「子供」の表記
- 2015/05/28
- 18:26
2011年の暮にある友人から届いたメールにこうありました。
>教育現場では(・・・)「子供」と原稿に書いても勝手に「子ども」と直され、文句を言うと「常識が無い」とされてしまうような状況です。(・・・)民主党の目玉政策とされたのも「子ども手当」でした。
なんでも、当時
〈「子供」という書き方は差別語だ〉
ということになっていたらしいのです。
言い出しっぺが誰なのかは存じませんが、
〈「供の者」や「お供え」を連想させるから「こども」を蔑(ないがし)ろにしている。「子ども」と書かなくてはならない〉
のだそうです。
驚いて、こう返信しました。
「[F爺]は「子供」と書きます。「交ぜ書き」は愚かで読みづらいから、という単純な理由です。この書き方が(・・・)「差別表記」扱いされているということは、初めて知りました。呆れ果てました」
「子供」という表記がなぜ「差別」ということになるのか、F爺には全然理解できませんでした。
xxxxx
一昨日だったか・・・偶然に二年も前のこういう記事を見つけました。2013年9月に文科省が公文書では「子供」に統一したということです。浦島F爺は、全く存じませんでした。
「交ぜ書き」の愚かさに気付いた人がお役人の中にもいたようです。
早速、件(くだん)の友人にも知らせました。折り返し返信があって、絵本作家の矢玉四郎さんという方がこういう意味のことを長年主張なさっているということが分かりました。
〈「子供」は、当て字だ。漢字一つ一つの意味に拘る理由は無い〉
〈「子ども」と書いたら「餓鬼ども」という意味になる〉
〈「女子供」は「おんなこども」だが、「女子ども」は、「ジョシども」と読むのが当然〉
矢玉さんのおっしゃる通りです。「ども」を仮名書きにしたら、「悪漢ども」や「殺人鬼ども」などの侮蔑表現に現れる集合接辞だと読み取るのが当然です。
矢玉さんは、こういうサイトを開設していらっしゃいます。
F爺としては、矢玉さんが巷間の俗説に染まって
〈「ども」や「たち」は、*複数を表わす〉
とお考えになっているのが残念です。惜しいことです。
日本語の文法体系に「複数」などというものは存在しません。このブログの記事「複数論」を矢玉さんに読んでいただく手立ては無いものでしょうかきました。出来ることなら恐らく「集合名詞と複数形の違い」も。
追記
矢玉四郎さんとすぐに連絡が取れて、
〈「ども」や「たち」は、複数とは無関係だ〉
ということで合意に達しました。
>教育現場では(・・・)「子供」と原稿に書いても勝手に「子ども」と直され、文句を言うと「常識が無い」とされてしまうような状況です。(・・・)民主党の目玉政策とされたのも「子ども手当」でした。
なんでも、当時
〈「子供」という書き方は差別語だ〉
ということになっていたらしいのです。
言い出しっぺが誰なのかは存じませんが、
〈「供の者」や「お供え」を連想させるから「こども」を蔑(ないがし)ろにしている。「子ども」と書かなくてはならない〉
のだそうです。
驚いて、こう返信しました。
「[F爺]は「子供」と書きます。「交ぜ書き」は愚かで読みづらいから、という単純な理由です。この書き方が(・・・)「差別表記」扱いされているということは、初めて知りました。呆れ果てました」
「子供」という表記がなぜ「差別」ということになるのか、F爺には全然理解できませんでした。
xxxxx
一昨日だったか・・・偶然に二年も前のこういう記事を見つけました。2013年9月に文科省が公文書では「子供」に統一したということです。浦島F爺は、全く存じませんでした。
「交ぜ書き」の愚かさに気付いた人がお役人の中にもいたようです。
早速、件(くだん)の友人にも知らせました。折り返し返信があって、絵本作家の矢玉四郎さんという方がこういう意味のことを長年主張なさっているということが分かりました。
〈「子供」は、当て字だ。漢字一つ一つの意味に拘る理由は無い〉
〈「子ども」と書いたら「餓鬼ども」という意味になる〉
〈「女子供」は「おんなこども」だが、「女子ども」は、「ジョシども」と読むのが当然〉
矢玉さんのおっしゃる通りです。「ども」を仮名書きにしたら、「悪漢ども」や「殺人鬼ども」などの侮蔑表現に現れる集合接辞だと読み取るのが当然です。
矢玉さんは、こういうサイトを開設していらっしゃいます。
〈
日本語の文法体系に「複数」などというものは存在しません。このブログの記事「複数論」を矢玉さんに読んでいただ
追記
矢玉四郎さんとすぐに連絡が取れて、
〈「ども」や「たち」は、複数とは無関係だ〉
ということで合意に達しました。