接待」です。
但し、あくまでお接待ですから([1]で書いているように)「真摯に意思疎通を図ろうとしている」ことが条件です。当然のように英語のみで話されるのは困ります。
>[4]「ぢぢい」さんは、これまでに「外国人との交流で酷い目に遭ったことが無い」ように見受けます。
おっしゃる通りです。これまでしばしば自由気ままで時間にいい加減な外国人と出会いましたが、酷い目に遭ったことはないのです。私には先生の言われる「日本を離れた地の状況」に関して経験も知識もありません。しかし「わざわざ時間と費用をかけてはるか遠い日本その更に田舎の四国へやってきて、しかもバスやタクシーや自家用車ではなく歩いて周る外国人」には悪い人や無礼者や乱暴者や犯罪者はかなり少ないと実感しています。(差別主義者は居るかもしれません。)
生活費に困ったりすることのない、たぶん学歴もある程度から上の層の人たちが多いと感じるのです。もちろんお金のない野宿野営トレッカーもいます。しかしそんな彼ら彼女らも「異文化の中では節度をもって行動すべきである」という常識的感覚の持ち主である確率が高いといえます。
きっと先生は「私が無警戒に外国人と話をして酷い目に遭わないか」と心配してご忠告下さったのだと思います。ありがとうございます。確かに私はともすれば無警戒に無条件に受け入れていた気がします。警戒心を失わずに接するようにいたします。
私の仮結論
英語版の遍路地図にある「no one speaks English」という表示を特定の宿泊施設一軒にだけ付けるのは(私も間違いであるとは思うが)、発行者の苦肉の策であり止むを得ないと考えます。非日本語圏を対象に発行される全てのお遍路に関する出版物とネット上の記事に「四国はほとんどのところで日本語しか通じない。(英語は通じない。)」と明記されるべきであると思います。
Re: 遍路道と英語の件
「MJBぢぢい」さん
一ヶ月も練りに練った力作レポート、ありがとうございます。返信に代えて、本日の「特別号外記事」https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-4418.htmlにしました。是非そちらをご覧ください。
一ヶ月も練りに練った力作レポート、ありがとうございます。返信に代えて、本日の「特別号外記事」https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-4418.htmlにしました。是非そちらをご覧ください。