コメント
こういう日本語訳を発表することに何も疑問を感じないとすれば、小島さんがご指摘なさるとおり、こういうものを書く人間には、フランス語どころか、日本語も十分には理解できていないということになりますね。
そもそも日本語として成り立っていないという点で「山がそこにあるから」よりもさらにお粗末に感じました。
そもそも日本語として成り立っていないという点で「山がそこにあるから」よりもさらにお粗末に感じました。
Re: タイトルなし
三郎さん
「Tout est pardonné」(全て赦す)を「すべては許される」とした誤訳が昨日考えていたよりも遥かに重大であることに気付いたので、返信に代えて「『すべては許される』という大誤訳http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-483.html 」と題した新しい記事を立てました。そちらをご覧ください。
もしも日本中が誤訳の方を信じているとしたら由々しい事態です。
「Tout est pardonné」(全て赦す)を「すべては許される」とした誤訳が昨日考えていたよりも遥かに重大であることに気付いたので、返信に代えて「『すべては許される』という大誤訳http://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-483.html 」と題した新しい記事を立てました。そちらをご覧ください。
もしも日本中が誤訳の方を信じているとしたら由々しい事態です。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: Je suis Charlie
「Leila」さん
初投稿、ありがとうございます。
ご紹介なさったブログの主は、「調べると○○だそうだ」と書いているだけで、典拠を示していません。信用に値しません。
また、フランス語の「Tout est pardonné.」の訳として大誤訳の「すべては許される」を無反省に採用しています。
上の二つの理由で、折角コメントを戴きましたが、参考には致しません。
他人の無責任な文章の引用ではなく、「Leila」さんご自身のご意見を書いた公開コメントをお待ちしております。その折に、なぜ「Leila」というイスラーム名をハンドル・ネームとしているのかもご説明いただければ幸いです。
初投稿、ありがとうございます。
ご紹介なさったブログの主は、「調べると○○だそうだ」と書いているだけで、典拠を示していません。信用に値しません。
また、フランス語の「Tout est pardonné.」の訳として大誤訳の「すべては許される」を無反省に採用しています。
上の二つの理由で、折角コメントを戴きましたが、参考には致しません。
他人の無責任な文章の引用ではなく、「Leila」さんご自身のご意見を書いた公開コメントをお待ちしております。その折に、なぜ「Leila」というイスラーム名をハンドル・ネームとしているのかもご説明いただければ幸いです。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: タイトルなし
「Leila」さん
事情は、よく分かりました。でも、このハンドル・ネームでは、誰しも「イスラーム圏で生まれた人か、もしも日本人なら大人になってからイスラームに帰依した人だろう」と考えます。このブログにはさまざまな宗教を奉ずる読者がいますので、誤解が必ず起こります。今度の投稿の時には、何か別の、特定の宗教を示唆しないハンドル・ネームを選んでください。
「私はシャルリー」も「すべては許される」も悲惨な誤訳で全く意味を成さないということをこのブログの読者の皆様に十分に理解していただいてから、言論の自由、特に風刺の自由の限界について記事を立てます。もう数日、お待ちください。
事情は、よく分かりました。でも、このハンドル・ネームでは、誰しも「イスラーム圏で生まれた人か、もしも日本人なら大人になってからイスラームに帰依した人だろう」と考えます。このブログにはさまざまな宗教を奉ずる読者がいますので、誤解が必ず起こります。今度の投稿の時には、何か別の、特定の宗教を示唆しないハンドル・ネームを選んでください。
「私はシャルリー」も「すべては許される」も悲惨な誤訳で全く意味を成さないということをこのブログの読者の皆様に十分に理解していただいてから、言論の自由、特に風刺の自由の限界について記事を立てます。もう数日、お待ちください。
"Je suis ~"についての質問
小島さん
こんにちは、KTです。
私も"JE SUIS CHARLIE"の意味をが全く掴めずにいたので、今回の記事のおかげでスッキリしました。ありがとうございました。
ひとつ疑問に思ったのですが、今回の例のように、"Je suis ~"を「~を支援します」というニュアンスで使うことは、かなり一般的なのか、あるいは今回のようにある特殊なコンテクストの中でのみ成り立つのか、どちらでしょうか。教えていただければありがたいです。
こんにちは、KTです。
私も"JE SUIS CHARLIE"の意味をが全く掴めずにいたので、今回の記事のおかげでスッキリしました。ありがとうございました。
ひとつ疑問に思ったのですが、今回の例のように、"Je suis ~"を「~を支援します」というニュアンスで使うことは、かなり一般的なのか、あるいは今回のようにある特殊なコンテクストの中でのみ成り立つのか、どちらでしょうか。教えていただければありがたいです。
Re: "Je suis ~"についての質問
KTさん
冷戦時代の1963年6月26日に当時の米国大統領J. F. Kennedyケネディが西ベルリンで、ドイツ語で「Ich bin ein Berliner.」と演説したことがありました。逐語訳すると「私はベルリン市民だ」となりますが、「私は西ベルリン市民を支援する」という意味だということは歴然としていました。
別の言語であっても、共通の文化基盤で発達し、太古から「人称代名詞」もあり、「be動詞」もある英語、フランス語などには、この表現の「なぞり」で十分に意思が通じたのです。
この演説以前にもこういう言い方があったかどうかは、F爺は存じませんが、この後、フランス語でも「Je suis ~」を「~を支援する」という意味で使うことがままあるようになったようです。
日常的な用法ではありません。今回のように、覆面の武装者が無防備の赤の他人を突然襲うという卑劣なやり方で惨劇が起こった場合に「追悼と支援の標語として」用います。普通の会話で用いることはありません。
2007年1月19日にイスタンブールでアルメニア人言論人のHrant Dinkフラント・ディンク氏が暗殺されたときには、葬儀に駆け付けた10万人の群衆がトルコ語とアルメニア語とクルマンチュ語で、逐語訳すると「私たちは皆、Hrant Dinkだ。皆、アルメニア人だ」となる標語を叫びましたが、これも「私たちはHrant Dinkの死を悼み、言論の自由を支援する」という意味です。
この三言語にも「人称代名詞」があり「be動詞」相当の物がありますから、「Ich bin ein Berliner.」をなぞった言い方で通用したのです。但し、単数で「私は」としたのでは意味を成しませんから「私たちは」という言い方になっていました。
以上のどの言語にも、日本語の「は」に相当する物はありません。
冷戦時代の1963年6月26日に当時の米国大統領J. F. Kennedyケネディが西ベルリンで、ドイツ語で「Ich bin ein Berliner.」と演説したことがありました。逐語訳すると「私はベルリン市民だ」となりますが、「私は西ベルリン市民を支援する」という意味だということは歴然としていました。
別の言語であっても、共通の文化基盤で発達し、太古から「人称代名詞」もあり、「be動詞」もある英語、フランス語などには、この表現の「なぞり」で十分に意思が通じたのです。
この演説以前にもこういう言い方があったかどうかは、F爺は存じませんが、この後、フランス語でも「Je suis ~」を「~を支援する」という意味で使うことがままあるようになったようです。
日常的な用法ではありません。今回のように、覆面の武装者が無防備の赤の他人を突然襲うという卑劣なやり方で惨劇が起こった場合に「追悼と支援の標語として」用います。普通の会話で用いることはありません。
2007年1月19日にイスタンブールでアルメニア人言論人のHrant Dinkフラント・ディンク氏が暗殺されたときには、葬儀に駆け付けた10万人の群衆がトルコ語とアルメニア語とクルマンチュ語で、逐語訳すると「私たちは皆、Hrant Dinkだ。皆、アルメニア人だ」となる標語を叫びましたが、これも「私たちはHrant Dinkの死を悼み、言論の自由を支援する」という意味です。
この三言語にも「人称代名詞」があり「be動詞」相当の物がありますから、「Ich bin ein Berliner.」をなぞった言い方で通用したのです。但し、単数で「私は」としたのでは意味を成しませんから「私たちは」という言い方になっていました。
以上のどの言語にも、日本語の「は」に相当する物はありません。
Re^2: "Je suis ~"についての質問
小島さん
KTです。早々に詳しい解説をありがとうございました。
もしかしたら"Nous sommes ~"と複数形もあるのだろうかと思ってネットサーフィンしていたら、9・11の翌日のルモンド紙に"Nous sommes tous Américains"という見出しの記事が載ったことが分かりました。小島さんに教えていただいたことと合わせて、なるほどと思いました。
いずれにしても、このような惨劇が起こらない世界になることを祈るばかりです。
KTです。早々に詳しい解説をありがとうございました。
もしかしたら"Nous sommes ~"と複数形もあるのだろうかと思ってネットサーフィンしていたら、9・11の翌日のルモンド紙に"Nous sommes tous Américains"という見出しの記事が載ったことが分かりました。小島さんに教えていただいたことと合わせて、なるほどと思いました。
いずれにしても、このような惨劇が起こらない世界になることを祈るばかりです。
Re: Re^2: "Je suis ~"についての質問
KTさん
「Nous sommes ~」という複数形の例は、本日(2015年1月20日)付けのLe Mondeル・モンド紙の第三面のニジェールを扱った記事にも出ています。1月11日のパリでの「シャルリー支援大行進」に参加したニジェールなどの国家元首が複数形で「我々は皆、シャルリーを支援する」と宣言したそうです。
>いずれにしても、このような惨劇が起こらない世界になることを祈るばかりです。
惨劇は、今もあちこちで起こっています。狂信者がこの世からいなくなることは、まず無いでしょう。狂信者も、勝手な言い分で「祈る」ようです。
「Nous sommes ~」という複数形の例は、本日(2015年1月20日)付けのLe Mondeル・モンド紙の第三面のニジェールを扱った記事にも出ています。1月11日のパリでの「シャルリー支援大行進」に参加したニジェールなどの国家元首が複数形で「我々は皆、シャルリーを支援する」と宣言したそうです。
>いずれにしても、このような惨劇が起こらない世界になることを祈るばかりです。
惨劇は、今もあちこちで起こっています。狂信者がこの世からいなくなることは、まず無いでしょう。狂信者も、勝手な言い分で「祈る」ようです。
「JE SUIS CHARLIE」と「I AM KENJI」
小島さん
「JE SUIS CHARLIE」を、アメリカではどのように訳されているのか、知りたかったのでアメリカに住む義理の妹に尋ねてみました。
「I AM CHARLIE」と訳されているとのことです。
ニューヨークタイムズにも、このように書かれていました。
この表現で、十分に意思が通じるということですね。
ところで、イスラム国とされるグループの人質になっている後藤健二氏が無事に解放されることを願い、「I AM KENJI」とfacebookに投稿する動きが広がっていると、朝日新聞デジタル(2015年1月26日5時7分)が配信しています。
「JE SUIS CHARLIE」の誤訳を垂れ流し続けている、日本の各報道機関は、「I AM KENJI」の本当の意味も、理解していない報道を続け、その結果、私たちは、外国理解・異文化理解について、正確な理解ができないまま、何かちがうな?、という漠然とした気持ち悪さを持ち続けることになるのでしょうか?
「JE SUIS CHARLIE」を、アメリカではどのように訳されているのか、知りたかったのでアメリカに住む義理の妹に尋ねてみました。
「I AM CHARLIE」と訳されているとのことです。
ニューヨークタイムズにも、このように書かれていました。
この表現で、十分に意思が通じるということですね。
ところで、イスラム国とされるグループの人質になっている後藤健二氏が無事に解放されることを願い、「I AM KENJI」とfacebookに投稿する動きが広がっていると、朝日新聞デジタル(2015年1月26日5時7分)が配信しています。
「JE SUIS CHARLIE」の誤訳を垂れ流し続けている、日本の各報道機関は、「I AM KENJI」の本当の意味も、理解していない報道を続け、その結果、私たちは、外国理解・異文化理解について、正確な理解ができないまま、何かちがうな?、という漠然とした気持ち悪さを持ち続けることになるのでしょうか?
Re: 「JE SUIS CHARLIE」と「I AM KENJI」
T.K.さん
J.F.ケネディの「Ich bin ein Berliner.」を英語では「I am ….」、フランス語では「Je suis ….」と訳して以来ですから、「Je suis Charlie.」は、当然「I am Charlie.」です。
>「JE SUIS CHARLIE」の誤訳を垂れ流し続けている、日本の各報道機関は、「I AM KENJI」の本当の意味も、理解していない報道を続け、その結果、私たちは、外国理解・異文化理解について、正確な理解ができないまま、何かちがうな?、という漠然とした気持ち悪さを持ち続けることになるのでしょうか?
日本の各報道機関が「○○を支援します」という正しい訳を採用しない限り、この状態は続きます。誤訳に気付かないで意味を成さない文字列を垂れ流す無神経さは、憫(あわ)れです。
J.F.ケネディの「Ich bin ein Berliner.」を英語では「I am ….」、フランス語では「Je suis ….」と訳して以来ですから、「Je suis Charlie.」は、当然「I am Charlie.」です。
>「JE SUIS CHARLIE」の誤訳を垂れ流し続けている、日本の各報道機関は、「I AM KENJI」の本当の意味も、理解していない報道を続け、その結果、私たちは、外国理解・異文化理解について、正確な理解ができないまま、何かちがうな?、という漠然とした気持ち悪さを持ち続けることになるのでしょうか?
日本の各報道機関が「○○を支援します」という正しい訳を採用しない限り、この状態は続きます。誤訳に気付かないで意味を成さない文字列を垂れ流す無神経さは、憫(あわ)れです。
厚顔無恥?
小島さん
日本の報道では、フランスでのテロ事件はすっかり影を潜め、イスラム国と呼ばれるグループによる日本人人質事件一色です。
日本の各報道機関は「○○を支援します」という正しい訳を採用する気配が全く感じられない中、的外れかもしれませんが、雑誌等でよく名前を耳にする、フランス現代思想及び比較文化論を専門とする、神戸女学院大学名誉教授の内田樹(うちだたづる)氏はどのように発信しているかを調べてみました。
内田氏と同級生の平川克美氏のツイートで次のような記載がありました。
『「わたしはシャルリーである」というスローガンは、パリ五月革命でソルボンヌ大学学生が掲げた「わたしはドイツのユダヤ人だ」というスローガンを歌枕にしたものだったのか。そのときのレイモン・アロンの態度に学ぶというのが内田理解でした。』
『内田くんはフランス現代思想が専門であり、その専門家からフランスで起きていることを解説してもらった。やはり、専門家の見識が必要ですね。気がつかないことがたくさんありました。』
このツイートに呼応するように、内田氏が、
『今回はシャンゼリゼを埋め尽くしたパリ五月革命のデモをベランダから黙って見下ろしていたレイモン・アロンの範例に学ぶことにします。アロンはなんによらず「常識はずれ」のことの(に)ついては常に懐疑的でした。』
と発信していました。
先日、少し調べてみた時の平川克美氏のツイート内容が若干変わっていたように思うのですが、私のメモに「Nous sommes tous desu juifs allmands」「私たちはみなドイツのユダヤ人だ」とあります。
不思議に思ったのは、仮にも大学教授を名乗っている、フランス現代思想や比較文化論を専門としている人が、「JE SUIS CHARLIE」の誤訳について全く触れていない点です。
フランスでのテロ事件を理解するために、「〜を支援します」と訳す必要が最低限必要と思います。
ちなみに、この二人は翻訳を主業務とする株式会社アーバン・トラストレーションを設立した、と平川克美氏の著書のプロフィールにあります。
一体、どんな言語をどのように翻訳しているのでしょうか?
日本の報道では、フランスでのテロ事件はすっかり影を潜め、イスラム国と呼ばれるグループによる日本人人質事件一色です。
日本の各報道機関は「○○を支援します」という正しい訳を採用する気配が全く感じられない中、的外れかもしれませんが、雑誌等でよく名前を耳にする、フランス現代思想及び比較文化論を専門とする、神戸女学院大学名誉教授の内田樹(うちだたづる)氏はどのように発信しているかを調べてみました。
内田氏と同級生の平川克美氏のツイートで次のような記載がありました。
『「わたしはシャルリーである」というスローガンは、パリ五月革命でソルボンヌ大学学生が掲げた「わたしはドイツのユダヤ人だ」というスローガンを歌枕にしたものだったのか。そのときのレイモン・アロンの態度に学ぶというのが内田理解でした。』
『内田くんはフランス現代思想が専門であり、その専門家からフランスで起きていることを解説してもらった。やはり、専門家の見識が必要ですね。気がつかないことがたくさんありました。』
このツイートに呼応するように、内田氏が、
『今回はシャンゼリゼを埋め尽くしたパリ五月革命のデモをベランダから黙って見下ろしていたレイモン・アロンの範例に学ぶことにします。アロンはなんによらず「常識はずれ」のことの(に)ついては常に懐疑的でした。』
と発信していました。
先日、少し調べてみた時の平川克美氏のツイート内容が若干変わっていたように思うのですが、私のメモに「Nous sommes tous desu juifs allmands」「私たちはみなドイツのユダヤ人だ」とあります。
不思議に思ったのは、仮にも大学教授を名乗っている、フランス現代思想や比較文化論を専門としている人が、「JE SUIS CHARLIE」の誤訳について全く触れていない点です。
フランスでのテロ事件を理解するために、「〜を支援します」と訳す必要が最低限必要と思います。
ちなみに、この二人は翻訳を主業務とする株式会社アーバン・トラストレーションを設立した、と平川克美氏の著書のプロフィールにあります。
一体、どんな言語をどのように翻訳しているのでしょうか?
Re: 厚顔無恥?
T.K.さん
内田樹氏の名も平川克美氏の名も初耳です。
「パリ五月革命」というのは「1968年5月にフランス中で起こった大騒動」のことでしょうか。
フランス中で起こったことを「パリ○○」と名付けるのも、
成就しなかったものを「革命」と呼ぶ人がいるというのも、
実に奇異です。
パリに「ソルボンヌ大学」というものは存在しません。「パリ大学のソルボンヌ地区校舎」ならあります。このことは、F爺が日本に住んでいた頃すでに、フランス語教官の間では常識でした。
平川克美氏には「歌枕」という言葉の意味も全然解っていませんね。恥ずかしいことです。
「1968年5月にフランス中で起こったけれども時の大統領ド・ゴールがうまく収めた反体制志向の大騒動」と今回の「Charlie Hebdoシャルリー・エブド紙襲撃事件で大統領が先頭に立って多数の国の現役政治家を集めて行なった体制主導デモ」とを同列に扱おうとすることにどんな意味があるのか、F爺には理解できません。
>不思議に思ったのは、仮にも大学教授を名乗っている、フランス現代思想や比較文化論を専門としている人が、「JE SUIS CHARLIE」の誤訳について全く触れていない点です。
誤訳であることが分かっていないと考えれば説明は付きますよ。
>一体、どんな言語をどのように翻訳しているのでしょうか?
逐語訳のみの擬似翻訳でしょう。よくあることです。
内田樹氏の名も平川克美氏の名も初耳です。
「パリ五月革命」というのは「1968年5月にフランス中で起こった大騒動」のことでしょうか。
フランス中で起こったことを「パリ○○」と名付けるのも、
成就しなかったものを「革命」と呼ぶ人がいるというのも、
実に奇異です。
パリに「ソルボンヌ大学」というものは存在しません。「パリ大学のソルボンヌ地区校舎」ならあります。このことは、F爺が日本に住んでいた頃すでに、フランス語教官の間では常識でした。
平川克美氏には「歌枕」という言葉の意味も全然解っていませんね。恥ずかしいことです。
「1968年5月にフランス中で起こったけれども時の大統領ド・ゴールがうまく収めた反体制志向の大騒動」と今回の「Charlie Hebdoシャルリー・エブド紙襲撃事件で大統領が先頭に立って多数の国の現役政治家を集めて行なった体制主導デモ」とを同列に扱おうとすることにどんな意味があるのか、F爺には理解できません。
>不思議に思ったのは、仮にも大学教授を名乗っている、フランス現代思想や比較文化論を専門としている人が、「JE SUIS CHARLIE」の誤訳について全く触れていない点です。
誤訳であることが分かっていないと考えれば説明は付きますよ。
>一体、どんな言語をどのように翻訳しているのでしょうか?
逐語訳のみの擬似翻訳でしょう。よくあることです。
être か suivre か
「私はシャルリ」という日本語訳を特に不自然だとも思わず眺めていました。まことにお恥ずかしい限りです。剛一さんの言わはる通り、「私はシャルリ」だと日本語として確かに意味をなしませんね。
僕はそもそもこのF爺ブログで「Nous sommes tous Charlie.」という文章を目にするまでは、件の襲撃事件に対する「Je suis Charlie」の suis は être の直接法現在形一人称単数ではなく、suivre の直接法現在形一人称単数ではないかと考えていました。ケネディの「Ich bin ein Berliner.」という演説を知らなかったですし、 être だった場合は何か単語を省略しない限り「私はシャルリ(・エブド)を支持する」という意味にはならないのではないか、と考えていたからです。それに、その時家にある仏和辞書のいくつかを繙いてみましたが、前置詞を伴わずに être だけで「~を支持する」「~の側につく」という用法は載っていませんでした。
けれども、やはりこれは suivre ではなく être なのですね。そうなると、être の意味範囲は広く、「A est B」という構文には特殊な場合も含めると「AはBである」という意味以外のさまざまな意味がありそうですね……。
ただ、少なくとも僕の周りでは「私はシャルリ」とう訳語に違和感を表明したり、意味不明だと言う人は、いませんでした。皆、「私はシャルリ(・エブド)を支持する」という意味を理解していたようです。思うに、日本語でも文脈によっては「私は○○新聞です」と言うと、「私が購読しているのは朝日新聞だ」「私の家では朝日新聞をとっている」という意味になることがあるように、文脈や事件の背景を汲んで意味を理解していたのかも知れません。
でも、やっぱり「私はシャルリ」という訳はおかしいですね。今はそう思っています(それに、上記用例の「は」は主題標識なので、やはり「私はシャルリ」の場合とは異なりますね)。
僕はそもそもこのF爺ブログで「Nous sommes tous Charlie.」という文章を目にするまでは、件の襲撃事件に対する「Je suis Charlie」の suis は être の直接法現在形一人称単数ではなく、suivre の直接法現在形一人称単数ではないかと考えていました。ケネディの「Ich bin ein Berliner.」という演説を知らなかったですし、 être だった場合は何か単語を省略しない限り「私はシャルリ(・エブド)を支持する」という意味にはならないのではないか、と考えていたからです。それに、その時家にある仏和辞書のいくつかを繙いてみましたが、前置詞を伴わずに être だけで「~を支持する」「~の側につく」という用法は載っていませんでした。
けれども、やはりこれは suivre ではなく être なのですね。そうなると、être の意味範囲は広く、「A est B」という構文には特殊な場合も含めると「AはBである」という意味以外のさまざまな意味がありそうですね……。
ただ、少なくとも僕の周りでは「私はシャルリ」とう訳語に違和感を表明したり、意味不明だと言う人は、いませんでした。皆、「私はシャルリ(・エブド)を支持する」という意味を理解していたようです。思うに、日本語でも文脈によっては「私は○○新聞です」と言うと、「私が購読しているのは朝日新聞だ」「私の家では朝日新聞をとっている」という意味になることがあるように、文脈や事件の背景を汲んで意味を理解していたのかも知れません。
でも、やっぱり「私はシャルリ」という訳はおかしいですね。今はそう思っています(それに、上記用例の「は」は主題標識なので、やはり「私はシャルリ」の場合とは異なりますね)。
同感です!
ななも、「私はシャルリ」って、一体何を意味してるのか、さっぱり分かりませんでした。
フランス語を話す方には分かる、別次元の意味合いがあるのか??とずっと不思議でした。
本当の意味を分かってそれを発信しているのは、小島先生のブログくらいなのでは。
だから風刺になるんですね。
言葉の大事さを、思い知らされますね。
フランス語を話す方には分かる、別次元の意味合いがあるのか??とずっと不思議でした。
本当の意味を分かってそれを発信しているのは、小島先生のブログくらいなのでは。
だから風刺になるんですね。
言葉の大事さを、思い知らされますね。
Re: 同感です!
ななさん
おっしゃる通り、元の仏語文の本当の意味が解ってそれを発信しているのは、F爺・小島剛一のブログぐらいのものなのかもしれません。
英語を習う人は数が多いから英語文からの日本語訳はいくらかマシかと思っていたら、全然そんなこともないようです。
擬似翻訳、異文化擬似理解がはびこっています。日本文化の擬似紹介も酷(ひど)いものです。本当の意味での開国は、まだこれからのようです。
おっしゃる通り、元の仏語文の本当の意味が解ってそれを発信しているのは、F爺・小島剛一のブログぐらいのものなのかもしれません。
英語を習う人は数が多いから英語文からの日本語訳はいくらかマシかと思っていたら、全然そんなこともないようです。
擬似翻訳、異文化擬似理解がはびこっています。日本文化の擬似紹介も酷(ひど)いものです。本当の意味での開国は、まだこれからのようです。
Re: être か suivre か
R君
ケネディの演説が無ければ、そして演説をした時のケネディが米国大統領という世界的に重要な地位に就いていなければ、「Ich bin ○○」「I am ○○」「Je suis ○○」に「○○を支援します」という意味が出現することは無かったと思います。ドイツ語のseinや英語のtobeや フランス語のêtreなどの動詞に昔から具わっていた用法ではないのです。
しかも、その時以来、つい最近F爺が誤訳だと指摘するまで、日本語訳は「私は○○だ」式のもののみが罷(まか)り通っていたのですから、仏和辞典などに「支援する」という意味が載っているわけも無いのです。
F爺訳は、これまでの仏和辞典の不備を補うものなのです。
また、F爺訳は、「支援する」です。R君が書いているような「~を支持する」でも「~の側につく」でもないのです。勝手に原文を歪曲した解釈をしてはいけませんよ。
>ただ、少なくとも僕の周りでは「私はシャルリ」とう訳語に違和感を表明したり、意味不明だと言う人は、いませんでした。
日本語として意味を成さないものを聞かされて「意味不明だ」と言わない人は、日本語感覚が完全に鈍麻しているのです。
>皆、「私はシャルリ(・エブド)を支持する」という意味[に]理解していたようです。
いやいやR君、それはあり得ません。日本の中でR君の周りにだけ、フランス語を知らないのにそんな理解の出来る人が集中している可能性はゼロです。
「シャルリーを支援します」という意味に理解していたか、と訊かれれば「そうだ」と答える人はいるかもしれません。でも、その人たちのうち誰一人、自分でその意味を見つけたのではありませんよ。誘導尋問に引っかかっただけです。
フランスに住んでいて(あるいは住んでいたことがあって)フランス語がまあまあ話せる日本人でも、正しく理解した人は数えるほどもいないのです。
KTさんや「なな」さんのように「(『私はシャルリー』が)一体、何を意味しているのか、さっぱり分かりませんでした」というのが、またT.K.さんのおっしゃるように「正確な理解ができないまま、何かちがうな?、という漠然とした気持ち悪さを持ち続ける」というのが、普通の日本人の素直な感想ですよ。F爺が初めて「私はシャルリー」という訳文を見た時の率直な反応は「これは、日本語になっていない。馬鹿のでっち上げた逐語訳だ」です。
>日本語でも文脈によっては「私は○○新聞です」と言うと、「私が購読しているのは朝日新聞だ」「私の家では朝日新聞をとっている」という意味になることがあるように、
書き間違いがあります。R君は、恐らく「私が購読しているのは○○新聞だ」「私の家では○○新聞をとっている」と書くつもりだったのでしょうね。
>(それに、上記用例の「は」は主題標識なので、やはり「私はシャルリ」の場合とは異なりますね)
この一文は、意味不明です。「私は*シャルリ」という誤訳に現れる「は」も、主題標識でしかあり得ませんよ。
コメントの末尾の部分は、推敲して投稿し直してください。
ケネディの演説が無ければ、そして演説をした時のケネディが米国大統領という世界的に重要な地位に就いていなければ、「Ich bin ○○」「I am ○○」「Je suis ○○」に「○○を支援します」という意味が出現することは無かったと思います。ドイツ語のseinや英語のtobeや フランス語のêtreなどの動詞に昔から具わっていた用法ではないのです。
しかも、その時以来、つい最近F爺が誤訳だと指摘するまで、日本語訳は「私は○○だ」式のもののみが罷(まか)り通っていたのですから、仏和辞典などに「支援する」という意味が載っているわけも無いのです。
F爺訳は、これまでの仏和辞典の不備を補うものなのです。
また、F爺訳は、「支援する」です。R君が書いているような「~を支持する」でも「~の側につく」でもないのです。勝手に原文を歪曲した解釈をしてはいけませんよ。
>ただ、少なくとも僕の周りでは「私はシャルリ」とう訳語に違和感を表明したり、意味不明だと言う人は、いませんでした。
日本語として意味を成さないものを聞かされて「意味不明だ」と言わない人は、日本語感覚が完全に鈍麻しているのです。
>皆、「私はシャルリ(・エブド)を支持する」という意味[に]理解していたようです。
いやいやR君、それはあり得ません。日本の中でR君の周りにだけ、フランス語を知らないのにそんな理解の出来る人が集中している可能性はゼロです。
「シャルリーを支援します」という意味に理解していたか、と訊かれれば「そうだ」と答える人はいるかもしれません。でも、その人たちのうち誰一人、自分でその意味を見つけたのではありませんよ。誘導尋問に引っかかっただけです。
フランスに住んでいて(あるいは住んでいたことがあって)フランス語がまあまあ話せる日本人でも、正しく理解した人は数えるほどもいないのです。
KTさんや「なな」さんのように「(『私はシャルリー』が)一体、何を意味しているのか、さっぱり分かりませんでした」というのが、またT.K.さんのおっしゃるように「正確な理解ができないまま、何かちがうな?、という漠然とした気持ち悪さを持ち続ける」というのが、普通の日本人の素直な感想ですよ。F爺が初めて「私はシャルリー」という訳文を見た時の率直な反応は「これは、日本語になっていない。馬鹿のでっち上げた逐語訳だ」です。
>日本語でも文脈によっては「私は○○新聞です」と言うと、「私が購読しているのは
書き間違いがあります。R君は、恐らく「私が購読しているのは○○新聞だ」「私の家では○○新聞をとっている」と書くつもりだったのでしょうね。
>(それに、上記用例の「は」は主題標識なので、やはり「私はシャルリ」の場合とは異なりますね)
この一文は、意味不明です。「私は*シャルリ」という誤訳に現れる「は」も、主題標識でしかあり得ませんよ。
コメントの末尾の部分は、推敲して投稿し直してください。
こう考えておりました
初めて投稿します。どうぞよろしくお願いします。
私は仏語は全くできず、英語は学校で習ったので少しは分かるという程度の者です。Je suis CharlieについてはI am Charlieに相当すると聞きましたので、「私はシャルリー」という訳を当然と受け止めておりました。
そうしますと、たとえば文学作品などで登場人物が「ぼくはかもめだ」などと言うことがあります。これは一種の比喩で、ぼくの認識するぼくの何かとかもめの何かが一致する、つまり、ぼくとかもめの間には共通点がある、という意味なのだと考えていましたので、これを上記の訳に当てはめ、
Je suis Charlieは、私にはシャルリーと何か共通点がある、それが思想なのか行動なのか何なのかは分からないけど、という主張だと考え
Je suis Charlieと掲げて歩く人たちは
「おれはシャルリーだ、シャルリーを殺すのならおれのことも殺してみろ。」という意味かなと考え、西欧人は攻撃的で乱暴だなと考え、
「わたしはシャルリーじゃない」と言いだした一部の日本の識者に対しては、なるほどもっともだ、そんな下品な風刺画を描く人たちと一緒にされたくないよな、と共感しておりました。
ところがF爺様の言う「シャルリーを支援します」だと全く違ってきます。私も、ペンに対してペンでではなく、あんな卑劣な暴力で対抗されてしまった、シャルリーを支援したい、支援しなくてどうする、という気持ちです。
なんだかフランスと日本で、議論の土台が根本的に違うような気がしてきて、わけがわからなくなって来ます。
思うに、F爺訳がこれまでの仏和辞典の不備を補う新訳だとしますと、これはF爺様が実際に現地人と接する中から生れてきた訳であり、トルコの少数民族のことばと接し、辞書も資料も何もないところからひとつひとつのことばを理解していったという作業と共通のものなのかなと感じました。外国語は先生から習うもの、分からない単語は辞書で引くもの、と思いこんでおりました私には別世界です。
さらに空想が広がり
きっと大黒屋光太夫やジョン万次郎の時代には、日本人も現場から異言語を学んだのに、今では辞書や参考書が権威となり、現場より本の記載のほうが基準となるようになってしまったのかな、などとも考えました。
私は仏語は全くできず、英語は学校で習ったので少しは分かるという程度の者です。Je suis CharlieについてはI am Charlieに相当すると聞きましたので、「私はシャルリー」という訳を当然と受け止めておりました。
そうしますと、たとえば文学作品などで登場人物が「ぼくはかもめだ」などと言うことがあります。これは一種の比喩で、ぼくの認識するぼくの何かとかもめの何かが一致する、つまり、ぼくとかもめの間には共通点がある、という意味なのだと考えていましたので、これを上記の訳に当てはめ、
Je suis Charlieは、私にはシャルリーと何か共通点がある、それが思想なのか行動なのか何なのかは分からないけど、という主張だと考え
Je suis Charlieと掲げて歩く人たちは
「おれはシャルリーだ、シャルリーを殺すのならおれのことも殺してみろ。」という意味かなと考え、西欧人は攻撃的で乱暴だなと考え、
「わたしはシャルリーじゃない」と言いだした一部の日本の識者に対しては、なるほどもっともだ、そんな下品な風刺画を描く人たちと一緒にされたくないよな、と共感しておりました。
ところがF爺様の言う「シャルリーを支援します」だと全く違ってきます。私も、ペンに対してペンでではなく、あんな卑劣な暴力で対抗されてしまった、シャルリーを支援したい、支援しなくてどうする、という気持ちです。
なんだかフランスと日本で、議論の土台が根本的に違うような気がしてきて、わけがわからなくなって来ます。
思うに、F爺訳がこれまでの仏和辞典の不備を補う新訳だとしますと、これはF爺様が実際に現地人と接する中から生れてきた訳であり、トルコの少数民族のことばと接し、辞書も資料も何もないところからひとつひとつのことばを理解していったという作業と共通のものなのかなと感じました。外国語は先生から習うもの、分からない単語は辞書で引くもの、と思いこんでおりました私には別世界です。
さらに空想が広がり
きっと大黒屋光太夫やジョン万次郎の時代には、日本人も現場から異言語を学んだのに、今では辞書や参考書が権威となり、現場より本の記載のほうが基準となるようになってしまったのかな、などとも考えました。
Re: こう考えておりました
IHさん
初投稿、ありがとうございます。大変面白いご意見ですので、ご返信に代えて「『私はシャルリー』は誤訳(続)」(仮題)という記事を立てることにしました。数日お待ちください。
初投稿、ありがとうございます。大変面白いご意見ですので、ご返信に代えて「『私はシャルリー』は誤訳(続)」(仮題)という記事を立てることにしました。数日お待ちください。
「Je suis Charlie」再考
剛一さん
シャルリ・エブド事件後の「Je suis Charlie」における suis のF爺提唱訳である「支援する」と、僕がコメントで書いた「~を支持する」や「~の側につく」では、確かに意味が違います。お詫びして、訂正します。
前回コメントしてから、「Je suis Charlie」について話し合った友人・知人に会いに行き、事件後暫くしてから新聞、テレビ、ラジオの報道に出てきた「わたしはシャルリー」という文言をどのように理解していたのか、確認してきました(その中にケネディの演説の Ich bin ein Berliner. を知っていた者はいません)。よく考えて、自分の頭で、ほんとうにその意味が理解できたのか、ということを。
その結果、剛一さんの言わはる通りだったことがわかりました。つまり、全員(訊いたのは5人)が例外なく、文言そのものの意味を自分の頭で理解しようとするより前に、あるいは同時に、テレビ出演者のコメント、新聞の解説、ブログ記事の誤った説明(例えば、「私はシャルリー」という言葉で、シャルリ・エブドへの支持を表明している、というもの)をそのまま鵜呑みにしていたことがわかりました。これは、誘導尋問に引っかかっていたことと大同小異です。上のコメントを投稿した時に、僕はそこまで思いが至っていませんでした。
また、前のコメント最後の段落で書いた「私は○○新聞です(=私は○○新聞を購読しています)」における「は」は主題標識であり、「私はシャルリ」の「は」の場合と異なる、という趣旨の文章は、全て取り消します。
『再構築した日本語文法』の「主題標識」「名詞文」「名詞形形容詞」の項目を再読し、改めて考えてみましたが、剛一さんの言わはる通り「私は*シャルリ」という誤訳に現れる「は」も、主題標識でしかあり得ませんでした。
混乱を招くことを書いてしまい、どうもすみません。
シャルリ・エブド事件後の「Je suis Charlie」における suis のF爺提唱訳である「支援する」と、僕がコメントで書いた「~を支持する」や「~の側につく」では、確かに意味が違います。お詫びして、訂正します。
前回コメントしてから、「Je suis Charlie」について話し合った友人・知人に会いに行き、事件後暫くしてから新聞、テレビ、ラジオの報道に出てきた「わたしはシャルリー」という文言をどのように理解していたのか、確認してきました(その中にケネディの演説の Ich bin ein Berliner. を知っていた者はいません)。よく考えて、自分の頭で、ほんとうにその意味が理解できたのか、ということを。
その結果、剛一さんの言わはる通りだったことがわかりました。つまり、全員(訊いたのは5人)が例外なく、文言そのものの意味を自分の頭で理解しようとするより前に、あるいは同時に、テレビ出演者のコメント、新聞の解説、ブログ記事の誤った説明(例えば、「私はシャルリー」という言葉で、シャルリ・エブドへの支持を表明している、というもの)をそのまま鵜呑みにしていたことがわかりました。これは、誘導尋問に引っかかっていたことと大同小異です。上のコメントを投稿した時に、僕はそこまで思いが至っていませんでした。
また、前のコメント最後の段落で書いた「私は○○新聞です(=私は○○新聞を購読しています)」における「は」は主題標識であり、「私はシャルリ」の「は」の場合と異なる、という趣旨の文章は、全て取り消します。
『再構築した日本語文法』の「主題標識」「名詞文」「名詞形形容詞」の項目を再読し、改めて考えてみましたが、剛一さんの言わはる通り「私は*シャルリ」という誤訳に現れる「は」も、主題標識でしかあり得ませんでした。
混乱を招くことを書いてしまい、どうもすみません。
Re: 「Je suis Charlie」再考
R君
お久しぶりです。早とちりがありましたが、全部訂正できましたね。思い込みというものは、一度頭に入れてしまうと、なかなか自分で気付いて直すことは出来ません。誰か物をはっきり言う人と議論するのが最良の薬です。
次のコメントを待っています。今度はどの記事に付くのかな。
お久しぶりです。早とちりがありましたが、全部訂正できましたね。思い込みというものは、一度頭に入れてしまうと、なかなか自分で気付いて直すことは出来ません。誰か物をはっきり言う人と議論するのが最良の薬です。
次のコメントを待っています。今度はどの記事に付くのかな。
私はシャルリー
F爺さま
F爺のCovid-19ワクチン接種後の副反応(1)
記事にて間違って投稿してしまいました。申し訳ありません。
コメントの内容としてはシャルリーが人名でなく風刺週刊新聞であるならば日本で風刺的な意味合いを持つのは日刊ゲンダイやフライデーといった新聞や雑誌で、
私は日刊ゲンダイ、私はフライデー、といった内容を想像してしまうとおかしいですね。
という内容でした。
自身のコメントを削除しようとしたのですが編集できず、
記述した内容も確認できないため、思い出しながらのコメント投稿となります。
現状では自分が書いてしまった
F爺のCovid-19ワクチン接種後の副反応(1)
記事のコメントを編集したり削除したりする方法がわからず、このような書き方となりました。
お手数をおかけしますが、
F爺のCovid-19ワクチン接種後の副反応(1)
記事の私のコメントについては削除をお願いできますでしょうか。
申し訳ありません。
F爺のCovid-19ワクチン接種後の副反応(1)
記事にて間違って投稿してしまいました。申し訳ありません。
コメントの内容としてはシャルリーが人名でなく風刺週刊新聞であるならば日本で風刺的な意味合いを持つのは日刊ゲンダイやフライデーといった新聞や雑誌で、
私は日刊ゲンダイ、私はフライデー、といった内容を想像してしまうとおかしいですね。
という内容でした。
自身のコメントを削除しようとしたのですが編集できず、
記述した内容も確認できないため、思い出しながらのコメント投稿となります。
現状では自分が書いてしまった
F爺のCovid-19ワクチン接種後の副反応(1)
記事のコメントを編集したり削除したりする方法がわからず、このような書き方となりました。
お手数をおかけしますが、
F爺のCovid-19ワクチン接種後の副反応(1)
記事の私のコメントについては削除をお願いできますでしょうか。
申し訳ありません。
Re: 私はシャルリー
「airiyuki」さん
元のコメントの内容を写し貼り(コピペ)します。
*****
興味深く拝見し、過去記事をたどり「私はシャルリー」の記事を読んで思わず吹き出してしまいました。
風刺週刊新聞というメディアを日本国内では聞いたことがないので、
似た性質の発行媒体を想像したところ、
風刺的な描写が多い新聞といえば日刊ゲンダイ、
週刊紙ではあまり思い浮かびませんが、
フライデーあたりが近いのかなという印象です。
確かにニュースの見出しで「私は日刊ゲンダイ」
「私はフライデー」なんて見たら違和感しかありませんよね。
とんでもない誤訳とおっしゃりたくなるのも分かります
*****
お願いが二つあります
お願い 一
ハンドル・ネームの綴りが「airiyuki」だったり「ailiyuki」だったりしていますが、どちらか一方に統一してください。
〈別人がわざと酷似したハンドル・ネームを採用した〉
ように見えてしまうのです。
現状では、痛くもない腹を探られる結果になっています。
お願い 二
【「airiyuki / ailiyuki」さんのコメントの「ひろゆき」のYoutube動画の説明に賛成できない】
という報告が数人の読者から届いています。確認した上での再報告をお願いします。
>ひろゆきはその質問を読むつもりはなく、誤って読み上げてしまったようで、あわてて別の話題にそらしていました。
茶色の文字にした部分(↑)に異論が出ているのです。
元のコメントの内容を写し貼り(コピペ)します。
*****
興味深く拝見し、過去記事をたどり「私はシャルリー」の記事を読んで思わず吹き出してしまいました。
風刺週刊新聞というメディアを日本国内では聞いたことがないので、
似た性質の発行媒体を想像したところ、
風刺的な描写が多い新聞といえば日刊ゲンダイ、
週刊紙ではあまり思い浮かびませんが、
フライデーあたりが近いのかなという印象です。
確かにニュースの見出しで「私は日刊ゲンダイ」
「私はフライデー」なんて見たら違和感しかありませんよね。
とんでもない誤訳とおっしゃりたくなるのも分かります
*****
お願いが二つあります
お願い 一
ハンドル・ネームの綴りが「airiyuki」だったり「ailiyuki」だったりしていますが、どちらか一方に統一してください。
〈別人がわざと酷似したハンドル・ネームを採用した〉
ように見えてしまうのです。
現状では、痛くもない腹を探られる結果になっています。
お願い 二
【「airiyuki / ailiyuki」さんのコメントの「ひろゆき」のYoutube動画の説明に賛成できない】
という報告が数人の読者から届いています。確認した上での再報告をお願いします。
>ひろゆきはその質問を読むつもりはなく、誤って読み上げてしまったようで、あわてて別の話題にそらしていました。
茶色の文字にした部分(↑)に異論が出ているのです。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
Re: 訂正とおわび
ailiyukiさん
ハンドル・ネームの「airiyuki~ailiyuki」の表記の揺れの原因が良く分りました。今後は「ailiyuki」に統一していただけるのですね。
非公開設定ですが、次の部分は公開して構わないと判断しました。
>>ひろゆきはその質問を読むつもりはなく、誤って読み上げてしまったようで、あわてて別の話題にそらしていました。
>こちらについて再度確認しました。
確かに[ひろゆきが]話題について言い訳をして[い]ます。
この情報は匿名掲示板で見た情報を元に書いたもので、
その当時実際に自分自身でひろゆきの動画を見て聞いた訳ではありません。
ひろゆきの声を聞くと虫唾が走る思いをするため、意識的に聞くことはしておらず、
ひろゆきの発言を文字起こしされた伝聞を、さも自分が聞いたかのように書いてしまった事にも気付いておりませんでした。
大変申し訳ございません。
「ひろゆきが質問を読み上げた後、当初来ていた質問とは異なる内容であることに気づき、
あわててF爺さまとの件について言い訳じみた釈明をしていた」に訂正します。
ご訂正、承(うけたまわ)りました。F爺も、「ひろゆき」の画像も見たくないし声も聞きたくないので、お気持ちは良く分ります。あれほど卑劣でおぞましい人でなしには、幸いにして滅多にお目に掛かりません。
ハンドル・ネームの「airiyuki~ailiyuki」の表記の揺れの原因が良く分りました。今後は「ailiyuki」に統一していただけるのですね。
非公開設定ですが、次の部分は公開して構わないと判断しました。
>>ひろゆきはその質問を読むつもりはなく、誤って読み上げてしまったようで、
>こちらについて再度確認しました。
確かに[ひろゆきが]話題について言い訳をして[い]ます。
この情報は匿名掲示板で見た情報を元に書いたもので、
その当時実際に自分自身でひろゆきの動画を見て聞いた訳ではありません。
ひろゆきの声を聞くと虫唾が走る思いをするため、意識的に聞くことはしておらず、
ひろゆきの発言を文字起こしされた伝聞を、さも自分が聞いたかのように書いてしまった事にも気付いておりませんでした。
大変申し訳ございません。
「ひろゆきが質問を読み上げた後、当初来ていた質問とは異なる内容であることに気づき、
あわててF爺さまとの件について言い訳じみた釈明をしていた」に訂正します。
ご訂正、承(うけたまわ)りました。F爺も、「ひろゆき」の画像も見たくないし声も聞きたくないので、お気持ちは良く分ります。あれほど卑劣でおぞましい人でなしには、幸いにして滅多にお目に掛かりません。
ありがとうございます
F爺さま
ご返信ありがとうございます。
お手数をおかけしてしまいすみませんでした。
私の日本語に拙い所が多々ある中、修正頂きありがとうございます。
以降、気をつけます。よろしくお願い致します。
ご返信ありがとうございます。
お手数をおかけしてしまいすみませんでした。
私の日本語に拙い所が多々ある中、修正頂きありがとうございます。
以降、気をつけます。よろしくお願い致します。