ブログ記事〈
「譲らぬ葉」は存在しない〉の「前置き」にも書いたことですが、『言海』と『大言海』の著者・大槻文彦は、日本語研究者の間では、著作に根も葉もない民衆語源を鏤(ちりば)めていることで有名です。F爺は、子供の頃、父の本棚にあった両著に目を通しましたが、和語(やまとことば)の語源説のうちで信憑性のあるものは、数えるほどもありません。子供心に「こんな馬鹿な話があるか !」と斬って捨てました。
学校教育で古語の「射る」が「ヤ行」上一段活用だと教える根拠は何なのかという話題になり、粉雪さんが「
ア行ともヤ行ともつかないのに、ヤ行とする根拠は「射る」の場合は「弓」や「矢」(・・・)
と語源的に関係がありそうだ」という説の発信源を探るべく1932年版の『大言海』に当たって次のことを報告してくださいました。
*****
「射る」のところには弓矢に結び付ける言及はなく「遣(や)るト通ズ」とだけありました。括弧内に示した読み方は辞書ではルビとなっています。
「矢」のところを引くと、「遣(やり)ノ義。音轉シテ射るノ語アリ」とあり、「弓」のところには「射ト通ズ。射ル物ノ意ト云フ」とありました。*****
発音が少しでも似ていて意味に共通点らしいものがあれば「
通ズ」(= 同源だ)と考えるのは、民衆語源説の典型です。
加えて「
ト云フ」は、昨今の「
○○と言われています」と同じことで、無責任放言の姑息な言い訳です。無典拠・無根拠であることの重大な徴候です。
例えば
〈*
鳥の名の「鳶」「とんび」は「飛ぶ」から来ている〉
という俗説がありますが、
もしもそれが本当だったら、「鷲(わし)」や「鷹(たか)」「鴨(かも)」「蜻蛉(とんぼ)」「蝶(ちょう)」「蚤(のみ)」「蒲公英(たんぽぽ)の綿毛」などは、どうして全て「とび」か「とんび」という名前になっていないのでしょうか。
粉雪さんも、感想として、メールにこうお書きになっています。
「
「射る」のヤ行説については、どうやら大言海が元凶のようです」
どんな分野でも、草分けの仕事には間違いが付き物です。辞書作成も例外ではありません。それを訂正していくのが後続の研究者の重要な役目です。和語(やまとことば)の語源説に関して大槻文彦の犯した無数の誤りを糾(ただ)さない研究者は贋物です。