コメント
落語の「落ち」を無理矢理説明して失敗しているような感じですね
小島さんへ
この件ですが、多分、この記事を書いた日本人記者は「Charlie Hebdoシャルリー・エブド紙」の「しゃれ」がわからないのだろうと思います。落語の面白さをフランス人に伝えるのが難しいのと同様、シャルリー・エブド紙に対してフランス人が感じる「おかしみ」がわからないのだろうと思います。わからないなら、ちょっと周りのフランス人に聞いて見れば良いのに(小島さんの様にです)、多分聞いてないでしょう。聞いていれば、こんな記事は書けないと思います。
今回のシャルリー・エブド紙に載ったフクシマを揶揄(と勝手に思い込んでいるようですが)した?画像を見られないのでなんとも言えないのですが、元々ネットで見られるシャルリー・エブド紙の風刺画は結構、下品、低劣?です。一般のフランス人はそんなことは承知で楽しんでいるのだと思います。そういうことがわからないから、トンチンカンな記事を書くのでは無いでしょうか?毎日新聞、読売新聞の記者のフランス語能力の問題かもしれません。東京在住のル・モンド紙のトンデモ記者の裏返しのような存在だったら困りますね.
「日本の関係者」云々ですが,日本の新聞の決まり文句の1つです.こういう決まり文句がたくさんあります.「今後議論を呼びそうだ」「政府高官は..と話している.」「国会周辺では,なになにが話題になっている」「何々町の何々さんがこう話している」あまり意味の無い言葉が沢山載っています.それと同じで,証明できない誰かが何かをする?あるいは議論になる?あるいは反発が予想されるなどと書くのは「責任逃れ」+「煽り」だと思います.
最後に,今回のように「絵」が議論される記事を書くなら,その「絵」を呈示して読者の判断を待つのが本来の言論の姿だと思います.シャルリー・エブド紙に掲載を断られたのでしょうか?あるいは頼みもしなかったのでしょうか?後者なら,読者を馬鹿にしていると思います.前者なら,その経緯を書くべきでしょう.
この件ですが、多分、この記事を書いた日本人記者は「Charlie Hebdoシャルリー・エブド紙」の「しゃれ」がわからないのだろうと思います。落語の面白さをフランス人に伝えるのが難しいのと同様、シャルリー・エブド紙に対してフランス人が感じる「おかしみ」がわからないのだろうと思います。わからないなら、ちょっと周りのフランス人に聞いて見れば良いのに(小島さんの様にです)、多分聞いてないでしょう。聞いていれば、こんな記事は書けないと思います。
今回のシャルリー・エブド紙に載ったフクシマを揶揄(と勝手に思い込んでいるようですが)した?画像を見られないのでなんとも言えないのですが、元々ネットで見られるシャルリー・エブド紙の風刺画は結構、下品、低劣?です。一般のフランス人はそんなことは承知で楽しんでいるのだと思います。そういうことがわからないから、トンチンカンな記事を書くのでは無いでしょうか?毎日新聞、読売新聞の記者のフランス語能力の問題かもしれません。東京在住のル・モンド紙のトンデモ記者の裏返しのような存在だったら困りますね.
「日本の関係者」云々ですが,日本の新聞の決まり文句の1つです.こういう決まり文句がたくさんあります.「今後議論を呼びそうだ」「政府高官は..と話している.」「国会周辺では,なになにが話題になっている」「何々町の何々さんがこう話している」あまり意味の無い言葉が沢山載っています.それと同じで,証明できない誰かが何かをする?あるいは議論になる?あるいは反発が予想されるなどと書くのは「責任逃れ」+「煽り」だと思います.
最後に,今回のように「絵」が議論される記事を書くなら,その「絵」を呈示して読者の判断を待つのが本来の言論の姿だと思います.シャルリー・エブド紙に掲載を断られたのでしょうか?あるいは頼みもしなかったのでしょうか?後者なら,読者を馬鹿にしていると思います.前者なら,その経緯を書くべきでしょう.
Re: 落語の「落ち」を無理矢理説明して失敗しているような感じですね
火狐さん
>今回のように「絵」が議論される記事を書くなら,その「絵」を呈示して読者の判断を待つのが本来の言論の姿だと思います.
その通りですね。三枚一組の「絵」の三枚全部を提示しないで、自分の価値判断だけを記事にするというのは邪道です。
>「日本の関係者」云々ですが,日本の新聞の決まり文句の1つです.こういう決まり文句がたくさんあります.「今後議論を呼びそうだ」「政府高官は..と話している.」「国会周辺では,なになにが話題になっている」「何々町の何々さんがこう話している」あまり意味の無い言葉が沢山載っています.それと同じで,証明できない誰かが何かをする?あるいは議論になる?あるいは反発が予想されるなどと書くのは「責任逃れ」+「煽り」だと思います.
ああ、そういうことだったんですか。「○○と言われています」と同じ穴の貉(むじな)の「責任逃れ」である上に「煽り」なのですね。そういう書き方をする記事は信用に値しないということ、しっかりと覚えておきます。ありがとうございます。
>元々ネットで見られるシャルリー・エブド紙の風刺画は結構、下品、低劣?です。
その通りです。卑猥なだけならともかく、汚(きたな)らしくて直視に堪(た)えないこともあります。
>この記事を書いた日本人記者は「Charlie Hebdoシャルリー・エブド紙」の「しゃれ」がわからないのだろうと思います。落語の面白さをフランス人に伝えるのが難しいのと同様、シャルリー・エブド紙に対してフランス人が感じる「おかしみ」がわからないのだろうと思います。
異言語の「洒落」や「ユーモア」を会得するのは、大変なことです。母言語同様に話し読み書き出来るようになった後でないと、その時期は、やって来ません。解説してもらってやっと分かるようになるうちは、まだまだ駄目なのです。
>今回のように「絵」が議論される記事を書くなら,その「絵」を呈示して読者の判断を待つのが本来の言論の姿だと思います.
その通りですね。三枚一組の「絵」の三枚全部を提示しないで、自分の価値判断だけを記事にするというのは邪道です。
>「日本の関係者」云々ですが,日本の新聞の決まり文句の1つです.こういう決まり文句がたくさんあります.「今後議論を呼びそうだ」「政府高官は..と話している.」「国会周辺では,なになにが話題になっている」「何々町の何々さんがこう話している」あまり意味の無い言葉が沢山載っています.それと同じで,証明できない誰かが何かをする?あるいは議論になる?あるいは反発が予想されるなどと書くのは「責任逃れ」+「煽り」だと思います.
ああ、そういうことだったんですか。「○○と言われています」と同じ穴の貉(むじな)の「責任逃れ」である上に「煽り」なのですね。そういう書き方をする記事は信用に値しないということ、しっかりと覚えておきます。ありがとうございます。
>元々ネットで見られるシャルリー・エブド紙の風刺画は結構、下品、低劣?です。
その通りです。卑猥なだけならともかく、汚(きたな)らしくて直視に堪(た)えないこともあります。
>この記事を書いた日本人記者は「Charlie Hebdoシャルリー・エブド紙」の「しゃれ」がわからないのだろうと思います。落語の面白さをフランス人に伝えるのが難しいのと同様、シャルリー・エブド紙に対してフランス人が感じる「おかしみ」がわからないのだろうと思います。
異言語の「洒落」や「ユーモア」を会得するのは、大変なことです。母言語同様に話し読み書き出来るようになった後でないと、その時期は、やって来ません。解説してもらってやっと分かるようになるうちは、まだまだ駄目なのです。
「風刺」と「誹謗中傷」
以前、F爺さんは「曽野綾子の場合」の記事のコメント欄で以下の事を書かれていましたね。
色付きの文字>「表現の自由」は、「アパルトヘイト礼賛」や「異種族虐殺賛美」を含みません。[/色]
この考えにもちろん異論はありませんが、時事通信、読売新聞、毎日新聞などの記者は、今回のシャルリー・エブド紙のフクシマの風刺画を、「アパルトヘイト礼賛」や「異種族虐殺賛美」と同類のものとみなしている可能性があります。単なる風刺を福島の原発事故の被害者の方々を誹謗中傷していると受け止めているのではないかと。
それで思い出したのが、「「ブログ読者です」というコメント」の記事でY.M.さんが以下のコメントを書かれていました。
>日本では「批判」と「誹謗中傷」のつかない方が多いのです。[/色]
今の日本では「風刺」(笑って済ませれば良い物)と「誹謗中傷」(抗議すべき物)の区別がつかない方も多いのかもしれません。記事を書いた記者たちも、今回の風刺を誹謗中傷と捉えたのでしょう。
異言語のユーモアについて的外れな事を書いた時事通信、読売新聞、毎日新聞などの記事は、今の日本では表現の自由や風刺に対して勘違いが広まっている事と、異言語のユーモアを解するのは不可能である事を示す好例になっていると思います。
色付きの文字>「表現の自由」は、「アパルトヘイト礼賛」や「異種族虐殺賛美」を含みません。[/色]
この考えにもちろん異論はありませんが、時事通信、読売新聞、毎日新聞などの記者は、今回のシャルリー・エブド紙のフクシマの風刺画を、「アパルトヘイト礼賛」や「異種族虐殺賛美」と同類のものとみなしている可能性があります。単なる風刺を福島の原発事故の被害者の方々を誹謗中傷していると受け止めているのではないかと。
それで思い出したのが、「「ブログ読者です」というコメント」の記事でY.M.さんが以下のコメントを書かれていました。
>日本では「批判」と「誹謗中傷」のつかない方が多いのです。[/色]
今の日本では「風刺」(笑って済ませれば良い物)と「誹謗中傷」(抗議すべき物)の区別がつかない方も多いのかもしれません。記事を書いた記者たちも、今回の風刺を誹謗中傷と捉えたのでしょう。
異言語のユーモアについて的外れな事を書いた時事通信、読売新聞、毎日新聞などの記事は、今の日本では表現の自由や風刺に対して勘違いが広まっている事と、異言語のユーモアを解するのは不可能である事を示す好例になっていると思います。
Re: 「風刺」と「誹謗中傷」
チョルスさん
>今の日本では「風刺」(笑って済ませれば良い物)と「誹謗中傷」(抗議すべき物)の区別がつかない方も多いのかもしれません。
どうやら、チョルスさんの観測は、的を射ていそうですね。日本だけのことではないのですが。
「間違いを指摘」してもらった時、感謝して訂正すれば良いのに「誹謗中傷するな」と逆ギレする人の多さとも繋がる問題だと思います。
>異言語のユーモアについて的外れな事を書いた時事通信、読売新聞、毎日新聞などの記事は、今の日本では表現の自由や風刺に対して勘違いが広まっている事と、異言語のユーモアを解するのは不可能である事を示す好例になっていると思います。
「勘違い」と言うよりも「初めから何も理解していない」のではないかという気もします。
「ユーモアを翻訳した物を読んで笑える」ことと「異言語そのものでユーモアを解する」こととは違うのですが、それを単一言語者が認識するのは至難のことでしょうね。
>今の日本では「風刺」(笑って済ませれば良い物)と「誹謗中傷」(抗議すべき物)の区別がつかない方も多いのかもしれません。
どうやら、チョルスさんの観測は、的を射ていそうですね。日本だけのことではないのですが。
「間違いを指摘」してもらった時、感謝して訂正すれば良いのに「誹謗中傷するな」と逆ギレする人の多さとも繋がる問題だと思います。
>異言語のユーモアについて的外れな事を書いた時事通信、読売新聞、毎日新聞などの記事は、今の日本では表現の自由や風刺に対して勘違いが広まっている事と、異言語のユーモアを解するのは不可能である事を示す好例になっていると思います。
「勘違い」と言うよりも「初めから何も理解していない」のではないかという気もします。
「ユーモアを翻訳した物を読んで笑える」ことと「異言語そのものでユーモアを解する」こととは違うのですが、それを単一言語者が認識するのは至難のことでしょうね。